第3話:〝抽出〟をします!
「しかし、エリス。弟子にするのはいいが――腹が減って死にそうな顔をしているな。とりあえず飯にしよう。ついでに、錬金術の初歩を見せてやる」
「やったー! ご飯に錬金術!」
私が思わず弾んだ声を出したので、師匠が苦笑する。
「ふ、じゃあ、早速やるか」
「はい!」
店舗スペースの奥にある作業場に師匠と共に入るが、なぜかそこだけは埃一つなく、綺麗に保たれていた。作業場にはキッチンが併設されており、食事用の小さなテーブルと椅子が隅っこに置いてある。
「なんかここだけ綺麗ですね」
「錬金術の作業において、清潔感が最も重要であると言っても過言ではない。ここの空間だけ、清浄魔術が恒常的に掛かるように建てた時に設計したんだよ。だからキッチンも併設しているのさ。さてと、こいつにも魔力を注がないとな」
そう言って師匠が、作業場の壁に埋め込まれた紫色の水晶と複雑な器具を融合させた装置へと手をかざした。緑色の微かな光と共に、師匠から魔力が魔術結晶へと注がれた。
すると、水晶が明るく光り始める。
「これは、<魔術結晶>といってな、この工房で使う魔導具に魔力を供給する道具なんだ。今入れたばかりだから一週間ぐらいは保つだろう。この水晶の光が弱まってきたら、魔力切れを起こしかけている証拠だからマメに点検して魔力を注いでくれ。魔力切れを起こすと何も出来なくなるからな」
「はい!」
「さて……飯にするとはいえ材料も限られている」
「……ほんとですね。どうするんですか」
「まあ見てろ」
師匠がそう言って、作業場の隅にあった大きな棚を開けた。開けるとひんやりとした空気が流れてくる。
「これは?」
「これも魔道具だよ。恒常的に中の物に保存魔術を掛ける棚だな。素材一つ一つに保存魔術を掛けるのは手間だから、こうしてここに入れてまとめて掛けておくのさ。こいつにだけは馬鹿みたいに魔力を込めておいたから、一年放置してても動いているんだよ。確か……まだアレがあったはず」
師匠がガサゴソとそのひんやり棚を物色する。いや、いくらなんでも保存魔術を掛けたとはいえ一年放置した素材、しかも錬金用の素材でご飯を作るのは無理なのでは?
そう思っているうちに師匠が棚から取り出したのは、どう見ても――芋と人参、それに玉葱だった。
「普通の食材だ!」
「だと思うだろ?」
師匠がキッチンにあったまな板と包丁を水洗いし、それらの野菜を切った。
「あれ」
それぞれの断面を見て、私は驚く。
芋は青色、人参はカラフルな虹色、玉葱にいたっては真っ黒だ。
「これ……傷んでるんじゃ」
「いや、採れたてでもこの色なんだよ。表皮の色は普通の野菜と同じなんだけどな」
「なんなんですか……これ」
私が嫌そうな顔でその野菜モドキ達を見つめた。どれもこれも、あまり食欲がわかない色だ。
「これはな、迷宮で採れた野菜だよ。大昔に冒険者が迷宮内で自給自足できるように持ち込んだ結果、野生化したという説もあるが……実際のところはどうなのかわからん」
「へえ……迷宮内でも野菜が採れるんですね」
「ところが、見た目は同じだが中身がこんなことになってしまってな。当然、そのまま食べた奴は……酷い腹痛と吐き気に襲われることになる」
いくらお腹空いてても、そんな野菜は食べたくないなあ……。なんて思っていると、私の心を読んだのか師匠が意地悪そうに笑った。
「ところがどっこい、こいつらはある一手間を加えることで立派な食材に早変わりする」
「ある一手間?」
「そう――抽出だ」
師匠が切った野菜のうちの半分を鍋ではなく、口径の広めの大きなガラス瓶――ビーカーと言うらしい、に入れ、そこに水を加えた。
「これは裏の井戸から汲んできた水で、飲料に適するが錬金には使えない程度の質のものだ。だが今回はこれで十分。さて、ここに魔道具で熱を加えていく」
「ふむふむ! なんか錬金術っぽいですね!」
小さく平べったい、輪状の道具に師匠が魔力を注ぐとそれに火が付き、その上に置かれたビーカーが熱されていく。
