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女剣士シンリー

「あの時の私は弱かったな」


 あの日、町を襲ったのと同じ獣を、いや『魔物』を数十頭切り伏せ終えて、私は剣の血を布で拭っていた。


 私の全身の筋肉は熱を持ち湯気を上げているし、古傷だらけの皮膚は分厚く鎧のように硬化している。


「この力があの時にあればーー」


 故郷が滅ぼされてから二十年、剣技も足の速さも、武器を振るう腕力も、私が死に物狂いで身に付けてきた、生き残る術だった。


 魔物との戦いの中で、幾度となく死を目前にしながら、私は生を掴んできた。

 友人達の死に際に、何も出来なかった己を恥じて悔い、心身を鍛え上げ、一人ででも魔物達と戦えるだけの強さを手に入れた。


「もう誰も、帰ってこないけどね」


  感傷に浸っていた気分を入れ替え、ぐるりと視線を回して、私は周囲に見えるライオンの魔物をあらかた片付けたことを確認する。


 これで討伐の報酬を貰うには充分なはずだった。

 今の私はこの通り、グレーライオンの群れを一人で一蹴できるまでになったのだ。


「さて」


 魔物の死体などはそのまま放置して、本来の私の目的である上位の魔物を目指すことにしよう。


「おい!」


 私が身支度を整えて、先へ進もうとした時、幼い少年の声がした気がした。だが、上位の魔物と戦うという重要な予定のある私には、気に留めている暇のない事だ。


 先ほど私が戦って倒した魔物は、ライオンが元になった灰色の毛皮の大型肉食獣だ。

 グレーライオンと呼ばれ、三十〜五十頭の群れを作り、集団で狩りをする。

 群れで最も強いリーダーを中心に数頭は頭の周りに立派な鬣を生やしている。


 ただこいつらは、魔物とは言っても所詮は大型なだけの肉食獣。

 魔族の様に頭が回る訳でも、罠を張る技術があるわけでもない。

 武器を持った大人の男ならグレーライオンは倒せる。


 私のように名剣を手に入れ、毛皮を容易く貫く腕力と、口腔から脳へと一撃食らわせる技術を持ち合わせれば三十頭の群れも苦ではない。


 むしろこれは目的の上位魔物であるグリフォンにたどり着くための、通り道にいる雑魚どもだった。


 グリフォンはこの魔物よりも三回りほど大きな体と、その重い肉体を浮き上がらせるだけの翼、そして人間どころかコンクリートすらも噛み砕く巨大な嘴を持っている。


 二頭の牛をそれぞれの足に掴んで軽々と山並みを超えていくような強靭な魔物だ。


 その鷲型の魔物、グリフォンがこの近くに巣を作ったらしい。

 子育てのために凶暴化して、あちこちから食料を集めている。


 食料とはつまり、人間の育てる家畜や、人間の子供のことだ。

 先日、国の兵士の一団がグリフォンの討伐に向かって半壊したらしい。

 今回のターゲットはグリフォンの中でも長く生きた、頭のいい個体のようだ。


 もちろん、討伐に対する報酬は上がった。

 私は国に雇われている給料制の剣士だが、休日に何をしようと勝手だろう。

 人間国と敵対する魔族を屠って文句を言われる謂れはない。


「おい、人間!」


 また、さっきよりも必死そうな少年の声が聞こえたが気のせいと思うことにする。

 私には血が滾る上位魔物との戦いが待っている。


  人間と魔族は長い戦争を続けている。

 魔族は元は獣族じゅうぞくと言って、とくに何の変哲もない動物たちや、少し知恵のある、それでも動物の域を出ない生き物たちのことだった。


 獣国じゅうこくとはつまり、野生動物を保護する広大な自然環境地帯のことだったのだ。


 それが二十年前のあの時、獣族たちは徒党を組んで人間の町を襲った。


 獣族の中には、流暢に人語を話すものや、人間の作った武器や兵器を自在に扱うもの、今までの生物には存在しない金属細胞などを身に着けた強力な種が現れていた。

 彼らは、人間国との交渉に当たり自分たちを獣族より数段階進化した生命体、『魔族』と名乗った。

 魔族たちが人間側に突き付けたのは次のような条件だった。


 ・人間は獣を食べることを禁止する。

 ・人間は獣を家畜として扱う事を禁止する。

 ・人間が人間たちのための労働に獣を使うことを禁止する。

 ・人間が、獣の住処を許可なく重機などの機械や、爆薬、薬品、兵器などを使って破壊することを禁止する。

 ・人間は獣たちが心地よく快適に暮らしていけるように世話をすることを義務付ける。

 ・人間は獣を殺さないこと。


