第6話 守り人の里
亜麻布を生地に使ったドーム型のテント、その中で、大樹は横たわっていた。
テントの入り口から差し込んだ夕日が、大樹の目蓋を橙色に染めた。
頭部と背中の鈍い痛みに、顔をしかめる。
目を開くも、眩しくて、すぐに細めた。
眩しさに慣れていくのと同時に、記憶がはっきりとしてくる。異常な、恐ろしい体験の数々・・・・・・。
大樹は、悲鳴を上げた。
「ああ、びっくりした!」赤い髪の女が、テントの中をのぞき込みながら言った。「大丈夫かい、あんた?」
赤い髪の女を見る。逆光でさえ、アジア系ではないと分かる容姿。そうして、全く理解できない言語。
大樹は、がたがたと震えた。
「ほら、頭と背中の怪我を見てあげるから、体を起こしな」
そう言いながら、赤い髪の女はテントに入り、片膝を着いて、ほっそりとした手を伸ばした。
叫んで、大樹は手を振り払った。
「何するんだい!? 怪我を見てやるって言ったでしょうが!」
「マリーさん。その人に僕たちの言葉は通じないって、ジャックが言ってたでしょ」
続いてテントの中に入ってきた金髪の少年が、赤い髪の女に向かって言った。
「いけない、そうだったね」マリーは、甘ったるい表情と声音を繕った。「怒鳴ったりして悪かったね。ほら、体を起こしましょうね。手伝ってあげますよ。大丈夫。怖くないですよ」
もう一度、手を伸ばし、また振り払われる。
「体を起こしてやるって言ってるんでしょうが!」
「だから、言葉が通じないんだって」
「じゃあ、どうしろっていうのさ、フランツ?」
「寝かせとけばいいじゃん」フランツと呼ばれた金髪の少年は、投げやりに応えた。「軽い打撲なんだし」
マリーは腕を組んだ。
英語で、大樹は疑問文を口にした。
「喋れるんだね。何を言ってるかはさっぱりだけど」マリーは立ち上がった。「目が見えていて、体もしっかり動く。まあ、大丈夫だね」
マリーがテントを出て、フランツも続いた。
「僕が見張りをやるよ」
「見張り? 何の?」
フランツはテントを指差した。
「太ったおじさんの」
「必要ないでしょ」
「必要だよ。だって、ジャックが言ってたじゃん。太ったおじさんは、ブロンテ老師が召喚した異世界の者なんだって。そんな奴を放っておくのは危険でしょ」
「断言しますよ。あんたの言う太ったおじさんは、普通の人間です。上着もズボンも取り換えてやって、体中の何から何まで見た私が言うんだから、間違いない」
「普通の人間の姿をしているからって、安全とは言い切れないじゃないか」
「悪意のない奴だって、ジャックも言ってただろ。過剰に警戒することなんてないさ」フランツの体を押し、テントから遠ざける。「さあ、みんなのところに戻って、作業の続きをしよう」
踏ん張って、フランツは押される力に抗った。
「棺を、作ってあげなくちゃ」肩を優しく叩く。「死んでしまった人たちを、弔ってあげよう」
「棺なんかあったって!」フランツは叫んだ。「兄ちゃんは、いない!」
涼しい風が吹いて、タンポポの綿毛が舞った。
髪にくっついた綿毛を取ってやり、それから、マリーはフランツを抱き締めた。
長身のマリーに抱き締められると、がっしりした体型のフランツも小さく見えた。
変声期が始まったばかりの声で、フランツは泣いた。
泣き声は、テントの中にまで聞こえていた。大樹は上体を起こした。痛みが走り、うめく。
ゆっくりと立ち上がり、テントを出た。そうして、開けた光景に唖然とする。
そこは、広大な谷だった。丘陵には木々が生い茂っていて、落ちた葉っぱや木の実は風に乗り、谷の真ん中を走る小川まで運ばれて、穏やかな流れを一層と明確にしている。小川の源流は小規模な滝で、そのしぶきが生み出す涼は大樹にもはっきりと感じられた。川沿いには、レンガで作られた建物が幾つもある。しかし、それらの多くは無残に倒壊していた。
谷には、耕作地もあった。収穫期間近の小麦が風に揺れている。カボチャやキャベツなどが栽培されている畑もあり、サクランボやリンゴなどの木も植えられている。小川を挟んだ、耕作地の向かい側に当たる草地では放牧も行われていて、牛、豚、羊、馬、犬の姿が見られた。