「って……これ、煮てるだけでは?」
「そうだな。だが、錬金術師の出番はここからだ。魔力の流れに注視してくれ」
「はい!」
私がワクワクしながら見ていると、師匠がビーカー瓶を挟むように両手を差し出し、静かにゆっくりと魔力をビーカーへと注いでいく。
それはガサツそうな師匠がやっているとは思えないほど、繊細でそして柔らかな魔力放出だった。まるで、細い糸のようにそれぞれの指から出した魔力がビーカーを貫通し、中の水と野菜へと注がれていく。
ゆっくりと、ビーカーの中の水が渦を巻き始めた。決して早くもなく遅くもないその渦の速さは、師匠の魔力よって均等に操作されている証拠だろう。いっそ不自然なほどに、同じ速さで混ぜられていくビーカーの中身。
すると、ゆっくりと水に色が溶け出していった。虹色や墨のような黒い色、それに青色のモヤが現れ、水に混じっていく。
「おお! 色が変わった」
「もう少しだな」
師匠が変わらず魔力を注ぎ続けた。ビーカーの中の渦は一定の速さで回り続け――やがてゆっくりと減速していく。
「ふう……まあこんなもんだろ」
師匠が両手をビーカーから離し、ビーカートングというハサミみたいな器具でビーカーの中身を濾して、液体と野菜を分けた。
「凄い……見た目が変わってる!」
そこに残っていたのは、色が抜けて地上産のものと同じ見た目になっている野菜だ。逆に無色透明だった井戸水はすっかり濃い、濁った色になっていた。
「エリス、これが抽出だ。迷宮産の野菜の中があんな色しているのは、迷宮内の大気や土壌、水に含まれる魔力の素――魔素に汚染されているからだ。だからそれを丁寧に抽出してやれば……ただの野菜になる」
「なるほど……でもなぜ魔力で混ぜると野菜の中の魔素が水に溶け出すんです? ただ煮るだけじゃダメなんですか?」
私が思い付いた疑問を口にする。
「もっともな質問だ。まず、魔素は魔力を使わないと動かす事は出来ないんだよ。ただ煮るだけだと、野菜の栄養分やらなんやらは液体に溶け出すが、野菜自体に魔素は残ったままなんだ。それでは食用に適さないだろ? だから、魔力を操作して丁寧に魔素を液体にだけ抽出していく。その結果、液体がああいう風に渦巻くんだよ」
「師匠、私にもやらせてください! 多分、出来る気がします!」
私はそう言うと、師匠が苦笑いした。
「どこからその自信はわいてくるんだ? まあいい。そう思って、野菜は半分残しておいた。見よう見まねで構わないから、やってごらん」
師匠に言われ、早速私も残り半分の野菜を使って抽出を開始した。
同じように野菜と水をビーカーに入れ、火にかける。
「いいか、丁寧さが大事だ。魔素の抽出を焦って魔力を注ぎすぎると、野菜が崩れしてしまうからな。いかにその形状を保たせたまま、魔素だけを抽出するかが肝だ」
「はい!」
私は師匠と同じように両手を差し出して、魔力をビーカーへと注いでいく。ゆっくりと丁寧に、師匠のように細く。
「悪くない。そのままゆっくりと注いでいけ」
「……はい」
全神経を魔力操作に集中させる。精霊召喚用の魔法陣は寝ていても描けるぐらいに慣れているが、流石にこれはそういうわけにはいかない。
「いいぞ。今日見たエリスの召喚用の魔法陣はとても繊細だった。あれを魔法陣ではなく、一本の線として描く感覚だ」
「ぐぬぬぬ」
私の逸る気持ちを抑えながら野菜から魔素を抽出していく。
ゆっくりと液体が回りはじめた。
「悪くないが、魔力量が左右の手でズレている。完璧に両手の魔力放出をシンクロさせるんだ」
「む、難しい!」
右手の方が使い慣れているせいか、そっち側ばかり魔力放出量が多くなってしまう。おかげ、渦の回り方も速度も不均等だ。
「慣れている右手に合わせるのは難しい。左手に合わせるんだ」
「ぬううう」
精霊召喚を両手でやるときは、魔法陣を描く速度はバラバラでも問題なかったが、これはそういうわけにはいかないようだ。
