そして俺しかいなくなった
市バスを辞めて始めた仕事がダメになってからは悲惨だった。
まず、市バスを辞めた時点で、銀行から借入額は全て一括で返済するようにという通知が来た。
公務員だけあって、融資枠はかなり高く、限度額近くまで借りていた俺は、退職金のほとんどを返済に当てることになったのだ。
公務員という肩書きが無くなった途端に、一括で返せとは、噂には聞いていたが、銀行とは血も涙も無いところだと実感した。
そんなこともあって、その仕事がダメになってからは、日銭を稼ぐアルバイトで生活を支える日々が続いた。
そんな中で定職を探しているとき、当時交際していた女性が見付けて来たのが、劇団○○の役員運転手という仕事だった。
その劇団は、猫のミュージカルを筆頭に、ライオンのミュージカル、怪人のミュージカル等が有名で、ミュージカルの劇団としては日本一だと思われる。
俺は当時ミュージカルなど見たこともなく、劇団○○は知っているものの、その代表である浅○慶○という人の名前は聞いたこともなかった。
面接に行ったとき、一般職の人の面接も同時に行っていて、その人たちが代表に会えることを喜んでいたので、そこで初めて著名な方なんだなと知った位だった。
就職が決まり、出勤してみると、俺を含めて三人の運転手が採用されていた。
役員は、会長、社長、専務と三人いるので、運転手も三人採用したとのことだった。
話を聞くと、運転手だけではなく、他の一般社員も中々居着かないので、一年中募集をしているらしかった。
その時点で不安がよぎる。
今回採用された運転手は、元々役員運転手の仕事をしていた人が会長の浅○慶○付きになり、俺は社長付き、もう一人の運転経験の浅い人は専務付きとなった。
会長車はトヨタのセンチュリー、社長車はトヨタのセルシオ、専務車は日産のプレジデントと、それぞれ割り当てられていた。
給料は年棒制で、様々な手当てや残業代も込み込みだった。
週一の休みがあるはずだったが、月1~2の休みしかなかったので、上司に文句を言うと、『僕が営業してた時は三年で10日位しか休んでないですよ。』と言われ、『この会社はダメだ。』と思ったが、それは俺が一人になってからの話。
まず、会長付きの運転手が一週間でクビになった。
事故が原因なのだが、その事故も渋滞中の首都高速で、会長に急かされた為に渋滞の列から離脱して追突されたというから、同情してしまう。
会長付きの運転手がいなくなったということで、俺ともう一人の運転手は、それぞれ社長や専務の運転手と交代で兼務することになった。
一人目の運転手がクビになってから一週間後、つまり入社してから二週間で二人目の運転手もクビになった。
どうやら会長のお気に召す運転をしなかったというのが理由のようだった。
面接で都内の道には慣れていないことも、運転経験が浅いことも分かった上で採用しておいて、それが解雇理由とは驚きだ。
ただ、一方的な理由で解雇するから、二人とも少ししか働いていないのにも関わらず、辞めてから四ヶ月間は在職扱いで給料も全額出ていたらしい。
それなら俺も一日も早くクビになって、四ヶ月分の給料を貰いたいと思ったが、意に反して会長に気に入られてしまい、中々クビにならなかった。
とはいえ、入社してから半年後、とある事件をきっかけに辞めることになるのだが、それは後の話。
このあとは、在職中のエピソードについて語っていきたいと思う。
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