マジックの後始末で。
「ノー、ノー」
「太眉猫さん! 来てたんですね!」
裏庭で報酬を渡すまで待ちきれなかったのか、劇場の裏に着くと、太眉猫さんが待機していた。ただ待機しているだけなのに、貫禄を感じる。さすがです。創也の車も近くに待機してあるのを尻目で確認した。
「マジックに出てた猫だな。なんというか、近くで見ると大物感がすごい」
「でしょ? だからなんとなく敬語使っちゃうんだよね」
創也の感想に返事をしながら、カバンから猫缶とささみを出した。
「太眉猫さん、報酬の猫缶とささみです」
「ノー!」
喜びの雄叫びにも聞こえる太眉猫さんの鳴き声に急かされるように、缶の蓋を開けて素早く地面に置いた。
「ノンノンノンノン」
「ふっ。面白い鳴き声で食べるな」
太眉猫さん流のむしゃむしゃ音に思わず笑みが溢れる創也。
「そこがまた魅力だよ」
そして、私はしゃがんで太眉猫さんを撫でる。
はぅー。これだこれ。この毛並みなのだ。
「ノンノンノンノン」
なでなでなでなで。
「ノンノンノンノン」
なでなでなでなで。
カシャッ
至福のひとときを堪能していたら、創也の方から聞きなれない音が聞こえた。
何事かと目線を太眉猫さんからあげる。
見ると、創也はスマホの裏面を私に向けて何か操作しているではないか。
カシャッ
また聞こえた。
「創也?」
「笑って?」
なんだ、説明は無しか。
何か分からないが、それくらいどうってことない。
ニコッと笑ってみた。すると、
カシャッ
とまた聞こえる。
「ねえ、創也。さっきから何やってるの?」
「え? 写真いやだった?」
写真。精巧な絵のことか。
ん? 写真はカメラという機械が必要になるのではないのか?
「カメラ無しで写真ができるの?」
「え? スマホにカメラがあるだろ?」
仰天。創也が持っているスマホを見つめながら、目を大きく開いて固まる私。
「道奈、もしかしてスマホにカメラがついてるの知らない?」
「…知らなかった」
常識だぞとでも言いたげな創也の問いに、固まったまま、口だけ動かして伝える。
素直に認めよう。誤魔化したとしても墓穴を掘りそうだ。
それにしても、すごいな。スマホはメールや電話だけでなく、写真も描けるとは。そこに地図機能もついていたら、相当便利な道具だな!
「…道奈の携帯にはカメラ、ついてなかったっけ?」
「そんな、スマホじゃないんだから、ついてないよ。私の携帯はメールと電話と地図が少しみれるだけだね」
じっちゃんが長年愛用している機種だと言ってたな。
「それは…今時珍しいな」
…やはりそんなに古い機種なのか。
創也の言い方からして、今時の携帯にはカメラがついているのが主流なのかもしれない。
テレビ男にカメラもつけてもらえるように言ってみようか。と考えて首を横に振る。
テレビ男にこれ以上何か要求はしない方がいいな。
というようりも、なるべく関わりたくない。
「ノー、ノー」
あ、スマホの新事実で太眉猫さんのことを忘れていた。
猫缶を食べ終えたようなので、袋からささみを取り出す。
「どうぞ! ささみです!」
食べ終えて空いた猫缶に持ってきたささみを全て置いた。
「ノンノンノンノン」
そして、すかさず撫でる私。
「俺も撫でていいと思う?」
「太眉猫さんに聞いてみたらいいよ」
撫でる手をやめずに軽く答えた。
「…撫でてもいいですか?」
「ノンノンノンノン」
「…」
「否定してないからいいってことじゃない? 食べてるうちに撫でちゃいなよ」
コクリと一つ、私を見て頷いて、太眉猫さんに創也がそっと手を伸ばす。
伸ばした途端に空気を含んだ太眉猫さんの毛並みがもふわっと盛り上がった。
「っ!?」
「ね? ね? この毛並みはすごいでしょ。一度触ると二度触りたくなる、このふわふわ感!」
「これは、すごい」
話す言葉はゆっくりなのに対して、手はノンストップで撫でまくっている。
