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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
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イテゾラブラッド

凬巻(かぜまき)。次、ここに行って取材してこい」



「え、そこは紛争地帯ですよね。僕を殺す気ですか?」


 凬巻散理(かぜまきちり)は、突然そう告げてきた上司に頭沸いてるの、と感じた。元より隠し事をするつもりのない散理である、それは全部表情にも出てしまっているのだが、この際それは不問としてもらえるようだ。


 散理は雑誌『月刊ザ・ビハインド』のジャーナリスト、カメラマンとして勤務している。その雑誌は主に世界の社会の現状について取り上げるもので、確かに戦争関連のあれこれを記事にまとめることも少なくはなかった。しかし、比較的小さな一企業でしかないこの社では、そう踏み込んだ内容を取材することにためらいがあったのも事実。


 が、散理が向かわされる場所は現在進行形の紛争地帯、そのど真ん中である。アフリカ西部に位置する小さな国だが、軍事独裁政権とマフィア、それから周辺国も巻き込んだ解放戦線の三つ巴という、なかなか類を見ない熾烈な戦場だった。


 まだジャーナリストとしても社会人としても新人である散理には、いささか荷が重いように感じた。


「ああ、殺す気だ」


「すいません、辞職します」


「させるか、馬鹿」


 すぐさま懐から取り出した辞職願は破り捨てられた。かなり丁寧に小さく破られた紙片が、吹雪のようにゴミ箱に吸い込まれる。


「いいか、いまうちの誌は過去最高の売上なんだ。うなぎ上りだ、分かるな?」


「すぐ飽きられますよ」


「少なくとも今はだ! 前年と比べて四倍近くも売り上げてる。つまりこれは、読者が社会情勢に関心を持ってるってことだ、これはタヌキでもサボテンでもわかる! わざわざ金を出してまでニュースを読んでるんだからな」


 それはそうですね、と散理。


「出来ればこの機に『ザ・ビハインド』の人気を確固たるものにしたい。だから今回、初めて戦場の独自取材をすることにした」


「で、僕を捨て駒に、と」


「そうだ」


「パワハラですよ?」


「まさしくその通りだ、訴えれるものなら訴えてみろ」


 そこまでの手前をかけるのも億劫だったので、べー、と舌を出すだけにした。常日頃からこんな勤務態度の自分を解雇せずにいるのはある意味奇跡だ、と思っているのもある――解雇せずに『いてくれる』ではなく『いる』だが。


 互いに互いを下に見ているわけである。


 散理は近くのコーヒーポットからカップに熱いコーヒーを注ぎ、少しの牛乳とガムシロップを混ぜてから飲んだ。


「それで、何を調べてほしいんです。ただの戦争の実態なんてニュースでもやってる、読者はもう飽きかけてるでしょう」


「そうだな。俺個人としては継続的に戦争の実態を掲載したいが、残念ながら『ザ・ビハインド』は商業誌だ。慈善活動じゃないからな……」


 コトン、と上司のテーブルにもコーヒーカップが置かれた。


 ブラックが好みの散理の上司ではあるが、出張命令の腹いせかミルクも砂糖もたっぷりと混ぜてある。


「散理、お前には『紛争ダイヤ』の取材をしてもらう」


 紛争ダイヤ。


 それは、戦争地帯で採掘され、不法な闇取引によって流通するダイヤモンドだ。その輝きに魅せられた者たちは、いくらそれが虐殺者の資金源になろうと莫大な金を出す。


 血塗られた、とも称されるそれを売り捌く事で、戦争の資金を確保している組織もそう珍しくない。


「そんなもの、ググれば出てくるでしょう」


「ググれば出てくる世界情勢に金を出す読者も多いんだよ。それに、あの国は小さな国というのもあり、戦争の悲惨さとは裏腹にあまり注目されてこなかった」


 食器洗い機にカップを入れ、電源をつける。耳を澄ませてやっと聞こえるくらいの噪音がした。


「手当の額は?」


「三十万は保証する。評判次第では増額することも視野にある。構わんな」


「悪くない条件ですね。ただし、あとひとつあります。僕の装備代はすべて、そちらで持って下さい」


 散理が腕を組みながら偉そうに言ったが、上司は表情を変えずに頷いた。


 それから、コーヒーもといカフェオレを口に含むと、一気に表情をゆがめた。



 * * *




 大規模な紛争により経済の混乱し、崩壊した国だ。飛行場など機能しているわけもない。


 散理は目的地の隣国、それもかなり端から、その場で頼み込んだトラックに乗らせてもらうことにした。素性なども全く分からないが、身なりや動きからして軍人であろう。よく鍛えられた大柄な男だ。目的地も同じで、解放戦線の人間か、と散理は推測した。


 整備不足の道路には大きな石がいくつも埋まっており、それに乗り上げるたびに助手席の散理は大きく揺さぶられる羽目になった。


 運転席の男が、厳つい顔に笑みを作って尋ねてくる。


「兄ちゃんは中国の人かい? その服装じゃ、あそこは危険かもしれないぜ」


「日本人のジャーナリストの散理です。装備についてはご安心下さい」


 流暢に現地の言葉を話す散理。


 今の散理の服装は、ぱっと見上下スーツに簡易なハチマキという、まるで日本のサラリーマンとほぼ変わらない服装だ。


 しかし、これは軽量でなおかつ防刃・防弾チョッキの役割も兼ねている。生半可な銃や剣などでは、そもそもスーツの繊維を傷つけることもできないだろう。


 ハチマキは頭部を保護するものである。どういうメカニズムか、ただの細い布切れ――もちろん、かなり手の込んだ装飾はされている高級品だが――なのに、これを巻いているだけで後頭部から顔面にかけてを保護してくれる。上司に一発殴ってもらったが、目の前で何かに阻まれて拳が当たることはなかった。


 もし生還できたなら、この開発元である『ツートン・コスモス社』には今後も頼ることになりそうだ。


「日本か。チリさん、いい名前だな。んー……だが、あそこに日本の記者が来たって話は聞いたことないなぁ。しばらく一人ぼっちで過ごすことになるかもしれんぜ」


「でしょうね。とはいえ、それも仕事の内ですから」


 市街地を出ると、サバナ風の大地が広がる。ここはもう人通りも少ないから道もない。別の車が同じ方向に走っているのがちらっと見えたものの、すぐに姿を消していた。


 がたんごとんと揺られながら、目的地の状況などについて軽く質問をしていく。幸い男も取材OKであるらしく、快く写真なども撮らせてくれた。


「あなたはどういう方ですか?」


「ん、俺は『解放戦線』の兵士だな。もともと少し北側の国の出なんだが、俺の知り合いがここに住んでいて。アイツらの故郷を一緒に守ろうって思って志願したんだ。確かに訓練はちょいとキツイがなぁ、ハハハ」


