2 しにがみ
再び蝉の鳴き声が聞こえた。
その瞬間、声が戻り足が動いた。
「むぎちゃん!!!!!」
むぎちゃんの手を引いて、抱き寄せる。死神らしき者の鎌を見事に避けて、勢いに身を任せて2人は地面に転がる。とにかく逃げなきゃ行けないと思った。
「むぎちゃん、早く逃げよ!!!」
「ちょ、さっちゃん」
むぎちゃんの声は私には届いていない。さっきの死神らしき存在がこの世の者でないと確信した。辿ってきた山道を必死に駆けて、むぎちゃんの手をぎゅっと握りしめた。先程よりも、蝉の鳴き声が煩く感じる。この手を離したら、むぎちゃんが殺されちゃうと思った。額からじわじわと汗が滲む。とにかく走った。
しばらくして、山道の入り口まで駆けて、2人は息を切らしていた。
「むぎちゃん、怪我はない…」
息を切らして、掠れた声で問いかける。
「さっちゃん、落ち着いてよ!」
「だって、さっきの見たでしょ!しにがみらしいなんかがいたじゃん!!さっちゃん、もしかしたら死んでたかもしれないんだよ!」
むぎちゃんは少し驚いた様子だった。普段むぎちゃんと比べて、物静かな私の驚いた様子に、むぎちゃんは混乱していた。息を切らして、ダラダラの汗をかいた私はクシャクシャな顔をしていた。
でも、耳を疑った。
「さっちゃんどうしちゃったの?さっき、さっちゃんが手を引いた時に振り返ったけど、何もいなかったよ?」
見えてなかった?どういうことかさっぱりわからなかった。私にしか見えてなかったという事になってしまう。
「何言ってんのむぎちゃん…さっき、見たでしょ!真っ黒なローブで、私たちよりも大きな鎌を持っていたじゃん!!」
「本当にどうしちゃったのさっちゃん…、暑さで頭でもやられちゃったんじゃないの?」
むぎちゃんは少し小馬鹿にした様子だった。必死だった自分が馬鹿らしくなると共に、むぎちゃんを守ろうとした事に対して恩知らずだと思い、つい苛立ちを感じてしまった。
何も言葉が出なかった。突然、疲労がどっしりとかかる様な感覚になった。
「もういいよ…帰ろ。」
「さっちゃん、本当に大丈夫?私家まで送るよ…?」
いつの間にか、辺りは燃えるようなオレンジ色だった。夕日が沈む途中で、蝉は相変わらず鳴いている。来た時よりも、少し涼しかった。
「大丈夫…だよ…」
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数日経っても、頭からあの場面が離れなかった。山の中で見たあの「しにがみ」が頭に媚びりついて怖かった。あれから体調が優れなくて、ずっと布団で寝込んでいた。
その時、自室のドアをノックされる。
「さっちゃん、大丈夫ー?」
お粥をトレーの上に乗せて運んでくる母の姿が見える。母は、私のおでこに手のひらを乗せて熱がまだあるか確認をする。
「まだ熱ありそうねー、さっちゃんが夏風邪なんて珍しいわねー」
私の体は割と丈夫だった。弱そうな見た目の割には、あまり熱を出さないタイプだった。あの山でしにがみを見てから熱を出した。自然と、何か見てはいけないものを見てしまった様に思えた。
「さっちゃん、他に何か欲しいものとかある?」
「ううん…大丈夫」
とにかく寝て、あのしにがみを忘れたかった。あの時は、夏バテで私も幻覚が見えてたんだろう。そんな雑な結論で強引に完結させたかった。
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「むぎちゃん、今日どこ行こうか。」
「やっぱり最初はここのパンケーキ屋でしょう!それから、ここのショッピングモールに行って!それとそれと、ここのカフェにも行ってみたい!!」
私たちは田舎から、約2時間半掛けて電車に揺られて東京へやって来ていた。田舎の女子からしたら、東京はキラキラしていて憧れの場所だった。
スマホに向かって、満面の笑みで問いかけるむぎちゃんは慌ただしかった。
「ハードスケジュールだね…」
しかし初めて東京に来て驚いたのは、人の数だった。世の中には、1箇所にこんな人が集まる場所があるのかと思い知らされている。テレビで見る東京とはまた格段に違って、街の喧騒やビルの高さも実感できた。
