星屑の密室
雪が降りしきるクリスマス・イヴの夜、俺は約束通り、不動産屋から渡された鍵で、『星月荘』304号室のドアを開けた。
家賃は驚くほど安く、部屋は都心の一等地にありながら、何年も空き室だったという。理由を聞けば、不動産屋の担当者は困ったように首を振った。
「…前の入居者の方々が、皆さん**『夜になると、星が降るんです』**と訴えて出ていかれてしまいまして。天井の照明が劣化しているだけで、実害はないのですが、あまりに続くものですから…」
くだらない。どうせ、古びた蛍光灯が明滅するだけだろう。俺は薄ら笑いを浮かべ、室内へ足を踏み入れた。
部屋は広々としていたが、確かに奇妙なほどに暗い。天井から吊るされた裸電球が、細いフィラメントを辛うじて震わせているだけだった。壁紙は剥がれかけ、床には埃が積もっている。
その夜、ベッドに横たわった俺は、すぐにその**「星」**とやらを体験することになった。
真夜中、時計の針が0時を回った頃。
カチリ。
天井の電球が、一瞬、完全に消えた。 そして、その次の瞬間、無数の光の粒が、部屋の天井から、そして壁のひび割れから、まるで砂金のようにキラキラと溢れ出したのだ。
それは、確かに**「星屑」と呼ぶにふさわしい光景だった。 まるで、部屋の天井が満天の星空に変わり、その星々が、俺の部屋の中に降り注いでいる**かのようだった。
「なんだこれ…!」
俺は飛び起きた。 光の粒は、キラキラと輝きながら、まるで意志があるかのように、部屋の中央へと集まっていく。 そして、床に落ちた光の粒は、パチリ、パチリと音を立てながら、消滅していくのだ。
俺は恐怖で体が硬直し、その光景をただ見つめることしかできなかった。 星屑は、降り注ぎ続け、部屋の中央に、まるで**「何か」の形を作り出そうとしているかのように、次第に塊**になっていった。
それは、人間の形をしていた。 しかし、光の粒で形作られたそれは、まるで**『無数の針』でできた彫刻のようだった。 光り輝く針の集合体。それが、ゆらゆらと、音もなく、その場に立ち上がった**。
針の塊は、ゆっくりと、しかし確実に、俺の方へと顔を向けた。 顔の部分もまた、無数の針でできており、そこには目も鼻も口もない。 ただ、光の点滅が、**「こちらを見ている」**という感覚だけを、生理的な恐怖として俺に伝えてきた。
針の塊は、さらにゆっくりと、俺のベッドのそばへと近づいてくる。 一歩、また一歩。 そのたびに、針の塊の一部が、床にキラキラとした粒となってこぼれ落ちる。 その粒が、俺の足元にまで来たとき、俺はついに耐えきれず、絶叫しようとした。
だが、声が出ない。 喉が、まるで鉛を流し込まれたかのように重い。
針の塊は、ベッドのすぐ横まで来て、俺を見下ろした。 無数の針の表面が、まるで皮膚のように、不気味に脈動している。 そして、その塊の中心部分が、わずかに凹んだ。
その凹みから、まるで深淵の闇のような、完全に光を吸収する穴が開いた。 その穴は、俺の顔めがけて、まるでブラックホールのように、俺の意識を吸い込もうとしている。
そのとき、俺は、この部屋の真の**「星」**の正体を理解した。
前の住人たちは、天井のひび割れから、この「針の怪物」が形成される過程を見ていたのだ。 そして、完成した怪物が、自分たちの何らかを「吸い取って」いくのを、ただ見ていることしかできなかったのだ。
俺の視界の隅に、壁に貼り付けられた、前の住人のものらしき書き置きが見えた。
『メリークリスマス。この部屋は、いつも、誰かの「夢」で輝いている。』
その瞬間、俺の全身が、まるで無数の針で刺し貫かれるような、鋭い痛みに襲われた。 体の内側から、何かが溢れ出すような感覚。 意識が、穴へと吸い込まれていく。 俺の**『夢』、『記憶』、『存在』**。 全てが、キラキラとした光の粒となって、俺の体から抜け出し、針の怪物へと吸収されていくのが分かった。
俺の体は、もはや空っぽの抜け殻だ。 針の怪物の体が、吸収した光でさらに輝きを増している。 そして、奴は、またゆっくりと、天井のひび割れや壁の隙間へと、キラキラとした光の粒となって戻っていく。
部屋の暗闇が、再び深まる。 俺は、そこで意識を失った。
翌朝。
俺はベッドの上で目を覚ました。 クリスマスの朝の光が、カーテンの隙間から差し込んでいる。 体はだるいが、何事もなかったかのように感じる。
ただ、一つだけ、おかしなことがあった。
俺は、自分が誰なのか、なぜこの部屋にいるのか、全く思い出せなかった。 そして、部屋の壁には、新たに小さなメモが貼り付けられていた。
『メリークリスマス。君の夢は、僕らが大切に飾っておく。』
俺は、そのメモが何を意味するのかも分からなかった。 ただ、天井のひび割れから、微かにキラキラと、星のように輝くものが、漏れ出しているのが見えた。
部屋の中は、空っぽだった。 俺の記憶も、夢も、全てが。
そして、その日以降、俺は毎晩、天井から降る**「星屑」**を、何の感情もなく見上げることしかできなかった。 クリスマスの夜の出来事は、二度と思い出すことはない。




