龍国末子セーレン
一度繋いだ命を切り離すには龍国まで行って、少年の両親を説得しないといけないと言う。
「面倒だな」
「龍の国まで俺の翼ならひとっ飛びだ。そんなに時間は取らせない」
セーレンの言葉に仕方なく頷き、セーレンに抱えられ空路を遥々、龍国へとやってきた。
「おおセーレン、帰ったか。グリフォンはどうじゃった? お前ならちょちょいと倒せたんじゃろ?」
口の周りに豊かな髭を蓄えた龍族の男性が、満面の笑顔で出迎えた。
絹でできた衣装は細かな刺繍が施され、男の身分が低くはない事を分からせる。
「グリフォンはエリカが倒した。そのために父さんが無理やり連れて行かせたんだろう。それより約束だぞ、ちゃんと用意できてるんだろうな。安いのじゃないぞ、人間が育てた、ちょー柔らかい特上の牛肉だからな」
「お前がグリフォン倒すって言って聞かずに飛び出しおったくせに。まあいい。大丈夫じゃよ。きちんと人間とは話しがついておる」
うんうんと笑顔で頷く龍族の男。
「まぁセーレン、無事でよかった。んー、今日もいい顔ね〜」
大きな屋敷の中に入ると、可愛らしい龍族の女性がセーレンを抱きしめた。
本人のふんわりとした雰囲気と、明るい色彩のドレスが相まって、花の妖精のような人外の気質を纏っている。
「母さん、やめて恥ずかしい。人の前だよ」
恥ずかしそうに母親を押しのけるセーレン。
しかし、その顔は満更でもなさそうだった。
「だあって私の息子はこんなに可愛いんだもの〜。あら、お客さん?」
親しげな様子で首を傾げて、いらっしゃいと微笑む龍族の女性。
「ああ。父さんと母さんに会いたいって言うから連れてきた」
セーレンが私を両親の前へと押し出す。
「来たいんじゃなくて、来ないと命を切り離せないってお前が言ったんだろう!」
状況を違える説明に思わず声を荒げてしまう。
「一度繋いだ命は、本人が切り離したいと願うことと、他の龍族二人以上の力が必要なんだ」
セーレンが真面目な顔で説明をする。
「ならここに龍族は何人もいるだろう。早くこの呪いを解いてくれ」
「えー、いいのか? 俺と同じ命だぞ、龍族だぞ。何万年も生きられるんだぞ!」
乞うような口調でセーレンは念を押す。
「何万年!? 冗談じゃない、百年でも長いのにそんなに生きられるか。早く解け」
この少年に出会ってから私はイライラとさせられっぱなしだ。
そのうち血管が切れるかもしれない。
話を聞いていたセーレンの父親が髭を撫でながら確認する。
「龍族の婚姻の証を解くと、二度と龍の国には入れなくなるが良いのか?」
「孤絶した山頂にある龍国に入れなくなったってなんの問題も……って、コンインノアカシ?! 今聞き捨てならない事を聞いた気がするが?」
セーレンの父親を見たまま、開いた口がふさがらない。
「命を同等にするのは龍族の能力の一つだ。強い者が弱い者を守り、最期の時まで一緒に過ごす」
「片方が事故で死んだらどうするんだよ。完全に呪いじゃないか」
「死なないために、龍族はより強い者との婚姻を望む」
当然のことであるかのように男は頷いている。
「なんで私がお前と婚姻したことになってるんだ!」
「えへっ」
理解に苦しみセーレンを問い詰めれば、可愛らしく笑って誤魔化す。
「ふざけるのも大概にしろ! 私の怒りも限界だっ、人の人生で遊ぶな。お前ら龍族にしたら一瞬なんだろうがな、こっちは必死に生きてんだよ。命を遊びに使うな!」
怒りに任せ、セーレンの頰を殴りつける。
ズキリ、と激しい痛み頰に走った。
「ぐあ」
自分で自分を殴ったかの様だ。
「忘れたのか、俺とあんたは一心同体、運命共同体だ」
痛そうに頰を押さえながらも、どこか嬉しそうにセーレンは笑う。
「もういいから、こののろいを解けっ」
殴りたくても殴れない、もどかしい怒りに息を荒くした。
変態の相手はマジで辛いと実感した。
(護衛のエリカさん、底知れないほど尊敬する。)
「うーむ、惜しいな。実に惜しい。これだけの元気な人間族、なかなか見られないぞ。いいか、人間。婚姻の証は龍族と同等になれるんだぞ。解くともう龍国に入れないんだぞ? 龍族と対等だぞ」
