17.放課後
「ごきげんよう」
「お、お先に失礼します」
「はい、ごきげんよう。みんな気を付けて帰ってね」
私とシルキーが神学校から教会へと続く長い廊下を歩いていると、後ろから走って来た子ども達が、追い抜き様に一度止まり、貴婦人であるシルキーに対して礼をする。
大体は貴族の子達なのだが、その子達をマネするように街の子達も挨拶をしてくれる。
普段礼儀作法を覚える場がない街の子達にとっては、貴族の子達の1つ1つの立ち振る舞いも貴重な勉強の場になっているようだ。
逆に貴族の子達も、街の子達から流行りの遊びを教えてもらったり、普通の街の生活を学ぶ場になったりしているようで、仲良く廊下を駆けていく様子は大変微笑ましい。
まあ、前世の記憶がある私としては危ないから廊下は走るなと言いたいところだが……。
「本当、いい子達ですね」
周囲に誰もいないことを確認してから、シルキーが話しかけてくる。
「そうだね。ずっとこのまま大きくなってほしいな……」
この世界には明確な身分差がある。教会がいくら平等を謳ったところで、平民と呼ばれる街の子たちの扱いや命は、時に驚くほど軽い。
「そうですね……。それより、エル様」
「大丈夫、分かってる」
結局あの後、私達はラウルに引き止められることもなく教室を出ることが出来た。
帰り際に「きっと妹君も、お屋敷でお姉様の帰りをお待ちですよ」と言っていたので、本当に、私やリリアーナに何か危害を加えるつもりはないのだろう。
しかし、だからといってこのまま何事もなく家に帰れると思うほど、私はお気楽でも能天気でもない。
もうすぐ廊下を通り抜け、大聖堂に入るといったところで、いかにも教会の権力者然とした、50代くらいの小太りの男が、慌てた様子で子ども達に話かけているのが見えた。
それと、もう1人。白いフード付きのローブを目深に被った怪しげな男が、祈りの部屋へと続く扉の前で魔法を使い、何かを調べている。
「君たち! 今日誰が祈りの部屋に入ったか知らないかね!?」
「えー? 今日?」
「知らなーい」
小太りの男と子ども達の会話が聞こえ、私とシルキーの間に一瞬緊張が走る。
(この男達が探しているのは、私だ)
私は一度その場で深呼吸をし、気持ちを整えると、日頃母や礼儀作法の先生に徹底的に叩き込まれてきた、感情を読ませない貴族然とした立ち振る舞いを意識しながら大聖堂へと足を踏み入れた。
小太りの男が、私達の存在に気づき、子ども達を掻き分けながらこちらへと走ってくる。
「ようこそいらっしゃいました。私、この教会の司教を務めておりますデスタと申します。あの、つかぬことをお聞きしますが、奥様方は本日祈りの部屋へと入られましたでしょうか?」
「はて……祈りの部屋とは?」
シルキーが貴婦人を演じながら司教相手にすっとぼけていると、周りの子ども達が我先にと教えてくれる。
「あのね! 大っきい女神様の像があるの!」
「それで草が光ってるんです!」
「マナもいっぱいあって、ふわふわと丸い光みたいに見えるんですのよ!」
「まあ! そんな不思議な部屋がございますの?」
シルキーがいかにも今知りましたという風に子ども達に返しているが、待て待て待て! 何でみんなそんな詳しいの!?
「扉の前でね、女神様いい子にするから入れて下さい! ってお願いすると、女神様、大体中に入れてくれるの」
「うん。でも俺、今日はお願いしても入れてもらえなかったな〜」
「ビトは今日、時間ギリギリでしたでしょ! 遅刻する前に早く行きなさいと女神様に呆れられたのではなくって?」
「私も今日は普通の礼拝堂だったな〜」
いや、女神様、子ども達大好きすぎるでしょ……。
でも、まあみんな良い子だもんね。お願いされたら女神様でも断れないか……。
そんなことを思っていると白いローブの男が、司教の元へと歩いて来た。
「解析が終わった。今日、祈りの部屋の扉を開けたのは2人。ここの司祭と、もう1人はマナの様子からして、あまり豊かではない……おそらく平民の少女だ」
「ここは神学校だぞ! 平民の少女だけで何人いると思って……くそ、こうなったらいっそ全員」
司教が不穏なことを口にした時、丁度私達の後ろから元気な男の子の声が響いた。
「僕知ってるよ! ミアちゃん!! 弟のことで女神様にお礼言ってたら遅刻しそうになったって言ってたもん!!」
「ミア……ああ、あの髪の長い二つ結びの子か。ありがとう」
私は背中にゾクリとしたものを感じながらも、それを悟らせないよう平静を装い、シルキーへと声をかける。
「お母様、そろそろ帰りましょう?」
「ええ、そうね。それでは司教様、私達はこれで」
「ええ、またいつでもいらして下さい」
そして、大聖堂を抜け、司教達の姿が完全に見えなくなると、私達は全速力で走り出した。
教会内の敷地を出て、門を抜けると、既に街の様子は騒がしく、異変は起きていた。
「きゃあああ!!」
「暴走馬車だ! 逃げろ!!」
騒ぎのする方に目をやると、遠く離れた場所に固まって動けずにいるミアや子ども達と、馬車から手を伸ばしてミアを捕まえようとする男の姿が見える。
「シルキー!! 行って!!」
「はい!!」
私は自分も全力で走りながら、シルキーにそう命令を下す。
(くそっ! くそっ!! くそ!! 間に合え!!!!)
シルキーは風のように駆け抜けると、ミアの長い髪を掴み今にも馬車の中へ引き摺り込もうとしている男の顔面に、思いっきり回し蹴りを喰らわす。
そして、男の手が離れた瞬間、ミアを守るように抱き抱え、その勢いのまま地面に叩きつけられるように、ゴロゴロと転がり落ちていった。
馬車に乗っていた男達は、一度舌打ちすると、そのまま足早に逃げ去って行く。
男達がいなくなり、しばらく誰も動けずにいた後、シルキーとミアがゆっくりと起き上がった。シルキーは少々肩を痛めた様子だが、幸いミアにも周りの子ども達にもケガはないようだ。
(よ……よかった〜〜〜)
私は安堵のあまり、全身の力が一気に抜けその場にへたり込んでしまった。
普段、こんなに全力で走ることがないから、恐怖と疲れで足がガクガクと震え、息も全く整わず、まともに喋ることすら出来ない。
(シルキーの怪我……大丈夫かな……? 後で沢山お礼を言って、お父様に伝えてちゃんと治療してもらわなきゃ。報酬も……)
ドスンッ──。
いきなり後頭部に強い衝撃を受けた私の意識は、そこでプッツリと途切れてしまったのだった。
次回更新:11月29(金)7:00