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◆閑話◆エルーシャの生まれた日(前編)

※暗めのお話です。

 結婚した貴族女性にまず求められることは、跡継ぎとなる元気な男の子を産むことだ。


「エレナ様、おめでとうございます。元気な女の子ですよ」


 産婆が取り上げてくれた我が子を、ベラが優しく抱き上げ私へと顔を見せてくれる。


「本当ね、元気な…… 悲しいくらい私にそっくりの女の子だわ」


「エレナ様、そんなこと仰らないで下さい」


 分かっている。子どもが元気に生まれてきて、私もこうして命を落とすことなく生きながらえた。

 それがどんなに奇跡的で素晴らしいことか、頭ではちゃんと分かっているつもりだ。


 しかしどうしても、跡取りとなる男の子以上に、この子が、父親であるロヴィガレスに似ていたらどんなに良かったことかと。そう、思わずにはいられない。




 私とロヴィガレスは互いに想い人がいながらも、その相手と結ばれることは許されず、今から3年前、政略結婚をした。


 一時は互いに駆け落ちすることも考えたが、ロヴィガレスの想い人であるリアノリア様の体調面や、下手をすれば国際問題に発展する可能性があること、また、私の想い人の抱える諸事情から、どうしてもその決断に踏み切ることは出来なかった。


 そして、私達は想い人と正式な形で結ばれることは諦め、貴族としての責務を果たしながらも、世間では認められない形──つまり、愛人として共にあることを選んだ。


 それが、婚礼の際に行なう女神様への誓約に背く行為であると理解していながら──。


 だから、きっと罰が当たったのだろう。ロヴィガレスと結ばれてからの最初の2年間は全く子どもが出来なかった。

 周囲も神罰だと噂していたし、私自身もそう思っていた。


 ロヴィガレスは噂話をしていた使用人を解雇し、嫌味を言う親族からも私を遠ざけ、根気強く私を励まし続けてくれた。


「エレナ、見てくれ! 先日公開された医学者の論文なんだが、人には子を授かりやすい周期というものがあると言うんだ。月のモノは今は穢れた血と考えられているが、そうではなくその周期と関係して……えっと、つまり神罰なんてものはないんだ。論理的に考えるのは君の得意分野だろう? もっと色んな可能性を探っていこう」


 慣れない侯爵の仕事を引き継いだばかりで忙しいだろうに、どこからともなくそんな論文まで引っ張り出して来てくれた彼のことを素直に愛することが出来ていたら……そんな風に考えたことも一度や二度ではない。


 それでも私達は出会ってしまったのだ。互いの運命としか思えない相手に。それがどんなに愚かで蔑まれることだとしても、愛してしまったのだ。


 ある日、ロヴィガレスが私にひっそりと告げてきた。


「なあ、エレナ。たまには気晴らしに先生を呼んで、錬金術の講義でも受けてみないか?」


「……どういうこと?」


 “先生”というのは、私の想い人のことだ。私達は周囲からの余計な勘繰りを避けるために、子どもが出来るまでは想い人と会うことを徹底的に避けてきた。ロヴィガレスもこの2年近くリアノリア様とは会っていない。


 ここで約束を破り、私が先生と会うことはロヴィガレスとリアノリア様に対する裏切りに他ならない。それとも、ロヴィガレスはもう諦め、私を見放したということなのだろうか。


「エレナ、君はまた良くない方にばかり物事を考えているだろう。そうではなくて、ただ本当に君の気晴らしになればと思ったんだ。それが出来るのは残念ながら俺じゃない。それに、君を信頼しているからこそこんな提案が出来るんだ」


「ロヴィ」


 君にそう呼ばれるのは久しぶりだなとロヴィガレスは笑いながら、先生をこっそりと屋敷へ呼ぶ段取りをつけてくれた。


 その日は本当にただ教師と生徒として、昔のように錬金術の講義を受けただけだったが、久しぶりに触れる錬金術も、最新の学説について語る先生の声も何もかもが懐かしくて、まだ解き明かされていないこの世の仕組みについて考えることが楽しくて。私はたったひと時でも、侯爵夫人からただのエレナに戻れたことが、本当に嬉しくて仕方がなかった。




