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カンペキな人生

作者: りさこりさこ

失業して、恋人にフラれ、ストレスで太って・・・。

そんなどん底状態の女が、川岸のベンチに一人座っていた。年は29歳。人員削減で解雇されたが、次の就職先はまだ見つかっていない。貯金は底をついているのに、失業保険が出るのは3週間先。しかもこんなタイミングで5年付き合っていた彼氏にフラれた。「お前のことが好きかどうかわからなくなった」と言って去って行った。「他に好きな女ができた」よりも最悪の理由だった。女は、男に捨てられた憤りを、食欲で解消した。その結果8キロのぜい肉を身にまとうことになった。人生で一番重い体重になってしまい、女の不幸は一段と濃いものとなった。

そんなこんなで、女はこの世の終わりという顔でベンチに座っていた。平日の昼間だからか、辺りに人はいなかった。ジョギングや散歩する人も見かけなかった。

するとそこに、一匹の野良猫が現れた。白猫だった。白猫は、とことこと女の方へ歩いいて行くと、軽くジャンプしてベンチに乗ると、女の隣に座った。女もようやく、白猫に気づいた。白猫はすぐに女に近寄り、その肉付きのいい太ももに顔をすりすりし始めた。


「慰めてくれてんの?」


と、どん底女は白猫をなでた。見るからにくびれている大人の猫で、全身白だが、右の前足だけが靴下をはいたみたいな黒い毛だった。


「片足だけ、靴下をはいた猫やね」


すごく人慣れしている白猫は、しっぽをぴんと立てて、女にもっとすりすりした。「こんなに人懐っこいなんて、珍しいなぁ」と思いながらなでていると、更に甘えるような声で鳴き、女の膝の上に乗り、とぐろを巻くような恰好で寝転んだ。どん底女は、白猫のその気ままな行動におもわず、


「君は幸せそうでええなぁ」


と言うと、なでていた手をふと止めた。急に今の自分がみじめだと感じたのだ。


「あーあ・・・なんで私、こんなことになっちゃったんやろうなぁ」


仕事もない男もいない貯金もない。あるのは、このぜい肉だけ。女は手を見た。前はもっと骨ばってシュッとしてたのに、今はぷにぷにと肉がついて醜くてしょうがない・・・。どうして自分だけがこんなにも不幸なのかと、涙が滲んできた。


「私、もう人間やめたい。猫になりたい」


そう呟いて、感傷に浸っていた。とその時、どん底女は視線を感じた。白猫だった。さっきまで寝転んでいた白猫が、膝の上で前足をきちんと揃えて座り、どん底女をまっすぐ凝視していた。


「どうしたん?」


どん底女も白猫を見つめた。いや、見つめたというより、その真っすぐな瞳に吸い込まれ、一瞬たりとも視線をそらすことができなかった。白猫のまなざしは、強く光っていた。

すると急に、女の体に激痛が走った。

何本ものバットで滅多打ちにされたような衝撃・・・。

あまりの痛さに身をよじる女の膝の上で、白猫は振り落されないようにぎゅっと爪を立てた。どん底女は、苦しい喘ぎ声を天に向かってあげた後、前のめりになって、膝にしがみついていた白猫の上に覆いかぶさるように倒れ、そのまま意識を失った・・・。



どん底女は目を開けた。ぼんやりした意識の中で何が起こったのかを、必死に思い出した。激痛、前のめり、そして気絶……。そうだ。そうだった。なぜか突然痛みに襲われたのだ、と記憶をよみがえらせた。混乱する頭で、もう体に痛みがないことを確認してホッとすると、ようやく周りを見る余裕ができた。


『……あれ? なにこれ……』


視界全部がぼんやりとしていた。視力は悪くないのに、焦点が合わない。色もおかしい。まるで薄ボケた白黒テレビみたいだった。


『めまい? 脳しんとう? 頭強く打ったっけ?』


どん底女は困惑しながら、もう一度周囲を見回した。と、隣に何かがいた。薄ボケた視界の中よーく目を凝らすと、それは“自分”だった。ベンチで横たわっている“自分”がそこにいたのだ。


『え!? どうなってるん? 夢なん!?』


嫌な予感がして、女は自らの体の方を見てみた。するとそこには、猫の前足があった。片方が白くて、もう片方が黒い靴下をはいたみたいな猫の前足だった・・・。

パニック寸前の女が状況を飲み込めないでいると、ベンチの“自分”が目を覚まし、体を起こした。“自分”は、辺りをきょろきょろ見てから、何気に手を見た。あの、ぷにぷにとした醜い手を・・・。すると、目を見開いて、口をぽかんと開けた。そして“自分”は、おもむろに立ち上がると、足先から手先まで見つめ、顔や髪の毛、胴体や腕や足を、そのぷにぷにの手で触って確認すると、


「やっとや! やっと人間に戻れたぁ! よっしゃ~!!」


とガッツポーズして叫んだ。

茫然と見ていた女は、もう一度、“こちらの”体を見た。やっぱり猫だった。何度見てもあの白猫だった。女は悲鳴をあげた。悲鳴と言っても、実際には「にゃーにゃー」としか聞こえなかった。


『私の体と、膝の上に乗ってた白猫が入れ替わった? 嘘やろ・・・ありえへんし! 「人間やめたい。猫になりたい」って言うたけど、そんなんまさか・・・まじでありえへん!!』

 

