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◆閑話◆エルーシャの生まれた日(後編)

 ロヴィガレスの信頼に応えたかった私は、なるべく多くの時間をエルーシャと共に過ごすよう心がけた。


 ロヴィガレスには、君に無理をさせようと言ったわけではないと心配されたが、私自身がそうしたかったのだ。


 本来、貴族、特に高位の貴族婦人は自分で子育てはせずに、完全に乳母に世話を任せてしまうことが殆どだ。


 当然、我が家にもロヴィガレスとベラが選んだ優秀な乳母がいたが、私は、戸惑う乳母とベラに無理を言って直接母乳を与えたり、おしめを替えたり、とにかく見様見真似でエルーシャのお世話を続けた。


 エルーシャは大人しく、あまり手のかからない子だったが、何というかとても賢く、不思議な子だった。


 エルーシャはあまり泣かない代わりに、よく喋る。

 それは乳母の子である乳姉妹と比べても明らかで、あーとかうーとか声を出しては、何か納得いかないというように眉間に皺を寄せていることが多かった。


 そして、誰かが話していると、まるで言葉を覚えるかのように、耳を澄ませ、顔を覗くと、こちらの感情を読むかのように澄んだ瞳でじっと顔を見つめてくる。


 また、エルーシャの乳姉妹であるビオラが高熱を出した時には、それを我々に知らせるように急に大泣きしたこともあった。幸い、発見が早かったためビオラは大事にはならず、念の為エルーシャも医者に見せたが、健康そのものとのことだった。


「可愛い可愛い、私のエルーシャ。大好きよ、愛してるわ」


 私はエルーシャのお世話をしながら、自分自身に暗示をかけるよう、何度もそう囁いた。

 そうしていないと、エルーシャに対する罪悪感に、押しつぶされてしまいそうだったのだ。


 真実がどうであれ、エルーシャはこれから幾度となく不義の子として疑われ、どんなに守ったとしても、時には心無い言葉に傷付けられる。


 ロヴィガレスと結婚したことも、その後も先生を愛し続けると決めたことも、全て自分で選んだ道で後悔はしていない。それがどんなに茨の道だろうと突き進むだけの覚悟はしていたつもりだった。


 しかし、そのせいでこの子を巻き込み、余計な枷を与えてしまった後ろめたさが、ずっと私の中で燻り続けている。




「可愛い可愛いエルーシャ様、今日はどちらの絵本になさいますか?」


「たっ!!」


 首がすわり始める頃になるとエルーシャは、おもちゃや遊具よりも絵本に強い興味を示した。


 乳母やベラ、ロヴィガレスは私の口癖を真似て、エルーシャを『可愛い可愛いエルーシャ』と呼ぶようになっていた。


 ロヴィガレスは、語学に興味があるなんて俺に似たんだな!! 可愛い上に天才だ!! と大量の絵本を購入しては度々執事に叱られていた。


「あうあ!」


「また私に読んでほしいの?」


「た!」


 そしてエルーシャは、いつも私に絵本を読んでもらうことをせがんだ。


「エルーシャ様は本当にお母様のことが大好きですね」


 そう言って乳母は微笑ましそうに笑う。

 日常のお世話にはある程度慣れてきたが、正直私はまだ、エルーシャとどう関わったらいいのか、戸惑いの方が大きかった。


 エルーシャが微笑みかけてくれる度に、ベラや乳母のように心から愛おしいと笑うことが出来ず、形だけ微笑みを返しながらも、澄んだこの子の瞳には全て見透かされているのではないかと度々不安に襲われる。


 だから、余計なことを考えず、ただ目の前の絵本を読み上げるだけの時間は、ある意味私にとっても救いであった。


「あうあうあー!」


 私が絵本を読んでいると、エルーシャがこちらを見て上機嫌に笑う。


 ……この子の笑顔を守りたい。


 そう思うが、それを愛かと問われると、どうしても素直に頷くことが出来ないのだ。


 親の贔屓目ではなく、客観的に見てもエルーシャはとても賢い。


 今はまだ幼さを理由に他の貴族から遠ざけることが出来るが、3歳を迎える頃には、屋敷内や身内で開催される晩餐会やパーティーには出席しなければならない。


 そうなればきっと、他の子どもであれば理解できない、貴族の陰湿な嫌味も早いうちから理解してしまうだろう。


 その時エルーシャにどう思われるのか、私はそれが怖い。結局どこまでも自分のことばかりで自然と自嘲が浮かぶ。


「……ごめんね」


 エルーシャにしか聞こえないような小さな声で呟く私を、エルーシャはただじっと見つめていた。





 季節は巡りすっかり外の日差しが強くなったある日、ベラと乳母がニコニコしながらエルーシャを抱いて私の元へとやって来た。


「どうかしたの?」


「先ほどお嬢様が喋ったのですよ!」


「ほら、お嬢様! もう一度お母様にも聞かせてあげてください」


 いつも落ち着いたベラが興奮気味にエルーシャに話しかけると、エルーシャはベラの顔をじっと見た後、パッと笑い元気に自分を指さす。


「かーいい!!」


「え?」


 かーいい? ……可愛いってこと??