「さっちゃん、早く行こ!!!」
相変わらず元気なむぎちゃんに引っ張られて、私たちは東京を楽しんだ。
パンケーキ屋で腹ごしらえをして、大型のショッピングモールに来ていた。2人はフラペチーノを片手に、ショッピングモールの中を散策している。
「さっきのパンケーキ屋美味しかったね!」
「でも、むぎちゃん特大サイズよく食べられたね。」
「あんなの私にかかれば余裕だから!」
ドヤ顔を決めたむぎちゃんは、胸を張って鼻を伸ばしていた。東京に来ても、自分のペースのむぎちゃんは少し誇らしいと思った。
その時だった。
突然大きな揺れが2人を襲い、持っていたフラペチーノのが床にぶち撒けられる。
「え?地震?!」
むぎちゃんは慌てた様子で、2人はその場にしゃがみ込む。上に視線をやると、吊り広告などが大きく揺れている。周辺の人たちも慌てた様子で、私たちと同様にその場にしゃがみ込む。赤ちゃんや子供の泣き声が、建物内に響きあたりは騒ついてる。
強い揺れは、2,3分程度して落ち着いた。
「さっちゃん、大丈夫?凄い地震だったね…」
「むぎちゃんこそ大丈夫…?」
いきなりの大地震に、2人は少し胸の中が騒ついていた。しかし、束の間だ。再び、大きな揺れが襲った。足元が大きく左右にずれ、まるで波の上を漂やっているかの様に体が制御不能になる。今度はさっきよりも大きかった。大きく揺れた吊り広告は、下の階へ落下し大きな音を立てる。それと同時に、下からは悲鳴などが響いて、ただの大地震でないことを2人は悟る。
「さっちゃん、これなんかまずくない…」
いつも明るいむぎちゃんも流石に慌てている様子だった。その時だ。上から、コロンと小さい足の様なものがすぐ近くで落下した。私は建物が倒壊し始めている事に勘づいた。
「まずいよむぎちゃん!建物が倒壊し始めている…」
「ここだと、私たち下敷きになっちゃう!さっちゃん!!」
むぎちゃんは、私の手を引いて入り口方面に向かって走り出す。しかし、ここは3階。外へ出るには、多少距離があるのだ。むぎちゃんは私の手をぎゅっと握りしめて、走る。辺りは家具などが倒れ、食器などが床で破片となって散乱していた。
「え?!うそ!」
二人が走っている最中、大地震により建物内が停電になった。一気に視界が悪くなり、建物内の灯りは非常灯の灯りだけだった。自体が深刻化していることはすぐに分かった。二人は必死に走った。
むぎちゃんは入り口方面へ視界を集中していて、視界が狭くなっていた。その時、視界が悪い中で上から大きな影がある。そう、倒壊して落下して来たコンクリートだった。
「むぎちゃゃん!!」
むぎちゃんの頭上を目掛けて落下して来たコンクリートが見えた。
反射的だった。
庇う様に、むぎちゃんを押し倒した。
むぎちゃんの髪がふわりと波立ている。押し倒されたむぎちゃんがこちらを振り返っている。スローモーションで世界は動いているような感覚。
むぎちゃんの顔が見えて、むぎちゃんが何かを訴えている様に口が動いているような気がした。
むぎちゃんが助かるならいいよ。しょうがないか。
グチャっと鈍い音を立てた。
「うわぁぁ!!!」
嫌な夢を見た。一瞬、あまりにもリアルな夢で、現実と認識できず困惑した。しかし夢だと分かり、安心をした。パジャマの下はべっとりと汗で濡れていて、いつの間にか外の景色がオレンジ色だった。ただ、部屋には外から聴こえる蝉の鳴き声しか音が存在していなかった。
ただ、窓から外の景色を見て黄昏れていた。部屋に差し込むオレンジが私の顔を染めていた。
「やっぱり、この悪魔もしにがみのせいなのかな…」
漠然とした不安を感じると共に、脳裏に残っている夢で悲しい気持ちになった。自分が死んでしまったら、もうむぎちゃんと会えなくなるかもしれない事に悲しくなっていたのだ。たくさん汗をかき、いつの間にか体の調子はいつも通りだとわかった。
「明日、むぎちゃんに会いに行こ…」
そうして、心の中の悲しい気持ちを拭おうとした。