「なるほど。……実際に戦地に赴くのは初めてですか?」


「この戦争なら、そうだぜ。十年くらい前、俺の国で内戦があった時は駆り出されたけどな。ほら、腕の傷はそん時の」


 男の短いシャツの袖から覗く腕には大小さまざまの傷跡があったが、そのなかでもとりわけ大きな跡が目立つ。剣で斬られた痕のようだ。


「五体満足で生き延びれたんですね」


「まぁな。運が良かったんだろ、ハハハ!」


 大口を開けて豪快に笑う男は、なんというか、安心感を抱かせてくれる。


 その後も、散理は自分のことも交えつつ、戦地の状況なども尋ねていく。男も仲間などからの伝聞ではあるようだが、やはりかなり悲惨な状況であるらしく、基本的にどこも堂々と歩けないほどらしい。道の真ん中を歩けば、すぐに撃ち殺される。


 さらに、建物なども爆撃や戦闘によりほぼほぼ全壊だ。戦闘の中心地から離れれば、まだそうでもないようだが、それでもそこには多くの武装した兵たちがいる。


「人道支援などは……」


「もちろん、まったくダメだ。激戦地にもまだ生き残りはいるんだがなぁ、そんなところに行けば逆に支援団体が死にかけん。UNICEF(ユニセフ)、赤十字、医師団、そんなのにも死人が出たって話だ」


「人道的にもまずい状況なんですね」


「らしい。俺も前線に行くから、少しは物も持ってってるが……」


 それからまた荒野を駆け抜けることしばらく、街が見えてきた。


 大雑把に取材したいことも無くなり、散理も戦地の状況をあらかた理解することができた。やはり平和な日本にいながらネットを使うより、又聞きとはいえ実際に取材をする方が情報の質が段違いだ。


 遠目に見える街はビルやマンションなどもあり、それなりに発展しているように見受けられる。車や人、テントなども見えたが、その様子からしてどうやら兵士と物資の中継場所になっているらしい。


「安全に取材をするならここで降りるんだな。ここでも十分情報は得られるだろ。それとも、俺と一緒に前線に行くか? ハハハ」


「構わないのであれば同行させてもらいますよ」


「だろ……え、ついて来るのか? なかなか命知らずな記者もいたもんだ、ハハハ! 根っからの記者なんだなぁ、お前! 気に入ったぜ!」


 大型のビデオカメラで窓から見える景色を撮影しつつ、散理は男の運転するままに街を抜けて行った。



 * * *



「どんな感じ~? おもしろそ~な子鼠ちゃんが来たんでしょ~♡」


 爆撃を受け、悲惨な瓦礫の山と化した街。それとは対照的な美しい青空に、ふわふわとした雲、そしてそれに寝転がる一人の少女がいた。


 少女の名はニシス。ニシス・アルヴェーレ。長い白髪を、黄金の懐中時計の鎖で縛っているのが特徴的だ。服装は柔らかそうなジャケットで、襟に袖にとジッパーが多い。足はローラースケートのホイールを回しながら、ぶらんぶらんと宙を踊っていた。


 ニシスはごろんごろんと幾度も寝返りを打ちながら、電話の向こうに話しかけていた。


『面白そうかどうかは知らんがな』


 落ち着き払った女声が聞こえる。とはいえ、おそらくニシスよりも年少であろう。ニシスはこの声を聴くたびに、大人に近づこうと背伸びする少女の姿を想像して微笑ましくなっていた――実際のところ、あちらに背伸びなどしている気はないのだろうが。


「冷たいね~♡ もうちょっとお姉ちゃんを慕ってくれてもいいんじゃな~い、可愛い可愛い子猫ちゃん♡」


『そのいちいちキャラ付けしたような話し方が苦手なのだ、私は。素なんだろうがな』


「あらら~♡ よく言われるよ~、それ♡ マジメなおじさまなんかには特に♡」


 コホン、と電話の向こうから咳払いが聞こえる。早く本題に入れ、ということのようだ。


「はいはい、ごめんなさ~い♡」


『異能持ちの情報だ。凬巻散理、「カメラで撮影した被写体を凍結させる」能力。日本のジャーナリストで見習い記者だが、かなり命知らずで踏み込んだ内容を取材するからその方面では既に話題になってる』


 ふ~ん、とニシスは雲の下を見る。見づらかったのでポケットから眼鏡を取り出して着け見下ろしたが、アジア風の人物はいなかった。武装した男たちと、泣き叫ぶ幼児と、それから埋葬もされない死体がある。


『あまり敵対しないほうが良い。どうやら頭が回るようだし、性格からして交渉すれば仲間にも引き込めるはずだ』


「あれ~、そう? 優秀なジャーナリストって聞くから、お真面目お坊ちゃんだと思ってたんだけど~♡」


『正反対だ。あまりにも不真面目で、学生時代は内申ほぼゼロ、今も興味のある事しか聞かず、上司に対する態度の悪さから既に数社から辞めさせられた経験がある』


 淡々とデータを教えてくれる。事前にまとめた調査書を読んでいるらしい。


『逆に、成績自体は優秀、共通テストでは満点で全国一位の経験あり。あらゆる方面に知見を持つ、要は典型的「天才だが変人」を絵に描いたような人間だ』


「へぇ~♡ 面白そうじゃん、やっぱり♡」


 ケラケラと笑うニシス。彼女は、『異能』を持ち性格も能力も独特な凬巻散理という人間が、とても面白く思えてきた。


 ニシスの感性は掴みどころがなく分からない、と電話の向こうの人物は感じる。


「今どこ~? その子♡」


『車に乗っているな。志願兵のヒッチハイクで来ている、ふむ……おそらくハルヤント橋付近に、そう経たずに着くはずだ』


「どこだっけ~、それ♡」


 そのくらい自分で調べろ、ということか、返ってきた返事は無機質なビープ音だった。



 * * *



「トラックで行けるのはここまでだな」


 散理の乗っていたトラックが停車し、男が降りて荷物の用意を始める。とはいえ、そう持ち物もなく、せいぜい大きめのサック二つに入る程度しかないようだ。


 当然と言えば当然だが、ここは激戦地ではない。散理も礼を述べると降り、男と別れて周囲の探索を始めた。


 ここは市街地だ。ただし壊れた建物は多く、人の姿はない。男の情報では、さらに向こうの巨大つり橋『ハルヤント・ブリッジ』で数日前に激しい戦闘があったらしい。


「あれか、確かに壊れてる……ん」


 ブブッ、と散理のスマホが小さく振動する。上司からの着信だった。


「なんです」


『今はどんな様子だ? もう既についたみたいだが』


「ええ着きましたよ。遠くで砲撃も聞こえます。でもダイヤについてそうメドは立ってません」


 はぁ、と呆れと感嘆の混じったため息を吐く。


『無理はするなよ』


「どの口が言ってるんです」


『この口だ。何かあったらすぐ報告しろ、お前がまだ元気そうで安心した』


 ヒュウ、と風の音が聞こえる。


 散理がスマホをポケットにしまうと、大きなビデオカメラを肩に乗せる形で持つ。


 わざわざダイヤモンドの取材のためにここに来たのは理由がある。この付近に、ダイヤモンドの露天掘りを行っている場所があるためだ。衛星写真を見るに現在も稼働中であるし、おそらくは紛争の三つ巴のひとつ、この地のマフィアと関りがあるはずなのだ。