「ふふ、奥様や私達がお嬢様を抱き上げるたびに可愛い可愛いと言っていたので、どうやら、ご自分のお名前を“かわいい”だと思っていらっしゃるようなのですよ」


「まさか……」


 乳母がクスクスと笑いながらそう伝えてくるが、にわかには信じがたい。


 だってこの子は赤ん坊の頃から乳姉妹の危機を泣いて大人に伝えるほど賢いのだ。それがまさか、自分の名前と形容詞を間違えて覚えるなんて。


 私の反応が気に食わなかったのか、エルーシャはもう一度自分を指さして同じ言葉を繰り返す。


「? ……かーいい??」


 首を傾げながらそう聞いてくるエルーシャの姿は、どこか抜けていて、今まで漠然と感じていた恐れが、フッと晴れるのを感じながら、私は初めて、この子の顔をちゃんと見ることが出来た気がした。


 そうしてちゃんと向き合ったエルーシャの姿は、どこか可笑しくて、心の底から湧き上がるほどに愛おしくて──。


「ふ、ふふっ、そうね、確かに可愛いわね!!」


 気が付いたら私は自然と笑っていた。


 そして、そんな私の姿に安心したかのように乳母とロシュカもつられて笑い出す。


 エルーシャは、突然笑い出した私達に困惑したようにキョロキョロと見回していたが、その様子がまた可愛くて、どうしようもない程に愛おしくて──こんなに心の底から笑ったのは、本当に久しぶりの出来事だった。


 私達が笑ってしまったせいか、ロヴィガレスが帰って来た時には、エルーシャはすっかりむくれてしまい、中々喋ろうとはしてくれなかったが、ロヴィガレスの情けない程の必死の懇願により、エルーシャは渋々と自分を指さしながらようやく喋ってくれた。


「……かーいい」


「ああ! その通りだエルーシャ!! 世界一可愛い!! やっぱり俺たちの子は、可愛い上に天才だな!!」


 そう言いながらロヴィガレスはリアノリア様の前でしか見せたことがない様なデレデレとした表情で、可愛い可愛いとエルーシャを褒めちぎっては、何度もエルーシャに喋ることを要求し、ついには「ぃやっ!!」と言う、エルーシャの二言目の言葉を引き出すことにも成功していた。




 それからさらに月日は経ち、エルーシャは3歳の誕生日を迎えた。


「はー、今日もさいこーに かわいい……」


 エルーシャは自己肯定感高めにすくすくと育ってくれたが、鏡で自分の顔を見ながらうっとりとしている姿を見ると、若干、育て方を間違えたかも知れないと時々不安に襲われる。

 まあ、捻くれずに真っ直ぐ育ってくれたので良しとしよう。


 今日はエルーシャの誕生日で、エルーシャが公に身内や親族に迎え入れられる記念すべき初デビューの日だ。


「……エルーシャ、なるべく私やお父様、ベラの側から離れないでね。後、何か言われたり怖いことがあったらすぐに伝えなさい」


 例え身内のみのパーティーとは言え、親族の中には私のことをよく思わない者や、噂を信じ、心無い言葉を投げかけてくる者も多い。

 どんなに私達が側で守ったとしても、人が集まればそれだけ悪意を持った貴族にあたる確率も高まる。


 私が真剣な顔でエルーシャに伝えると、エルーシャは一瞬キョトンとした後、にっこり笑いながら応えた。


「だいじょーぶでしゅよ、お母しゃま! だってエシャは今日も、お母しゃまに似てさいこーにかわいいでしゅから!!」


「あのねぇ、エルーシャ……」


 こちらの心配をよそにエルーシャは分かっているのかいないのか、そんなことを平然と言ってのける。


「いいでしゅか、お母しゃま! 可愛いはせいぎです!! わたしの可愛さゆえにイヤなことを言う人なんて、表向きはニコニコながら、かわいしゅぎてごめんなしゃいって、心の中でざまぁしておけば良いんでしゅよ」


「ざ、ざまぁ?? ……何のことかよく分からないけど、見た目の美醜と善悪を結びつけるのはいけないことよ」


 エルーシャが何を言っているのか、殆ど理解できなかったがとりあえずエルーシャの良識に反した考え方を諭すようにたしなめる。


「それに、こうして間違ったことを言ったら正してくれるお母しゃまがいます」


 エルーシャが急に大人びたように微笑みながら私に語りかける。


「正直、わたしのそんざいって、けっこう気味が悪いと思うんでしゅよね」


「気味が悪いって……誰!? 一体、誰があなたにそんなことを言ったの!?」


 私がエルーシャの肩を掴んで必死に問い詰めると、エルーシャはそれを受け流すようにふんわりと笑う。


「でもエシャには、こうやって嫌なことを言われたら心配して怒って、間違ったら叱って、たくさん絵本を読んで愛してくれる、お母しゃまとお父しゃま、それにベラ達がいましゅ! だから、どんなことがあっても、わたしは大丈夫でしゅよ」


「あ……」


 エルーシャのその言葉になぜだか私はとても救われた気持ちになった。

 ふと、頭の中でこの子が生まれた日のロヴィガレスの言葉が反響する。


 “この子は俺たちの救いで、希望の光だ──”


 本当に、彼の直感はよく当たる。


「……そうね。さあ! そろそろ可愛いエルーシャのお披露目に行きましょうか!」


「はい!! きっとわたしのあまりの可愛さにみんなびっくりしましゅよ!!」


 エルーシャ──『女神は救いをもたらす』


 私の小さな女神様。

 この子がいれば、私はもう絶対に迷わない。

本編更新:1月6日(月)


いつも読んでくださり、ありがとうございます。

ブクマや評価いいねなど、本当に励みになっています!!

もしよろしければ、来年もまたお付き合い頂けると幸いです。

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