第8話 白黒彼女はお礼をしたい
朝食を食べ終えた僕たちは、昨日も訪れたあのショッピングモールへとやってきた。
「うわ、やっぱり今日も人多いな……」
思わずそうつぶやいてしまうくらい、モール内は活気にあふれていた。週末の午後、人が多いのは当然かもしれないけれど──これだけ人がいたら、同じクラスの誰かにまたしてもバッタリ遭遇……なんてこともありえそうで、僕は内心ビクビクしていた。
そんな僕の気苦労なんて露知らず、茉白さんは映画館の前で楽しそうにスケジュール表を眺めている。
「うーん……どれにしようかな〜!」
「あの……そもそも、なんで映画館に来てるんだっけ?」
我ながら当たり前すぎる疑問だったが、確認しておきたかった。
茉白さんは、キラキラとした目でこちらを振り向く。
「昨日案内してくれたお礼だよ! せっかくなら映画とかどうかなって思って!」
「いや、昨日って言っても、たいして案内してないし……」
「それでも! ちゃんと付き合ってくれたから、お礼したかったの!」
まるで子供のように胸を張って言われると、こちらとしてはもう何も言えない。
そんなわけで、今僕たちは映画館の前に立ち、彼女がノリノリで上映スケジュールをチェックするのを見守っている。
本音を言えば、家を出る前に映画くらい決めておきたかった。でも、茉白さんがこう言ったのだ。
『一期一会の方が楽しいよ!』
……結局押し切られた。なかば強制的に。
スケジュール表を僕も覗き込んでみる。今の時間から観られるのは──
・『ホワイトチョコは多めにかけて!』
・『愛とか恋ってなんですか?知りたがり彼女』
・『サーモンラン!サケを狩りつくせ!』
・『子供のレジスタンス』
うーん……どれもクセが強そうなタイトルだ。
僕は茉白さんに何にしたか聞いてみることにした。
「茉白さん決めた?」
「うん、じゃあ……これ!」
茉白さんが選んだのは『子供のレジスタンス』。
(えっ、まさかそれ選ぶのか……)
もっと恋愛系か、アクション寄りのやつを選ぶと思っていた。てっきり『愛とか恋ってなんですか?』とか『サーモンラン』のほうが、彼女の好みかと。
「じゃあ、私チケット買ってくるから! ポッコーンとかお願いしてもいい?」
「了解。買い終わったらまたここ集合で」
自然なやり取りを交わして、僕はフードコーナーへ向かう。
メニューを眺めながら、ふと思う。
(こういう時って、ポップコーンって一人ひとつ買うべきなんだろうか……それとも、分け合うのが普通?)
悩んでいると、店員さんが笑顔で教えてくれた。
「よく出るのはこのペアセットですね」
まさに答えを提示された瞬間だった。
僕は迷わずキャラメル味のペアセットを購入し、集合場所へ向かう。そこには、既にチケットを買い終えた茉白さんがいた。
……が、彼女の周囲に、なにやら不穏な空気が漂っている。
チャラついた男が二人、彼女に話しかけていた。
「君、かわいいね。よかったらこのあと、俺たちとさ──」
「ありがとうございます。でも、人を待ってるので」
嫌な顔ひとつせず、丁寧に断る彼女。けれど、男たちは食い下がらなかった。
「俺らと遊んだ方が、絶対楽しいって」
二人は茉白さんの前に立ちふさがり、進行を妨げるような形になっていた。
(まずいな……)
僕は、ポップコーンとドリンクの乗ったトレイを両手に持ったまま、意を決して彼女たちの元へ歩み寄った。
そして、スッと二人の間に割って入る。
「すみません、彼女、僕と映画の約束してるんで」
男たちは一瞬だけこちらを見てすぐに鼻で笑った。
「は? お前が彼氏? ひょろっちいな〜」
言われたことは事実だ。だからこそ、悔しい。でも、引き下がるわけにはいかなかった。僕だって男だ。
「頼りないかもしれないけど……僕が彼女の“待ってる人”です。それだけは、間違いないです」
そう言って、しっかりと二人の視線を受け止めた。
数秒の沈黙のあと──
「……チッ、行こーぜ。こんなん関わるだけムダだ」
「だな」