そうやって悪戦苦闘していると――
「うーん、ちょっと難しかったか」
師匠のその言葉を聞いてビーカーの中を見てみると、見事に野菜がボロボロに崩れて液体と一体化していた。
「ううう……すみません」
「気にするな。最初から出来る奴なんていない。棚の中にまだ野菜があるから試してみるといい。俺はちょっと他の調理用の材料やパンを買ってくる」
師匠がそう言って、作業場から出て行った。
「ぐぬぬ、もっかいだ!」
そうやって何度かトライするも――どれも最初と似たり寄ったりの結果になった。
「何がダメなんだろう……液体を見るかぎり抽出自体は出来ているけど、野菜も崩れてしまっている」
やはり師匠と違って左右均等に魔力を注げていないからだろう。そのせいでビーカーの中の渦が不安定になり、野菜も脆くなってしまうのだ。
「あっ、だったら!」
私は再び準備をして、右手だけを差し出した。
更に――
「ディーネ、ミロワ、お手伝いよろしくね!」
「きゅー!」
「くーくー!」
私の言葉に、予め喚んでおいた二体の精霊――〝水の精霊、ディーネ〟と〝鏡の精霊、ミロワ〟が元気よく返事する。
本来なら左手を差し出すビーカーの横に、お腹が鏡になっているフクロウのような姿のミロワがパタパタと浮いていて、その鏡に私の右手が映し出された。それは擬似的にだけど、左右が反転しているおかげで私の左手のように見え、まるで当然とばかりに鏡の中から生えてきた。
それはミロワの持つ鏡の力で、私の右手をそっくり模倣したのだ。つまり私が右手で魔力を放出すれば、ミロワの出した右腕も同じように細分違わず魔力を出してくれる。
そうすることで――完璧にシンクロした形で魔力がビーカーへと注がれた。
「あとはディーネ、野菜が崩れないように水流を操作して!」
私の指示を受け、ディーネが半透明になってビーカーの中でぐるぐると渦と同じ方向へと泳ぎ始めた。そのおかげで私の雑な魔力操作でも水流は乱れない。
本来なら精霊の力に頼らず、師匠のようにやらなければいけないのだろうけども――まだ初日なので師匠も大目に見てくれるだろう。
そうして、抽出を続けた結果――
「あれ? なんか変だな?」
なぜか、液体がキラキラと輝きはじめた。
えっと、これ何?
「と、とりあえず、野菜を取り出して……」
野菜から魔素自体は抽出できているのか、崩れもせず色も抜けていた。おそらく食べても問題ないから成功と言ってもいい。
問題は残った液体の方だ。
師匠が最初に作ったのや私の失敗作と違って、色も虹色だし、なぜか輝いている。
「なんだろ……これ」
なんて首を傾げていると――師匠が帰ってきた。
「ただいま……ってうお!? なんだこれ!?」
師匠が驚きのあまり、買ってきた素材やパンを床に落としてしまう。
「えっと……さっき試したら、こうなっちゃって! 野菜は完璧なんですけど! あ、でもこれも失敗ですかね!?」
私がワタワタしている間、師匠が注意深く私の作ったそのキラキラ液を見つめていた。
「どうやってこれを作った」
それに対し、私が精霊の力を借りたことを説明すると――
「なるほど……はは、まさか初日にこんなものを作ってしまうとはな」
「へ?」
「俺の目に狂いはなかった。いや、それにしても……見事だよエリス」
師匠がなぜかとても嬉しそうに私の肩を掴んだ。
「いいか、この抽出はな、野菜を食べられるようにすることは本来どうでもいいんだよ」
「え?」
「大事なのは、この魔素を抽出した液体の方さ。これは<魔素水>と言って、ポーションを初め、様々なアイテムの原材料になるんだよ。で、抽出できた魔素の量でその質も決まるんだが……エリス、お前が最後に作ったやつは……とてつもない価値を秘めている」
「そうなんですか? このキラキラ液が?」
「ああ。詳しくは分析してみないと分からないが……おそらくこれには魔素とは別に……精霊の力が宿っている。ポーションどころか、もっととんでもない物に化けるぞ!」