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のほほん見聞録  作者: ヒロっぴ
市営バス時代
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奇跡






※このエピソードは、スピリチュアル的、宗教的な内容を含みます。


嫌悪感のある方は御退出下さい。


        ∇

        ▼

        ∇

        ▼

        ∇ 



元々宗教は嫌いだが、スピリチュアル的な事は信じていた俺。




一見矛盾しているようにも思えるが、目に見えないものや科学的に解明できないものでも、存在するとは思っていた。



ただ、限りなくインチキが多い。




砂場の砂のほとんどがインチキだとしても、たった一粒の真実がある。




そんなスタンスだった。




だから、スピリチュアル系のものには、まずは疑いから入る。




疑問をぶつける。




それが解決され続けているから、その団体には在籍していた。




とはいえ、本人としては宗教をしているというつもりは全く無かった。




興味本意で様々な活動に参加していながらも、勧誘とか、そんなことを強要される事もなかったし、教祖的立場である先生は、世界的にも様々な公的立場のある方だったから、不信感は全く沸かなかったというのもあるのだろう。



そんなとき、大阪の従兄弟から一本の電話があった。




一月の半ばだ。




その親戚の家には、小学生から高校生まで、毎年二回は遊びに行っていた位世話になっていた。




その叔母が、余命1週間と宣告されたという。




白血病の合併症で意識がなく、瞳孔も半分開いた状態で、持って一週間と医者に告げられたというのだ。



そんな状態だから、わざわざ見舞いに来なくていいし、葬儀もこちらで済ますけど、一応連絡だけはしておく。



ということだった。




その親戚の家はテキ屋を生業にしており、俺には優しい普通の親戚だったが、葬儀となると付き合い上かなり物々しいものになるので、来ないでいいということでもあった。



そんなことを聞いて一番に思い付いたのが『救霊』というものだった。それによって救われたという人の話は数限りなく聞いていた。



また、緊急の病気や怪我から人を救う緊急○○○祈願というのもあり、これも癌が消えたとか、交通事故で重体だったのに奇跡的に助かったとかいう話は、かなり聞いていた。


……しかし、それぞれ三万円というお玉串が必要だった。




それで本当に命が救われるなら、安いものだ。




しかし、年末年始と出費が続き、当時の俺にはその三万円の余裕すら無かった。



そんな状況でも、本当に神様がいるのだとしたら、なんとかしてくれるはず。


そう思った俺は、人形ひとがた祈願というものをすることにした。




これは一般的な神社でもしているもので、人の形をした紙製の人形ひとがたに名前を書き、その人の分魂を宿して祈願するというもので、1枚三百円からできる。




通常神社のお焚き上げでは数人の神主が取り次ぐのだが、その団体の神事では数千人の人々が祝詞を上げてお焚き上げをするから、霊力はとてつもなく上がるというものだった。



しかし、神社と一緒でお焚き上げは年末と夏至の年二回。



つまりお焚き上げが終わったばかりの時期だった。



それでも、受付は年中していて、心を込めて奉納すると、書いた瞬間から霊界は動きだし、お玉串を奉納した瞬間から正式に受け止めてもらえると聞いていた。




俺は様々な種類の人形を出来る限り書き、すぐに郵便書留で郵送した。




必ず治ると信じて……






しかし、こちらから電話をして容態を確認するのは怖い……




従兄弟から連絡がないのはいい知らせと自分に言い聞かせつつ、三月になった。




その時、神戸のとある場所に眠る神を起こし、日本の危機を回避するために動いて頂くという国防神業があるというので、それに参加するついでに大阪に寄ることにして電話をかけてみた。




すると……




一週間の命と言われた叔母がその後みるみる回復し、数日後には目を覚まして、医者が『奇跡だ。』驚いていたとの事だった。




俺が尋ねたときにはまだ入院していたが、とても元気そうで、間もなく退院した。




それから二年後。




『今度こそダメだ。』




という電話が従兄弟からあった。




時期的にまたしても、余裕は無かったが、俺は落ち着いていた。




前回同様、真心込めて出来る限りの人形を書き、奉納した。



すると、またもや奇跡的に回復して退院したのだ。




そして、それから更に三年後。




残念なことに、今度は亡くなった後に電話があった。




亡くなる前に連絡をもらっていたら……と、今でも悔やまれる。




しかし、それが寿命だったのかもしれない。




人形祈願でも何でも、寿命がなければ助けられない。



だから、『もし、寿命が残っているのなら、許しがたきを許し、救いがたきを救い奉りて……』というような祈りをする。





逆に言えば、寿命が残っていても、霊的な要因で亡くなってしまう方がいるということでもあるのだ。




祈りというのは、ちゃんとした方法で祈れば聞いてはもらえる。しかし、その願いが叶うかどうかは別問題なのだ。




祈りが全て叶うなら、悪人の祈りも叶ってしまうし、独善的な祈りも叶ってしまうことになる。


それが悪魔崇拝や黒魔術的な呪いになるのだ、



そんなことも含めて正しいことを詳しく教えてくれるところはそうそうない。



疑問に対する明確な答えが出る。


だからこそ、信用できるのだろうと思うのだった。



信じるも信じないもあなた次第(笑)



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