二人はふてくされたように舌打ちし、人ごみの中へと消えていった。
ホッと息をつく僕の耳に、茉白さんの声が届いた。
「ふふ、ちょっとかっこよかったかも」
「え?」
「ポッコーン、ありがとう。一緒に食べよ?」
トレイを受け取る彼女の手が、ほんの少しだけ震えているのに気づいた。そして、その耳たぶが、かすかに赤く染まっていた。
──その後、僕たちは映画館の暗がりへと入っていった。
「なんだか映画館ってドキドキするよね。薄暗くてアトラクションに来たみたいな感じがして」
茉白さんがいいたいことはすごくわかる。
やはり家で映画を見るより映画館で見る方がはるかに楽しいしワクワクする。この特別感がより一層映画を楽しませてくれていると思う。
「おっ!飲み物コーラじゃん!ポッコーンはキャラメル!さすが灰原くんわかってるねぇ。君といると気を使わなくていいから助かるよ。それとさっきも…ありがとね」
「オシャレな飲み物よりニンニク好きはコーラかなって。ナンパなんて初めて見たよ。まさか自分が助ける側になるなんて思ってもなかった。無事でなによりだ」
彼女はてへへと照れ笑いを浮かべるが、街に出るだけでナンパされたり怖い目に会いそうになるのはかなりのストレスになるだろう。
普通が好きな僕としては、今だけは彼女に普通に楽しんでもらいたい。
僕が茉白さんの横顔をチラリと覗くと、同時に部屋の照明がさらに暗くなっていく。
「どうしたの?あっ……暗いからってどさくさに紛れて変なとこ触らないでよ?普通に捕まえるから」
「触んねぇよ!」
僕の心配を他所に、彼女は楽しそうに笑った。
スクリーンの明かりが灯る。
『子供のレジスタンス』が始まった。
映画の内容は、想像以上に心に響くものだった。
小さな子どもたちが大人たちに反抗しながら、「本当の愛とは何か?」を問いかけ続ける物語。最初は笑えるシーンも多かったけど、物語が進むにつれて、登場人物たちの叫びが胸に刺さるようになっていった。
ふと横を見ると、茉白さんはスクリーンに視線を向けたまま、じっと動かない。
ポップコーンは、さっきからまったく減っていなかった。
彼女なりに、何か思うところがあったのかもしれない。
エンドロールが流れ、ゆっくりと明かりが戻ってくる。
席を立とうとしたとき、彼女がぽつりとつぶやいた。
「……ああいうの、ちょっと羨ましいかも」
「え?」
「ううん、なんでもない。行こっか?」
立ち上がった彼女の背中が、どこか儚く見えた。
そのあとは、モールのカフェで休憩。
彼女が頼んだのは、白いチョコパフェ。ホワイトチョコがたっぷりかかっていて、どこかさっきのタイムスケジュールにあった映画とリンクしているように見えた。
「さっきの映画、意外とよかったでしょ?」
「うん、びっくりした。子供向けかと思ってたけど、大人が見てもしんみり来るというか……」
「でしょ〜? 見た目で判断しちゃもったいないよ?」
どこか含みのある言い方。
「……何か引っかかるところ、あった?」
彼女は、スプーンでホワイトチョコをそっとすくいながら、ぽつりとつぶやいた。
「なんかさ……ちゃんと『愛してる』って言われたこと、ないなって思って」
その表情は、いつもの茉白さんらしくなかった。
静かで、どこか寂しそうだ。
「茉白さんってさ、色で表すと白でも黒でもなくて、グレーな人って感じだよね」
「え?」
「でもさ、そのグレーって、人の色が混ざることで、あったかくなってくと思うんだ」
「……なにそれ、詩人?ていうか、それなら灰原くんもグレーな人だよ」
「いや、ただの感想。僕も同じか。まぁ、ニンニク好きだしな」
彼女は、きょとんとした後、ふわりと笑った。
「なにそれー。じゃあ、今日の私は何色に見える?」
少しだけ、意地悪そうに。
「……ホワイトチョコ色、かな」
「それ、味でしょ! 色じゃない!」
笑いながら、彼女は自分のパフェを僕に勧めてきた。
「灰原くんも食べよ?これで2人ともホワイトチョコ色だね!」
気づけば、二人でひとつのパフェを分け合っていた。