研修開始
800万……
どうやって稼ぐか。
安易に思い付くのは、マグロ漁船。
しかし、ツテもなく具体的なことも分からない。
今ならググれば簡単に情報が手に入るが、インターネットが普及していない当時は、人に聞いて回るしかなかった。
そんな時、稼げる仕事があるという情報が入った。
それは大手運送会社の貸切トラックで、歩合制の為、一千万プレーヤーもゴロゴロいるとの話だった。
運賃に対する歩合制なので、4トンより10トンの方が稼げる確率は高い。
この頃は、まだ大型免許は持っていなかったので、試験場で取得した。
当時は教習所へ通うよりも、試験場の一発試験で取得する人が多かった。
そしてどうせ取るならと、大型二種の試験を何回か受けて取得するに至った。
件の運送会社は○濃運輸という大手運送会社の貸切事業部が独立したグループ会社であり、本社は大垣にあった。
まずは近くの支店で軽く面接を受け、色々と説明を聞いてから本社に行くことになった。
日にちを決めて、その支店から本社方面に行くトラックに便乗させてもらい、本社で面接した後、今度は横浜方面に向かうトラックに便乗して帰ってくる。
そして、入社後。
10トン車希望なので、10トンの乗務長についての研修が始まった。
俺が入社した○濃エキスプレスは、○濃運輸の100%子会社なので、○濃運輸の各支店をベースに全国を回っていた。
○濃運輸の路線で使っている車両を使っていた為、前二軸車というタイプになる。
これは前輪が二軸、後輪が一軸の為、後輪より後ろが短くて、ホーム付け等には適しているが、ホイールベースが長く、前輪の切れ角が浅いため、貸し切り便等、様々な場所に行かなくてはならない仕事で使うには、中々苦労する車両だった。
例えば、片側三車線、全部で6車線プラス路肩があるような道路で、一番左側に止めて、そこから一気にハンドルを切って回していっても、一回ではUターン出来ないような車両だった。
そんなトラックで、住所だけを頼りに全国を回るのだから、苦労はつきまとう。
実際、研修初日に、『この車はハンドル切れないから気をつけて。』と言われていたにもかかわらず、本社を出て最初の左折で曲がり切れずに前方のガードレールに阻止されてしまった。
『こんなに切れないんですね。』
という俺に、先輩は『だから切れないって言ったろ?』と笑っていた。
そして研修が始まって最初の一週間。
俺は一週間で一時間しか寝られなかった。
長距離トラックの仕事である。
昼間積み降ろしをして、夜走る。
距離が長ければ長いほど、走る時間も長くなる。
先輩と二人乗っているので、交代で寝ることも出来るが、研修なので道も覚えなければならない。
つまり自分が運転してるときに寝られないのは勿論だが、先輩が運転してるときも、見て覚えなければならない。
先輩は『寝てていいぞ。』とは言ってくれたので、運転席後ろのベッドには入るが、やっぱり寝られず、結果的に一週間で一時間しか寝られない事態になってしまったのだ。
稼ぐためだから寝る間も惜しんで走らなくてはならないことは覚悟していたが、一週間で一時間の睡眠時間て……。
そう思って先輩に聞いたら、今週は特別に忙しかったと言っていた。
それでも毎日千キロ前後走るような仕事だったので、睡眠時間は全体的に短かかったが、目標のために頑張るしかないと覚悟を決めた。
一ヶ月の研修が終わり、俺が配属になった茅ヶ崎のベースは、主に九州や北海道の荷物が多く、それがないときには、全国各地を回るような所だったので、稼ぐためには最適とも言える所だった。
そう。あんなことがなければ、稼げるはずだったのだ。
人生色々、何があるか分からない。
だからこそ、こんな見聞録も書けるのだから、今となっては前向きにとらえてはいるのだが、当時はそうもいかなかったのである。
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