 そう目星をつけた散理は、とりあえず露天掘りの鉱区へと向かっている。


「……」


 だいぶ歩いて――十数分で着いたが――、また市街地から離れたサバナに顔を出すと、確かに地面がすり鉢状に採掘されている様子が見えてきた。


 既にかなり深く掘られているようだ。採掘用の重機が底の方にいくらか見えるが、現在は人が載っているわけではないらしく動かない。


 逆に、上層部にヘルメットを着用した人物が数人いた。こんなすぐそこで戦争があってるのに呑気な事だ、と散理は思う。


 そしてカメラを構え、その様子をズームで撮ろうとして……


 ――つるっ。


「おっと、わお……」


 突然、滑った。


 床の摩擦がまるで磨かれた氷のように奪われ、両足が交互にツルツルと滑ってこける。このまま滑ったら深い露天掘りの穴に真っ逆さまだ。


 散理は瞬時にそばにあった石を掴み、倒れ込むように地面に突き刺して支柱にする。それでようやく、滑るのは止まった。


「誰だか知りませんけど……友好な挨拶ではないですね」


 スーツについた埃を軽く払いながら、振り向かずに呟く。


「あんまりここら辺の事情に首を突っ込まない方が良いよ~、青鈍(あおにび)ちゃん♡」


 音もなく、いつの間にか散理の背後に一人の少女がいた。いや、浮かんでいた。


 ローラースケートをカラカラ回しながら、地面から数センチ浮かんで立っている。


 少しの間散理は考え込むような仕草を見せると、ようやく少女の方を向き直った。


「ニシス氏、ですね。お噂はかねがね――間違っていたら申し訳ないのですが」


「へぇ? やっぱり面白い子だね♡」


「それはどうも。日本の社会誌『月刊ザ・ビハインド』専属記者の凬巻散理と申します。どうぞ」


 妙に様になったポーズで、人差し指と中指で挟んだ自分の名刺を差し出す散理。ニシスはそれを受け取ると、裏までくるくると回しながら観察した。


 ――ひゅう、と風が散理の首を撫でる。まるで刃物のように。


「……で、青鈍ちゃんはどこで私のことを知ったのかな~?」


「筋から、とするのが鉄則でしてね」


「それを言ってられる立場かな♡ 私の意思ひとつで、その可愛~い首も折っちゃえるんだけど~?」


 確かに『能力』――異能、魔法とも言う――の感触だ。ニシスによって、透明な何かが散理の首に纏わりついている。


 この殺気は本物だな、と他人事のように散理は考えていた。


「不可能ですよ」


「試してみる? 青鈍ちゃん♡」


「僕は役に立つので。そうですね、あなたが『ほしいもの』を手にする手伝いも、こちらは吝かではありませんが」


「……ふぅん♡ きみってただ者じゃないね~、青鈍ちゃん♡」


 ふわ、と周囲の張りつめていた空気が、糸を切ったように緩まった。散理の首を狙っていたものも霧散して消える。


「対価はあなたの生業の取材です。匿名でももちろん構いませんし、写真が無くとも話だけお聞かせいただければ結構ですよ」


「その前に~、どの筋からってやっぱり聞けない? どこから漏れたか、ちょっと不安になっちゃったんだよね~♡」


「いいですよ。別にカードのつもりでもないので」


 少しきょとん、とした顔になるニシス。


 散理がポケットからスマホを取り出した。その画面をニシスに見せる。


「あれ~、私だ♡」


 画面には、上空から撮影したと思われる写真が映し出されていた。ニシスと、また別の人物がこの露天掘りの付近で何かを話している。


「先月七日、午前七時の衛星写真です。僕は衛星写真を見るのが趣味なものでね」


 それだけ言うと散理はまたスマホをしまいなおす。


「つまり、この写真から~?」


「写真というか、一連の映像です。僕は読唇術も得意なので――幸い僕はいい人間ですが、あまり白昼堂々、お天道様の下で機密を話すのは避けた方がいいと思いますよ」


 この子も侮れないなぁ、とニシスは嘆息をついた。



 * * *



「そう、私はいわゆる『紛争ダイヤ』のブローカー♡ こういうとこから仕入れて~、また貴金属店なんかに売るんだ♡」


 ニシスは露天掘り内部の少し浅い部分に降り、散理を案内しながら話をしていた。散理はそれを聞きながら、素早くノートにメモを取る。


「キンバリー・プロセスって知ってる~、青鈍ちゃん♡」


「ええ。ダイヤモンドを取引する際に、その産地の証明書を要求する制度ですね」


「そそ♡ 博識だぁ~、いい子♡」


 ローラースケートがカラカラと音を立て、またニシスは空中を歩いて散理の斜め上空に並び、軽く頭を撫でた。露骨に嫌そうな顔をしたが、ニシスは話に夢中で気づいていないらしい。


「そんなのがあるんだけど、いくらでもすり抜けちゃえるんだよね~♡ 私はきみの本がどんなのか知らないけど~、啓発したいならここらへんかな~♡ システムをもっと厳格にして、それからすり抜けたダイヤモンドを企業も仕入れないでください~って♡」


 露天掘りの景色を眺めるかぎり、当然と言えばそうだが根こそぎ採掘されているようだ。別に散理も専門家というわけではないから断定もできないが、傾斜の角度からして深く掘り過ぎではないか、という個所もある。


 いくらか写真を撮っても、別にニシスは構わないようだ。


「額で言えばどのくらいの取引を?」


「ん~、いっぱいかな♡ 明細は私の事務所に置いてあるから、あとで見せたげる♡」


「ありがとうございます、では――」


 そうして次の質問のために散理が口を開きかけた時、弾かれたようにニシスが飛び上がった。


 まるでローラースケートとピッタリ噛み合うガラスのレールがあるかのように、曲芸のように空中を舞いながら上空へ駆けあがる。


「青鈍ちゃ~ん、ちょ~っとお耳を塞いで~♡」


「攻撃ですか」


 スマホに映されたリアルタイムの衛星写真も、若干しか離れていない場所での不穏当な動きを知らせてくれる。


 ニシスの髪を束ねる懐中時計が、少し光を反射して煌いた。


「青鈍ちゃんのことは私がしっかり守ったげるからね、安心して~♡ ――『無響(サイレント)』、『重宝と夜行イスタブリッシュド・ハーモニー』」


 ――キュウゥウウウウウ……


 飛行に失敗した戦闘機のような音がしたが、次第に聞こえなくなる。それから、かなりの勢いで飛んできたミサイルが、空中で滑ったかのように向きを変え、あさっての方向へと飛ばされた。遠方で微かな爆音がする。