「…裏庭で見つけたって言ってたな」
「そう! 裏庭を探検してたら道に迷って、そしたら太眉猫さんに出会ったの」
「裏庭か。俺も行ってみるよ」
また触りたいと思っているようだな。
その気持ち、わかるぞ。
「猫缶かささみを持って行けば会えるかも。私の時は猫缶の蓋を開けて匂いでおびき寄せたよ」
「はははっ、それいい。今度やってみる」
「今度の探検の日、ついでに一緒に会いに行こっか」
「うん、行こう」
創也と話していると、太眉猫さんがささみを食べ終えた。
「ノー」
「こちらこそ、ありがとうございます。おかげでマジックは大成功です」
「ノー」
「また猫缶かささみを持って会いに行きますね」
「ノー」
そう一鳴きして、太眉猫さんは去って行った。
遠ざかって行く太眉猫さんに手を振っていたら、創也が聞いてくる。
「…道奈は猫の言ってることもわかるとか?」
「え? わかるわけないじゃん。なんとなく話しかけてるだけだよ」
「さっき本当に会話してるみたいだった」
「会話してる感じで話しかけたからかな?」
太眉猫さんが完全に見えなくなったところで、はたと気付いて腕時計で時間を確認する。
「あ、そろそろ控え室が空いた頃だ。行ってくるかな。創也は車で待ってて?」
「俺も運ぶの手伝うよ」
「仕掛けを見られたくないんだ。こればっかりは私がやるよ」
「それ言われたら、待つしかなくなるな。車を裏口の近くに動かしておくよ」
「ありがとう。今持ってくるね!」
創也と一旦別れて控え室のロッカーに向かった。
****
誰もいない控え室の中、私は両手に荷物を抱えていたまま、ドアの前で立ち尽くしていた。
しまったぞ。控え室に入る時、思わずドアを閉めてしまった。両手が塞がっててドアノブを回せない! 閉めずに少しだけ開けておけばと後悔中だ。
どうするかと悩んでいたところに、誰かが外からドアノブをガチャリと回す音をたてた。
「あ! あなたは昼休みの時の!」
「お邪魔してます」
入ってきたのは昼休みに片付けの手伝いをしてくれた助っ人の内の一人の女子生徒だった。あの時はドタバタしていて、ちゃんと見ていなかったが、制服についてあるバッチの色からして中等部二年の先輩だと気づく。
「あの時はありがとうございます。昼休み、最後まで手伝って頂いてとても助かりました」
両手いっぱいに道具を抱えているので軽くぺこりとお辞儀しながらもう一度きちんと伝えた。
「いいわよ、そんなに畏まらなくても。あの後授業に間に合えた?」
「おかげさまで。先輩も間に合えましたか?」
上級生の人は『先輩』と呼ぶのが一般的のようだからこの呼び方であってると思う。
明菜がそう呼んでいたから間違いないだろう。
「ええ、ちゃんと間に合ったから気にしないで? それより、あの時は時間がなくて自己紹介がまだだったわね。私は演劇部で副部長をやってる清水琴波」
なんと、それなりの役職についている生徒だったらしい。
副部長を助っ人に送るなんて、あのメガネ教師の人選の基準はなんなんだ。
「荒木道奈です。副部長なのに、後片付けなんて頼んでしまって、すみません」
しかも上級生だ。肩身が狭いぞ。メガネ教師め、どうしてくれる。
「あははは、荒木ちゃん気にしすぎよ。マジックが気になる気持ち半分と、そのマジックをする子がどんな子なのか見てみたかった気持ち半分で、手伝いを買って出ただけよ」
「そう言って頂けてると心が少し楽になります」
「堅苦しいなぁ。次の作品で主役する予定なんでしょ? 今日こっそり涌井先生から教えてもらったの。これから同じ部活で頑張るんだから、もっと気軽でいいわよ。あ、後片付けに立候補したのは他の二人もそうだからね?」
3人とも自ら手伝いに来てくれていたのか。ますますありがたい。
そして言葉遣いは少しだけ崩すことにする。上級生にそこまで言われたらそうするしかない。
「わかりました。清水先輩、これからよろしくです」
