婚約破棄のその後で
『おい、何やってるんだ、ブサイク。』
はじまりは、そんな最悪すぎる言葉だった。
「公爵令嬢ジュリアーヌ・ロイズ、ヒルダを虐めたことにより、お前との婚約を破棄する!」
その言葉に周りにいた人々の動きが止まった。
一瞬の静寂の後、ざわつきが起こる。
それもそのはず、その言葉を言ったのはこの国の
王太子である第二王子フリード・クロスディアで、この場所はよりにもよって舞踏会の真ん中である。
彼の後ろには、第二王子と恋仲であると噂されている伯爵令嬢が勝ち誇った顔を必死に扇子で隠してうつむいている。
その喧騒の中、その言葉を言われた当人は顔色を変えることすらせず、
「…虐めたとは?」
と聞き返した。その無表情は氷の姫というあだ名に相応しい。
「私、何回も彼女に殿下に近づくなと脅され、ドレスを破かれたり、魔法で持ち物を壊されたりしましたわ。…そして、この前は身を退かなければ殺すと言われました。皆様も私が何者かに襲われたことはご存知でしょう。」
涙ながらに訴える伯爵令嬢をちらりと見て、彼女は、
「それで?」
と言い放った。
「な、何ですの? その態度は! 私に対しての謝罪もございませんの!?」
殊勝な振りをかなぐり捨てて怒鳴った伯爵令嬢に淡々と言い返す。
「覚えが全くございません。それに、私が覚えている限りでは話したこともありませんが? 証拠はありますの?」
「ヒルダが嘘をつくはずがないのに、見苦しいことだな。素直に認めればいいものを。自分の置かれている状況を自覚するのだな。」
憎々しげに言う第二王子をちらりと見てから、小さく溜め息をつく。
「状況を自覚なさった方がいいのはそちらでは?」
「何だと!」
「…分からないのなら私が説明させていただきます。
まず、証拠もないのに公爵令嬢である私を糾弾している。ヒルダ様は私よりも身分が下ですので、立派な侮辱罪ですね。
そして、私達の婚約は陛下が定めたもの。私達の一存でどうにかなるものではございません。
さらには、場所ですわね。この場所には、国外から招かれた方々もいらしております。…国の恥晒しですわね。」
「な! 貴様!」
激昂した、第二王子が手を振りかぶる。
高いヒールと、たっぷりと布を使ったドレスでは、急な動きなど出来るはずもなく、衝撃に構える。
「そこまでだ。」
静かな声で場を支配した人物が、手をつかみ上げた。
第二王子と同じ色彩を持ち、4、5歳ほど年上だろう青年の正体など言わずもがなである。
日陰王子と呼ばれるこの国の第一王子その人だ。
「女性に手をあげるとは何事だ? 王族としての誇りも忘れたか。」
「おや、兄上はこの女の味方をすると?」
「味方、などではなく、彼女が正しいのはどこから見ても明らかだ。いい加減、身分に相応しい振る舞いをしてほしいものだが。」
その言葉を聞いた第二王子は、嘲るような顔してから掴まれた手を振り払う。
「身分に相応しい、ね。それはそちらでは? この国の王太子である私に随分なことを言うじゃないですか。」
その言葉に第一王子は眉をひそめる。
「フリード、いい加減にしろ。」
「ああ、それとも、これでこの女に恩でも売るおつもりで? 知っていますよ。この女の姉は貴方の元婚約者でしょう。貴方と婚約させる為に引き取られたのに、貴方が王太子でなくなったから役立たずになった可哀想なご令嬢。確かもうじき、辺境伯の後妻として嫁ぐとか。もう、どうにもならないのに哀れなことで。」
周りがざわめく。このことはこの国では、公然の秘密である。
もし、第一王子の行動が彼女に恩を売るためなら、果たしてどちらが正しいのだろうか。
「私のことをおっしゃいました?」