 まっすぐこちらへ飛んできていたのでおそらく流れ弾ではないのだろう。敵対陣営の重要な資金源であるダイヤモンド鉱山は、確かに潰しておくに越したことはない。僕が軍でもそうするな、と散理は思った。


「大丈夫~? 青鈍ちゃん、怖くないよ~♡」


 ニシスが上空から手を振ってくる。


「とても怖いですね。……狙われてますよ、僕達。まだ――」


「もちろん、私はご存じ――って、多っ♡」


 再び花火のような轟音が、しかし今度は何十も重なって大きく聞こえてくる。衛星からの映像は俯瞰視点でしか届かない。面と向かってミサイルに相対するニシスの見える景色はどうだろう、と散理は思った。


 そしてその考えが終わった直後にはもうニシスへと飛びかかる、無数のミサイル。


「『重宝と夜行イスタブリッシュド・ハーモニー』、よし」


 ニシスは顔色一つ変えずにそれを捌き、四方八方に吹き飛ばしていく。


 つるりつるりと、滑らかに磨かれた氷上を滑るようにミサイルの行く先が変えられ、この場所に被害が出ないほどの遠方で爆破する。立ち上がる白い煙は、ざっとみても十数キロ離れた地点で上がっていた。


 だが、ここでニシスが声を上げる。


「あっ」


 つるっ、とまたニシスの手前で滑った最後のミサイルは、今度は若干、角度が下に向かい……。


 露天掘りの内側の一部を抉り取るように、消し炭に変えてしまった。


「……し、しまった~♡ 青鈍ちゃ~ん、人はいなかったよね? あそこ♡」


「ええ。幸運でした」


「なら良かった~♡ 人身被害は洒落にならないからね~♡」


 再びローラースケートを軽い調子で回しながらニシスが降りてくる。先ほどの集中砲火でミサイルは尽きたようで、衛星写真からもミサイルの発射台が撤退するのが見て取れた。


 散理はカメラを抱え、やや重そうにしつつもファインダーを覗きこむ。そして、ニシスに呟いた。


「あの場所に、かなり大きなダイヤの原石が見えせんか?」


「え? ……わぁっ♡」


 お手柄だね、とニシスは散理の頭を撫でた後、一直線でその地点へと走っていった。



 * * *




 散理とニシスが大きなダイヤモンドの原石にはしゃいでいた場所から、少し遠く。


 ハルヤント・ブリッジの付近には一本の枯れかけた大木があり、枝々は風で不安定に揺れている。その上に、二人の人物が乗っていた。


「まずい事態になったなァ、兄弟」


 軽く首を鳴らしながら、一人の大男が呟いた。


 彼は『魔将(ましょう)』の名を冠する、この国の軍の幹部の一人だ。優に二メートル半を超すような大柄の身を黒のスーツに包み、顔には二つの大きな傷跡が、それぞれの目の上に刻まれていた。


「そのようだな……ああ、そのようだ……」


 もう一人の男が、膝に乗せたラップトップを叩きながら呟く。


 こちらは大柄の『魔将』とは対照的に細身の男、ランバ・C(コッドナー)・ドーシス。ぼさぼさの黒髪にはところどころに白いものも混じっており、『魔将』より年配に見える。


 ヒュウ、と陽気に口笛を吹きながら『魔将』がポケットからサングラスを取り出す。


「潰すかねェ、そろそろ」


「同意する……ああ、俺も同意する」


 ランバが再び乱暴にキーボードを叩き、画面にドローンを用いた映像が映し出される。途中で散理に感づかれてニシスに破壊されたが、それまでしばらく彼らを追跡していた。


 その映像は散理らがダイヤモンドの原石を掘り出して喜んでから、少々離れた安全な地――それでも比較的、とはつくが――に移って、今日寝泊まりする場所を探しているらしいところまでを含む。


 一見粗雑そうに思えるが、実は注意深い人間であるニシスだ。あれだけ親しそうにしていたが、散理を自らの拠点に案内することはしなかったようだ。あるいはこちらの監視を予想していたか、どちらかだろう。


「さァて、いつ仕掛けるか……あの原石は手元にあんだったなァ、なら……」


「叩けば一挙両得だ……ああ、二兎を得る……」


 ランバがラップトップを閉じ、その口元に歪んだ笑みを浮かべる。


「そうだよなァ、兄弟。拠点は結局分かんなかったが……これ以上に絶好の機会はねェ」


 首を鳴らしながら笑う『魔将』。


 枝の上からランバが飛び降りると、次はその枝がゴムのように撥ねて『魔将』を打ち上げた。クルクルと回転しながら着地した時には、今度は大地が柔らかなゴムのようにその巨躯を受け止める。


 爛々と、まるで獲物を狙うサバナの猛獣のようにぎらついた眼で、『魔将』は計画を立てていた。



 * * *



「戦地付近の町も、思ったより活気があるものですね」


 散理は肩に乗せた大きなカメラであたりの写真を撮りつつ、ニシスに案内された町を歩いていた。


 この町にはまだ今のところ目立った被害はなく綺麗な建造物が並び、大都会には劣るがそれなりの活気がある。町を通る人々は、すれ違う見慣れない男に奇異の視線を向けていたが、当の散理は気にしていないらしい。


「まあね~♡ このあたりは『マフィア』の庇護下にある町でね~、かなり厳重に守られてるんだ♡ 私達のボスが気に入ってるみたい♡」


「なるほど」


「ここには支部しかないけどね~♡ ここが攻撃されたら私達も本気出しちゃうから~、うかつに『軍』も『解放戦線』も手が出せないでいるみたい♡」


 戦争に本気を出すかどうかなんて妙ちくりんな話だ、と散理は思った。とはいえ、核兵器を撃つかどうかという問題と同じようなものなのだろう。自分にも、壊滅的な痛手が返ってくるのは免れ得ない。


 町に住む人々はそうとう深く『マフィア』を信頼しているようだ。


「ああ、これをください」


「あいよー」


 予め両替していた紙幣で、出店にあったコーヒー豆、キャッサバリーフを購入した。キャッサバの葉は日本では馴染みがないかもしれないが、いくつかの国では伝統的な料理に用いられる食材だ。


