消えたセーレン
「付いてきちゃダメだぞ、絶対来ちゃダメだからな」
龍族たちに付きまとわれて迷惑していたある日、龍族の少年セーレンは、私の前に現れると朝一番からそう言った。
まだ日は昇り始めたばかりで、いつもの私なら寝ている時間だ。
わざわざ寝ている私を叩き起こしてのこの台詞である。
そして言い終えたらそれで満足したのか、身を翻し空へと引き返していった。
「押してダメなら引いてみる作戦か? 行かないぞ。ふああ、眠い。今日は静かに寝れそうだ。その後狩りに行くか」
久し振りの解放感に、私は充実した一日を過ごした。
(ああ、仕事が捗る!)
数週間振りの高額報酬に、私は感動を覚えていた。
身体が震えるほどの高揚など久しく味わっていない。
「剣だ! ついに手に入れたぞ」
数日後、私はついに手に入れた。
人類の技術を用いて、魔物の素材から作り出した、新しい武器を。
「岩石の様に硬い魔物の皮も、金属の様に硬い筋肉も、スパリと切れるこの切れ味。最高だ!」
ただの金属ではなく細胞でもあるこの材質は、決まった形状から形が崩れると自動修復されるという。
剣にではなく鎧にこそ生かせそうな機能だが、剣としてもちょっとした刃こぼれならすぐに修復される。
手入れが格段に楽になった。
長時間の戦闘にも耐えられる。
切れ味も頑丈さも、もちろん問題ない。
私は意気揚々と魔物狩りの機会を待っていた。
何を相手にしようか、手堅く行くか挑戦するか。
新しい相棒を振り回し、手に馴染ませ自分の物にする。
今日の標的を遠方の上位魔物に定め、出発しようとした時、町の中で流れる噂話が耳に入ってきた。
「聞いたか、魔族が本格的に龍族と戦い始めたって」
「なんだって? 魔族はずっと人族を狙ってたじゃないか。食い物としてよ」
昼休憩だろう男が二人、外の飲食スペースで昼食を取っている。
「それがほら、人族にはあの剣士がいるだろ。どんな魔物にも怯まず挑んで、次々に倒しちまう勇者。軍隊の兵器で落とせなかった魔族どもも警戒して攻めるのを躊躇してるらしいぞ」
(人族にそこまで強い奴がいるのか。)
魔物に対し、人族の身で戦いを挑み勝利するとは、生半可なことではない。
それが、上位魔物のさらに進化した、魔族にまで警戒される人族とは。
「ああ、あの女狂戦士! 魔物の群れを次々と一人で撃退し、グリフォンや凶暴ザメにまで一人で挑んでく異常な強さの剣士だろ」
「普段は兵士として討伐してるだろ。で、休日には一人で上位魔物に挑んでくるらしい。それが一日で百キロの道のりを走って、討伐して帰ってくるそうだ。仕事に遅れたことがないってんだから、驚きだ」
「仕事馬鹿か、戦闘狂か。いるんだな、そんな奴。俺にはそこまで出来ねえよ。そうだ俺が聞いた話だと、バイソンを蹴り飛ばしながら、土竜のやつを拳で殴り潰したって。化けもんみたいな強さだよな。勇者シンリー、早いとこ魔族の奴らをどうにかして欲しいもんだ」
(ブフォッ! 私のことかよ。)
余りに過剰に脚色された話に、笑いを通り越して気が遠くなってくる。
男達の噂の活躍は、そのほとんどがセーレンの仕業で、彼は人族ではなく龍族だ。
「そうそう。で、勇者のおかげで人族は助かってる訳だが、最近龍国は戦力が手薄になってるんだと。元々数の少ない龍族が、あっちこっちに散らばって、噂では龍族の末子が行方不明で探してるとか」
(龍族の末子って、セーレン!?)