凜とした声が響いた。
地味なドレスを着た女性がふわりと微笑みそこに立っている。
「…お姉さま。」
ぽつりとジュリアーヌの声が漏れる。
「直接お目にかかるのは、初めてですわね。ロイズ家の長女、エリーゼと申します。」
「ああ、あなたが…」
「先に謝らせていただきますね。」
パシーンッッ
盛大な平手打ちの音が響きわたった。
「な! あんた、フリード様に何するのよ!」
「お黙りなさい!」
清楚な雰囲気をかなぐり捨て、一喝する。
「ふざけたことを言わないでくださいませ。証拠も無いのに、人を糾弾するなど王族として教育を受けたと思えませんわ。その悪趣味な憶測もです。殿下は職務に従って事実を突き止めただけの話。調べたのは王宮の調査員です。私情を挟む余地がどこにあるのですか。」
「…っ、いきなり人を叩く貴女はさぞかし礼儀がなっているのでしょうね?」
その言葉に鮮やかに笑う。
「まあ、そんなことございません。無礼は承知の上でございます。ただ、私の大事な妹を傷つけようとした人を誰であろうと許す訳がない、それだけのことです。処罰なさるなら、どうぞお好きに。女性に手をだそうとした素敵な王太子様?」
彼女の凜とした宣言に会場が呑まれる。
王太子が悔しそうに、軽く俯きながら何事かを呟く。
エリーゼには聞こえていたようで、ほんの少しだけ表情を崩した。
そんな彼女の肩にそっと手を置いて、第一王子が先程の言葉の続きを言った。
「ヒルダ嬢、あなたが襲われたと言った事件。自作自演だな?」
「な、なんてことをおっしゃるのです!」
「調べはついてる。あなたの家は裏で、国の犯罪組織とつながっていたな。そして、フリードの母親の実家もだ。」
「お祖父様がそんなことを!」
「止めないか。」
疲れたような声が場の喧騒を止める。
「…陛下。」
「…フリード。お前を王族から外す。」
「なぜです! 兄上が言った嘘を信じるのですか!?」
「信じるも信じないもない。事実だ。彼女の言葉に惑わされ、お前を王太子にした私が愚かだった。衛兵、連れていってくれ。」
未だに騒ぎ立てる二人が引きずって行かれ、場が静かになる。
「王太子を今日を持って、第一王子ルーカスとする。…ジュリアーヌ嬢。」
「はい。」
呼ばれた彼女が王の目の前まで行って、礼をとる。
「迷惑をかけたな。何か、望みはあるか? 可能な限り叶えよう。」
「恐れながら、私の姉とルーカス様の結婚を認めてほしく存じます。」
背後に立っていた二人が息を飲む。
「お前が、婚約するのでは無くか?」
「はい。姉は王妃として充分すぎる女性だと思っておりますので。…それに、私、実は好きな方がいるんですの。」
先ほどの無表情が嘘のように、ふわりと美しく笑う。
無表情ゆえに氷の姫と呼ばれている彼女の初めての笑顔に周りの人々は息を飲んだ。
「分かった。婚約をみとめよう。」
周りから歓声が上がる。
会場が先ほどの空気を払拭するように賑やかになり、多くの人がルーカスとエリーゼの周りを取り囲む。もちろん、ジュリアーヌの周りにも。
先程まで、遠巻きにしていたというのに現金なものである。
そんな中、エリーゼはふと周りに笑いかけ、こう言った。
「申し訳ございません。靴が合ってなかったようで、足が痛くて。少し、退出してもいいでしょうか?」
「大丈夫か? すまない、察してやれなくて。」
「そうですわね。じゃあ、いっしょに来ていただけません?」
「しかし、二人して抜けるのは…」
そんな二人に、呆れた風にジュリアーヌが声をかける。
「ルーカス殿下。お姉様の気持ちを察して差し上げてくださいな。二人で、ということでしょう?」
