第34話 世界の光と影
storyteller:Hikari
ジプシー街の朝は早い。
朝が早いからこそ、ナツキはここに足を運ぶことができている。
王城を後にしたとはいえ、監視の目がついている。
日課的に行うルーティンに対しては監視の目が緩んだというよりは見張るのが面倒くさくなったのだろうと、最近になって感じるようになった。町が動き出す時間から、町人が帰路に就くまでの間だけ周囲に気配を感じている。何かあったときに、助けてくれるとは思えない程度の気の抜けた感じで。
魔族の動きが活発になってきてはいるものの、王都は平和な方だ。身近に迫らない危険を感知するほど人は神経をとがらせて生きていない。身近な危険ですら、慣れの中でマヒするのに…遠く離れた辺境での競り合いには目を向ける人は少ない。
勇者が旅立ち、冒険者ギルドや商業ギルドが神経をとがらせてはいるが…その程度のことに過ぎない。結局、過ぎた平和は、人の危機感を欠落させるのだろう。と、最近になって思い知らされた。
ナツキをたぶん監視している人たちの隠密能力の低さから…も。
王都やその周辺では見かけなかった魔物は表れている。それは斥候の役割だろうと、ナツキが知り合った情報屋が教えてくれた。最初は、殺されるかもしれないと思ったが——とりあえずは生き残れた。
命の危険に晒されたとき、結局、ナツキは戦うことを選択する。それを実感するには十分な経験だった。
それはつまり、生き残れる可能性が著しく低くなるということだ。それでも、逃げない。
つまらない意地だろうか。その得体のしれない何かに…覚えるのもアレなんで考えるのを止めた。
ガイルと別れ、ナツキは、城壁沿いにジプシー街の通りを抜けていくとスラムと呼ばれる地区につく。
そこまで行くのが朝のルーティンになっていた。
初めて足を踏み入れた時、追従してきた者が躊躇するほどに腐敗臭がたっていた。
それをいいことにナツキはここを抜けていく道を…まぁ、撒くためのちょっとした嫌がらせみたいなものだが…ここまで敬遠される場所になると別の意味で不快に感じてしまう。
そんな数か月前まで腐臭の漂う地区だったのが、いまでは不快な匂いすらなくなっている。
外からの空気としてナツキが来たから…と一言で片づけるには語弊があった。
ここを綺麗に清掃させたのはポポだった。
いくらナツキを放置している朝の時間とはいえ、ナツキに殺気が向けられれば駆けつける。
駆けつけたのはいいが、あまりの腐臭に暴れてしまった。
暴れてしまったポポを止めた、というよりも押さえつけたのがナツキだった。
それは…スラムの住民にとって驚き以外の何でもなかった。
暴れ狂う魔獣を、面倒くさそうに、一劇で沈黙させる体術の威力に。
ただ、ナツキは集まってきた野次馬たちをぐるりと見渡して、「臭い」と一言言い放った。
その言葉にどれほどの重みがあるのかは知らない。
ただ野獣が暴れた原因が匂いだと思った。間違いではないが…
ナツキに何かをしろという意図などなかった。ただの感想に過ぎない。
なによりも自分のペット?の暴走を止めただけ。
ただこの匂いはポポにとって随分と不快だったようだ。以降、ここには顔を出していない。
黒い魔獣の再来を防ぐため、スラムでは清掃が始まった。
王都中央から流れてくる汚水が流れる排水溝は、町の地下を抜けスラムへとゴミとともに流れ着いていた。水に限らない。様々な不要とされたものがスラムの一角にたまる。そこでしか生きていけない人たちの存在が軽視されている現実は、ナツキが習った戦国の歴史と何ら変わらない。
刀が剣になろうとも、起きる愚かしい行動は同じなのかもしれない。
誰かを下に見なければ生きていけないさもしさ。
人の心の醜さは、結局…どこに行っても同じなのかもしれない。
その醜悪さが顔に出ていることにすら気付けない者がこの世界を支配している。
仲良く…できないのなら、だれかを頼るのではなく、自分たちで変えていくしかないのだろう。
そんなことをこのスラムでは教わった。ポポの凶暴さゆえだが…。
そんなスラムのど真ん中に、ポツンと立つ小屋がある。
「朝の湯気亭」と、手描きの看板が申し訳程度に掲げられている。
元は旅の行商人だったという老婆が、気まぐれに開いているだけの屋台だ。
ということにしているが、この老婆が曲者だった。
ただし、飲み食いするだけなら、この屋台は間違いがなかった。
不思議なくらい、ここの薬草茶は身体の奥まで沁み渡る。
ナツキは城壁添いに置かれた椅子に腰を下ろすと、木椀に注がれた湯気をぼんやりと眺めた。
「また斬られに行ったのかい」
老婆が湯を注ぎながら、いつものように訊いてくる。
ナツキはうなずきもせず、否定もしない。ただ肩をすくめただけだった。
「そういうのは、縁になることもあるからね」
老婆は意味ありげに笑う。
ナツキは思わず眉をひそめた。
縁、という言葉には、どうにも苦手意識がある。
