挫折
当時内弟子として生活していた頃の話。
その年、俺達十○期生は、異例の14人が入寮を許可され、○獅子寮始まって以来の大所帯になっていた。
この世界では、稽古が厳しいのは勿論だが、それより厳しいのは規則や慣例だった。
寮生は先輩に何かを聞かれたら、『分かりません』『知りません』『~~だと思います』等は口が避けても言ってはならず、何事も断言しなければならなかった。
そのため、先輩が何気なく『明日雨かなぁ』と言っても、『確認して参ります!』と走り出さなくてはならず。かといって待たせることも出来ない。
そして、全ての先輩の居場所を把握していなければならず、間違うことも出来なかった。
過去の内弟子の多くは、三年生になるまでには退寮してしまい、2~3人しか残っていない事が
常だったが、この年は9人が残っていた。
二年生と合わせると、把握していなければならない人数は14人にもなった。
日々の稽古とがんじがらめの慣例で、みんな神経をすり減らしていた。
入寮後一週間で一人が辞め、その後一ヶ月で、もう一人が辞め、残り12人になってしまった。
しかし、なぜか俺達十○期生は、大山倍○先生に妙に期待されていて、
毎朝の朝礼では、
『君達は王者だ!男の中の男だ!
君達は覇者王道を歩まなければいかん!
…君達の中から、必ず世界チャンピオンが出るよ!』
と言われていた。
しかし、当の自分達はいっぱいいっぱいで、いつ辞めてもおかしくない状況であり、
先輩達も
『今年の新寮生は、この12人全員残るか、全員辞めるかどっちかだ。』
と言っていた。
そして三ヵ月が過ぎた頃、同期がバタバタッと三人辞めていった。
ある日、自分と一番仲の良かったOさんという方と、二人で四部の稽古に出る事になった。
当時の総本部の稽古は、一日四部制で、自分達新寮生は一部か二部に出る事が多かったのだが、その日は、時間的にも一番人数の多い四部に出る事になった。
その日の指導員は、後に重量級を連覇する事になる猛者で、何故か内弟子には厳しい先輩だった。
俺は組み手の稽古になると、その先輩に壁際まで追い詰められ、胸元へ打ち下ろすようなパンチを何発も受けているさなか、
目の端では、同期のOさんが、通い(一般門下生)の先輩と組み手をしている模様を捉らえていた。
彼は、胸元へ執拗なパンチを受け、ガードが下がった所へ、顔面へ回し蹴りを受け、もんどりうって倒れた。
まさに、セオリー通りの攻撃である。
しかし、その蹴りは不幸にも彼の歯を直撃し、彼の前歯は折れた四本とも、蹴った先輩の足の甲に刺さっていた。
指導員の先輩は、歯の刺さった道場生を心配し、
『動くな、動くな。そこで休んでろ』
と言った。
その後で、前歯が四本折れてダラダラ血を流しているOさんの所に戻ってきた指導員は、
Oさんの肩を叩きながら、
『O!
お前立ってるよな!』
『押忍!』
『立ってるよな?』
『押忍!』
『立ってるって事は大丈夫だ!
さぁ、続けようか!』
と、組み手を続けさせた。
そう。内弟子は、弱音を吐けないのだ。
この時、自分は壁際に追い込まれ、内弟子であるが故に
『参りました』
という事も許されずに、情け容赦なく攻撃されながらも、『Oさん、可哀相に』と思っていた。
そしてその後、自分とOさんは退寮し、その後も歯止めが効かずに十○期生は全滅したそうだ
後日談。
Oさんは自分と同じく、当時19歳だったのだが、入寮当初から歯が小さくて変わっているなと思っていたら、その時稽古で折られた前歯は全て乳歯だったとか。
19歳で乳歯って……
ただ残念なことに、その歳まで生え変わっていないと、もう永久歯は生えてこないそうだ。
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