 タンパク質、ビタミンなどをよく含む野菜で、栄養素を豊富に供給してくれる。


「珍しいね~♡ 外国の子がまっさきにそれ買うなんて♡ 野菜食べれてえら~い♡」


「僕は子供ではありませんので」


「そうだったね~♡ でもあんまりかわいいから~、ついなでなでしちゃいたくなっちゃう♡ ごめんね~♡」


 ニシスの顔を見るかぎり、完全にバカにしているわけではないようだ。かわいい、というのも本心のようだが、散理からしてみればあまり嬉しくはない。プラスがない故、微妙な気分でもない。


 その後もニシスに連れられるままいくつかの店の前を通り、結局食材をいくつも購入してしまった。社から支給されている旅費は十分にあるし、足りなくなっても追加請求はできるから、まあ使い損というわけでもないだろう。


 歩き回る途中でキャッサバリーフを齧って食べていたが、やはりここの住民には奇異に映ったようだった。ニシスはやはり面白がっていた。


「は~い、ここ♡ 評判のいい宿なんだよ~♡ 泊まっていってね♡」


 案内されたのは、横幅は細く、高さと奥行きがかなりあるレンガ造りの建物だった。看板には現地語と英語で宿であることが明記されているが、英語が母国語である人物はいなさそうだ。心なしか、客のほぼいない宿は寂しそうに見える。


「ご丁寧に、どうも」


「ふふっ♡ お手伝いしてくれるみたいだしね~♡ 取引のパートナーには~、やさ~しくしてあげなくっちゃ♡」


 ニシスはクスクスと笑うと、散理の手を引いて宿の中に引きこんだ。


 宿の中も外見から想像できるのと変わらない素朴な作りである。カウンターと、その横にドア、上層への階段があった。


 置かれている調度品には独特の彫刻が緻密に施されており美しいが、なんというか若干ながら雰囲気が違う気もする。


 そして、人がいない。


「代金はどこに置けば?」


「そのへん♡ ここのおばちゃんって眠たがりだから~、たぶん寝てるんじゃないかな~♡ お~い♡」


 ニシスはここの主と顔見知りであるようだ。


 少し大きく声を張ると、ドアの奥からばたん、という音が聞こえる。一回の奥が居住スペースらしい。再びばたばたという騒がしい音がして、十秒後くらいにドアが開かれた。


「なーに、ニシス。あたしのことなんつったよ」


 ドアの奥から顔を出したのは、一人の美女だった。滑らかな栗色の髪、森林の木々のような美しい碧の瞳を持ち、右頬には一種の魔法陣のような刺青がある。本当に寝ていたのか服装はパジャマで、到底人前に出るような姿ではない。


 言葉遣いこそぶっきらぼうだが、おばちゃんという単語とはかけ離れた印象を散理は抱いた。多く見積もっても、三十代にすら見えない。


「ふふ、お客さんだよ~♡ おばちゃん♡」


「……客連れて来たんだから、トントンにしてやるわ。はぁ、寝起きで頭痛くなかったらその右眼潰れてたかもしれんね、ニシス」


「わ~♡ 怖い怖い♡」


 店の主はニシスを強く睨みつけると、今度は散理の前に手を出す。散理が紙幣を五枚乗せると、あたかも殴るような強さで乱暴に頭を撫でられた。もとよりぼさぼさの髪が、さらにアフロのようになってしまう。ニシスが思わず笑った。


「物分かりのいい子は嫌いじゃないよ。あたしはそこで寝てるから、なんかあったらすぐ言って。じゃ、これ鍵」


 散理が礼を言うよりも先に鍵を渡すと、そのまま元の部屋に戻ってしまった。最後にまた一睨みを貰ったニシスは、まだアフロまがいの髪を見て面白がっている。


「あっはっは♡ ……えーっと~、その鍵だと二階の三号室だね♡ 案内したげるから、おいで~、青鈍ちゃん♡」



 * * *



 ニシスについていった先のドアを開けると、若干冷たい薬品の香りがした。消毒液の匂いのようでもあるが、少し違う。ニシス曰く、この宿はもともと病院であったらしく、その時の薬品と道具が未だにどこかに保管されているらしい。


 内装はかなり綺麗に整えられており、シンプルなベッドと机とトイレに個室のシャワー、テレビがある。どうやらテレビは戦争の影響で見れる局がひとつ少ないらしい。


 鼻歌を歌いながら散理より先に部屋に入り、ニシスはテレビをつける。ニュースで戦争の状況をやっている。


「そ~いえば、青鈍ちゃん♡ さっき食材いっぱい買ってたけど~、料理するの?」


「しますよ。自炊」


「おお♡ 私も同席させてもらっちゃおうかな~♡」


 ニシスがベッドに座り、なにやら期待のこもったまなざしを散理の買い物バッグに向ける。


 散理はカメラを机に乗せ、バッテリーをスペアと交換して充電器に突っ込んだ。まだ充電自体は二割ほどしか減少していないが、散理は少しそう言うのが気にかかる性質だ。


「じゃあ、何を作りましょうか」


「青鈍ちゃんの郷土料理~♡ どこだっけ、日本だっけ~?」


「そうですね。和食は米がないので無理です」


「えぇ~♡」


 甘えたような声を出すが、米は空から降ってこない。残念ながら寿司もすき焼きもつくれないし、逆に天ぷらや団子は作れても買った食材の大半が無駄になる。和食は却下だ。


 簡易的なキッチンに買ってきたものを並べた。


 麺、コーヒー豆、豚肉、キャッサバリーフ、卵、キャベツ、もやし、卵、それから各種調味料。キャッサバリーフはもう既に散理が齧ったためなし、コーヒー豆は淹れるため使用不可だ。


「ホッケンミーです」


「ホッケンミー?」


「マレーシアの料理です。豚肉と野菜、それから醤油ラードなどで味付けした色の濃い焼きそばですね。まあ、食材不足なのでもどきになりますが――」


 まな板や包丁などの調理器具を取り出すと、散理は慣れた手つきで調理を開始する。


 次から次に、流れるように調理が進み、少しするとあっという間にホッケンミーもどきが出来上がる。温かい料理がふたつの皿に盛られ、片方をニシスが、片方を散理が食べる。若干ニシスの方が多かった。