「これらの条件が飲めない場合、我々魔族は人間を最優先の食料として配下の獣、これより『魔物』と呼称する、この魔物たちに通達する」


 魔族たちと意識を疎通させ、強く繁栄することを理解した獣たちは、喜んで魔族の命令に従う。

 時に人間と共存し、相反し、長い歴史を歩んできた獣という生き物はその時、魔物となった。


 その事は、人間側には強い衝撃だった。

 獣国や獣族などと呼んではいても所詮は動物、知識と技術を持つ人間の方が数段上の生物であると自負していたのだ。

 比べるべきもないと。

 それが、全生物揃っての襲撃である。


  人族と同等の知能を持ち、人間の成し得なかった進化を遂げ、魔族が世界の新たな王者として君臨しようと言うのだ。


 人間側に猶予はない。

 世界中全ての生き物が人間を獲物と定め、今日の食事にと襲いかかる。

 その瞬間を待っている。


 人間側はこの条件を飲めない。

 人間の生活が成り立たなくなる。

 文明は崩壊するだろう。


  人間国は条件の交渉を持ち掛けた。

 しかし、魔族側は頑として主張する。

「人間は獣を殺さず、魔族の言うことを聞くこと」


  交渉は決裂した。

 そうして、人間国と魔族国の戦争が起こったのだ。

 戦いが始まりすぐに人間国は勢力を減らしていた。

 二十年経った今では、世界の大半は魔族たちに占領されてしまっている。


(私が今いるこの場所も、数ヶ月前までは人間の住処だった)


 それが今や、草や蔦が生い茂り、森の一帯として飲み込まれている。

 どんどんと魔族は支配力を広げていく。

 近い将来、人間の食い尽くされる時が来るかもしれない。

 あの日、私の町に起こった出来事のように。


  人間国と魔族国の他に、世界にはもう一つ国がある。

 龍族の住む龍国だ。

 龍族は人によく似た姿をしているが、頭部には角が二本あり、肌は硬いうろこに覆われている。

 耳は尖り、白目部分のない黒く丸い瞳をしていた。

 皮膜のある翼を持ち、長命で、人族も魔族も持ち得ない不思議な力を有している。


  軽い傷を瞬時に治したり、火種を大きく燃やしたり、突風を竜巻へと変えてしまうような力だ。

 この龍族を味方に付けられれば、人族の未来は変わる。


 だが龍族は自然を愛し、弱肉強食を好む種族。

 人族を食料と定めた魔族を是としても、歴史上で環境破壊を繰り返し、魔族と戦うために多用する兵器で、秒単位で世界を蝕んでいく人族に手を貸そうとはしない。

 我関せずという傍観の構えだった。


  人族にも魔族にも肩入れしない。

 好きな時に好きな場所で、好きなものを狩り食べる。

 世界に君臨する訳でもなく、その強大な力を自然の流れのまま、世界と共存していた。


 外見だけは人型をしているが、龍族は世界最強の種族である。

 その力は子供でもグレーライオンを瞬殺する。

 そう、龍族の子供は素手で魔物を倒せるのである。


「おい人間、俺を助けろ!」


 先ほどからずっと、私の周りで一頭のグレーライオンから逃げ回っている少年。

 歳は十歳に届かないくらい。

 両の耳は尖り、頭には龍族特有の二本の角がある。

 皮膜を張った翼は少年が走るたびにパタパタと揺れている。


「その程度の魔物、倒せないならそこで死ぬのがお前の運命だ。残念だったな」


 私の記憶の中の同じ年頃の男の子は、死ぬのを覚悟でその獣に向かっていった。


『おー、さんきゅ。のど渇いてたんだ』

 目の前のお盆からお茶の入ったコップが消える。

『それあたしの〜』

『なんであんたが飲むのよ!』

 蜂の巣を突いた様に少女たちが騒ぎ立てる。

『やーい、のろまー』

 その騒ぎを物ともせず、笑いながら走っていく男の子の背中が思い浮かぶ。


  緑色のあの丘の草原を。

 少女たちがシートを広げ、少年たちが駆け回る。


 私は雲の上を見上げた。

 青空の下、そこではまだあの光景が広がっている気がした。


 ドサッ。

「グルゥ」

 ついに龍族の少年は転び、その上にグレーライオンがのしかかる。


「くっ、こうなったら。人間、死ぬ時は一緒だ!」

 少年が覚悟を決めた眼差しで私を見つめ、片腕を伸ばした。

 私はその腕をヒョイとすり抜ける。


  ライオンは大きく口を開け、少年に食いついた。

 幼い日に大勢の友達が目の前で食い殺されるのを見た。

 今さら、見知らぬ少年がどうなろうと、心を揺さぶられることはない。


 少年の腕に魔物の牙が食い込む。

 ガリッ――ズキリ!