どん底女はカーッとなって怒鳴り散らした。言っても、実際には「にゃーにゃー」としか聞こえなかったが。ふと視線を感じた。“自分”がこちらをじっと見ていた。それは、そらすことができなかったあの視線ではなく、憐れみだった。

「ごめんな」


と、“自分”が謝った。


「でも俺もずっと待っててん。人間に戻れんの」


『俺』と言った“自分”は、申し訳なさげに言ったものの、嬉しさを抑えきれないのが、バレバレだった。


「俺もな、前の人間やった時、このベンチで、猫になりたいって、願ってしもてん」


そして願い通り野良猫になってしまった・・・今の私のように・・・。女は青ざめた。と言っても、猫の表情は変わらないが。


「俺、ホンマにずっと待っててん。ここで人間やめたいって言ってくれる奴を! 入れ替わることができる、絶望的な人間が来んのを! ずっとずーっと待ち続けててん!!」


それが私だったのか、と、ようやくこの状況を受け入れざるを得なくなった女だったが、『ちょっと待って』と思った。

確かに彼は、人間には戻れた・・・。でも、元に戻れたわけじゃない。“私”になっただけだ。“失恋して無職でぶくぶくに太ったどん底の女”になっただけだと。この先良いことなんて見込めない。孤独で貧乏な人間になっただけだ。なあ、あんた、それでもいいの? と、女は問い正したかった。


「いや~でもホンマにすごいわ! 完璧や! 完璧な体や! まじで最高!」


“自分”がものすごい勢いで喜んでいるのを見て、白猫になった女は本気で叫んだ。


『いやや! 取らんといて! 返して! 私の体返してよ!!!』


でもそれは相変わらず、『にゃーにゃー』という鳴き声にしかならなかった。


“自分”は、カバンの中身をあさり出した。財布、身分証明書、家の鍵を確認して、安堵していた。白猫になった女は、それを見てますます焦った。あいつ、私の家に帰るんだ。私を、乗っ取るんだ・・・。

すると、“自分”がまた憐れむような顔で、こちらを向いた。


「ホンマにごめん。でも、いつか同じような奴、来るって! じゃあ頑張ってな!」


表情とは程遠い、明るい声でそう言うと、スキップするような勢いで去って行った。


白猫になった女は慌てて“自分”を追いかけた。が、広い道路に出てしまい見失ってしまった。家までの道は覚えているから、そこへ向かおうと思ったが、でも・・・、と立ち止まった。


“自分”を追いかけて飼ってもらい、人間に戻るチャンスを待つのか? いやそもそも、あいつが飼ってくれるとは思えない。それなら、あのベンチで、絶望的な人間を待つ方がいいのか・・・?

考えている内に、頭がぼんやりしてきた。眠い。ものすごく眠くなってきた。猫の睡魔がこれほど強力だとは知らなかった。このままだと道路で寝てしまうと思い、なんとか歩いて草むらまでたどり着いた。そして、そのまま寝入ってしまった。

起きたら、夜になっていた。女は片方黒い靴下の白猫のままだった・・・。



あれから何日経ったのか、何カ月経ったのか、白猫になった女にはもうわからなかった。ただ焦っていた。猫の寿命は短い。野良猫はもっと短い。3年か長くても5年だと聞いたことがある。今自分が着ているこの白猫は、大人の猫だ。猶予がない。やばいぞと、女は焦っていた。

すでに前の人間だった時の記憶も薄れていた。ただ、後悔だけが残っていた。

なんで「人間やめたい」なんて、言ってしまったんだろう。

なんで「猫になりたい」なんて、思ってもないことをなんで口走ったんだろう・・・。

野良猫になってみて、自分の認識の甘さを思い知った。今の過酷な生活に比べたら、人間の悩みなんて、埃の一粒くらいの小ささだ。ないことばかりに目を向けて、あることは当然だと思っていた。失くしてみて初めてわかった。自分がずっと完璧だったということを・・・。


そんなある日・・・。

重い気持ちで徘徊していた白猫は、ベンチに座る中年男を見つけた。よれよれのスーツで、肩を落とし背中を丸めて座っている。たるんでしわが寄った顔が、「人生終わった」と語っていた。


『いた! 完璧な人間!!』


白猫は、中年男が座るベンチに、とことこと近づいて行った・・・。


おわり


最後までお読みいただき、ありがとうございました。


ちょっと怖いお話でしたが、『人はありのままでカンペキなんだよ』ということを伝えたくて、考えました。つらいことがあると、どうしても『ない』ことに注目して、『かわいそうな私』になりがちですが、本当は、たくさん『ある』を持っている。でもそれに気がつくのは、失った時。その時にやっと、『あー私はずっと幸せだったんだな、カンペキだったんだな』と思える。それって悲しいし、もったいない。

持ってる間に気づいて『ありがとう』と感謝して生きていくことが大切だな、と思っています。


毎月4日と18日頃に、短編小説を投稿しています。

過去作もいろいろなジャンルのものがありますので、よかったら、のぞいてみてください!

この度は本当に、ありがとうございました!!

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― 新着の感想 ―
[良い点] 猫になりたいと誰もが一度は思ったはず、シリアスな展開からの不思議体験。背中を押してくれる主人公の言葉と後書きに勇気づけられました(^^♪
2019/07/05 21:26 退会済み
管理
[一言] 考えさせられましたね。本当、そうですよね。
[良い点] 読みやすい文章、最後の極限の思考状態も中々考えさせられる内容でした。 [一言] これがどんどん続いていくと、外見と中身が乖離した人間が増えていって、・・・・・・そこを考えるのもホラーだなと…
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