 ────そして、その1ヶ月後、私は身籠っていることが発覚した。




「違う!! 違うのロヴィガレス!!」


「大丈夫だ、エレナ。分かってる。だから落ち着いて。大切な俺達の子どもに何かあったら大変だ」


 人の噂とは勝手なもので、どんなに隠したところで伝わって欲しくない事ばかりが広まってしまうものだ。


 ロヴィガレスとベラ、そしてリアノリア様と先生が全面的に私の味方になり、支えてくれていなければ、今頃私はどうなっていたか分からない。


 だから、どうしても……ロヴィガレスの信頼に応えるためにも、跡取りとなる男の子以上に、ロヴィガレスに似た子どもが欲しかった。


「エレナ!! 生まれたって!?」


 今年初めて降った雪のせいで、馬車が動かなかったのだろう。頭や肩に雪を乗せたロヴィガレスが息を切らしながら部屋へと飛び込んできた。


 赤ん坊を抱いたベラが、元気な女の子ですよ。と、ロヴィガレスに赤ん坊を差し出す。ロヴィガレスは受け取る直前でビタリと止まり、雪の積もったコートを脱ぎ捨て、自身に浄化魔法をかける。


「ああ……小さくて可愛いなぁ……それに、とても温かい」


 ベラから赤ん坊を受け取ったロヴィガレスが心から愛おしげに、そう呟く。


「温かいということは、俺は身体は今、相当冷えているんじゃないか!? この子が風邪を引いてしまう!!」


「おくるみに暖を取るための魔法がかけてありますので、ご心配なさらずとも大丈夫ですよ」


 ロヴィガレスもベラも、本当に愛おしくて仕方ないという瞳で子どもを見つめている。ロヴィガレスが赤ん坊を抱えたまま私の元までやってくるが、私はどんな顔をして彼と向き合えば良いのか分からない。


「エレナ、本当に頑張ってくれてありがとう。体調はどうだ? 何か必要なものがあれば何でも言ってくれ」


「…………」


 ロヴィガレスに優しく問われるが、何も言葉が出てこない。男の子を産めなくてごめんなさい? もっとあなたに似ている子を産めたら良かったのに? 何を言っても優しいロヴィガレスに気を遣わせてしまうだけだ。


「そういえば、赤ん坊というのはこんなに大人しいものなのだな。もっと泣くものだと思っていた」


「なんだか先程から、旦那様のお顔をじっと見つめていらっしゃいますね」


「あぅー」


 ロヴィガレスとベラが子どもの顔を眺めていると、その子がロヴィガレスの顔に向かって小さな小さな手を一生懸命に伸ばす。


「ふふ、生まれたばかりなのに、もう父親が分かるのだな。流石は俺とエレナの子だ。可愛い上にとてもかしこい」


 そう言って、ロヴィガレスは小さな手に指を伸ばし、大切で仕方ないものを優しく包み込むようそっと頬を寄せる。


「決めた、この子の名前はエルーシャだ」


「……皮肉ですか?」


 ようやく口から出たのは、そんな悪態をつく言葉だった。

 エルーシャ──古い言葉で、『女神は救いをもたらす』という意味だ。


「皮肉なものか。この子は俺たちの救いで、希望の光だ。俺の直感がそう告げている。語学の成績と勘の良さなら君にも負けないからな」


 勘なんて非論理的なものと切り捨てたいが、実際、ロヴィガレスの直感はよく当たる。


「それに、君が今何を考えているかも大体わかる」


 そう言って、ロヴィガレスは赤ん坊──エルーシャを私の腕へとそっと抱かせる。


(重い……)


 今まで何百回と読んできた育児書や論文には、女性は子供を産むと本能から子どもを愛するようになると書いてあった。


 確かに私とロヴィガレスの子だと、誰よりも私自身が一番よく知っているはずなのに、愛しいはずの我が子を抱いて最初に感じたことは、湧き上がる母性や愛情ではなく、両腕にのしかかる1人の人間の命の重みだった。


 その重さに押し潰されそうになっている私をそっと支えながら、ロヴィガレスが優しく声をかける。


「大丈夫。君はちゃんとこの子を愛せるし、良い母親になれるよ」


「……それも直感ですか?」


「いや、信頼だ」


 信頼……ロヴィガレスの信頼には応えたい。


 しかし、今の私にはどうしてもその未来を思い描く事が出来ないのだった。

閑話更新:(後編)12月25日(水)7:00

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