第9話 白黒彼女は息抜きしたい
週明けの月曜日。
月曜日は憂鬱の代名詞とも言われる理由もわかるくらい、休み明けは体にだるさが残る。
そんな僕とは対照的に、朝からワイワイと騒ぐクラスメイトたちを眺めながら、僕は眠気まなこを擦っていた。
「おはよ、千尋。相変わらず月曜から眠そうだね~。週の始まりくらいシャキッとしなよ~」
隣の席から凛が元気に話しかけてくる。朝から暑そうに下敷きでパタパタ扇ぎ、制汗剤の甘い匂いを漂わせている。きっと、朝練帰りなのだろう。
「おはよ、凛。月曜日に元気ないのは普通のことだぞ。徹夜してゲームしてるからな。ちなみに金曜日は一番元気だ」
「へぇ~、じゃあさ、火水木は?」
「元気がない。むしろ、まだ金曜じゃないのかと絶望する」
「ダメだこいつ、救えない……」
呆れ顔の凛に、僕はちょっとだけ肩をすくめる。
そのとき、教室の扉が開き、一人の生徒が入ってきた。
すっと空気が一変し、みんなの視線が一斉にその子に集まる。
入ってきたのは茉白さんだった。
当たり前のように、今朝の食卓にもいた茉白さんだが、そのときとは雰囲気がガラリと変わっている。気品のある清楚系美少女モードで登場し、瞬く間にクラスの注目をさらっていた。
「おはよう茉白さん」
「今日も可愛いね」
「休みの日何してるのー?」
挨拶や質問の嵐にも、茉白さんは嫌な顔一つせず、ひとつひとつ丁寧に返答している。
「おはようございます。ふふっ、ありがとうございます。休みの日はゆっくりしてました」
(いや、してないだろ。徹夜でゲームしてただろ)
そんなことを考えていると隣で凛がコソコソ耳打ちしてきた。
「ねぇ、休日の日、私と一緒に遊んだってみんなに教えてあげた方がいいかな?」
「やめとけ。本人が言ってないってことは、別に言わなくてもいいだろ」
「確かにそうだね。じゃあ、千尋と一緒に買い物してたって話もやめとくね」
真剣な顔でうんうん頷く凛。その顔が無邪気だからこそ恐ろしい。
(あぶねぇー……。命拾いした)
クラスの誰にも知られたくない秘密が、凛の不用意な発言ひとつで崩壊しかねない。彼女は天然にノンルックでキラーパスを放ってくるから油断ならない。
昼休み。
凛は購買でパンを買いに出かけていた。彼女のお昼は弁当ではいつも足りないらしい。
「女の子なのに相変わらずよく食べるな」と言ったら、「そんなんだからお昼ご飯一緒に食べる人私しかいないんだよ!」と怒られた。
痛いところを突いてくるやつである。
弁当のフタを開け食べようとしたそのとき、教室のざわめきがひときわ大きくなった。
騒ぎの中心にいたのは――またもや茉白さん。
どうやら、彼女が初めて「お弁当」を持参したことで話題になっているようだ。
「茉白さん、もしかして手作り?」
「一応手作り弁当です」
女子はキャーキャー騒ぎ、男子は興味津々。茉白さんが取り出したのは、見覚えのある赤いお弁当箱。
中には唐揚げ、卵焼き、きんぴらごぼう、プチトマトといった定番のおかず。
(……って、あれ?)
僕の手元にも、同じ色の弁当箱。そして、まったく同じ盛り付け。
偶然の一致にしては出来すぎていると思った瞬間、スマホが震えた。
送信主は母さん。
『そろそろお昼ご飯かな?茉白ちゃんと同じお弁当なんて青春だねぇ!茉白ちゃんの胃袋はお母さんが掴むから安心しなさい!お母さんはコンビニご飯です(><)』
(殺す気か!?)
母さん、余計なことしてくれる。あの弁当は茉白さんの手作りではなく、僕の母がついでに作ったものだったのだ。
なのに、茉白さんは囲まれながら、照れ笑いを浮かべている。
(いや、照れるな。お前作ってないだろ)
心の中でツッコミを入れつつ、誰にも気づかれないように早食いを始めた。
凛がいないのは幸いだった。いたら間違いなく「ねぇねぇ、茉白さんと千尋のお弁当、そっくりじゃない?」とか言い出すに決まってる。
早食いして食べ終わった時、凛が戻ってきた。
「えー!千尋もう食べちゃったの!?どんだけお腹すいてたんだよ~。仕方ないなぁ~、このお菓子もおたべ~」
……まるで育ち盛りの子供みたいな扱いを受けたけど、命には代えられない。
ふと気配を感じて振り返ると、茉白さんがこっちをじっと見ていた。目が合うと、すぐにそらして何事もなかったように振る舞う。
(……今のはなんだったんだ?)
放課後。
部活に向かう凛を見送って帰ろうとしていたとき、下駄箱の前で声をかけられた。
「ねぇねぇ、ドーナツでいいよね?」
「……は?」
「うん、ドーナツだね!行こっか!」
有無を言わさない速さで白黒つけてくる。というか選択肢が存在していない。そんな事をしてくるのは一人しかいない。そう、声をかけてきたのは茉白さんだった。
茉白さんに無理やり連れられてやってきたのは、有名なドーナツチェーン店だった。
まさかの放課後デートっぽいシチュエーション。普通ならクラスに誤解されそうだが――
「大丈夫大丈夫。誰にも言ってないし、千尋も友達少ないから、すぐバレないって」
「地味に刺さること言うな……」
「冗談だよ。今日はね、ちょっとだけ息抜きがしたかったの」
制服姿のままドーナツを頬張る彼女。まるでキャラが違う。演じている“茉白さん”じゃない、素の状態だ。
清楚なイメージ通り紅茶でも飲みながら優雅にドーナツを食べる―――わけもなく口いっぱいに頬張って幸せそうに食べている。
ドーナツをもぐもぐ食べる姿に見惚れていたわけじゃないが、ふと口から言葉が漏れた。
「そんなに食べたら太りそうだな……」
茉白さんの手が止まった。
清楚な女の子とはかけ離れたアングラな鋭い眼光で睨まれた。もしかして前世は闇社会の住人ですか?
「……灰原くん?」
「……はい、すみませんでした」
「そういうデリカシーない発言するから、お昼一緒に食べる人いないんだよー!女の子にモテないよそれじゃあ」
「り、凛がいるから……」
「赤井さんはノーカン。あの子もノンデリだから」
「否定は……できないな」
ふたりして笑いながら、ラテをすする。
「でもさ、あのキャラでいるのも疲れるのよ。みんな私にそうあって欲しいって願望押し付けすぎだよ。だからさ、今日みたいに、誰にも気を使わずにドーナツ食べて毒吐けるの、ありがたいな」
「俺は毒吐かれてる側なんだが」
「ふふっ、じゃあお礼に……次はタピオカね」
「もう決まってんのかよ」
それから僕たちは色んな会話をして盛り上がった。気がつけば時間は一瞬に過ぎ去って言った。
ドーナツを食べ小腹を満たした僕たちは帰路に着いた。
家の玄関の前で茉白さんがふと立ち止まって、振り返る。
「お弁当のこと……内緒にしてくれてありがと」
「……ああ、まぁ、俺も死にたくないし」
「ふふっ、信じてたよ。灰原くんなら言わないって。またね!」
最後に見せた笑顔は、作られた笑顔じゃなく、素の彼女の笑顔だった。
茉白さんとのちょっとだけ、不思議な距離感。
でも、そんな距離感も悪くないと思い始めていた僕がいた。