桜咲く日への軌跡
ある夏の日。
私は大学のサークルの人たちと百物語をしていた。
といっても、皆、ただ話のネタにやりたいだけなので、結構内容は適当だ。というか内容どころか、百物語と名乗るのも微妙だ。ただの飲み会で、怖い話をしているだけになっている。普通ならろうそくを使うが、お店で酔っ払い共がそれをしたら大迷惑なので、小道具すら用意していない。本当に適当だ。
でも適当だから丁度いい。
「私は怖い話は知らないので、ちょっと不思議な体験をした話でいいですか?」
「いいよ、いいよー」
「自分の体験談なんだ」
皆、軽いなぁ。
人前で話すのはあまり得意ではないが、酔っ払いの前ならば、多少喋りに失敗があっても誰も気にしないだろう。
なので私は、できるだけ落ち着いた気持ちで、過去にあった不思議な体験談を話し始めた。
◇◆◇◆◇◆
私が不思議な体験をしたのは小学生の時だ。
その時私は病気を患っていて、大きな手術をしなければいけなかった。その手術をしなければ死んでしまうと分かっていても、失敗する可能性のある手術を受けるのは怖かった。
「大丈夫よ。絶対よくなるわ」
「桜は病気になんて負けないさ」
怖がる私を元気づけるようにお母さんもお父さんも必ず大丈夫だとしか言わない。まるで駄目時など考えたくないように。
でも私は自分が向かおうとしている先が知りたかった。
ただ闇雲に大丈夫と言われるのではなく、成功すればどうなるのか、失敗すればどうなるのか。でももしも失敗したらなど口にはできない空気が両親と私の間にはあった。今も毎日泣きたくなるのを必死にこらえて笑顔で私と向き合ってくれていることを知っていた。
私が検査で病室を開けている時に泣いていたのを見てしまったためだ。
だから言えない。
両親が泣かなくても済むように元気になる未来だけしか見ていない子供でいなければいけない。
でも私はもしも死ぬのならば、後悔のないようにしたかった。
私はお気に入りの猫の人形を抱え、病院内にある中庭のベンチに座りため息をつく。今日はお母さんもお父さんも仕事で病院には行けないと言っていた。
来てくれるのは嬉しいし、来なければ少し寂しい。でも一人に時間ができるとほっとする。ここでは無理に笑っていなくてもいいのだ。もしも両親の前で不安そうな顔をすれば、必ず大丈夫だと言われて、私の不安を隠さなくてはいけなくなる。
それはとても疲れるのだ。
「……私、来年も生きているのかな?」
「俺が見てきてあげようか?」
突然男の人に声をかけられ、びっくりして私は顔を上げた。
男の人はパジャマ姿ではなかったので、たぶん誰かの面会に来た親族なのだと思う。でも中庭にはその男の人しかいなかった。
「おじさん誰?」
「お、おじ……いや。うん。お兄さんは、ショウリ。君の名前は?」
「……桜」
「さくらちゃんか。可愛い名前だね」
名前を褒められたのは嬉しいけれど、どう考えても不審者だ。名前を名乗り合ったから知り合いだと言い、どこかに連れ出そうとしたら、即刻叫ぼうと心に決める。
「可愛いけど、すぐに散っちゃう名前だよ」
花は枯れるからあまり名前には適さないと言われているらしい。
らしいというのは、お見舞いに来た親戚の人がこっそり言っていたからだ。可愛いけれどあんな名前をつけるから病気になるのだと。
全国の桜さんに謝れとクレームを言ってもいいぐらい酷い言葉だと思う。
腹が立って、腹が立って、でもお母さんに聞かれたらまた泣いてしまうと思って言えなくて、絶対そんな事ないと思っても、もしかしたらと思ったりもして、私は私の名前を好きではいられなくなってしまった。
「でもまた来年も咲くじゃないか。ソメンヨシノという品種の寿命は六十年。今の日本人の平均寿命だと六十年は若干短いね。でも桜の寿命は環境によって変わるんだ。一番最古と言われる木だと百三十年だったかな。人間だったら、最高齢じゃない? そこまで花を咲かせられたら、十分だと思うけどね?」
来年もまた咲く。
その言葉は、目からうろこだった。しかも百三十年も生きている桜の木がある。
「桜ってそんなに長生きなんだ……」
「そうだよ。それに綺麗で、ただあるだけで人々を明るくさせる凄い花だ。俺は桜が大好きだよ」
「私も好き」
名前の件があってから微妙だったけれど、本当な自分の名前にもなっていて、ピンク色で可愛いあの花が好き。
でもこの病院に桜の木はない。
桜だけではなく秋なのに紅葉した木一本ない。落葉樹とかも散る姿が死ぬ姿とかぶるから、病院ではそういう散るものは植えないのだとお母さんが言っていた。私は秋に葉っぱの色が変わるのが綺麗だから好きだけれど、それで落ち込む人が居るなら仕方がないとその話を聞いた時は思った。
でも毎年葉っぱは生え、生き返るのだと話せば逆に元気になるんじゃないだろうか?