今度はセーレンの父親が幼な子に言い聞かせるように繰り返す。
「龍の国になんて願いも望みもない!」
はあ、はあ、と声の限りに叫んでようやく人心地がついた。
あまりに静かになった空気に周囲の状況を確かめる。
驚いたという顔で私を見つめる龍族たち。
(しまった。龍国を敵に回したら人間国のピンチだ。)
ようやく冷静になって人族の滅びの危機に考え至る。
しかし、龍族の父親は愉快とばかりに笑い声を上げた。
「ハハ。これは面白い。人族とは助けを乞うものばかりと思っていた。そこまで嫌だと言うなら解いてやろう。セーレン、嫌われたものだなあ」
可笑しそうに男は笑い続ける。
「うう、そうですか。仕方ありませんね」
反対に、セーレンの母親は悲し気に目元の涙を拭いている。
「こんなに若いのに証を剥奪されるなんて、可哀想に」
うるると涙を流しながら、母親はセーレンの頭をなでた。
「せっかく見つけたのに……」
セーレンは両目に涙を溜め、口をへの字に曲げる。
「なんだこの、私が悪者みたいな空気は。やめろ、私は私の命を返せと言ってるだけだ」
「うむ、大丈夫じゃ。もう解けたぞ」
父親に言われる。
特に変わった様子もない。
命を繋げられた時も何もなかったからこんなものかもしれない。
試しにセーレンの手を取る。
龍族の鱗に覆われているが、なんの変哲も無い綺麗な手だ。
私に手を握られ、期待に満ちた目でセーレンが見上げてくる。
私はナイフを取り出してセーレンの指先を切った。
薄っすらと傷が付いてじんわりと血が滲む。
しかし、私の指は痛くない。
「よし。それじゃエリカさん、私を人間国まで送ってくれ」
山頂にある龍国から自力で帰るのは大変だ。
幾らかの金貨の入った袋を渡し、私は帰りの足を手にいれた。
「あー、俺の嫁がー」
背後から恨めしげな声が聞こえたが、聞かなかったことにする。
私には、なんの関係もない。
翌日から龍族の猛攻が始まった。
「龍族はいいぞー、寿命が長いってのは最高だぞー。好きなことが沢山できるからな」
龍族の少年が龍族の良いところについて長々と語ったり。
「お、あんなところに龍族の若者がおる。人間の手伝いをしとるぞ、あんなに重そうな石材を軽々持って、橋をかけてあげたようじゃなあ。龍族ってのは心優しく力の強い種族だなあ」
髭面の龍族のおじさんが、帽子とサングラスで人間を装い、龍族の良さをアピールする。
「龍族の寿命からみればあなたとセーレンの年の差なんてないものも同じでしょう。あなた何歳? え、28? やだ、セーレンは27歳よ。龍族の中ではまだまだおしめが取れたばかりの子供なのだけどね、あの子は一人前の大人のつもりで、ロウローと肩を並べようとするのよ。あ、ロウローはセーレンの父親で私の夫ね。最近のセーレンは人間の育てるお肉が気に入ったって言って、何かと人間の仕事を手伝いに行くのよ。この間もグリフォンの討伐を依頼されて、あ! あなたとセーレンはお互いにそのグリフォン退治に行って会ったのよね? もうこれは運命じゃない、結ばれるしかないのよ。龍族と人族の種族を超えた恋なんてっ」
うっとりと夢見る表情で自分の世界へと旅立ってしまった龍族の年若い母親。
入れ替わり立ち代わりで、毎日、私のところに龍族が訪ねてくる。
まるっきり知らない龍族がやって来て、突然「龍族はいいものです」なんて言われた時は流石に呆れた。
まあ、命令されて来ただけだろう龍族の若者には同情するものがあるので、扉を閉めるだけという対応をしておいた。
「龍族の護衛なんて雑用係なだけですよ。みんな戦えるんですから。ようは、いたずら好きの末っ子の、お守りを押し付けられたんです。いつでも体鍛えるために外に出るので休みは少ないし、いきなり魔物と力比べするって言って国外に出て行くし。でもここ、人間国の温泉はいいですね! お肌つるつるのすべすべですよぉ。何より人族の滑らかな手によるマッサージが、ああっ最高です」
苦労話から、いつの間にか人族の観光地、温泉をアピールしていった龍族の美女もいた。
まあ、彼らが勝手にやってきて一人で喋っていくことについては、多少うるさいのを我慢すればいいとしてまだ許せる。
