理不尽ときどき葛藤…はればれ
「一緒しても?」
レオンはベランダの手前で足を止めた。
「いいですよ」と菜月は席をたった。
ティセットから茶器だけをしっくり返して、ポッドでお湯を注いでいく。
カモミールの香りがその場に立ち込める。
「どうぞ」と突き出すようにして、レオンとジーナ、それぞれに渡した。
渡されてからレオンは、小鳥たちに気付く。警戒心の強い小鳥なのに…
「朝早いな」
「ん~護ってくれる人もいたみたいだし、よく寝れたのかな」
菜月はシーナの方を見た。
気配を遮断する魔法を使っていたのに…気付かれていたことに驚く。
「あ、ポポだよ。私の上で、頭上げてはキョロキョロしてボテッと寝るんだから」
とポポを睨んでみる。
ポポが罰悪そうに部屋のほうへと頭を向けた。
「回りくどく聞くのも何だし、教えてもらえるか?」
レオンは、柵にもたれかかって菜月を見た。
「何?」
「これからの事」
「預言者じゃないけど…それも異世界召喚できてくれるの?」
「…来てくれたらありがたいね」とシーナは笑った。
菜月は、本当に安心して寝ていたのだろう。
菜月のいた世界が平穏だったかは知らない。
それでも、素のままの彼女でいられる世界であったことは間違いがないだろう。
これだけ活発に、澄んだ笑顔をができるのなら。
菜月は視線を朝日の報へと流して、カップからやっと一口。
ゆっくりと息を吐いて、菜月は目を閉じた。
菜月の視線の先には街道が。そして、そのまま城門、城壁の向こうへとつながる道が、その全てが陽の光の中に消えていく。光の道。その向こうにあるのは…その視線の先には、何が見えているのだろう。
これから始まる「冒険」のことか。
それとも、失われたものへの想いか。
——あるいは、まだ名前のない「なにか」。
どちらにしても、多くを奪ってしまった。この笑顔を作り出したときを。
「レオン、教えてくれるかな? この世界で私は何かすることあるのか」
振り返った菜月の笑顔は、まるで朝日そのものだった。
その吐息さえも空に溶けていくような、柔らかい時間だった。
少し、菜月の肩がブルっと震えた。
「まだ……早いな」
後ろからかけられた声に、菜月はそっと振り返った。
レオンが、肩に羽織った薄手のマントを外し、菜月の肩にかけた。
まだ眠たそうな顔をしている。けれど、その瞳だけは冴えてる。
そんな見つめあう二人の邪魔をするように、顔の前ぎりぎりを風が通り抜ける。
パンを啄ばむ鳥たちが増えた。
二人の存在を警戒する気も逃げる様子はない。
「えっと…ギルドのこと、昨日少し話したけど……登録、どうする?」
「近すぎですよ、レオン。キスするみたいです」
「えっ、あ…すまん」
「誰に謝っているんですか?」
シーナの一言に、レオンは弾かれたように菜月から距離を取った。
その顔が見る間に赤くなるのを見て、シーナはふっと口元を緩めた。
クールに努めているレオンからは考えられない一面だった。
ジーンがいたら、声を出して笑ったかもしれない。
菜月は、二人のやりとりを眺め眺めながら少し考えていた。
何となくだけど、レオンのために何事もなかったように頷いた。
「やってみたい。冒険とか、戦うこととか……ちゃんと知りたいから」と言葉を添えて。
レオンは小さく笑った。
「そうか。じゃあ今日の午後、手続きに行こう。紹介状がいるから、俺が付き添うよ」
「ありがとう、レオン」
菜月は再び太陽の方を見た。
やわらかな光が頬に触れ、少しだけ目を細める。
その瞳の奥には、まだ見ぬ旅の景色が静かに映っていた。
レオンはその横顔を見つめたまま、何も言わなかった。
朝日が彼女の頬を照らしていた。少しだけ眩しそうに目を細めながら、それでも菜月は微笑んでいた。
「見ていて、強いなって思うよ。君は」