また軽くペコリとお辞儀した。
お辞儀して、ふと気づく。
「あの、本当に私が主役してもいいんでしょうか。その…毎回主役を務める生徒が他にいると、友達から聞いたことがあって」
立花さん、もとい、ジュリエッタ、もとい、茶髪ふわふわカール女子とかね。
七月に入って部活に参加した時、主役を巡って色々と面倒なことが起こったら嫌だな。
「あー…。まあね。初等部の頃から演劇やってる子からいくつかそういう話を私も聞いたことがあるわ」
有名な話なんだな。
「今練習してる劇も現にあの子が主役やってるけど、主役になれるのは、今回一回限りになりそうね」
「その子はそれに関して納得してるんですか?」
納得できているなら面倒事は減りそうだ。
「あの子が主役に立候補した時、涌井先生が条件を出したのよ。七月に文化センターで披露する時、他の学校の演劇部もくるんだけど――演劇の交流会みたいな感じね――そこでお互いの演劇の評価も最後にするの。その子の演技が低評価だった場合は次の作品からその子に主役は無しってことになってるわ。これからは通常通り、主役は先生や他の生徒の推薦、なければオーディションで決める予定よ」
なるほど、メガネ教師は立花さんとも取引したのか。
「って言っても次の主役は王子役だからね。あの子の望むような役じゃ無いから、主役のあなたに突っかかって来たりはしないと思うわよ。それに、涌井先生が言った通り、あなたは次の主役にぴったりだもの」
私が思っていた不安をピンポイントで拭ってくれた。後半の主役にぴったりだ云々は悲しいけどね。私はそんなに男に見えるのか。
「あ、よかったら、もう台本渡しておこうか?」
それはとてもとても助かる。主役なら台詞も多いことだろう。今の内からスキルを使って暗記できるのは、今後のスケジュール的に楽になる。
「はい! お願いします!」
「ちょっと待ってねえ。部長用のが確か、ここに」
そう言って、自分のものと思われるロッカーを開け、中から1冊の紙束を出してきた。
「はい。まだ書き込みとかされてないから。新品よ? 部長にはまた別に印刷して渡せばいいから、遠慮しないこと」
私の遠慮を先読みされてしまった。
「ありがとうございます。安心して役に努められそうです。…えっと、私の脇に挟んでもらってもいいですか?」
両手がふさがって受け取れない!
「ふふふ、いいわよ」
そう言って私が空けた右脇の隙間に差し込んでくれた。
「はい。頑張ってね。次の作品の脚本は私の力作なのっ!」
どうやらこの人が脚本を担当しているようだ。ということは、あのジュリエッタの劇の脚本も清水先輩が…?
「ちなみにどんなジャンルなのか聞いても?」
お願いだ。恋愛以外のもので。恋愛以外で。恋愛以外で。恋愛以外――――
「バトルものよ」
やったあああ!!!
「あははは、バトルものが好きなのようで良かったわ」
はっ、また表情に出ていたらしい。喜びすぎてしまった。
速やかに表情管理を見直して平静に戻る。
「あはははははっ、荒木ちゃん可愛いっ。今更誤魔化してるつもりなの?」
いや、誤魔化しているというかっ、正常に速やかに戻しただけというかっ。
「あ、そうだ。カツラを取りに来たんだった。また会ったら話しましょうね」
わたわたとしているところで、清水先輩が用事を思い出し、会話を切り上げた。
「はい、また今度」
私も創也を待たせているので、それに合わせて清水先輩に挨拶をした。手も振りたいところだが、あいにく両手が塞がっている。代わりに笑顔で見送った。気さくで話しやすそうな人だったな。
うん、仲良くなりそうだ。
そこで気づく。清水先輩が来てくれたおかげでドアノブを回す手間が省けたぞ!
その後、何回か行き来して創也の車に全て荷物を運び出し、無事に後始末を終わらせることができた。
台本はとりあえず、研究を早めに全て終わらせてから、暗記に取り掛かろう。