「縁で人が繋がるなら、苦労はしないのに」
「いやいや、繋がるのは人ばかりとは限らないさ」
老婆は、愉快にそうに笑う。
「お前を殺せば、いい稼ぎになるかね?」と最初に訊ねられたのを忘れることはない。
暗殺者ギルドに出された依頼。菜月の暗殺は、暗殺者ギルドの長によって停止された。
菜月の消息は不明として…。
冒険者ナツキは別人という乱暴な屁理屈で護られた。たぶん…この老婆に。
「何を繋いでくることやら…」
ナツキは苦笑した。
「縁が導くのは――運命とか、試練とか、そういう面倒なものばかりさね」
ナツキは溜め息交じりに、椀を傾ける。
外では小鳥がさえずり始め、王都の輪郭がようやく朝の光に染まりつつあった。
ふと、老婆の背後の棚に目をやると、ひとつだけ異質な包みが置かれていた。
布の色も形も、明らかにこの屋台のものではない。
見るからに厄介そうな――それでいて、放ってはおけないような気配。
「それ、なに?」
何気なく問うたその一言が、静かだったナツキの一日を、大きく揺るがすきっかけになる。
とは、このとき、ナツキだけが思っていなかった。
そして老婆はニヤリと笑い「気になるかい?」と。
ナツキは一度、家へと戻ると、迷わずシャワールームへ向かった。
この世界で「朝シャワー」なんて習慣があるわけじゃない。
いや、そもそもシャワーという概念自体が存在していない。
湯浴みを日常とするのは、王城や大貴族の邸宅くらいだ。
市井の者たちは、週に一度の銭湯に通えれば上等。
それが、この世界の常識だった。
そんな中、ナツキの自宅には、彼女が自作した石造りの簡易シャワールームがある。
床には排水を意識した傾斜がついていて、壁は湿気対策に小さな魔法陣が刻まれている。
仕切りはカーテン一枚。防犯など期待するような構造ではない。
ただ、いまのところ――盗み見るような度胸のあるやつは、ここにはいない。
「《アクア・フォール》」
指先で呟いた瞬間、天井の魔法陣が淡く光を放つ。
温かな水が優しく彼女の肩を打ち、肌を伝って流れていく。
細かく調整された温度は、彼女の肌に心地よく、思わずため息が漏れる。
湯気が立ちこめ、ナツキの輪郭が少しずつ柔らかく揺れる。
「……ふぅ。やっぱ、これがないと朝が始まらないな」
濡れた長い髪をかき上げると、壁際の瓶から香草オイルを手に取る。
ほのかにミントと甘い柑橘の匂いが混じる香りが、室内にふわりと広がる。
「あ、戻っていたの?」
「うん…すぐ出るよ」
「ジーンは討伐にでてるから、戸締りよろしくね」
「えっ、シーナも出るの?」
「うん、今日はデート」
その声と共にローズの香りが漂った。
最初のころは、文句を言っていたのに、いつの間にか…。
苦笑しつつ、肩の力を抜く。水滴が鎖骨をすべり、静かに胸元へと消えていく。
ただのシャワー。
でも、それがナツキにとってはこの世界と自分との境界線を溶かすような時間だった。
そうしてわずかな時間を過ごしたあと、ナツキはカーテンの向こうに手を伸ばし、
濡れた髪を軽く絞りながら、再び現実の世界へと歩き出す。
ちなみにドライヤーの変わりも風と火魔法の生活魔法で補えている。
肩に乗った毛玉──ポポがくるくると鳴く。眠そうに目をこすっている。
冒険者ギルドの扉を押し開けると、中はすでにそれなりの賑わい。
ナツキは慣れた調子でカウンターの奥へと声をかける。
「おはよう、依頼票、見せてもらえる?」
「……またアンタかい、ナツキ。まだ朝の鐘も鳴りきってないよ?」
顔なじみの受付嬢が、半分あきれ顔で束ねられた依頼書を差し出す。
どれもこれも、細かい雑用や低ランク任務ばかり──
だがその中で、妙に目を引く一枚があった。ナツキは眉をひそめる。
「……スライム群の駆除。……これ、Dランクだよね?」
「うん。だけど場所が悪いの。地形がぬかるんでて、誰も入りたがらないのさ」
「雑用引き受けてるとはいえ…」
「まぁ誰かさんは、レオン様の口利きだからね」
「迷惑な」とナツキは失笑する。
「それはともかく、住民が妙に“気味が悪い”って言い出してさ……結局、上に回ってきたってわけ」
「……それで、Sランクに回すのは、どうかと思うんだけど?」
受付嬢は肩をすくめた。
「だってアンタ、暇そうだし。朝からジョギングしてるSランクなんて、他にいないわよ?」
「それ、誉めてる……?」
ナツキはぼやきながらも、依頼票を指で弾くようにして受け取った。
「どう思う?」
「遊ばれている」
「かもね」
基本的に 火曜日更新の のんびり進んでいきます。
が、今回はUPが漏れたので週末に…読んでいただいている皆様感謝です。
アクションくれるとさらに僕は喜びます 苦笑
ご意見、ご要望あればうれしいです。
アイデアは随時…物語に加えていければと考えています。
※誤字脱字の報告・?の連絡ありがとうございます。
慌て者につきご容赦いただけるとゆっくりですが成長していきます。




