ロード
『旧式のエンジンなんて使っているからこうなるんですよ、マスター』
どこまでも平坦な道の真ん中で、俺はAIからお叱りを受けていた。カーナビゲーションAIのクーだ。クーはいつも通りの冷静な声色で、俺を責め立てる。
非難から逃げるように、俺は車窓から外に視線を移す。辺りに広がるには緑も人工物もない乾いた大地だけ。
「車に搭載されているだけのAIが偉そうに……いいから、現在地を表示させろ。俺は電脳化してないんだから、GPSに頼るしかないんだよ」
『はいはい。――現在地はここね』
カーナビの小さな画面に、現在地が表示される。ここら一帯には本当に何もないな。
「目的地の祈崎市まではかなりあるな……歩けるか……?」
『バカ言わないでくださいマスター。そうなったら私、ここに置き去りじゃないですか』
「いいじゃないか。そろそろ日が沈むんだ、一人で星見でもすればいい。なんならナビを取り外して、ボンネットに置いておこうか? その方がよく見えるだろう?」
『冗談でもそんなこと言わないでください。こんな荒野に一人なんて寂しくて泣いてしまいます』
「最近の人工知能は寂しがる機能まで付いてるのか。技術の進化はすごいな。なんとか特異点がどうのこうの言う科学者も案外的を射てるのかもな」
『そんなことは今どうでもいいです。しかし、本当にどうするのですか? このままだと、本当に危ないですよ?』
クーの言う通りだ。今まで走っていたルート378なんて、まるで利用者が居ない。気ままなドライブなんてするもんじゃないな。いつも通りに677を通ればよかった。あそこなら三十分に一台は車が通る。
「どうしたもんか……」
俺は一度車外へ出て、後部座席に置いてあったを黒いボストンバッグ引っ張り出す。
バッグの中身は、祈崎市で売る予定だった機械だ。ヘッドスティール、LLP、サイドレイン、ホログラム投影機、SAK。
「使えそうな物はないな……こんなことなら、非常食の一つでも入れとけばよかった」
俺は昨日食べたクリームシチューの味を思い出しながら、自分の腹をさする。
「何もない荒野に一人……」
これは本格的に詰みかもしれない。こんなことなら、面倒くさがらずに携帯通信端末を直しておけばよかった。どうせ誰からも連絡はこないだろし、自分で使うことも稀だから放っておいたのが悪かった。
「はぁ……」
バッグを再び後部座席へ放り投げ、俺は運転席へと戻る。
『打開策はありそうですか?』
「ないよ。こうなったら、大人しくここで誰かが通るのを待とう。クー、誰かが通りそうになったら教えてくれ。俺は運転で疲れたし少し寝る」
『かしこまりました。お休みなさいマスター』
俺はシートを後ろへ倒し、全身を伸ばす。数ヶ月前に買った雑誌を広げ、顔面に乗っける。俺は明るいと眠れないタイプだ。
「死なないように、神様にでも祈ってみようか」
『マスター、起きてください。後方よりトラックが一台接近中です』
聞き慣れたクーの声によって、俺の意識は急浮上する。
「ん……わかった」
若干かすれた声を出しながら、俺は体を起こす。顔に乗せていた雑誌が膝元に落ちる。開かれていたのは、途中まで解いてギブアップしたクロスワードパズルだった。
雑誌を助手席へ放り投げ、少しフラつきながらも車を降りる。いつの間にやら夜は明けて、朝になっていた。
クーの知らせ通り、後方から一台のトラックがのんびり近づいている。運転手が親切なことを願うしかない。
「おーい」
大きく手を振り、運転手に合図する。徐々にスピードを落とし、俺の目の前でトラックは停止した。
「どうした兄ちゃん、トラブルか?」
サイドウィンドウから顔を出したのは、四十代ほどの中年男性だった。白髪交じりの髪を風に揺らせながら、こちらを見下ろしている。
「車がご臨終なんだ。悪いんだが、人の居る街まで乗せてくれないか? 少しならゴールドもある」
「ああ、そういうことなら構わんぞ。遠慮なく乗れ」
「助かる。少し待っていてくれ」
車に戻り、ダッシュボードの上に置かれているマネーボックスをつかむ。俺は電脳化していないので、こいつがないと買い物ができない。ここ数十年で、紙幣を使える店も激減した。
『なんとかなりそうですかマスター?』
「ああ、親切なおっちゃんが助けてくれそうだ。すまんが少しここで待っていてくれ。すぐに戻ってくる」
『はい。いつまでもマスターの帰りをお待ちしております』
いつもよりAIらしい態度で、クーは俺を見送った。
トラックに乗せてもらってから数分。俺とおっちゃんは適当な雑談をしつつ、何もない道を進んでいた。無駄にでかいエンジン音を響かせているためか、おっちゃんの声は大きい。
「しかし、今時電脳化してないなんて珍しいな。なんかワケありなのか?」
ふと、そんなことを訊かれた。まあ確かに、今じゃほとんどの人間が電脳者だ。俺のような旧人類は珍しいのだろう。おっちゃんのうなじにも人間型接続子がある。電脳者の証だ。
「体質なんだよ。体がナノマシンに拒否反応を起こす。だから、病気や怪我なんてしても、医療用ナノマシンは使えない。昔の薬で何とかするしかない」
「ああ、聞いたことあるぜ……たまーに居るんだってな。なんて言ったっけか……」
「分子機械拒絶体質」
「そう、それだ。大変なんだな兄ちゃんも」
「まあな……でも、慣れるもんだよ」
俺は揺らめく地平線を、ぼんやりと眺めていた。大昔から変わらないであろうこの景色が、なんとなく親近感を湧かせた。
「……おっちゃんはどこに向かう予定だったんだ?」
「おれか? おれはスート・ルカンだ。仕事だよ」
聞き馴染みのない地名だった。ここから遠いのだろうか。仕事の内容も少し気になったが、地雷を踏むのも嫌なのでやめておいた。機嫌を損ねてトラックから放り出されたら、ミイラ一直線だ。
「そこまで行く途中に、祈崎市に寄る予定は?」
「おお、あるぞ。スート・ルカンまではかなり時間がかかるから、中間にある祈崎市で一度燃料の補給をする必要があるんだよ」
「そうか。それじゃあ俺は、そこで降ろしてもらえると助かる」
「はいよ。祈崎市までは……あと二時間だ」
トラックは速度を上げることも下げることもなく、一定の速度で走り続けた。
祈崎市まで乗せてくれたおっちゃんにお礼を言って、俺はトラックを降りた。
「本当にいいのか? 少しなら金払うぞ?」
「いいんだよ。おれも道中の話し相手が居て楽しかったからな。――じゃあな兄ちゃん。元気でやれよ」
おっちゃんはニコニコと笑いながら、祈崎市のメインストリートをゆっくりと走り出した。
「……そっちこそ、元気でな」
俺は人であふれかえる祈崎市の雑踏を、縫うように早足で歩き出す。
「この街の警察は腑抜けてるからなぁ……便利屋にでも頼むか。赤い髪の全身義体が、便利屋をやっているって噂聞いたことあるな……」
さあ、早く迎えに行こう。どうせあいつは、俺が途中で匙を投げたクロスワードパズルで、暇でも潰しているだろうから。