マリーゴールドの香り
食堂につくとメイドが一人いた。それはキャンディではなく、俺を出迎えてくれたあの外ハネのメイドだった。
「あら、ジャック・ライ様」
彼女は、薄笑いを浮かべながら恭しくスカートをチョンと手で持ち上げた。
「どーも、別にフルネームじゃなくていいけど。そういえば君の名前を聞いていなかった」
彼女は顔を変えずに「ルーシー。ジャックの教育係と言うところね」と言いながら、何か考え事をするように顎に手を当てていた。
「えーっと何か?」
「あなた、まだ主人に会っていないわよね」
あぁ、そう言えばそうだった。お屋敷に来て、主人に会わずに過ごすというのも失礼極まりないことだな。
「会ってないですね…。主人はどちらへいらっしゃるのですか?」
ルーシーは、ため息を一つ吐くと俺のことをじっと見つめてきた。
「あなた、彼女はいる?」
…はぁ?急に尋ねてきたと思ったら、彼女のことか。そういうことか、俺が魅力的だから主人に会わせるのが心配なんだな。なんでも、ここの主人は女らしい。しょうがないな、俺の魅力に気づかない女は居ないk
「あなたがカミラ様に手を出さないか心配なのよ。あの方はお美しいから、悪い虫がどんどん寄ってくる。いつもは幽霊だの、術使いだの好き勝手言っているくせに」
幽霊ねぇ、レディにそれはひどすぎるだろう。どうせ、こんな屋敷に住んでいるのだから、偏見や根も葉もない噂ぐらいいくつも出てくるだろう。
「俺はそんなんじゃないですよ。それに、彼女くらい両手に収まりきらないほどいr」
「女たらしってことですか?それなら余計に嫌なんですが、というか女の敵なので近くによらないでください」
さっきから、俺の言葉も考えも遮り喋る。初めて会うタイプの女、非常に苛つく。
「嘘ですよ、イコール年齢なんですから。こんなナリしててm」
「行きますよ、時間がもったいない」
もう、俺こいつ無理かも。
三階まで長い螺旋階段を登ると広い階に一つだけ重厚なドアがあった。不自然にほの暗く広い階なのに、一つしかドアがないのは、まあ不自然だ。
それについて尋ねる前に、ルーシーがそのドアを叩いた。俺も身なりを整える。
なかなか出てこない主人に、妙に緊張感が高まる。ルーシーも「おかしいわね」と一言つぶやいた。数分立ちすくんでいると、後ろからなにか嗅ぎなれた臭いがした。この匂い、この柑橘系の香り。
「…マリーゴールド」
ゆっくり後ろを振り返ると何かの気配がした。瞬時に身構える。後ろをとられるなんて、気が付かなかった。
「カミラ様!気づかずに申し訳ありませんでした」
目の前でルーシーが俺の後ろに深々と頭を下げた。ゆっくり振り返ると、ほの暗い廊下にオリーブグリーンの髪が見えた。俺より少し小さい彼女は暗い中でうるうるとした美しい目を一瞬ゆらりとさせた。
その目に俺はどうしようもなく引き込まれた。五秒ほど目を合わせていると、急に視界にルーシーが入ってきた。「だから言ったでしょう。カミラ様に手を出すなと」
いやいや、まだ手は出してない。と心の中で言った。
「お初にお目にかかります。ジャック・ライと申します。お力になれるよう努力いたしますので、よろしくお願いいたします」左足を前に出し、深々とお辞儀をすると、小さな声で「頭を上げて、私はもう貴族ではないから」
頭をゆっくり上げるとそこにカミラはもういなかった。「カミラ様、どちらへ行かれていたのですか?」
後ろで扉が閉まる音がした。足音も気配が消えたのも気が付かなかった。…これは、幽霊だ。それしかない。
数分前に笑っていた俺を思い出して深いため息をついた。
「早く入ってきなさいよ、カミラ様からお話があるわ」
部屋から勢い良くルーシーが顔だけ出していた。
「わかりました、はい」
一人で開けるにはあまりに重いドアをどうにか開けると、暗闇で目が慣れていた俺には辛いほど明るい部屋が待っていた。幽霊にしてはお姫様を具現化したような部屋がそこに広がっていた。
左手奥にはプリンセスベット(天蓋付き)、右手奥には白いドレッサーの上にバラの描いてあるブラシがおいてある。手前には木の引き出しがたくさんついていて、三面鏡になっている。鏡に腑抜けた俺の顔が映っていた。左手手前には、まるで社長のようなデスクが壁に向けておいてあった。椅子も本革であろう。右手手前にはどでかい衣装ダンスもある。
もう貴族じゃない、か。こんなもの、庶民には手の届かない物ばっかりだ。俺の知り合いの子どもたちがよく言っていた夢のような話が広がっている。あいつらが見たら喜ぶだろうな。
「あなたのカバン、あなたの部屋に運んでおいたから」
ルーシーがカミラに寄り添いながら言った。なんか、俺と二人の物理的距離も精神的距離もはなれてるきがするが、まあいい。
「ありがとうございます。んで、俺の部屋h」
「その前に、あなたにカミラ様からお話があるっていったでしょ」
相変わらず、遮られるがもう自分も慣れたのか、最後の言葉はほぼ発音していない。
カチンとくるルーシーから静かなカミラに目を移すと暗闇ではわからなかった、髪色がシトロングリーンだということと、彼女が人形のように美しい少女だということがわかった。
「あなたに話しておくことがあります」
彼女は首をコテンとかしげながら俺に言う。俺を見る目に引きつけられ、動けない。
彼女はゆっくりまばたきをして、口を開く。
「…それは、この屋敷の、キセノンでのルールのことです」