旅立ちの準備?
静かな朝だ。小鳥がベランダの柵の上に止まりさえずりを聞かせてくれている。
赤や青、黄色の鮮やかな羽の小鳥たちは、戯れるように舞っては柵の上へと戻ってくる。
ベランダに置かれた椅子の上には、乾燥しきっているパンが置かれていたので、昨夜の夕食のときにお代わりして貰ったパンをその横に添えてみた。どちらが好みかは知らないが、外敵を気にしながら、一羽、また一羽とそこに降りて啄んでいく。
平和。その言葉がしっくりと行く朝の空間がゆっくりと色を帯びていく。
冷たい空気は、まだ夜の名残を抱えたまま、街の屋根を撫でている。
町が起きるまではもう少し時間がかかるのだろう。
王都は、城壁に囲まれている。
西にある山脈がいうなれば天然の城壁となり、南には巨大な湖がある土地柄だ。
王都の東側には幾つかのダンジョンが存在している。
既存のダンジョンは冒険者ギルドが統括をしている。
レオンに聞いた話では、冒険者として生きていくためにはギルドへの登録が必須ということらしい。
登録はしなくても問題はないが、生業となる報酬を得るにはギルドに属することが理想だ。
ギルドには、他にも商業ギルドがあり、貿易全般の秩序を守っているといわれている。
このギルド組織のおかげで、世界は流通を維持している。
東の空がじんわりと染まりはじめ、淡い金色が世界を押し広げはじめていた。
菜月は、光の出始めた方向を見て感嘆の息を漏らした。
(さて…これから)
特性を知るためにジーンとシーナが協力をしてくれた。
自分に何ができるのかは、今日聞くことになるだろう。
それにしても、まだまだだなと反省する。
どうして感情的になって、武術を使ったのだろうか。
武術を嗜むものとして、気を付けるべき点にもかかわらず。
どこぞのお偉い先生を合気で飛ばして大騒ぎになり、師匠たる祖父に結構怒られたのに…
人生で同じことを繰り返してしまっている。まだ15年しか生きていないのに。
先が思いやられる、とため息がこぼれた。
せめて、おしとやかな庶民であろう。庶民として生きていくんだし。
…とベランダに置かれたテーブルの上に昨夜用意してくれたティーセットを移動させる。
小鳥が占拠する椅子の横でカチャカチャとしているせいか、少し斜め下から向けられる視線が痛い。
君達が食べているパンの瑞々しい方は私の提供ですよ…と思いながら、もう一つの椅子に腰を掛けた。
それにしても生活魔法というのは便利だ。
魔法が使えない人でも活用できるようにモンスターからとれる魔石にマナを付与することで似た効果を得ることができる。このポットのお茶が温かいのは火の魔石のおかげらしい。
それにしても、体の節々が痛い。急成長した時に起きるあれだろうか。それとも筋肉疲労だろうか。
体のけだるさを感じながら菜月は朝陽が届けてくれる光を眺めていた。
えっ…あっ……
レオンは、寝ぼけ眼をこすりながら、菜月の部屋のドアを開けた。で、慌てて閉める。
婚約者とはいえ、かりそめにすぎない。すべき礼儀は守る必要はある。
コンコンとノックをしてからもう一度戸を開ける。
一応、鍵をかけておくように伝えたのに、無防備すぎるだろうとため息が漏れた。
あっ…
ベランダに佇む一人の少女がいる。
カップを持った両手を足の上に置き、登っていく朝陽を眺めている。
ゆっくりとカップを持った手が上がり、そっと口を近付けていく。
口元で湯気が揺れ、カップはテーブルの上へと移動する。その両手を従えたまま。
軽く寝癖の残る髪が風に揺れている。
無防備に見えるその姿が――騙されるところだった。彼女は強い。魔術的にも武術的にも…
昨夜、シーナが菜月に使っている体術のことを教わっていた。
その武術の動きは正直なところ、ラデイウムには存在していない。
とうよりも、その動きを科学的に解明するような伝承はされていない。
それが成されているのは魔法のみだった。魔名がその魔法の発動条件だと分かったときからだが…
つまり歴史の中に消えている魔法も数多く存在する。
魔法使いをはじめとする魔法・魔術の類を行使するものは異端とされていた時代が長かった。
それも誰もが使えるようになれば、便利だと受け入れられたのだから皮肉だ。
菜月の使った合気という武術も体系化され、伝承されることで当たり前に使われることが広がるだろう。
彼女に言わせれば、マナの錬成にも役立つらしいし…。
こほん。
「あっと」
「見とれるのは構いませんが、妹くらいの年齢では?」
執務室への扉が閉まるとそこにはシーナが壁にもたれて立っていた。
「そうなのか?」
「レオンや私たちは19。彼女は16よ」
「成人してからの3年差は、差とはいわないな」
レオンは苦し紛れに言い「それにしても、早いな」と続けた。
「ジーンは、先ほど仮眠に行きましたよ」
「……警護に?」
「どこまでも無防備で、気質すら抑えようとしていないのに…」
「全く感じられないか」とレオンは、手で大げさに驚いた振りをする。
「もともと、闘気も殺気も感じさせませんね」
シーナは苦笑を浮かべながら言う。
食事のあと、寝入ったころを見計らって入ってきた。
執務室からのドアも、メイドが出入りするドアも、窓の鍵すらもかかっていなかった。
王家騎士団の報復に備えて一応というか、勝手に来ていたのだが、何も起きなかったが―ー彼女にリスクマネジメントという考えが存在していないことだけはわかった。
「それにしても…」
「話をそらそうとしてますね? 女の子の部屋に堂々と入り込んだ件は」
「……うっかりだ」
「そうしておきますけどね」
シーナは壁から背を離し部屋の中央へと向かう。レオンもその隣に並んだ。
ベッドに近付くと黒い物体が勢いよく飛びかかってきたので、肩を引くようにしてかわす。
レオンが咄嗟に右肘を跳ね上げるようにしてガードをする。
その肘を蹴り、ポポは、シーナの肩に乗った。
「彼女、昨夜のことはもう切り替えてるみたいですね」
ポポに驚きながら、シーナは、レオンに声をかけた。
「切り替えが早いのはいいことだ。だが……」
レオンも何もなかったように会話を続ける。
二人とも隣に鼓動の音が届かないか心配になるほど見かけの平常な態度とは裏腹に驚いていた。
レオンは少し言葉を濁した。あの無防備さが、単なる楽観ではないことは容易に予測できる。
恐らくは、意図的な普通の演出。自身の強さを隠し、庶民らしく振る舞おうとしているのだろう。
「器用でいて、不器用。見ているこっちが心配になります」
シーナがぽつりと呟いた。
「でも、あれだけの強さがあって、なお他人に頼れるのは……羨ましい……かも」
「羨ましい? お前が?」
レオンは、シーナに睨まれて口が滑ったことに気が付いた。
が言ってしまったものは仕方がない。何もなかったように話を進めることにした。
「ええ。私があの強さを持っていたら、自分ひとりで片付けようとしてしまう、かなと思って」
「一人で解決できるのは魅力だが…その点は俺も大いに反省する部分か」
その横顔を見て、レオンは少しだけ眉をひそめた。
やっぱり、シーナは根が真面目すぎるのだ。
「ジーンも、お前も。菜月を守ろうとするだろう?」
「それは…」
続く言葉が先にわかるというのは、何とも恥ずかしいものだ。
「命令じゃなく…でも」
「……そうですね。いまなら、自信をもっていえるかな?」
シーナは照れ臭そうに言った。