「あれ~、譲ってくれてる? 遠慮しなくていいよ~♡」


「小食なので」


「そうなんだ~♡ かわいいね♡ じゃあ、遠慮なく頂きま~す♡」


 ぱくぱくとニシスはホッケンミーもどきを食べ、満面の笑みを浮かべた。お気に召したようである。



 * * *



 ――ヒュン。


 突然、風を切るような、耳をつんざく音が響いた。瞬時にニシスが『重宝と夜行イスタブリッシュド・ハーモニー』を発動し、昼間と同様にその攻撃を逸らす。


 もう夜だというのに、こんな時に狙ってくるとは。


「攻撃ですね」


「……いや~、私、さすがにここに仕掛けてくるなんて思ってなかったな~♡ 冷や汗かいちゃう♡」


 数秒遅れて小さな爆発音が耳に届いた。


 ニシスは窓を勢いよく開くと、もう日が沈んだこの町を見下ろす。目視では攻撃者の姿は見当たらなかった。


 散理もすぐさまスマホを取り出して衛星の画像を取得し、付近をぐるりと調べ上げる。


「七時の方向、二十キロ先。ですが、砲台は放棄されたようです」


「へぇ? さすがに~、ピンポンダッシュじゃないでしょうね♡」


 画面を少し動かすと、小さな物体がひとつ動いているのが見える。夜のサバナは暗く、詳細を掴むことはできなかった。かなり体格のいい人間であるようだ、というのは読み取れたが、それだけである。


 これをすぐにニシスに共有すると、ニシスは好戦的な笑みを浮かべ、窓からローラースケートを回し飛び去って行った。


「……宝石ほしさ、ですか」


 ――カチン。


「そうとも言える……ああ、そうとも言えるな……」


 ふと、この部屋の蝶番が軽い音を立てて外れ、ロックをかけていたはずのドアがいとも容易く開かれる。


 散理が振り向くとそこにいたのは、一メートル八十センチほどのそれなりの高身長の痩躯の男――ランバ・C(コッドナー)・ドーシスだった。


 ランバは右腕に小型の端末機器を、そして左腕にみっつの腕時計を緩く嵌め、そこに幽霊の如く立っている。そして――その眼が、散理を見据えた。


「ちっ、『テセウスの夢ピクチャー・パーフェクト』」


 すぐさま蹴り上げてカメラを抱え、ほぼ本能でランバを撮る。そして同時に発動した魔法がその要件を満たし、その写真の『時間を止めた』。


 散理の能力によって一瞬にしてパキンと凍り付くランバ。だが、瞬きする間にその氷は融け、後には水たまりを薄く作っただけだった。その水たまりもゆっくりと蒸発し、消えていく。


「凍結能力か……ああ、凍結か……」


「ええ。……こちらのカメラは取り回しも悪いので、どうかお手柔らかに――」


 散理が十五度で会釈する。が、対するランバは、そう手加減してくれる様子もなく。


「……『土と暈イグジステンス・アロガンス』……」


 強く、ランバの足がステップを踏んだ。


 それと時を同じくし、散理の足元の床が燃え上がる。すぐさま『テセウスの夢ピクチャー・パーフェクト』により凍結、鎮火させると、テーブルを思い切り蹴飛ばしてランバに攻撃する。追撃で三発連続の凍結をお見舞いするが、それもすぐに融解してしまった


 蹴り飛ばしたテーブルがランバによって蹴り壊されるのを見ながら、散理は静かに分析する。


「……発熱させる能力? いや、少し違う気もする」


「どうだろうな……ああ、どうだろうな。『土と暈イグジステンス・アロガンス』……」


 ランバが左腕を振るい、その締めが緩かった三つの安い腕時計が宙を舞う。即座に散理は身をかがめ、それらから距離を取ろうとしたが……。


 ――バァンッ!!


「がはっ――!」


 突如、まるでダイナマイトをぶん投げられたかと思うほどの爆発が部屋を破壊する!


 不幸中の幸いか、散理は壊れた壁から外に投げ出され、潰されることは免れた。


 全身――主に右半身――を覆う痛みをこらえながら、散理は二階からの落下をすんでのところで受け身を取り、転がる。確実に腕の骨が一本持っていかれたが、頭を打って死ななかっただけましだ。あの上司にたっぷりと手当てを請求してやる、と散理は歯を食いしばる。


「『テセウスの夢ピクチャー・パーフェクト』!」


 散理の能力『テセウスの夢ピクチャー・パーフェクト』。撮影した被写体を一瞬にして凍結させ、封じる能力だ。


 だが『土と暈イグジステンス・アロガンス』のような、発熱を起こす能力とはかみ合わせが致命的に悪い。凍り付かせたところで、このように一瞬にして溶かされてしまう。


「……無駄だ……ああ、無駄だな……」


 助けを求めようとも、人通りのない裏路地、それも深夜にはだれも来ないであろう。仮に来たところで、一般人がこのランバに敵うかと言われれば……首を振らざるを得ない。


 散理はカメラを構えたまま、ランバを睨んでいた。


「時間稼ぎをするつもりはありませんが。ランバ氏、あなたにインタビューをさせてください……『軍』の方ですね?」


 ランバの胸に小さく留められた星型のバッジが、月明かりで静かに輝く。


「それがどうした……ああ、どうしたというのだ……」


「はは、ただのインタビューですよ。現在の戦闘の状況は、どうでしょう。少なくとも僕のような部外者よりは分かるでしょ」


「フン……答えてやる義務もない……」


「ならば!」散理は声を張り上げる。「これだけにでも答えてください。……あなたは、『マフィア』がダイヤモンドを使い、資金源としていることにどう思われますか」


 一瞬だけランバは黙り込むと、答えのかわりに、獰猛な猛獣のような笑みを返した。


「……『土と暈イグジステンス・アロガンス』……」


「僕もね、効きませんよ。何度も」


 ――カシャッ!


 カメラのフラッシュが連続で焚かれ、ランバを、その周囲の空間も巻き込んで凍結させてゆく。それらもすぐに溶かされてしまうが、次から次に凍結させられては消耗を避けられないはずだ――散理はそう踏んだ。そして、消耗を誘う作戦に出たのだ。


 凍結させ、少しずつガレキを拾って追撃も行う。それらは命中すらほぼしなかったが。


「……」


 この状況では、さすがにランバも狙いが逸れてしまうのか、近くの道路などが加熱されて燃え上がる。散理はなるたけヒットボックスを小さくするべくしゃがんでいた。


 ――だが、運任せという物はいつまでも続くものではない。


「『土と暈イグジステンス・アロガンス』――」


「……っ!」


 突如、ランバの魔法が散理の位置を的確に捉え――


「ぐぅっ――!?」


 カメラが、爆破された。



 * * *



 ニシスは、空中でローラースケートをカラカラと回しながら、散理に言われた方角へまっすぐに進んでいた。


 上空から暗いサバナを見下ろすが、なかなか見つけるのは至難の業だ。どうやってこの中に潜む一人の人間を衛星写真から見つけ出したのか、ニシスは散理のスキルに賞賛を送った。


 注意深く、速度を落として観察していると、ようやく動く何かを見つけることができた。


「……『重宝と夜行イスタブリッシュド・ハーモニー』」


 レールが向きを変えた。


 急傾斜に従い、ニシスのローラースケートがジェットコースターのように、対象に向かって加速しながら突き進む。そして若干上側に逸れたところでレールは止まり、全力の蹴りをお見舞い――


「喰らえっ!」


「おっと!」


 したが、躱された!


