普通の怪物
山田は、引っ越してきたばかりの安アパート、**「黄昏荘」**の103号室のドアノブを回すたび、軽い不安を覚えていた。不安の理由は、彼の部屋の隣、102号室の住民だった。
「102号室の住人、夜な夜な**『ぎゃあああ!』**って叫んでるんですよ。壁薄いんで丸聞こえで…」
先日、大家のおばあさんに相談すると、彼女はにこやかに言った。
「ああ、あの子はね、ちょっと“アレ”なだけ。ハロウィンの時期は特に張り切っちゃってね。ほら、このアパート、**“曰くつき”って言われてるからさ。みんな、なんか『怖い部屋に住んでる自分』**に酔いたいみたいでね」
「“アレ”って何ですか…?」
「さあね。でも、お化けの仮装は上手よ。一応、今年も苦情対応で、**『叫び声は夜10時まで』**って貼り紙したんだけどね」
その夜、山田はカボチャのランタンの光をぼんやり見つめながら、イヤホンでノイズキャンセリングの限界に挑戦していた。壁の向こうからは、すでに**「ドタッ!」「ガシャン!」という派手な物音と、まるで生きた心地がしない「ヴオーッ…ぐああぁぁ!」**という呻き声が聞こえてくる。
(うるさい!10時過ぎてるだろ!)
ついに耐えきれなくなった山田は、壁をドンと叩いた。
すると、すぐに声は止んだ。静寂が訪れる。
(やった、効果あった!)
そう思った次の瞬間、**「ピンポーン」**とインターホンが鳴った。
画面を見ると、そこに立っていたのは、血糊まみれのゾンビだった。顔は半分腐り落ちたメイク、服はボロボロで、手には血のついた包丁(どう見ても百均のおもちゃ)を持っている。
「…ひぃっ」
恐る恐るドアを開けると、ゾンビは低く、ドスをきかせた声で言った。
「…隣の、103号室の者か」
「は、はい…」
「壁を叩くのはやめてもらえまいか」
ゾンビは、持っていた包丁の柄で、頭をボリボリと掻いた。
「実は、今、**『恐怖のディナー』**のシーンを撮影中でね。壁を叩かれると、怪演が台無しになるんだ」
「さ、撮影…?」
「ああ。君が壁を叩いたせいで、僕は最高の『うめき』の瞬間を逃した。僕は**『心霊配信者』だ。フォロワーは今や50万人**。僕は**『黄昏荘のリアル怪人』**として人気を博している」
ゾンビは、**「ちょっと待っててくれ」**と言い残し、自分の部屋に戻った。
山田が呆然としていると、ゾンビはすぐに戻ってきた。今度は、黒縁メガネをかけ、血糊まみれのボロボロのTシャツの下に、ユニクロのフリースを着ていた。
彼は血まみれの包丁を背後に隠し、至って普通の、真面目なトーンで言った。
「すまなかった。職業柄、夜型の生活でね。君が壁を叩いたから、てっきり大家さんの苦情かと思って、フルメイクのまま出てきてしまった」
そして、彼は懐から一冊のノートを取り出した。
「これが、僕の**『恐怖の叫び声、パターンA to Z』の台本だ。今夜は『恋人に裏切られたミイラの悲哀』を試していた。君が叩いた時間帯は、ちょうど『クライマックスの断末魔』**に当たる」
山田は、目の前にいる**『リアル怪人』と『礼儀正しい隣人』**のギャップに、頭が追いつかない。
「ちなみに、僕の配信は**『ガチで怖い部屋に住む、ちょっと気の弱い怪人』という設定なんだ。君が壁を叩いた件は、『心霊現象ではない、物理的な隣人トラブル』として、明日、『裏配信』で笑いのネタにするかもしれない。君にはプライバシー保護のモザイク**をかけるから、安心してくれ」
そう言い残し、ゾンビ…もとい配信者は、「じゃあな」と手を振って部屋に戻っていった。
山田はドアを閉め、深いため息をついた。
(このアパートで一番**「怖い」**のは、**隣の部屋の『普通に礼儀正しい配信者』**かもしれない…)
壁の向こうからは、すぐに**「ヴォーッ!…えーっと、テイク2!」**という、プロ根性を感じる声が聞こえ始めた。
山田は、ノイズキャンセリングの音量を最大にした。 彼のハロウィンは、まだまだ長そうだ。