その言葉にルーカスは顔を赤くし、周りは王太子夫妻となるだろう恋人達の仲むつまじさに顔を見合わせ微笑んだ。
広間を出て、衣装室に向かうのではなく近くの部屋に入る。
「エリーゼ、靴はいいのか?」
「ルーカス様、ごまかさなくていいですよ。」
「…何のことだ?」
「…私にだけは、隠さないでほしいのです。」
そう言って、真っ直ぐ自分を見る彼女に、内心で苦笑する。ああ、本当に素晴らしい女性である。
「…アイツは、馬鹿だ。本当に馬鹿だよ。」
言った瞬間に、涙が出るのが堪えきれない。
「…そうですわね。本当に、馬鹿な子達ですわ。」
そう言って、恋人を抱きしめる。
窓からの月明かりが、そっと二人を照らしていた。
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真夜中、ジュリアーヌは王城の庭を歩いていた。
やっていることは魔法の不法使用による完全なる不法侵入で、今までのことを考慮してもバレたら確実に牢獄行きだ。
アイツは何をやらせるんだとため息をつく。王族を幽閉する為の塔に魔法を使ってそっと忍び込み、部屋の中に入る。
中にいた人物が振り返る。
呑気な顔に苛立ちを覚えながら、お淑やかさをかなぐり捨てて怒鳴った。
「頼まれたとーり、持ってきたわよ! この馬鹿王太子フリード様!」
「お、あんがとさん、ジュリア! それから、元な。」
にっと笑った彼がいそいそとこちらにやって来て、酒のラベルを見て歓声を上げる。
本当に、先ほどの馬鹿王子と同じ人とは思えないなあ、と内心で呟く。
取り出した酒を二人分ついだフリードは、にっこり笑ってグラスを掲げこう言った。
「それでは、無事に終わった婚約破棄に乾杯!」
ため息をつきながらも、それにならう。
「…はいはい、あんたの演技力に乾杯!」
フリードが勢いよくお酒を煽るのを横目で見ながら、一応上品にグラスを傾ける。
フリードの口調が移ってしまい、素の口調は荒くなってしまったが、私は淑女なのである。お姉さまにかなわないながらも、一応ながらは、上品にしておこう。
「ん、俺の顔になんか付いてる?」
「いや、あんたの別人さに呆れてる。」
「お褒めに預かり光栄です。お前はもうちょっとどうにかならなかったの、あの無表情。」
「出来るか! 笑い出さなかっただけ褒めてよ。もう、ヤバかったんだから。」
「ああ、笑えたよな~、考えることの全てがテンプレで、アホ臭くて。すっげえやりやすかった!」
「素直な方よね、ある意味で。まあ、あんたのいつも行動見て分かる人なんて殆どいないだろうけど。本当に、馬鹿の極みって感じだったし。」
そう言うとクスリと笑って、
「ウチの母上と、お祖父様はそんな風に育って欲しかったみたいだけどな。っとに、腐ってるっていうか、あの王様といっしょにするんじゃねーよっていうかな。」
その笑みは、顔が整っていることもあり、格好いいのだが黒さが滲み出しすぎて怖い。そっと目を逸らす。
そう、元々王太子になる筈だった殿下を差し置いて、フリードが王太子なんてやっていた理由は現国王の無能だったりする。元王妃、ルーカス殿下のお母上、が亡くなった後、フリードの祖父は国王に甘言を囁き、娘をあてがい、王が興味を無くした政治を補佐した。
国王は彼らを信用してしまい、なんでも言うことを聞いてしまったのである。元々存在した第一子が王太子になるという慣習を歪めるほどに。
そうして宮廷は荒れに荒れた。
幼いフリードは、自分を傀儡にする為にすり寄ってくる馬鹿貴族と、優しい兄王子への周りの扱いにブチ切れた。
元々優秀なのを隠して、取り入ってくる貴族共を無能を演じて潰し、国の為に、兄王子の為に奔走する。
