道奈の学力
2/3話目。
創也視点で進みます。
朝の白い曇り空の下、道奈が可愛い笑顔で俺に言う。
「おはよう!今日は良い曇り空だね!」
…変わった挨拶だな。道奈らしくて、自然と俺も笑みが浮かぶ。
ついでに道奈の背中にある大きなリュックサックが視界に入る。
何をそんなに入れているんだ…。気になったが、まずは挨拶だ。
「うん、おはよう。昨日はちゃんと寝た?」
「もちろん! テスト中に眠くなっちゃうからね。そういえば、じっちゃんと一緒に願書を代わりに出してくれたって聞いたよ。ありがとう。勉強ですっかり忘れてて、気づいたら夕方すぎだったの。とっても助かったよ」
「どういたしまして、昨日はすごい集中してたね。その調子で勉強すれば合格は大丈夫かもしれない」
昨日の道奈はちょっと怖いと思うくらい、凄まじい集中力だった。
なんというか、その時の道奈を言葉で表すと、容姿もあってか、動く人形のようだった。まさに無言、無表情。ひたすら本に目を通しながらノートに書いていく姿を、邪魔にならないように俺は横で見続けた。
「あ、私、昨日帰りに挨拶してなかったよね? せっかく来てくれたのに、ほったらかしにしてごめんね」
「いや、気にしてないよ。僕が黙って帰ったんだ。勉強の邪魔はしたくなかったからね」
あの状態の道奈に話しかけることは到底できないな、と思い返して苦笑いになる。
「私、もっと頑張るよ。創也にこんなに応援されてるもん。そして奨学金を、手に入れるのだ!」
昨日の無機物のような姿とは打って変わって、今の道奈は血の通った人のように表情をコロコロ変える。心のどこかで少しホッとした。
「うん、頑張ってね。先生は10時くらいに家に到着するんだ。ここから車で1時間半くらいだから、早めに行こう。リュックは僕が持つよ。貸して?」
「え、いいのに。ありがとう」
道奈と一緒に車に乗り込む。
昨日の車での出来事を思い出して、少し顔が熱くなった。
「もぐもぐ。うまうま。もぐもぐ」
俺がドキドキしている側から呑気な道奈の声がする。
「…もしかして朝食、食べてない?」
道奈はバナナを美味しそうに食べていた。
「もぐもぐ。ごっくん。朝ごはんはちゃんとたくさん食べたよ。でも、テスト中にお腹が空きそうだから、今の内にもっと補充しておこうと思って。悪いけど、この食べ物はあげないから。もぐもぐ」
「いや、僕も朝食は済ませてあるから、別に食べようとは思わないよ」
美味しそうにバナナを食べる姿は実に愛くるしいのだが、道奈は案外大食いなのかもしれない。まさか、リュックサックに入っている物、全部食べ物…?
ありえそうなのが、道奈だ。
家に着くまでの1時間半、道奈は車内でずっと食べ続けた。
「ここが創也の家かあ。空を眺めるのに良さそうな家だね」
俺の家を見た時の道奈の感想はやはりズレてる。そこがいいんだが。
立派な門を潜り、大きな玄関の前に車が止まる。
車から降りて、道奈と一緒に中に入った。
「まぁっ、なんて可愛らしいお客様なの! いらっしゃい。初めまして、私が創也の母よ。息子からいろいろ聞いてるわ。あなたが道奈ちゃんね?」
玄関に入ると母さんが立っていた。
今日は友人と出かけると言っていたはずだが…嘘だったようだ。
茶化されそうで、母さんには道奈について一言も話していない。
一体どこで知ったんだ。運転手か。そうか。後で問い詰めよう。
「お初にお目にかかります。荒木道奈です。本日はお招きいただき、ありがとうございます。こちら、お口に合うかわかりませんが、おまんじゅうです。よろしければ皆さんでお召し上がりください」
誰だこれは。
思考回路が未知な構造をしているあの道奈が、いいところのお嬢様に見える。
「ふふふ、とても礼儀正しいお嬢さんね。今度一緒にお茶でもしましょう? ゆっくりお話してみたいわ」
「はい。私でよければ、喜んで」
キラりんっ、と道奈の微笑みから星がいくつか出てきた。一体どんな笑顔だそれは。
益々道奈が分からない。同時に道奈に対して探究心が湧く。彼女の新しい面をもっと探っていきたい。
いつのまにか道奈を凝視しながら考え込んでしまった。
母さんと道奈から視線を感じる。なぜか母さんは興奮気味だ。
「勉強部屋に案内するよ。母さん、俺たちのことは気にしなくていいから。じゃあ行こうか、道奈」
「お邪魔します」
これ以上母さんから絡まれないように、逃げるように玄関を後にした。
長い廊下を道奈と二人で歩く。いつも通っている廊下なのに道奈が隣にいるだけで初めて歩く場所のように感じた。
「この部屋だよ」
ドアを開けて先に道奈を部屋に入れる。レディーファーストだ。
「うわあ。本がいっぱいだあ。どんな本を置いてるの?」
「勉強関係全般かな。ここは勉強部屋だからね。道奈に渡した本は全部ここから持ってきたんだ」
「この部屋便利だね!」
「まあね、先生が来るまでここでゆっくりしよう」
時間が来るまで、道奈と話しながら待つ。他愛もない内容なのにとても楽しい一時だと思った。
****
「――――テストは入試科目の4教科です。制限時間は1教科につき50分。終われば速やかに鉛筆を置いて回答用紙を裏面に。以上が注意すべき点です。ここまでで何か質問はありますか?」
ピシャリとした声でテストの注意事項を話すのは俺の家庭教師、元坂先生だ。