アスファルトも、コンクリートも、機械の類も、何も見当たらない。その事実が大きな不安となって、大樹は頭を抱えた。
「あんた! 寝てなきゃ駄目でしょうが!」大樹を見つけて、マリーは言った。「テントに入ってなさい!」
「通じないって」マリーの腕から抜け出して、フランツは笑顔を作った。「マリーさん、わざとでしょ」
健気な笑顔に胸を痛めながらも、マリーは、「さあ、戻ろう」と元気な声を振り絞り、大股で歩き出した。
フランツは、大樹をじっと見詰めた。目が合って、大樹は反射的に頭を下げた。
出し抜けで、ベルトに引っ掛けている短刀を抜き、その切っ先を向ける。
大樹は悲鳴を上げ、尻餅をついた。
フランツは大きく息を吐き、短刀を鞘に収め、マリーを追いかけていった。
引きつった顔で、小声の悪態をつき、立ち上がる。
川の流れを見る。西に向かって延々と、谷の外まで流れていく。
フランツたちが遠のいてから、大樹は川沿いに歩き出した。
素足で、石を踏んだ。大樹は足を抱えてうずくまり、痛みと怒りで恐ろしい形相を作った。
慎重に足を運びながら、100メートルほど歩いた。そうして、疲弊する。単純な体力不足、更には、まともに浴びるのが三年ぶりとなる日光で消耗は増していた。
噴き出す汗、荒い呼吸、重たい体。それでも、弱々しい一歩を重ねていって、建物が密集している地帯まで辿り着く。
地面の土質が固くなって、足は増々痛んだ。
建物はどれも平屋だった。
倒壊した建物のひしゃげた有様を見て、大樹は息をのんだ。
損傷の少ない建物の前で、足を止める。木製のドアが、開いていた。そこから、室内をのぞき見る・・・・・・一部屋だけの作りで、その広さは八坪ほど。採光のため東西に設けられた窓、ガラス戸が、夕日を取り入れている。床は全面、土間。家具の下にのみ、羊毛で作られた絨毯が敷かれている。家具は、木製の机、椅子、食器棚、衣装棚。後は、羊毛を布で包んだベッドが二床あるのみ。
ウサギやキツネなどを模したぬいぐるみが載っかった衣装棚、そのそばには、大人の物と子供の物、計四足の靴が置かれていた。
大樹は、周囲を見回してから、室内に足を踏み入れた。
靴を一足、手に取る。革のブーツだ。
自分の足の裏を見る。数か所、ほんのりと血がにじんでいた。
頭を深く下げて、大樹は革のブーツをはいた。革が固く、履き心地は悪かったが、大きさはぴったりだった。
もう一度、室内を注意深く見る。電話などの電化製品は一切見つからない。
外に出て、西を見やる。200メートルほど先は広場になっていて、そこには多くの人の姿があった。優に五十人はいる。
谷を出ればどこかの道路に行き当たるかもしれない・・・・・・そんな希望は未だに潰えることなく、得体が知れない人々を恐れながらも、大樹は再び川沿いを歩き始めた。
程なくして、広場にいた人々は大樹の存在に気が付いた。ひそひそ声が、あちこちから聞こえ出す。
俯くも、大樹は足を止めなかった。
人の気配も声もどんどん近くなる。
自ずと小走りになっていた。そうして、人にぶつかる。
大樹は、素早く顔を上げ、筋肉質な胸板を見つけて、そこからは、ゆっくりと視線を上げていった。
頭に包帯を巻いた男、その恐ろしい眼差しを視認して、大樹はすくんだ。
「お前が、ブロンテ老師が召喚したっていう役立たずか」
言葉は分からずとも、男の声ににじむ憎しみだけは感じ取れた。大樹は涙目になりながら、勢いよく頭を下げた。
「どうして、カフカではなくお前みたいな奴がここにいるんだ」
男の強く握ったこぶしが、わなわなと震えた。
「デニス! まだ休んでなきゃ駄目でしょうが!」広場にいたマリーが男に駆け寄り、言った。「頭を怪我してるんだよ、あんたは!」
「家畜を畜舎に入れなければならない」
「他の人間にやらせな!」
「今、動物従順魔法を使える人間で満足に動けるのは、俺だけだ」