 龍族の肌の鱗を噛み砕く音と、私の腕への突然の痛みは同時にやってきた。

 当惑し私は少年を見つめる。

「俺とあんたの命をつなげた」

 血の吹き出す口元に少年はにたりと笑みを浮かべる。


「死ぬ時は一緒だ……」

(のろいか!)

 私は瞬時に眼窩がんかからライオンの頭蓋を貫いた。


「お前、龍族なら一人でもあんな魔物倒せるだろう」

 剣の血脂を拭って少年に問う。

「俺は戦ったことなんてない」

 どこか後ろめたげに視線をさ迷わせて龍族の少年は答えた。


「じゃあ、どうやってここまで来たんだ」

 この辺りは魔族国の領域、グレーライオン以外の魔物も多数いる。

「護衛が倒した」

 少年は、えへんと自慢げに顎を上げている。

「その護衛はどうした」


  魔物に追われている主を置いて、肝心の護衛がいないとは妙だ。

「グリフォンを見かけて飛んでいった」

「くそっ、獲物を取られた!」

 龍族の護衛と言うのがどれほどの強さかは知らないが、世界最強と言われる龍族の戦士が、グリフォンに負けることはないだろう。


  今から走ったとして、飛行していった龍族に追いつけるとは思えない。

 それに。

「お前をここに置いていって、もしお前が魔物に襲われて死んだら私も死ぬんだな?」

 確認するように聞けば少年はしたり顔で頷く。

「そうだ」


「ああっ、お荷物だ」

 私は極度の頭痛に天を仰いだ。


  仕方なしに怪我をした龍族の少年ーーセーレンと名乗ったーーこのお荷物セーレンを連れて私は彼の護衛がいるグリフォンの巣までやってきた。


「セーレン様! そんなお怪我だなんて、どうして」

 駆け寄って来た龍族の美女がセーレンに縋り付く。

 グリフォンの返り血に濡れ、不安気に瞳を揺らす垂れ目が魅惑的な女性だ。

 薄青く光る龍鱗の肌を、赤い血がするりと流れ翼の下から滴り落ちる。

 死闘を思わせるその惨状に、勝者として立つ彼女こそが、セーレンの言う護衛なのだと分かる。


  切り裂かれ、無数の羽毛を散らした姿で捨て置かれる複数体のグリフォンと、赤く彩られた白鱗の美女が醸し出す背徳的な雰囲気に息を飲む。


「巨大グリズリーでも出ましたか?」

 美女は心配そうにセーレンの怪我の様子を確かめる。

 グリズリーは、超大型の熊だ。

 その中でも巨大グリズリーは群を抜いて大きい。

 三階建ての建物に匹敵する巨体で、森の木々を薙ぎ倒しながら突進する。

 そのうえ全身を覆う毛皮には金属が取り込まれ、人族が戦車に乗っても勝てないと言われる相手だ。


「いや、別に。大した傷じゃない、気にするなーー」

「グレーライオンだ」

 いかにも気まずげに口ごもる少年に代わって事実を口にする。

「そいつが襲われていたのは、下位の魔物の、グレーライオンだ。それも討ち漏らした、たった一頭のな」

 親切に状況を説明する。


  護衛が本来の仕事をしなかったせいで私に命に関わる迷惑が及んだのだ。

 これぐらいの八つ当たりは許されるだろう。


「え、ええー!? そんな」

 美女が驚きに目を見開く。

 状況を理解したならば、二度と主から目を離さず、雑魚魔物は倒せるように少年を鍛えておくことだ。

 さあ、護衛とも再会させたことだし、このお荷物を降ろさせてもらおう。


「おい、早く私の命を戻してーー」

「セーレン様。ここに来る時、ひと睨みでグレーライオンの群れなんて蹴散らしてたじゃないですか」

 彼女の言葉に、自分の言葉を飲み込んで私は耳を疑った。

 グレーライオンに追い回され、逃げ回り、最後には勝手に人の命を盾にして、食い殺される運命から逃れた臆病者の少年だ。

 魔物と戦えるわけがない。


「うるさい、そういう気分だったんだ」

「ライオンにかじられたい気分だったんですか? ちょっと正気を疑いますが、セーレン様の考えに文句は言いませんよ。少しぐらい主が変態でもお給料貰ってますから、ちゃんと守りますよ。次噛まれる時は私の仕事外の時間にしてくださいね」

「もうお前黙れ!」

 儚げな見た目に反して辛口な美女と、顔を赤くして怒る少年のやり取りに、「どうでもいいから私の命を戻してくれ」と伝わったのは数分が経った後だった。

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