厳しいがその分説明や解説がとてもわかりやすいことで評判だ。今年の中等部入試の傾向も把握してるはず。
「はい!」
道奈が元気よく右手をあげる。なぜか人差し指が立ててある。変わった挙手の仕方だな。
「発言を許可します」
「試験中、食べ物を食べてもいいですか?」
「試験中に飲食など言語道断。いけません」
「…休憩時間は試験中に含まれますか?」
「2教科ずつ続けて行い、間に10分休憩を挟みます」
「…100分もつか、な? …たくさん食べておいてよかった」
ボソボソと何かを呟く道奈。
「質問は以上ですね。早速試験に取り掛かりましょう」
俺は退室した方がいいのだろうが、せっかく家に道奈がいるのに、ずっと別室にいるのは、なんだか勿体無い気がする。静かに本でも読んでおこう。
―――そうして、試験が開始された。
黙々と問題を解き続ける道奈を時折眺めながら本を読む。いや逆か。時折本を読みながら道奈を眺める。
俺が座っているのは道奈の顔がバッチリ見える位置だ。
また昨日の無言無表情な顔をしている。
勉強する時は無機物になる体質なんだろうか。
先生が道奈の表情に若干うろたえている。珍しい。
―――そして、休憩時。
「もぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐ。あむ。もぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐ。あむ。もぐもぐもぐもぐ。あむ。もぐもぐもぐもぐ」
道奈が、今だっ、とでも言いたげに必死な勢いで食べ物を口に入れていく。
先ほどとは別人のようだ。俺は有機物な方の道奈が好きだな。
「道奈って結構食べるよね」
もぐもぐと食べるのは一向に辞めずに首だけフルフルと横に振る道奈。否定はするのに、食べるのは辞めないのだな。説得力が皆無である。
その細い体のどこに入るのか。謎は増えていくばかり。
休憩時間は、ただただ道奈が食べ続けて終わった。
そして、残りのテストも前半と同じように無を極めた表情で終わらせた。
「終わった! お腹すいた! あむ、もぐもぐ――」
「私は採点を終わらせるので、その間少し休むように」
道奈が食べながらコクリコクリと首を縦に振る。道奈が異常に食べることに関して先生はノータッチを決め込むようだ。
あれだけ大きかったリュックは見る影もなく、しおれてペシャンコになっていた。自分の仕事をやりきった感がそのリュックから醸し出されている。
「ふー。落ち着いた。やっぱり集中するとお腹がすくね」
確かに空くが道奈ほどではない。
「お疲れ。テストはどうだった?」
「まぁまぁかな? 基礎に絞って昨日勉強したから、なんとかいけたと思う。分からないところも、もちろんあったけどね」
しばらく道奈と談笑していると、先生が採点済みのテストを持って戻ってきた。
「テストを返します。基本がしっかりしているようです。あとは応用に慣れれば合格は問題ないレベルでしょう」
それがテストを元に出した道奈の学力の評価。
よかった。道奈は勉強が得意な方のようだ。
道奈にはあえて言ってないが、俺が通う学校はいわゆるエリートのお金持ち校だ。偏差値も高い。今年の入試でだめだったら、説得して編入試験で入ってもらうつもりだ。
勝手だが、道奈には何が何でも鳳凛学園に合格してもらう。道奈が学校に来るなら絶対に毎日が楽しくなるはずだ。
「今日はありがとうございました。今から帰って応用を重点的に勉強したいと思います」
道奈がぺこりとお辞儀する。帰ってしまうのは少し残念だが、ここは我慢だ。
「意欲があってよろしい。それでは林道君、私たちは授業を始めますよ」
「はい。――道奈、本当は僕が見送りたかったけど、代わりに家の使用人が玄関まで案内してくれるよ。車も用意してあるから。それと、携帯の番号を交換しとこう」
これから受験勉強で会えなくなりそうだから、せめて、いつでも連絡が取れるようにしておきたい。
「あぁそっか。そしたらわざわざじっちゃんの店に来なくても話せるね。でも携帯、家にあるんだ」
「携帯を携帯してないのか…番号は覚えてないの?」
「覚えてないなあ。…最後に使ったのいつだっけ?」
それは携帯を持ってる意味あるのだろうか。
俺の番号だけでも教えておこうかと考えたが、道奈の発言からして、番号の登録方法すら覚えているのか怪しい。なにより忘れそうだ。
なら明日道奈の家に直接行って番号を交換するか…?
いや、勉強の邪魔はなるべくしたくない。
「…試験の1週間前にもう一度に学力テスト受けてみない?」
「え?! いいの?!」
「もちろん、今日と同じで朝の8時に車で迎えに行くよ」
その時、携帯の番号も交換しよう。
「試験の日は確か1月の24日…1週間前ってことは…17日の8時だね!17日の8時。17日の8時。17日の8時。17日の8時。よし覚えた! その日までに携帯探しとく!」
携帯が、もはや消息不明の域に達していた。道奈の携帯が不憫でならない。
「それじゃあ。またね」
「うん、また」
部屋のドアが開いて閉まり終わるまで道奈のことを見つめ続けた。
「そろそろいいですか?」
「あ…待たせてしまってすみません」
「ではこの前の数学の続きから始めましょう」
途中から先生の存在を忘れていた。
何事もなかったかのように授業に入る先生はさすがだと思った。