Scale 1. 魂の呼応
肉体は魂の祈りを満たす器———。
今、目にしているのは
そんな1文で始まるおとぎ話のヒロインか何か。
水槽に手を触れる。
返ってくる息吹きの泡。
———彼女が目覚める。
部屋には、ご丁寧に
2匹の観賞魚が優雅に泳ぐ水槽が置かれていた。
彼女はその2匹だけの小さな世界を
遠く眺めている。
「食事を持ってきた」
視線が僕へと向けられる。
「そのままベッドの上で食べるか?」
彼女は首を振り、テーブルを指さした。
「分かった」
彼女は一向にベッドから動く気配がない。
腹が減っていないから、
今は要らないという意味だったのか?
そう疑問符が顔に出ていたのだろう。
「つれてって」彼女が声を発した。
「ああ、そうか」
水槽から出てきたばかりで
まだ1人では歩けないんだ。
僕は彼女のそばへ行き、手を差し出した。
冷たい感触が手のひらに落ちる。
その瞬間、彼女は何かを思い出したように
僕の顔を見上げた。
どうしたんだと思いはしても聞かなかった。
彼女も何も言わなかった。
テーブルまで運び、共に食事を取り始める。
沈黙を破ったのは彼女の方だった。
「あなた なまえ ある?」
「ない」
「そう」
「フロップと呼んだらいいさ。
先生たちは、そう呼ぶ」
「そう」
「君は?」
「ない。せんせいたちは にんぎょひめとよぶ」
「そうだね」
実りのない会話で終わった。
聞いてきたわりに、その後
「ねえ」とか「あなた」とかで、
彼女が僕をフロップと呼ぶことはなく
僕も聞き返したわりに「君」としか呼ばなかった。
彼女は今日も部屋にある本を読んでいる。
以前に僕が読み尽くしてしまったものたちだ。
「ねえ、自分たちで付け合おう」
「え?」
「名前」
「ああ..」急だな。
「せーので言い合うの」
「分かった」お互い考えるまでもなかった。
「せーの…」
「ミチル」
「カケル」
「へえ、ミチルね。気に入ったわ」
「それはよかった」
「カケルは? 気に入った?」
「気に入るも何も、それしかない」
「フフッ」
ミチルが笑う。それはそれは可笑しそうに。
「そうね。私はミチルでしかあり得ないし、
あなたもカケルでしかあり得ない。
これ以上ない名前だわ」
「ありがとう、カケル」
満面の笑みを浮かべ、ミチルが言う。
「こちらこそ」
示し合せていたかのような
ふたつでひとつ、一蓮托生な名前だなと思った。
正直、今まで何て呼ばれようと
名前がなかろうと、どうでもよかった。
だが、ミチルの付けてくれた名前に
確かにどこか満たされるのだった。