「魔法なんかなくたって、出来る仕事だよ!」
「魔法なしでは無駄に時間がかかる」
「父さん」マリーに続いて駆け寄ってきたフランツが、言った。「僕が家畜を畜舎に入れるよ。動物従順魔法なら、兄ちゃんに教わって少しは使えるんだ」
「カフカのように上手くできないだろ、お前は」フランツに目を向けず、デニスは言った。「雑な仕事をされて面倒を増やされるのは御免だ」
フランツは、唇を強くかんだ。
「そんな言い方はないだろ、デニス!」
マリーの怒声を無視して、デニスは小川に架かるレンガ作りの橋を渡っていった。
遠ざかっていくデニスを走って追いかけ、しかし橋を渡ったところで項垂れて、フランツは踵を返し、とぼとぼと広場へ戻っていった。
フランツを見詰めていたマリーは、徐に大樹へと目を移し、「うろちょろしてるんじゃないよ・・・・・・と言っても、無駄なんだよね」と口にした。
離れていくマリー、その歩いていく先を、大樹は見やった。広場で行われている作業が目に入る。
広場の中央には、丸太が立てて置かれていた。直径が1メートル以上、長さは2メートル以上ある丸太、そのそばには赤い髪の老女が立っている。赤い髪の老女が、呪文を唱えた。地面の土が大きく盛り上がり、尖ったり窪んだり丸まったりを繰り返しながら人型になっていく。そうして出来上がった土のでくは、体長が3メートル以上あり、大きな手に巨大な剣を握っていた。巨大な剣もまた土で出来ているものの、刃は鉄よりも強固かつ鋭利で、振り上げたそれを凄まじい力で振り下ろせば、丸太さえ簡単に両断するのだった。更に、両断した丸太をキャベツの千切りみたいに細かく切り分けていく土のでく。あっという間に、丸太は板材へと姿を変えた。
板材を拾い集めるところからは、広場にいる人々の手作業だった。のこぎりを使って板材の寸法を調整し、やすりで滑らかに仕上げた板に、のみを用いてダボ穴を掘っていく。ダボの作成も並行して行われている。そうやって部品をそろえれば、後は組み立てて、棺を形作るのみ。
一連の作業には、老若男女を問わず従事していた。
大樹は、額の汗を乱暴にぬぐい、必死の形相を夕日に向け、歩き出した。目立たぬよう、それでいて、歩幅は大きく。
広場から離れて、なおも一心不乱に歩き続け、やがて、強風に背中を押され、自ずと、大樹は走っていた。
小川沿いを走って一分も立っていなかったが、もう限界だった。大樹は四つん這いになり、あえいだ。
息が整ってから、振り返る。既に、人の姿は見えない。
恐怖だけでなく不安も強まり、居ても立っても居られなくなって、大樹は棒のような足に鞭を打ち、更に歩いた。
気が付けば、周囲は峡谷の様相を呈し、地面も岩だらけになっていた。歩きづらくて、消耗が激しくなる。
日没が迫っているのも、悪い状況に拍車を掛ける。闇は確実に視界を奪い始めていた。
何度も、引き返そうとした。しかし、引き返したところで状況が好転することはないと理解していたから、結局、沈みゆく夕日に向かって歩き続ける他なかった。
一時間後、すっかり、真っ暗。もはや一歩を踏み出すのさえ恐ろしい。それでも、小川のせせらぎを頼りに前進を止めない。諦めが、大樹を無謀にしていた。
歩いて、歩いて、歩いて、ようやく、開けた草原に出た。遮られることのない星明りが、大樹の青ざめた顔を照らす。
地平線まで見渡せる景色に、大樹の望んだものは何一つなかった。近代的なものは、何一つ。
大樹は、倒れるようにして大の字になった。
草の香りを帯びた風が、汗だくの体を冷やす。
コオロギの鳴き声が、どこまでも遠くへ響いた。
昨夜は気に留める余裕もなかった青い衛星を、まじまじと見詰める。そうして、大樹は力なく微笑んだ。
ここは、地球じゃない・・・・・・。
その囁きは、突如として起こった地鳴りにかき消された。草原の、大樹から10メートルほど離れたところの地面が盛り上がる。
大樹は悲鳴を上げた。同時に、狼に似た巨大な頭が、盛り上がった地面を突き破って地上に現れる。
