月影の客
その部屋は、常に冷気を湛えていた。アパートの最上階、角部屋。築何十年かも分からない古い建物の、さらに奥まった突き当たりの部屋だった。
山田がその部屋に越してきたのは、家賃の安さに目が眩んだからに他ならない。しかし、住み始めてすぐに、彼はその「安さ」には代償があることを知った。
夜になると、壁から、天井から、得体の知れない「音」が聞こえてくる。それは、誰かが部屋の中を、**「這う」**ような音だった。
今夜もそうだ。深夜二時、山田は固く目を閉じ、布団の中で身を縮こまらせていた。
ギィ……ギ、ギィ……。
低く、湿った摩擦音が、床を這う。まるで、濡れた肉の塊を引きずるような音だ。
「気のせいだ。幻聴だ。疲れているんだ。」
彼は何度も自分に言い聞かせたが、心臓は不規則なリズムで跳ね続けている。
ふと、音が一瞬止まった。
静寂。その次の瞬間、山田は肌に刺さるような冷たい視線を感じた。
恐る恐る目を開ける。
窓の外は満月。遮光カーテンなどない窓ガラスを通して、無遠慮な月明かりが部屋の床を照らしていた。
その白い光の中に、**「それ」**はいた。
窓のすぐそば、壁と床の隅。音の発生源は、そこにいたのだ。
それは、人の形をしているようにも、そうでないようにも見えた。黒い塊が、光を浴びて、僅かに揺らめいている。輪郭はぼやけ、表面はぬめりとした光沢を放っている。
しかし、山田が目を奪われたのは、その「顔」らしき部分だった。
月明かりが、その塊の窪んだ「目」を鋭く照らし出していた。
瞳はない。ただ、深く、暗い空洞が二つ。
その空洞が、今、微動だにせず、山田の寝ている布団の塊を、凝視していた。
山田の喉は完全に張り付いて、声が出ない。逃げようと、体を動かそうとしても、体中の筋肉が凍り付いたように動かない。
恐怖に支配され、呼吸すら忘れたその時、
空洞の「目」が、ゆっくりと、細められた。
まるで、微笑むように。
そして、その塊は、再び低い音を立てて、這い始めた。
今度は、山田に向かって。
月明かりが、その醜い影を、彼の布団の上に長く、長く伸ばしていった。
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気づかないうちに、誰かがすでにあなたの部屋に潜んでいるかもしれません。




