もう探さないと諦めて
授業の終わりを告げる鐘が鳴る。
同級生たちがそれぞれに荷物をまとめてはわらわらと教室から出てゆく、いつもの下校。
魔術師学科の教室を出てから、魔物使い学科のリコットちゃんと学園の正門で合流するまでのほんのわずかな時間が、私がソラ君を、この美少女のような美少年を独占できる唯一の機会。
誰にも邪魔されること無く、誰にも気を遣うことなく、他愛もない話をしながら二人だけで一緒に歩くことができる、とてもとても大切なひととき……。
あら、いけない。涎が。
けれど、今日は事情が違った……。
私の至福を阻んできたのは先日行われた学術試験の結果。
檸檬硝子を探すため、リコットちゃん、ソラ君と三人で過ごすことが増えたから、相対的に勉強時間が少なくなった自覚はあった。
でも、手応えが無いこともなかった。なのに――。
廊下に張り出された安物の樹皮から作った薄っぺらい大判の――私が両手を広げたのと同じくらいの長さの――紙。
書かれていた私の順位は八十五人中、十七番……。
いつも五番以内にいたのに……。下がりすぎている。
「ちょっと今回は遊び過ぎたねー」
並んで歩くソラ君が言う。
(キミ、それでも三番だよ……?)
怒りと悔しさと妬みと不甲斐なさと……。
感情が渦を巻いてお腹の底から湧きあがってくるけれど、主席常連でこの状況でも最上位を保った彼には見せたくない。
見せるなんてみっともないし、見せたらきっと……嫌われるから。
今も別に好かれているわけじゃない。
そんなことは分かっている。
けれど、今の関係性を壊したくなかった。
願いは叶わないのだから、せめて――。
「あれ? どうしたの? オークルオードさん、表情が……」
黙りこくっていた私の異様さに気付いてか、ソラ君が気遣うような声を掛けてきた。
同情なんか……、同情なんかされたくないっ!
「――っ! ごめん!」
「あ、ちょっと! オークルオードさん⁉」
衝動的に私は駆け出した。
もちろん運動の苦手な私は走ったところで速くない。
追いつかれるかもしれないけど、無様なままで意中の彼の隣を歩くなんて耐えられなかった。
「あ! オークルオードちゃーーーん! なのです!」
最悪なタイミングだった。
前方に見えるのは杏色の短い二つ結びを揺らす、オーバーオール姿のリコットちゃん。
魔物使い学科で学び、自身も牧場を営む家庭の生まれ、そのせいか圧倒的な身体能力を持つ彼女に追いかけられたら、とても振り切ることなんてできない!
追いつかれて捕まったら、私はもう見にくい姿をさらけ出すしかなくなる。成績が悪いのは己の不甲斐なさなのに、遊び惚けたせいだと二人に八つ当たりするのが目に見える。
そんなつもりは無くても、口から飛び出す言葉は鋭い刃となって彼女たちを傷つけることになる。
だから、いまは話をしてはいけない!
やれるとしたら――!
「もう私に構わないで! 檸檬硝子のことも、もういいの!」
「オークルオードちゃん……」
走りながら精一杯の声をリコットちゃんにぶつけると、案の定動きが止まった。
心の脆い彼女はキツい言葉を浴びせれば怯む。
眉を下げ、大きく振っていた腕が枯れた野草のようにうなだれるリコットちゃんの横を私は精一杯足を動かし、脇腹が痛いのも必死に堪えてすり抜けていく。
そのまま息の続く限り走り続けた。
飛んだほうが早いのだけれど、飛び立つまでに時間がかかるから走るしか無かった。
「はぁっ……、はぁっ……、はぁっ……、はぁっ……」
ようやく立ち止まったのは、いつもソラ君と別れる住宅街の三叉路。
両手を両膝につき、乱れた呼吸を整えながら背後を見る。
追ってくる姿は見えなかった。
なんとか住宅街までやってきた。
路地が入り組み坂の多いこの辺りなら簡単には追いつけないだろう。
まっすぐ帰ると出くわしかねないから回り道をして帰ろう。
(私……ひどいことした……。せっかくできた友達に、ひどい言い方した……)
どうにか撒いたものの自分勝手な言動に後悔が押し寄せてきて、力なくよたよたと家に帰ると寝台に俯せとなり、枕に顔を押し付け声が漏れないよう泣いた。
ひとしきり泣いてから両親の元へ赴き、学術試験の結果を報告した。
案の定お説教が始まり夕食の時間を大幅に超えて延々と罵詈雑言が続いたが、幸か不幸か、そこで私が涙を流すことは無かった。
それから――。
私はまた、両親の用意した進路の上だけを進む生活に戻った。
おばあちゃんに逢いに行くのも、リコットちゃんとソラ君――二人と過ごすのも止めて、ひたすら机に向かっていた。
教室でもソラ君と目を合わせることはせず、顔も上げずにひたすら書物に顔をうずめていた。
けれど、心の中に浮かんでくるのはおばあちゃんのことと、ふたりの顔。
どんなに外界を遮断したところで、勉強に身が入るはずなんてなかった。
◇
そんな生活がひと月ほど経とうとした頃のある夜……。
相変わらず身が入らないにしろ、机に向かう生活の感覚をようやく取り戻してきたころだった。
コンコンコン。
二階にある私の部屋の窓を叩く音がした。
「……?」
空耳かと疑い、上げた顔を再び書物に戻す。
こんこんこん。
まただ。
はっきり聞こえた。
泥棒が留守かどうかの確認だろうか……?
音を立てないようそっと立つ。
傍らに置いていた魔法発動用の杖を手に取り、窓掛を勢いよく開ける!
窓の上から――逆さまで“にへらっ”とだらしない笑みを浮かべた、見覚えのある顔がそこにあった。
「リ……リコットちゃん……!」
特徴の二つ結びも干し野菜のように逆さまにぶら下がっている。
「どうしたのっ⁉ い、いえ、それより、ど、どうやってここに……っ?」
窓越しの私の声が届いたのか、リコットちゃんは背後を指さす。
そこには箒に横乗りする空色の片結び美人、ソラ君が浮いていた。
逆さまの顔にぶつからないように、片側だけ窓を開ける。
「早く撤収しないとっ! 家の者に見つかったら騒ぎになります!」
「オークルオードちゃん! 聞いてなのです! 分かったのです! 檸檬硝子の自生しているところが!」
私はもう冒険は終わったと思っていました。
あれはほんの一瞬の出来事。
女神さまがくれた気まぐれの息抜き。
息抜きの結果成績が悪くなることを知りましたから、もう息抜きは出来ないと。
未練が無いと言えば、嘘になります。
やりたいことだらけでした。
けれど、両親は、家は、それを赦しませんでした。