逃げようとするも、上体を起こすのが精一杯だった。巨大な生物の体が地中から抜け出てくる様を傍観することしか、大樹には出来なかった。
程なくして、巨大な生物の全身が露になる。狼の頭をモグラの体にくっつけたような姿をしていて、体長は5メートル以上あり、牙も爪も大きく鋭い。
巨大な生物は、這うように進み、瞬く間に大樹との距離を詰めた。
大樹は、そっと目をつぶった。無宗教らしく、目蓋の裏に救いはなくて、絶望のなか、涙だけが流れた。
前足の爪が胸を貫こうとした瞬間、地面が槍のようになって突き上がった。土で出来た槍は、巨大な生物の右あごに斜め下から突き刺さり、左耳まで貫いた。繰り出されていた前足の爪は逸れて、大樹の右肘を少し裂いただけで終わった。
巨大な生物は、舌を突き上げ、笛の音に似た息を漏らし、絶命した。
草原に、騎馬が五騎、あった。彼等は大樹から50メートルほど離れたところにいた。一人が、下馬する。髪が真っ白な初老の男だ。
初老の男は、片膝をつき、耳を地面に当てた。
「近くにまだ二匹いるな。一匹はこちらに迫ってきている」初老の男は言った。「私が地中から引きずり出す。エル。お前が仕留めろ」
エルと呼ばれた華奢な人物が、馬にまたがったままで呪文を唱えた。
エルの右手から、小さな稲光が無数に発せられた。火花放電のような現象だ。
「いつでもやれます。ブライアンさん」
そう言って右手を上げると、ショートボブに整えられていた髪は逆立った。
ブライアンは耳を地面に当てたまま呪文を唱えた。20メートルほど離れたところの地面が激しく噴き上がる。地下10メートルほどの深さから噴出した大量の土は、地上10メートル以上の高さまで達していた。
大樹を襲ったのと同種の生物が、噴出した土に押し出されて地上に現れた。その姿に、エルはすぐさま右手を向けた。雷と同様の電撃が右手から発せられる。電撃は凄まじい速さで巨大な生物に迫り、直撃した。
一瞬で、ほとんどの体細胞が壊死する。巨大な生物は、即死だった。死後も、損傷は広まった。電流が地面に流れ出たころには、全身が焼けただれ、黒ずんでいた。
エルは呪文を唱えた。再び、右手に稲光が走る。
「次もどうぞ」
「その必要はなさそうだ。もう一匹はどんどん離れていく」
十秒ほどして、ブライアンは耳を地面から離した。
「もうこの近くにはいない」
それを聞いて、エルは発していた稲光を消した。
「臆病な化け物」エルは髪形を直し始めた。「仲間の敵を討つ気概もない」
「土狼は狼と同等の知能を有する」ブライアンは衣服についた草を払い、乗馬を済ませた。「逃走は賢さの証だ」
騎馬が一騎、並足で大樹に近付いた。
「あんたを里の外に出しちまうとはな」ジャックが、馬上から大樹を見下ろし、言った。「呆れちまうよ」
ようやく目を開けた大樹は、自身の右肘からの出血を見つけて、わめいた。
他の騎馬も、大樹に近付いてくる。
「怪我をしているのですか!?」
金色の髪と髭を綺麗に整えた男が、馬を下り、大樹に駆け寄った。
「軽率です! ロバート様!」
ブライアンの注意に耳を貸さず、ロバートは大樹のそばで膝をついて、「大変だ! 血だ!」とすっとんきょうな声を出した。
「かすり傷ですよ」ジャックは吐き捨てた。「放っておいても治る」
傷口をしっかり見て、それから、笑う。
「本当にかすり傷だ!」笑い止んで、右手を差し出す。「私、ローハ帝国法に則りスコットリンド自治領領主メアリ・スチュアムドからスコットリンド南西部の土地所有権を預からせていただいております、ロバート・ウォレスと申します。あなたが今、お尻をついている地面は私の預かる土地であり、詰まる所、あなたは私が庇護すべき人間である、という訳です」
まくし立てられるなか、握手を求められていることだけは理解できて、大樹は恐る恐る右手を伸ばした。
満面の笑みで、ロバートは大樹の手を握り、大袈裟に振って、放した。
