一休みは陽のあたる丘で
漆黒の絶望を切り裂いて、大きな翼の獣――ヒポグリフが羽ばたき、翔ける。
その背に乗った私と杏色髪の小柄な少女リコットちゃんは春の夜風の寒さに身を縮め、獣の高い体温で暖をとり耐える。
水先案内として前方を箒に横乗りになって飛ぶのは、空色髪片結びのソラ君。
私たち以上に風を正面から浴びて尚平然と進んでいるのは、向かい風を防ぐ防壁を魔法で出しているからかしら。
空を飛びながらずっと? 私なんて短時間の飛行だけで精一杯なのに。
そんなこと信じられない……。桁違いの技術。
どれほどの時間飛んでいただろうか。
寝不足と寒さで普段から半開きの瞼が、一層仲睦まじく手を取り合おうとする。
もし意識を失い平衡を崩そうものなら魔獣の背から投げ出され地上へ真っ逆さま。
……命はない。
堕ちまいと必死にリコットちゃんの服の裾を握る私の手も、皮手袋をしているのにかじかんで感覚が半分無い。
こんな思いをしてまで、何をしているのか――。
二人に出会う前の私が見たら、そう言って呆れ、溜め息をついていたに違いない。
そのくらい、今私がしていることは少し前の自分からすれば考えられない行動だった。
「オークルオードちゃん! 前! 前なのです!」
声に反応してほとんど閉じていた目を開き顔を上げると、東の山間から一筋の光が生まれていた。
生まれた光はみるみるうちに勢いを増し、全てを覆うような夜闇の天空を紫紺、紺青、やがては箒に横乗りし私たちを先導する彼――ソラ君の髪と同じ空色へと、希望を満たすように染め上げる。
「夜が明けたね! もう少ししたら、一度休もう!」
風圧で音も何も搔き消されてしまうため、普段おっとりした口調のソラ君さえ声を張り上げる。
それとも夜明けで心が弾んだのかも。
陽が昇るところなど私の人生で数えるほどしか見ていない。
その金色の美しさを眺めていると、もしかしていいことあるかも、と期待が沸く。
人里離れた丘。
川のせせらぎの傍に降り立ち、一休みにする。
鷲獅子と馬の魔獣は、私たちが降りやすいよう脚を折りたたみ体高を下げてくれる。
「よっこいしょ……」
身軽に飛び降りたリコットちゃんと違い、跨った脚をゆっくり戻す。
降り際、なんかババくさい言葉が思わず漏れて慌てて見渡すと、ソラ君もリコットちゃんも休憩場を設営していて聞こえてないみたいで……、ホッと胸を撫で下ろす。
……私は一体何を気にしているんだか。
正直。
落とされまいと神経遣いながら大型魔獣に乗ってるだけで疲労困憊なのに、二人と一匹はケロッとしてる。
この子たち何なの……。
私の視線に気付いたのか、魔獣がグルルルと、優しく喉を鳴らした。
ご心配ありがとう。気付いたのはあなただけね。
でも平気。このくらいでへばってる場合じゃないの。
強がりを心の中で呟きながら、ほんの数歩先にある敷物まで重い足取りで向かう。
「私はなにをしたら……」
「オークルオードちゃんはここに座っててなのですー!」
「でも……」
「いいからー。慣れないと大変だよね。僕らも前はヘロヘロだったよ」
私の状態も織り込み済みとは。
悔しいけど、意地を張っても仕方ない。
本番はこの後だもの。
お言葉に甘え、用意された敷物に腰を下ろす。
ソラ君が火打石と枯れ枝で火を起こす間に、リコットちゃんは両手で抱えるほどのタライを出して小川で水を汲み、一部は小鍋に移し、残りは魔獣の所へ持っていく。
……待ってどこに持ってたのソレ。
「はい、ひーたん! お疲れさまなのです!」
ヒポグリフが落ち着いて水を飲む間、今度は荷物から大きな板状の肉らしきものを取り出し、満面の笑みでヒポグリフに差し出す。
「たーんと、召し上がれ!」
「それは……?」
「おとーさん特製豆の疑似肉の栄養強化版なのです!」
両手を腰に当てて誇らしげに胸を張る杏色の左右両結び少女。
私には到底だせない可愛さに思わず笑ってしまった。
「わ、笑うとこじゃないのですー!」
「ご、ごめんなさい。でも、可愛くって、おかしくって」
「なっ! オークルオードちゃんのほうこそ笑顔が可愛いのです! 粉砕されるのです!」
リコットちゃんは真っ赤になって照れ隠しに反論する。
それがまたおかしくて、目尻に涙を浮かべながら声を上げて笑ってしまった。
「楽しそうでよかったー。オークルオードさんが笑ってるところ初めて見たかも。かわいいねー」
思いがけない発言に私まで真っ赤になる。
素なんでしょうけど、素なんでしょうけど……! ずるくありませんか!
どうしていいか分からず俯いてしまった私の視界に、広げた両手の平より大きな風呂敷包みが入り込む。
「はい、どうぞなのです! 開けてみてなのです!」
リコットちゃんのご両親が持たせてくれたお弁当。
「わぁ……」
結び目を解くと、自然に歓声が漏れた。
手軽に食べられるようにと、多彩な食材を薄い白小麦パンに挟んだ、お弁当の定番白パン挟み。
具材もこれまた定番、半月玉子焼きや萵苣、太陽果の薄切りの、見目鮮やかな三色旗。
慣れ親しんだ、懐かしく優しい味が口いっぱいに広がる。
「美味しい……」
「絶品だよねー」
「なのですー!」
「クェーーー!」
三人と一匹、それぞれに喜びを表現する。
朝日に照らされ空気が温まる中、束の間の休息で心も体もほぐれて、顔が自然と綻ぶ。
なんだか、楽しいな。
この調子で目的の檸檬硝子のお茶も見つかるといいな……。
あの子たちは、正直バケモノでした。
住む世界が違いました。
でも、その優しさは……ホンモノでした。
今までで一番幸せなひと時だったのかもしれませんね……。