 盛大に空を切ったニシスのタイヤを掴むように、再び空気のレールが出現する。


 ニシスの能力『重宝と夜行イスタブリッシュド・ハーモニー』は、空気を一時的に不可思議な物質へと変化させるもの。その物質は摩擦を自由自在に変更でき、大きくすれば動けない床へ、負にすれば永遠に加速し続ける床へと変貌するのだ。


 そのレールを使い、ニシスはまるで空中を駆けているかのように、体を九十度傾けたまま滑り続けていた。


「……そちらから来たかァ。まぁ、悪くねェな、ニシス・アルヴェーレ!」


「私の名前まで調べてくれてたなんて~、感動♡ でも~、ここで殺さなきゃいけないのが惜しいな~♡」


 その場にいたのは、三メートルにも届きそうな圧倒的な巨体を誇る男だ。彼がニシスのことを認知していたのと同様、ニシスもまた、『魔将』について既に知っていた。


「『軍』の重要幹部であり、階級は中佐。スラム街の生まれで、その実力で他を圧倒し、齢二十七にして現在の階級にまで上り詰めた……ただしその性質上、このような特殊活動をメインとしている――だったかな♡ 『魔将』ちゃん♡」


「はッ、気色悪ィ女だ」


「そ~れ~は~、お互い様♡」


 バチッ、と火花が散った。瞬時に加速したニシスの蹴りが、再び『魔将』へと迫る!


「甘ェよ、若造。『銀鍍金の指(トゥイドルフィンガー)』」


「おぉ♡」


 だが、その蹴りは今度は、まるで柔らかいゴムまりを相手にしているかのように弾き返されてしまった。蹴りの威力が過剰だったことも後押しし、ニシスはバランスを崩したまま遠くまで吹き飛ばされる。


 空中で体勢を立て直し、また空気のレールに乗りなおすニシス。摩擦ゼロのまま一定の速度で宙を舞い、『魔将』の周囲を動き回る。


「いいのかな~? あそこを攻撃すれば、私の仲間も黙ってられないよ♡」


「百も承知だよ、ヘッ。だがな……俺だけじゃねェぜ? あそこを襲うのはな!」


 ふぅん、とニシスはアグレッシブに笑みを深める。


「まあ、青鈍ちゃんも強いしね♡ そうやられはしないでしょ♡ ……それよりも、こっちに集中しないとね~♡」


 再び蹴りが迫るが、またもや弾かれる。


 今度はニシスも適応しており、次から次にさらなる加速度のレールを生み出し、弾かれつつもすぐに次の攻撃に転じていた。


「弾力を操作する能力かぁ♡ 私とけっこう相性悪いね~♡」


「フン、そんな余裕でいられンのも今の内だけだぜ、ハッ」


「そ~う? じゃあ~、これはどうかな♡ 『重宝と夜行イスタブリッシュド・ハーモニー』♡」


 わずかに距離を取ったニシスが、格好つけて指を鳴らす。


 刹那、『魔将』の足元が過剰な摩擦の床へと変化し、滑ってしまう。ニシスが最初に散理に仕掛けたものと同じ、だがはるかに摩擦力の低い攻撃だ。


 そしてゆっくりと滑りゆく『魔将』の先に、鋭利な針状に変化させた空気を配置する。


「さぁ♡ 刺せっ♡」


「フッ……甘ェな、まだまだなァ!」


 ザクリ、と『魔将』のスーツを貫通し、赤い血が零れ出る。だが、『魔将』は逆にそれを利用し、針を使った弾力でニシスへ急接近した!


 とっさの攻撃に対応が遅れたニシスの顔面を、『魔将』の拳が的確に捉える。思いっきりクリーンヒットとなりぶっ飛ばされてしまうニシス。さらに、ローラースケートを強く固定していたがために、右足首も重篤なダメージを負ってしまった。骨折は、間違いないだろう。


 さらにその勢いのまま、『魔将』の追撃がニシスに迫る――。



 * * *




「……ふぅ、ふぅ……っ!」


「よくここまで耐えた……ああ、よく耐えた……」


 散理は、ほとんど満身創痍であった。


 かなりの防御力を誇っていた特製スーツも度重なる爆撃により破れ、深い傷を負った肌が見えている。


 先ほどカメラを握っていた右腕はもはや痛みすらも感じず、常にかなりの量の血液が流れ出ていた。少し、失血でめまいもする。


「ですが……僕も、まだ負ける気はない。あなたも油断していると、窮鼠に噛まれますよ……」


「……」


 一方のランバも、散理ほどとは言わないまでもかなりの重傷だった。


 度重なる連続凍結により体力をずいぶん消耗し、精密さを失った爆破でいくつもの自傷を負っている。あと何度か、凍結させられたなら――もし、今まだ散理の手元にスペアのカメラがあったなら。仮に一ピクセルしか映しこめなかったとしても反応する『テセウスの夢ピクチャー・パーフェクト』の性質上、凍結に失敗することはまずないはずである。


 散理の頭をそのような考えが巡るも、無いものはない。


 がくっ、と足から力が抜ける。かろうじて踏みとどまるが、すぐに倒れそうだ。右腕の出血が止まらない。視界から色が抜け始めた。


「……このまま放置しても死ぬか……ああ、死ぬだろうな……」


「くっ……」


 だが、ランバもこのまま止めを刺さないという選択肢は取らなかった。


 ランバの指が、震えながらもすっと散理に向けられる。


 ――燃やされる。


「ちぃ!」


 瞬時に散理は足の力を抜き、倒れ込む。それによってだいぶ後方の道路に火が付いた。


「まだ、藻掻くか……『土と暈イグジステンス・アロガンス』」


 すぐに次の照準が散理へと定められるが、もはや何も考えられない真っ白な頭で、懸命に逃走の路を探す。後ろに跳ね、炎を躱した。


 時には飛び、時にはがくりと倒れながら、少しずつバックステップでランバから距離をとる散理。ランバも疲労のせいか、散理の行く道を予測して攻撃、ということが出来ずにいた。