どんなことでも考え方次第だ。
「今は秋だから見れないけれど……見たかったな」
「来年じゃだめ?」
「この病院に桜の木はないもん。それにね、もうすぐ大きな手術をするの。だから……もしも死んじゃったら見れないから」
お母さんやお父さんの前では言えない言葉がするりと口から出た。
もしかしたら死んじゃうかもしれない。
だから今できる事は今やりたい。大丈夫という誤魔化しじゃなくて。
「なら、俺が見てきてあげようか? 桜ちゃんの未来」
「え?」
「もうすぐということは、来年の春に桜ちゃんが生きているか見てこればいいんだろう?」
何を言っているのだろう。
もしかしてこのお兄さんは精神的に病んでいる人なのだろうか?
「どうやって?」
「それを伝えるのはとても難しいけれど、俺は時間を移動できる力があるんだ」
「へー、すごいですね」
「棒読みだなぁ。信じてないよね?」
当たり前だ。
いくら小学生でも信じるわけがない。
どんな病気でも治せる万能な薬がないのと同じで、時間を移動するのは物語の中だけだ。
「じゃあ、分かった。明後日またこの時間にここで会おう。その時、桜の写真を持ってきてあげるよ」
「桜の写真なんて、今年の春のものを持ってくるだけですむじゃないですか」
「なら、今着ている服で映っていたら?」
「今年の春に買った服を今着ているだけかもしれません」
ショウリさんの服はスーツで別に春に着ていてもおかしくはない。
「ナルホド。それもそうだね。でも俺の力では君を運ぶことはできないからなぁ。そうだ。その人形を貸してくれるかい? 人形なら一緒に移動できるから。明後日のこの時間にちゃんと持ってくるから、どうだろう?」
「本当に返してくれる?」
「もちろん、約束する」
ショウリが大真面目な顔で頷くので、私は素直に猫の人形を差し出した。
それをとても丁寧に受け取ったショウリとはそこで別れて、私は明後日を待った。次の日お母さんが猫の人形がなくなっていることに気がついたため咄嗟に、友達に貸したと言ったけれど、凄くドキドキした。
未来に行っているなんて絶対信じてもらえないし、もしかしたら嘘をついたと思われて怒られるかもしれない。
しかしお母さんは嫌なことをされたわけでないならいいのよととくに追究はしてこなかった。多分私を咎める言葉はできるだけ使いたくないのだろう。
その次の日私は、そわそわしながらお兄さんとの約束の時間を待ち、中庭に向かった。タイミングよくお母さんが帰ってくれてよかったと思う。流石に男の人が友達だなんて言ったら、すごく警戒して、もしかしたらショウリに嫌なことを言うかもしれない。
逆にショウリがいなくても、私が騙されたのだと大騒ぎしたり泣いたりするかもしれないと思うとお母さんには言えなかった。だからほっとしつつも、もしも本当にいなかったらと不安になったりもしていた。
でもそんな心配をよそに、中庭には既にショウリの姿があった。そしてその手にはちゃんと猫の人形が抱きかかえられている。
「こんにちは桜ちゃん。まずは君のお友達を返すね」
「うん」
私は戻ってきた猫の人形をギュッと抱きしめた。
帰ってきてくれてよかった。未来に行くなんて話は全然信じていないけれど少なくとも、ただの嘘つきではない。
「そして、これが証拠の写真だよ。ちゃんと桜ちゃんは桜が咲く季節でも生きて学校に通っていたよ」
そう言って差し出された写真には、桜と猫の人形が映っていた。
◇◆◇◆◇◆
「という不思議体験です。ちなみに記念に貰った写真がこれです」