稼ぎの邪魔をするのが最悪だった。
「こら。雷鳥は私の獲物だ! 肉は狩った者の物だ、これでは私の狩る分がないじゃないか」
「なんだ、肉が欲しいのか。なら俺の分をやる」
捕れたばかりの鳥肉を血抜きしている状態で渡してくる龍族の末子、セーレン。
龍族の中で一番に若い者なので、龍族全体から甘やかされて育ったという。
「くうっ、肉も確かに欲しいが食べる分だけでいい。私が欲しいのは討伐した時の報酬だ! 余った肉は人族の孤児院で常に施しを募集してるから、そこに持ってけ」
私は急いで次の獲物を探す。
目に留まったのは遠くにいる大型の牛魔物、バイソン。
しかしセーレンが、目敏く私の視線の先を追い、素早く駆け寄りバイソンに必殺の蹴りをお見舞いする。
「おい、バイソンまで」
一撃で死んでしまったバイソンに、がくっと肩が落ちた。
「どうだ、俺は強いだろう。憧れるだろう?」
褒めて欲しいと言わんばかりに顔を輝かせて私の元へ駆け寄ってくる龍族の子供。
強い魔物は倒した時の報酬が高い。
バイソンは人族が苦戦する魔物の一種だ。
あれ一頭で一週間の生活が賄えただろう。
「やっぱり龍族は強いだろう。この程度の魔物、相手にもならないんだからな」
ハハハハ、と得意げに笑うセーレンを無視して私は次の獲物を探す。
なんとしても報酬を手に入れ、人族が新たに開発した『魔物から取り出した金属』を使った合金で、新しい剣を打ってもらう。
安くない金がかかるが、その剣を使えば今までよりさらに強固な魔物に挑むことができるだろう。
セーレンが何かに反応して駆け出す。
私もすぐにそれに気付いて追いかける。
「土竜は私に寄越せ、今日一番の大物じゃないかっ」
目の前の土が盛り上がり巨大な茶色い魔物が鼻先を出す。
「なぁ見てろ、俺ならこいつを倒すの速いぞ。土の中に逃げる隙もなく退治してやる」
言うが早いか子どもの細腕で、小山ほどある魔物の頭を叩き潰した。
(くぅ、また報酬を龍族に持っていかれた。)
またある日には、龍族たちが空を舞う。
ひらりひらりと翼を活かして自在に宙を駆ける。
「吸血大コウモリどもと空中戦なんて、そりゃないだろう。私が戦えないじゃないか」
私は頭を抱えて空を見上げる。
(ああ、報酬が、最新の剣がまた遠のく。)
「どうだ、龍族の力がいかにいいか分かったか? 力は強いし、皮膚の鱗は硬いし、空を飛ぶのだって速い。傷だってすぐ治る。この力で龍族は相手を守るんだぞ」
えへんと、私の前に立ちふんぞり返るセーレン。
顎を上げ得意満面の出で立ちに苛立ちを覚える。
最近、まともに戦えていない私の身体は、消化不良を起こしてウズウズしている。
「俺と一緒に居たくなってきただろ。人間の何万倍も龍族の方が魅力的だからな」
ニカリと笑う、セーレンの決めつけた言い方に我慢の限界が来た。
「私の仕事の邪魔をするな! 子供は家に帰ってろっ」
その日、一度も使われなかった剣を振り回す。
その剣をひらりとかわすと、セーレンは不満そうに唇を尖らせた。
「人間の中では最高峰の剣術と、人間の限界を引き出した腕力と身のこなし、脚力、体力、複数の魔物との戦いで見せる瞬時の判断力と戦術の組み立て、あんたは人族で最高の人間だ。宝だ。でも人間はすぐ死ぬから龍族の俺が守ってやるって言ってるのに」
珍獣を動物園に囲うと言っているようにしか聞こえない。
(うっとおしい。)
頭に昇る血の流れとともに剣を斜めに切り上げる。
バサリと翼を広げて空へと飛び上がるセーレン。
「また来るからな、ちゃんと考えとけよ。龍族がいいってわからせてやるからな」
バサン、バサンと皮膜を鳴らして帰っていく。
もう何週間も、なんの追加報酬も得ていない。
こんなの、剣士となって生きてきた人生で一度もなかった。
生活の崩壊だ。
セーレンの飛んでいった後ろ姿を目で追いながら、自然と視線は雲の上へと引き寄せられる。
青空の下、緑の丘。
ままごとをし、駆け回り、明るい声で笑い合う子供たちは、今もあの時のまま。
変わらない風景の中で楽しそうに午後のお茶を飲んでいる。