シェリルの大号泣
うとうとしかけたところで、殿下は痛そうに足を引きずって寝室に入ってきた。
「バカだよな、1階のベッドで寝ればいい、シェリルが居るなんてこと……」
まで言って、ギョッとしたようだ。
わたしはわたしで、殿下が名前を呼んでくれているのを聞いて鼓動が一層速まった。
戦争から戻って以来、初めてだったから。
昨日はわたしは窓向き、殿下はドア向きに背中合わせだった。
殿下がベッドにもぞもぞと潜り込んできて、その通りの位置についた瞬間に、わたしは寝返りを打って大きな背中に貼りついた。
「抱いて。抱いてくれないと別れてやらない! ちゃんとシてくれないと実家に帰らない!」
「シ、シェリル?」
「わたしの花の5年間をまるっと無駄にさせて、そのままで済むと思う?」
わたしの言葉は涙に混ざってエスカレートする。
「白い結婚はフェイクだったんでしょ? だったら、ひっく、さっさと手を出して捨てたらいいじゃない!!! ひっく、ひっく、うぐっ、 うわああああーーーんん」
殿下はくるりと私のほうを向き、広い胸の中にわたしを閉じ込めた。
「言ってることがハチャメチャだ、愛しい人」
わたしはしゃくりあげが止まらないのに、殿下の落ち着きが憎たらしくてじたばたしようとした。
「動くとヤバいって、あちこち当たるだろう?」
「当たったらイヤなの? わたしの身体なんてイヤなのね?!」
「違う、逆だ、逆。そっちが私のことイヤなんじゃないか?」
「どうしてイヤなのよぅ、抱いてって言ってるのにぃ~ぐすっぐすっ」
自分でも怒りたいのか泣きたいのかわからなくなってしまってるわたしを、夫は再度捕まえ直す。
「ほんと、昨日の気品の王弟妃殿下とは全くの別人だ。別人格でも現れたか?」
「すぐバカにして誤魔化す!」
今度は怒り。
「バカになんてしてない、可愛すぎて困ってるんだ」
「どうして困るのよう? 奥さんじゃないから? 赤の他人だから?? 可愛くても手遅れだものね、やっぱりぃ~うぐっ」
次は涙。
「さっき庭で、『うちに居てほしい』と言ったつもりだが?」
「その後、ウソの結婚だって言ったぁ~ふぇ~ん」
「まあ、それは事実、だし?」
「だし?じゃないでしょ!」
あ、急にツッコみに変わった。
「参った、シェリル、本当に可愛すぎる。5年前の私が知ってるシェリルのまんまを抱っこしてる気分だ。再会からこっち、すっごく大人びて綺麗で、もう手の届かない存在になったような気がしてた」
アッシュは私の髪にキスをした。
侯爵令嬢として身につけた礼儀も言葉遣いもわたしの身体から抜け出てしまったみたい。
わたしを捕まえている男性を夫とも、殿下とも呼びたくない。
アッシュはアッシュだわ。
「こんなふうに内面さらけ出してくれたら、私も素直に話せたかもしれない……」
「す、なおに? 隣国に奥さんが居るとか?」
わたしはカラ元気も失って小声になった。
「居るわけないだろ、こんな可愛い人待たせておいて。私の妻はシェリルだけだ」
アッシュはわたしのブロンドの中に手を遊ばせた。
「だが、全てを話したら、シェリルは私を嫌悪するだろう、それでも今だけは触れさせて……」
目の前のブルーの瞳が閉じられて、傷が痛むかのように眉間にしわが寄る。そしてつらそう口を開くと語り始めた。
「私の左足は太い鎖で繋がれていたんだ。妻の元に帰るために爆薬を使った。肉が抉られただけで済んでよかったよ」
「足を失ってたかも?」
「ああ、それでもシェリルに会いたかったからさ」
わたしはしゅんとしてアッシュの筋肉質な胸に身を寄せた。
自分がのうのうと庭づくりをしている間にアッシュがどれだけ苦労したのか、目の前に突きつけられた気がして。
「足のことはいいんだ、自分でやったことだから。その前に拷問というか、意に添わぬことをさせられていてね」
「つらかったら、無理して話さないで?」
「いや、話さないと誤解が解けないと思う。シェリルは私が昔言った『白い結婚』を続けているんだと思ってたんだね?」
わたしはアッシュの胸に向かってコクリと頷いて訊いた。
「どうして『白い結婚だ』って言ったの?」
「君が若過ぎたからだ。結婚もできない年齢に急いで式は挙げさせてもらうけど、戦争に行く前にすぐ抱こうと思ってるわけじゃない、って意味だった」
「戦争の前だけが『白い結婚』?」
「ああ。他の言い方を思いつかなかった。恥ずかしくて。『抱く』って単語、口にできなかったんだよ。あの時は、戦争も長くても2年で済むと思ってたし、戻り次第書類整えてちゃんと夫婦になるつもりだった」
わたしは信じられなくて両手で口を覆って、額だけ、アッシュの胸にひっつけた。
「私のほうは、シェリルに責められていると思っていたんだ」
「責める?」
「戦争中に私がしたことを聞き知って許せないんでいるんだと思ってた」
「でもわたしはあなたの身に降りかかったことを何も知らない」
「そう。私の妻は私の留守中に、社交界に顔を出してゴシップ集めもせず、お兄さんに戦況を聞いたりもしなかったらしい」
「庭いじりばかりしてた……」
「カリッジによれば、それは淋しさを紛らわせるため、私の心配をして胸が潰れないためだったそうだけど、となると、改めて自分で自分の身に起こったことを話さなきゃならない。今しがたの君の涙の叫びを見るまでは、そんなのムリだと思ってた」
アッシュはわたしの髪を優しく撫でた。
「シェリルの好きな花は清らかなものばかりだから」
「白い花がイヤだった?」
「ていうか、自分の身体がイヤだ。汚い」
わたしは相槌が打てず、そっとアッシュの胸に手を置いた。
「シェリルは私を待って、純潔のままでいてくれてるのに、私にはできなかった……」
ということは、誰か他の女を抱いたということ。