私は鞄から一枚の写真を取り出した。そこには桜の木の枝に乗った猫の人形が写っていた。桜の木は満開で、かなり近くから撮られている。
「えっ。合成?」
「合成の技術は知らないですが、当時の私は気がつきませんでした。それに写真の裏に現像日が入っているので、多分お店で現像したんだと思います」
現像日なので、撮影日とは厳密には違う。
でもこの猫の人形は私が貸したものだ。全く同じ人形をショウリが持っていて、春に写真を撮っていたなんて偶然は考えにくい。あの日中庭で猫の人形を持った私とショウリが会ったのはたまたまなのだ。
「そっか。昔はお店で現像していたもんね」
「はい。だから合成ではないと思うんですけど。どういうトリックだと思いますか?」
「桜ちゃんはこのお兄さんが本当に未来に行って写真を撮ったとは思っていないんだ」
「正直、分からないです。勝利さんはどう思います?」
夢のある話だけどそんなに簡単に行き来できたら、馬券とかで大金持ちになれそうだ。
私は会話に加わらず私の隣でちびちびとお酒を飲んでいる先輩に声をかけた。丸眼鏡をかけた彼は少し眠そうな顔で写真を覗き込んだ。
「別に普通に写真を撮っただけじゃないですか?」
「いや、写真は撮ってるんだって。でもさ、この日付だと思いっきり秋だろ? 桜といったら、開花時期は三月末か四月頭ぐらいじゃないか?」
「ソメンヨシノはそうだけど、桜はソメンヨシノだけじゃないですよね?」
「へ?」
勝利さんは頭をぽりぽりと掻きながら、申し訳なさそうに眉を八の字にした。
「夢を壊すようで悪いけど、秋には四季桜が咲きますよ? この写真がアップで撮ってあるのは周りの紅葉を写さないためじゃないですか? 秋に咲くから、紅葉と一緒に植えてあることがよくあるので」
「うわぁ。そういうオチかぁ。勝利は相変わらず、色々知っているな。じゃあ、話してくれた桜ちゃんに拍手!」
写真のトリックが明かされるとパチパチパチとまばらに拍手がなる。そして次の語り手の近くに進行役をかって出ている先輩が移動した。
私はそのままの席で喋りつかれた喉を潤す為、目の前にあったジュースを飲む。カクテルのような可愛いジュースがあってありがたい。
「勝利先輩は物知りなんですね」
「そう?」
褒めると、勝利さんは少し照れたような困ったような顔をした。その姿が少し可愛い。
「じゃあ物知りついでに、もう一つの不思議を一緒に考えて欲しんですけど、お兄さんはどうして退院した私が学校に通っているなんて言ったんでしょう? 退院したとしても病院には守秘義務があるので、ショウリさんに私の現状を話すはずがないんです。普通に手術が成功して元気になったよと言えばよかったのに」
手術ができる大きな病院だから患者は県内にとどまらない。私自身隣の県から来ていた。だからどこの学校かを話していないので偶然通っている姿を見ることなんてないと思う。。
「それとこの写真を持ってきてくれたショウリさんによく似た人が大学に居たんです。彼は年をとらないのでしょうか? それとも過去に飛んだんでしょうか? それとも親戚やご兄弟でしょうか? 先輩はどれだと思います?」
「……何年も前のことだから記憶違いでは――」
「それはないです。私の初恋の人なんです。だからちゃんと忘れていませんよ、ショウリさん?」
答えは何なのか。
分からないけれど、あの日お兄さんが示してくれた未来への軌跡はここに繋がっていた。
だからこの奇跡を逃さないように、私は勝利先輩を見つめた。