ロバートは、大樹がこの星で見てきた人間たちのなかで最も裕福な身なりをした男だった。上着は、上等な絹を贅沢に使った身丈の長いプールポワンで、胸元の切り込みからは真っ白な肌着をのぞかせている。膨らみがある丈の短いズボンからは、ショースを着用した長い脚が伸びていて、靴はコードバンを用いたつま先の尖った代物だ。
「その肌の色・・・・・・私の名前にぴんとこない様子・・・・・・」精巧な銀細工による指輪をもてあそびながら、言う。「チャイヌから流れてきた人間ですか? それでも、構いませんよ。黄色人種であろうとも、税を納めてくれるならば一向に構わないのです」
「そいつにラハン語は通じませんよ」ジャックはため息をついた。「何を言っても無意味です」
「世界の公用語であるラハン語が通じない!? もしや彼は、極東、ジパンヌの人間?」
「そいつに関しては、今朝、ご説明したはずです」
「説明? 彼について?」
「ブロンテ老師に召喚された者だと、説明しました」苛立ちを隠しながら、ジャックは続けた。「気絶していたそいつに興味津々だったこと、お忘れですか?」
「ああ、そういえば・・・・・・」ロバートは髭をいじった。「そういえば、そうでした。今朝、いましたね、彼。失敬、失敬。黄色人種は見分けがつかなくて」
「こんなにも肥えた黄色人種なんて、めったに見ないでしょうに」エルが冷ややかに言った。「さすがはロバート・ウォレス公。白人の見分けすらつかないだけのことはあります」
困ったような顔を、ロバートはエルに向けた。
「エル。数日前のこと、まだ怒っています?」
「怒っていませんよ。薪売りの少年と間違えられたことなんて」
「あれは、朝もやが酷かったせいですよ」
「一昨日は、二日酔いで勘違いしただけだとおっしゃいました」
ロバートが愛想笑いをして、エルはそっぽを向いた。
「ロト長老」ブライアンが、騎馬の老人に向かって言った。「召喚された者はきちんと管理してもらわなければ困る」
「申し訳ございません」ロトは深々と頭を下げた。「今後は監視を徹底し、二度と里の外には出しません」
「危険性は、ないんだよね?」ロバートがジャックに尋ねた。
「こいつに戦闘能力があったならば・・・・・・」冷めた目を大樹に向ける。「ゲイブを、敵を逃がすことはなかった」
「過去に数件、同じ事例があるはずです」ロトが言った。「召喚魔法の失敗で人間を呼び寄せた事例が。ブロンテは優秀な魔法の使い手でしたが、高齢だった」
「確かに」ロバートは、怯え切った大樹をまじまじと見詰めた。「失敗だったようですね」
「そうだとしても、召喚魔法はローハの法において禁忌だ」ブライアンが釘を刺す。「違法の証拠となり得る存在を放置しておくことは許さん」
「以後、このようなことはございません」ロトは再び頭を下げた。「誓います」
「もういいじゃないか、ブライアン」危なっかしく、ロバートは馬に乗った。「ロト長老、頭を上げて」
言われるままに顔を上げる。真っ白な髭に隠れた口角も、上がっていた。
「では、守り人の里へ」ロバートは東の丘陵地帯を指差した。「まだ夜の浅いうちに」
ロバートが馬を歩かせて、ブライアンとエルが続いた。
ジャックが、呪文を唱える。そうして、土が巨大な手となって大樹をつかんだ。
全く抵抗しない大樹を、巨大な手はジャックの後ろに乗せて、放した。
ジャックとロトは、少し馬を走らせて、ロバートたちの後ろに付いた。
峡谷まで進んで、星明りが乏しくなると、ブライアンは剣を抜き、呪文を唱えた。鋼鉄の刃が光り輝き、周囲を照らす。
「燃費の悪い魔法です」ブライアンは言った。「二時間もすれば、消えてしまう」
「君もすっかり高齢だ、ブライアン」ロバートが笑った。「若い頃なら四時間は持ったろうに」
足場の悪さを嫌い、馬の足はゆっくりと進んだ。それでも、ロバートたちは魔法の明りが消える前に、広大な谷の集落、守り人の里に到着した。
元いた場所に戻ってきてしまって、しかし大樹の顔には何の表情もなく、どんよりとした目に映すのは、唯々、地面だけだった。