ぽつりと零れたその言葉に、菜月は振り返らないまま「そうかな」とだけ答えた。
憂いに満ちた表情に、改めて護ると誓いを立てる。
ただ、菜月自身何も考えていないことには気付かない。
菜月は、思いもよらない疲労に戸惑っているだけだった。
シーナは、紅茶を飲みながら菜月とレオンの間に割り込む。
「でも、強さってたぶん、ちょっとだけ意地悪だよね」
「……どうして?」
菜月は不思議そうにシーナを見た。
一瞬、返事を迷ったような沈黙ののち、シーナは視線を紅茶に落とした。
武具全般を扱える彼女は基本的に強さを追求したはずだ。
そこにあるのは真摯な実力差だけ。特別なことも入り込む余地がない。
強さに付帯すべきは覚悟だと菜月は考えている。
どれほど綺麗事を言っても、そこにあるのは命の搾取に過ぎない。
少なくともラデイウムではそうのはずだ。
争いがある。国間での争いには多くの命が散る。
それを変える術はどこにもない。ただ無情にも命が消えていくだけに過ぎない。
敵も味方も、人も魔族も、獣も魔物も…
そこに必要なのは、純粋なまでに生きようとする思い。
生きていなければ、何もできない現実を誰もが理解しなければならない。いや理解しているはずだ。
「…どうしてかな。理不尽が自分にも相手にもあるから…かな」
シーナは自信なさげに呟くように言う。
敵なら殺せばいい。そう思っていたこともある。
でも実際に戦場に出たときに、その思いは霧散した。
殺すことに精神力が持っていかれる。
殺さなければ殺される。
頭でわかっていようとも、それだけでは体は動かない。
恐怖したのは恨みの連鎖だ。それを断ち切るのは、さらに多くの命を奪う必要がある。
だからこそ、レオンの推奨する強国の正義に期待を寄せている。
絶対的な強さがあれば挑まれることはない。挑まられなければ、命を奪うこともない。
何よりも失われた命の後ろ側で泣く人は減るはずだった。
ときに暴君といわれるかもしれない。
多くの民の命を守るために、どれだけの命を奪う必要があるのだろうか。
数える気も考える気もないが。
それでも…とシーナは思考を止めた。
考えて何になるのだろう。
王が決めれば戦争は起きる。望む望まない限らず、多くの命が消えていく。
それは変えることのできない絶対の流れだ。
「だめよ。考えて」
「えっ?」
「難しいことなのか、簡単なことなのかは、私にはわからないけれど、疑問の大小に限らず考えて自分なりの答えを出さないとダメ。そのために疑問にぶつかったのだから」
菜月は、まっすぐにシーナの目を見た。
「…真っ直ぐだよね。菜月は」
「えっ?」
「意地悪なんてなんで起きるのだろう」
「…神様の気まぐれ?」
「えっ?」
「あ、冗談。でもシーナさんの言う意地悪なら心当たりがあるかも」
「えっ?」
「命の責任を持たないから」
「……責任?」
「生きるという思いを踏みにじるから。そのうえで生きるからこそ」
「自分の命に責任を持つ…」
「それが正解かどうかはわからないけどね」
菜月は真剣なまなざしを緩めるように、舌先をぺろっとだした。
シーナは小さく笑って、紅茶のカップを揺らした。
その音が、少しだけ場の空気をほぐしたように感じた。
「そういう強さなら、私はあまり欲しくないな」
シーナはポツリとつぶやいた。
それは無理な話だ。そのことを理解している。
これも理不尽…かもしれない。
言葉の響きは軽い。でも、その奥にあるものは、きっと三人とも、少しだけ感じ取っていた。
レオンは軽く頭を掻きながら、曖昧な笑みを浮かべた。
「それも飲み込んで、行かないといけないのね」
シーナは菜月をみた。
「うん。そうだね」
朝の風が、柵の向こうから吹き抜けた。
その風は、どこか遠くへと続く道の匂いがした。