噂の詳細が気になり、ますます聞き耳を立てる。
「世界のあっちこっちで単独の龍族と魔物がぶつかって戦闘になってるらしい。で、龍族が外に出て来てるから龍国内は手薄。一気に攻め落とすつもりかもな」
「魔族が龍族を倒せるのか?」
「魔族どもは恐ろしい速さで進化してる。国に溜めてあった戦力全部つぎ込んだとすれば、 龍国に攻められる。元々数だけは多い魔族だ、戦力で龍族を上回ったのかもしれないぞ」
「おいおい、それって人間もピンチじゃないのか?」
不安そうに声を低めた男に、噂を聞かせていた男は明るく言ってみせる。
「龍族も馬鹿じゃない、すぐに戦力を集結させるさ。龍族と戦った後の魔族なんてボロボロかへろへろだろう。そんな相手、人族の勇者様が戦えばイチコロよ」
安心したと笑い合う男二人に私は苛立っていた。
(勝手な事ばかり言って。前線で戦うのがどれだけ怖いか。幾度死んだと思ったか。殺さなければ死ぬんだ。魔物は待ってなんてくれない。)
今この場所にだって魔物の襲来はあり得る。
あの日、何の前触れもなく私の町が滅びたように。
龍族が強いとは言え、戦わない者も多くいる。
セーレンの母親のケラフィーなどは戦いとは無縁のふんわりとした女性だった。
龍国に行ったのは一度きりだが、龍族については嫌になる程聞かされていた。
末子とは言え、セーレンは他の子どもとは比較にならない鍛錬を重ねて強くなったらしい。
龍国にセーレンほど強い子供はいない。
(全部他人任せじゃないか。)
私の強さは、私が身を切りながら苦しんで得たものだ。
(お前たちの為のものじゃない。)
セーレンの強さはセーレンのものだ。
龍族の強さはもちろん、龍族のものだ。
頑丈だからといって、人族の盾にしていいものではない。
軍の本部で噂の詳細を確認すると、私は町を飛び出した。
やはり龍族と魔族の戦いは始まっているらしい。
龍国は高い山の頂にある。
人間の足で辿り着くには何日もかかってしまう。
「おい、誰か! 誰かいないか!」
いつも龍族たちの飛んでくる空に向けて大声を出す。
いらない時は嫌という程来るくせに、必要な時には返事がない。
「あら、シンリー様。呼びましたか?」
しばらく呼び続けると、ふわふわと空からエリカがやってきた。
セーレンの護衛をしている女性だ。
いつもなら快活な彼女が、今日はどこか元気がない。
着ている服や鱗や翼にも汚れが目立つ。
「龍国へ行きたい」
「シンリー様は婚姻の証を破棄したので龍国には入れませんよ」
にこやかに笑ってエリカは告げる。
「くっ。そうだ、なら私を魔族国まで連れてってくれ。行きだけでいい。上空から落としてくれるだけでいいから」
持ってきた金貨の袋をエリカに押し付ける。
危険手当を入れても、十分な額があるはずだ。
「あら〜、そう来ましたか。仕方ないですね。シンリー様を魔族国に届けてはいけない、とは言われてないので承ります」
エリカは困ったように笑ってから私を抱き上げた。
「急いでいるので飛ばしますよ。しっかり捕まっててくださいね。落っこちたら拾いに行くの面倒ですから。あと口は閉じておいてくださいね、舌噛みますからー」
言うが早いか、エリカは高速で空の移動を開始した。
地面が、森が山が鳥型魔物が、背後へと流れていく。
地上にいる魔物の数が多くなって来た。
「この辺りでいい。あまり深く行くとエリカさんの帰りが危ない」
私は飛び降りるつもりなので着地に良さそうな場所を探して体勢を整える。
「私のことは気にしなくて平気ですよ。一人なら高い所をもっと速く飛べますから。それより、折角ですからセーレン様が惚れ直しちゃうような大物見付けましょ!」
キョロキョロと、急にやる気を出して魔物を品定めするエリカ。
「惚れられた覚えはないぞ」
エリカの妙なテンションに釘を刺しておく。
私はセーレンに惚れられたのではなく、呪われたのだ。
「何言ってるんですか、あんな熱烈な求愛を受けて。見てる周りが、恥ずかしくなっちゃうくらい分かりやすいじゃないですか。毎日食べ物を貢いで、縄張り内の魔物を退治して、群れの主としての能力を精一杯、あなたにアピールしてますよー」
「求愛? 縄張り?」
エリカの言葉に理解が追い付かない。
「シンリー様の家の周りはセーレン様の縄張りです。ざっと百キロメートルは」
だから私の獲物を横取りしていたのか。
縄張りに入る異物の排除のために。
「求愛には覚えがない」
肉は貰ったが、あれは元々私が倒すはずの獲物だった。
「セーレン様に『一緒に死のう』と言われたんですよね?」
「のろいをかけられて、死ぬ時は一緒だと言われたな」
グレーライオンの牙に噛み砕かれる直前にセーレンが放った言葉だ。
「強い者から弱い者に言うそれは、龍族ではプロポーズの言葉です。最期の時まであなたを守るっていう意味ですよ」
「守ったのは私だったがな」
バイソンや土竜を素手で倒せるセーレンが、なぜグレーライオンみたいな下位の魔物に食べられる真似をしたのか分からないが、理由はどうでもいい。
あの時エリカが言ったように変態的な性分なのかもしれないし。
(しかしそうか。あれは求愛だったのか。)
羽を丸く広げた鳥がメスに向けてダンスをする様が浮かぶ。
鳥の顔がセーレンに変わった。
「いや、私は異種族間はちょっと無理だ、対象として見れない」
眉間に皺を寄せ私は首を振る。
「そうですかー、セーレン様残念ですね。あんなに人間のこと勉強なさってたのに。お小さい頃からこんを詰めて頑張ってたんですよ。他の龍族の子が母親に甘えて泣きついてる年頃に、人間と龍族の歴史について本を読み漁ってましたからね。よく考えるとセーレン様はあの頃から変態だったんですね」
セーレンはさらに小さい頃から変態だったらしい。
どこで道を間違えたのだろうか。