ホワイトガーデンに夫が来て
ホワイトガーデンで途方に暮れていた。
自分の人生がわからない。
女にだって性欲はあるのに。
大好きな人に可愛がられたいって思いがあるのに。
昨日の、手袋越しではあっても、夜会で何年振りかに繋いだ手。
わたしの腕を掴んだあの大きな手。
殿下の手がわたしの肌に触れたら身体はどんな反応をするのか、わたしは一生知らないままなのだろうか?
子どものいる世の女性全員が、愛された経験を持ってる。
3人子供がいれば、最低3回はしたの。
最初は痛いとか血が出るとか、気持ちいいと感じるまで時間がかかるとかいろいろ聞くけれど、このまま飼い殺しじゃわたしが可哀想。
殿下以外に抱かれたい相手はいない。
いないけれど、それでもこのまま、一生?
20歳の若妻で、好きな人と暮らしているのに、お婆ちゃんになるまで何にもなし?
気が遠くなりそう。
『白い結婚』がどういう意味かわからず頷いてしまったからもう遅い?
侯爵令嬢の慎みもプライドもかなぐり捨てて、わたしから「抱いて」って言えたらシてもらえるのかな?
それとも、お願いしても、シたくない相手には反応しないのかな?
わたしには反応しないから「白い結婚」なのかな?
男の人の身体ってどうなってるんだろう?
好きだったら触りたくなるって兄は言ってた。
無性に触りたくて息が上がって苦しいって。
殿下はわたしにはそうはならない。
好きじゃないってことだ……。
殿下は昏睡から覚めた時、わたしに会いたそうじゃなかった。
わたしはあんなに嬉しかったのに、シェリルって呼んでくれると思ったのに、ぼうっと花を眺めてた。
自分がどこにいるのかわからないみたいに。
隣の国に、好きな人がいたのかもしれない。
5年も離れていたのだから、何があってもおかしくない。
あのまま隣国で暮らしたかったのかもしれない。
看病されるならその人のほうがよくて、帰ってきたくなかったのかもしれない。
わたしは夫のことを何も、知らない。
砂利を踏みしめる不規則な音がわたしの思考を遮った。
「どうした、こんなとこで」
夫だった。
「こんなとこって、わたし、ここが一番落ち着きますから」
「いや、悪い、ここがいい庭なのはわかってる。ただ私にはまだ屋敷から遠すぎるっていうだけだ」
「……」
「隣に座っていいか?」
「どうぞ。あなたの所領なのですから」
「やっぱり、冷たいな。夜会は表向き、だから演じてくれたのか」
そっちこそ、と言いたかったけれど、青く暮れていく中で白く映える花々を眺めるだけにした。
「実家に、帰りたいか?」
膝の上に置いた自分の手がひくりとした。声が出せないうちに夫が重ねて問う。
「ここの花は全部実家から持ってきたんだろう?」
わたしが答えないでいると夫は「白って残酷な色だな」と呟いた。
「そうでしょうか?」
「いや、色に罪はないのか」
夫が黙ってしまって今度は私の会話ターンだと悟る。
「わたしたちって、性格合わないですよね。意見が一致することがない……」
「そうか? 学生時代はよく同じこと考えてて笑ったが」
夫は頭を掻いてから「私が変わってしまったからか」と締めた。
「戦争は大変だったんですね」
「ああ、私は敵の捕虜になったからな」
「捕虜?! 援軍の総指揮だったあなたが?」
夫は首を傾げた。
「知らないのか? あの戦争で何があったか」
「ごめんなさい、知りません……」
殿下はわたしの真意を読み取るようにわたしを見つめたけれど、驚いたまま見つめ返すことしかできなかった。
「だとしたら、なぜ? でも、一緒か……。最後の審判が少し遅れただけだ」
夫は意味不明の言葉の後に深呼吸をして、早口に話す。
「恥ずかしいが私一人、捕虜になった。やっかいな敵でね。早く戦争終わらせたくて、前線に出ていたところを狙われた。竜巻に巻き込まれたと思ったら拉致されていたんだ」
夫は身震いして両手に顔を埋めた。
「まだ全部は話せない。実家に帰ってお兄さんに、あらましだけでも聞いて。できれば私から話せるようになるまでうちに居てほしいが、それも私のわがままだろう」
「離縁ですか? あなたがわたしを? わたしがあなたを?」
「同じだろう、どちらでも。お互い笑顔でいられないんだから。昨夜の君は完璧だった。恋人時代からそのまま2人そろって大人になれた気がした。でも現実は違う。夢から醒めて、私が繋ぎとめておける女性ではないと感じる。君は自由なんだよ。5年前のあの結婚式に、法的拘束力はないのだから」
「ほうてき、こうそくりょく……? 結婚式が偽物ってこと? 私が16になったらすぐ届出出すって父から聞きましたけど?」
「出せてないんだ、私は戦場にいたのだから」
「そう……」
わたしの心の中の、レンガ造りの教会が崩れて瓦礫となった。
わたしは殿下と結婚してない。公爵夫人でもない。若気の至りのフェイク結婚式。
抱いてもらえなくて当たり前、白い結婚で当然。偽物だから。
わたしはそんな子どもの頃の遊びの儀式に意味を求めて、このお屋敷に女主人の顔をして居座ってる。
わたしさえいなくなれば殿下は、この公爵邸に好きな女性を迎えられるというのに。
「白は残酷な色ですね……」
この庭には自殺にもってこいの毒草が生えている。
眠くなってそのまま二度と目が覚めない優しい毒。
その白い花を見つめていたら視界がぼやけた。
「泣かないで……、悪いのは全て私だ。身体冷える前に部屋に戻って……」
夫ではない人はわたしの肩を抱きもせず、涙を拭ってもくれず、足を引きずりながら生け垣の向こうに消えていった。
その夜、マーガレットを2本手にして、夫婦の寝室に入り殿下を待った。
マーガレットの花言葉は「真実の愛」だから。
どれだけ考えても、嫌われているとしても、私はアッシュ殿下が好きだ。
一度だけ、抱いてほしい。
わたしに想いが向いてなくても構わない。気持ちなんて伴わなくていい。
わたしのためだけに。
わたしの15歳のあの結婚式から、ううん、14歳の婚約からのこの恋に結末を与えるために。
初めてをもらってもらって、実家に帰る。
兄さんに戦争のこと聞いてみよう、後半の3年は兄も従軍していたから。
その後は修道院に行くか、どこかのお宅のガヴァネスとして雇ってもらえばいい。
子爵や男爵家は娘の淑女教育に躍起だから、一軒くらい見つかるだろう。