「……だが、逃げることは叶わない……ああ、逃げることはできない……」


「……!」


 歩み寄るランバ。


 ふらふらの散理と、まだ致命傷の無いランバでは、歩く速度も違うのだ。散理はすぐに近寄られ、ばたんと倒れてしまう。


 硬いアスファルトは、付近の火の余熱で熱かった。火傷してしまいそうだ。


「遺言は聞いてやる……ああ、聞いてやろう……」


「ゆ、いごん……遺言ですか」


 モノクロの視界で、空を見た。


 夜空には雲がかかっている。月が浮かんでいる。星が輝いている。


「……月が……きれい、ですね。ははは……そうだ、そうだった。がはっ、ぐぅ、う……!」


 虚ろだった散理の瞳に、力が戻る。ランバはそれを見ると訝しげな表情になった。


 だが、散理は笑った――否、嗤った。


「便利な便利なカメラがあったじゃないですか――空を回る、衛星っていうカメラが。あはは、何で気づかなかったんでしょう――」


 ――『テセウスの夢ピクチャー・パーフェクト』。


 ガチン、という硬い音と共に、ランバが何度も凍り付く。


 何度も何度も凍結させ、ようやく動かなくなったところで、散理は這いずって動き始めた。



 * * *



「げほ、困ったね……♡ お互い、なかなかきつい戦いだ♡ もう負けを認めちゃってもいいんだよ~?」


 ニシスの口から赤い血が零れた。口では強気に挑発しているが、度重なる強烈な攻撃により、既に数本の骨が持っていかれた。へし折られた肋骨の位置からして、内臓に傷がついた可能性も大いにある。


 相対する『魔将』も、ニシスの鋭利な空気により貫かれた傷が多く、特に左腕と左足には大きな風穴が空いていた。胴体には貫通した跡がないため致命傷にはほど遠いが、それでも十分に行動を制限される理由になり得る。


 ここでも互角の戦いが続いていた。


「……なにがそこまで駆り立てやがる、ニシス・アルヴェーレ」


「お金、かな~♡ 私の大切なものは命とお金くらいだもの♡」


「金銭欲でここまで張り合った奴ァ見た事ねェぞ……! とんでもねェ精神してやがンな……!」


 にやり、とニシスは笑う。


「まぁね~♡ そんな『異常者』じゃないと~、この業界じゃやっていけないもん♡ それはそうと、そんな『魔将』ちゃんも頑張るね~♡」


 『魔将』はその言葉には何も返さず、大きく息を吐いて姿勢を整えた。


 もう一度、殴り飛ばす。


「――『銀鍍金の指(トゥイドルフィンガー)』ァッ!」


 バウンドで一気に肉薄した『魔将』。ニシスはすぐさまローラースケートを回して回避する。


 今度は『魔将』が跳ねまわる側だ。摩擦の異様に少なく、そしてマイナスに片足を突っ込んだその性質を利用し、『魔将』の攻撃も次々と速度を増してゆく。


 そしてその速度が、強烈なソニックブームをも伴おうかとした!


「あっ♡」


 その時だった!


「――『テセウスの夢ピクチャー・パーフェクト』ぉおおおおおおおおお――!!」


 遠方からの大絶叫が響き、『魔将』が凍結する。


 氷は万物を留まらせる! まるで滝のように流れる時をもその場に止め得るのだ!


 ニシスは微笑み、その左足のレールを加速させた。


 そして――


「『重宝と夜行イスタブリッシュド・ハーモニー』!」


 バキンッ、という音と共に、『魔将』は氷ごと、粉微塵に砕かれたのだった――!



 * * *



「……お見舞いに来たよ、青鈍ちゃ~ん♡ 大丈夫かな♡」


 それからどれくらい時が経っただろう、散理が目覚めたのはベッドの上だった。


 が、布団はなく、かわりに全身がぐるぐる巻きで点滴を受けている。少し体を動かすだけで、かなりの痛みが全身――ただし右腕を除く――を襲った。


 どうやらここはホテルの自室のようである。ランバにより爆破された壁は、何枚かのトタンの板で応急的に塞がれていた。


「あー……大丈夫ではありません」


「ふふっ、そうみたい♡ でも、お疲れ様~♡ 青鈍ちゃんのおかげで、私ずいぶん助かっちゃった♡」


「……そうですか……」


 あまり記憶がないのだが、少し目を閉じてその時のことを遡る。


 確か、ランバを倒した後の散理は……そう、ほぼ無意識で薬品の匂いがする方に這って進み……。


「で、麻酔をばかみたいに打ってから、あほみたいな縫い方したんだよ。若いってバカだね、まったく」


 ガタン、と乱雑に散理の枕元になにかが置かれる。


 いつの間にかこの宿の女主人か立っていて、病人用の料理を作ってくれたようだ。相変わらずパジャマのままだが。


 そういえばそうだったな、と散理は思い返す。


「まったく~、青鈍ちゃんもそんなに行き急がなくっていいのに~♡」


 散理がなんとか押し開けたドアの先には、薬品がたくさん残っていた。それらのうちの麻酔を引っ張り出して自分に打ち、その後今度はガットを取り出して大きな傷を縫ったんだ。


 麻酔を打ってから痛みが治まるまで時間がかかるというのに、それを理解するほどの余力もなかった散理は、震える手で痛みが治まるまでずっと麻酔を打ち続けたのである。


 ニシスによれば、特に今でも右腕には麻酔が残留しているらしい。


「ま、あたしが全部縫い直してやったから安心して。ひと月もすれば治るはずだ、傷跡はたくさん残るだろうけどね」


「それはどうも……」


 どうやらここが病院だったころ、この主人はきちんとした医者を務めていたらしい。確かに、右手や下半身などの無数の傷はとても丁寧に縫われ、糸がほどけることはなさそうだ。


「それは名誉の負傷と思っておきな。あたしくらいの年になれば、この話も笑えるようになるはずさ」


「ぷっ、そんなだからおばちゃん――うわーっ」


 ニシスがつまみ出された。


 どういう罰を与えられるのかは想像がつかないが、散理はとりあえず心の中で合掌をしておく。


「うっ……」


 上半身を起こしてみると、枕元に置かれたのはお粥、くず湯、ゼリーという飲み込みやすいものだった。それも、わざわざ散理の好みに合わせてくれたのか、日本の米を使ったものである。


 右腕は全く動かないため、左腕で椀を持って食べる。甘くておいしい、安心できる味わいだ。温かくて、先の戦いでの疲れがすこし癒えた気がする。


 ――プルルルル……


「はい」


『どうだ、順調か? さっき掛けたのに出なかったから、少し心配したがまあ大丈夫そうだな』


 上司からだった。


「寝てました」


『そうか。取材は進んだか?』


「進んでますよ。……あぁそうだ」


 散理は自分のボロボロの右腕を見ながら言う。


「『軍』に絡まれて大怪我をしたので、手当てを適用できますよね」


『ん? それは本当か?』


「あとで写真付き、医者の診断書付きで送りますよ。かなりの額を用意しておいてくださいね、では」


 そういえば取材もあったな……と、爆破されてしまったカメラの事を思いながら散理はため息をついた。


 さて、あと取材期間は数週間もあるが、その間はどうしようか……。

 ほぼ深夜テンションでの仕上げなのでいつもいじょうに雑かもしれない、許してください。

 海外の知識に関してはググったものが大半なので、誤りがあったら遠慮なく教えてください。おねがいします。

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