要は、腹黒い本性を無能を演じて隠す愛国者。
それがフリードの本性である。
今回の婚約破棄だって、王太子としての後ろ盾であった婚約を無くすついでに、元凶である彼の祖父やその他の馬鹿貴族を一掃する為にずっと前から錬られていた茶番である。
「にしても、お前の姉上は素晴らしいな。場の空気の変え方といい、度胸といい王妃に相応しい。兄上の見る目は流石だな。」
「っ、でしょう!! 本当に、優しくて、優雅で、頭もよくて、気品もあって、心根も強い、素晴らしい方なのよ! お姉様は!」
「…そうだなあ。お前とは、大違いだよ。シスコン、はねかっえりご令嬢。」
「その言葉、そのまま返すわ。陰険、腹黒ブラコン男。ルーカス殿下、優秀なだけじゃなく、性格もいいからね。
」
「事実を言われたところで、全く傷つかん。兄上は、王に相応しい素晴らしい方だぞ。」
「そうね。ルーカス殿下だったら、初対面で人をブサイク呼ばわりなんて絶対しない。」
フリードがワインを吹き出した。汚いし、それは確か一本で騎士の年収に匹敵する代物である。…もったいないなさ過ぎて、目眩がしそうだ。
「もったいない! 何してんのよ!」
「悪い、っていうか、まだ覚えてて、根に持ってんのかよ!」
「当たり前でしょう。忘れる訳ないわよ。私達の契約の始まりなんだから。」
幼い頃、私の世界は幸福に満ちていた。
私の魔法の才は素晴らしいと評判でいつも皆に褒め称えられた。両親はあまり私にかまってくれなかったけど、優しいお姉様がいつも側にいてくれた。
だから、私はいつも幸せだった。
ある日、度々お城に行っていたお姉様はパッタリとお城に行かなくなった。
悲しそうに笑うようになって、何を言ってもごまかされた。
大好きなお姉様が悲しそうなので、私も悲しかった。
ある日、私はお父様にお城に連れて行かれた。
お城では、お父様は大人達と話してばかりで、私はつまらなくなり魔法を使って抜け出した。
透明化の魔法のおかげで誰にも気付かれず、知らない場所を探検するのはとても楽しい。
気付くと使用人の休憩室などがある区画に来てしまっていた。
そろそろ、戻らないと怒られるだろう。戻ろうとしたら、休憩室から声が聞こえた。
「ねえ、噂の公爵様いらしてるって。」
城に来ている公爵とは、自分たちのことだろう。噂とはなんだろう。
興味が出て、こっそりと会話を伺う。
「ああ、第二王子様が王太子様になったから、今度は次女が婚約者になるんだってね。しかし、気の毒だね。ルーカス殿下もエリーゼ様も。婚約解消されたんだろう。しかし、なんだってことになったんだい。」
「なんでも、エリーゼ様は養女らしい。ルーカス殿下と婚約させる為に引き取ったんだけど、その後に自分たちに娘が生まれて。第二王子とお年も近いし、やっぱり自分の娘の方が可愛いのか、第二王子派になって、次女を王太子の婚約者にしたらしいよ。」
「じゃあ、エリーゼ様はお払い箱ってことかい。おかわいそうに。」
頭が真っ白になった。
何それ、私知らない。
お姉様は、私の本当のお姉様じゃないの?
お姉様は、ルーカス殿下のこと本当に大好きって言ってたのに、婚約解消ってどういうこと?
……お姉様が、悲しそうだったのは、全部全部私のせいなの?
気付いたら、涙が溢れて止まらなかった。
走って、その場から逃げ去る。
たどり着いたのは、城の庭の隅で、誰もいないのをいいことに、魔法を解いて泣きじゃくる。
どうしたらいいなんてわからなかった。
ただ、自分が大好きな人を不幸にしてたことが、辛くて辛くて仕方がなかった。
私は側に誰かが来たこともわからないくらいに泣きじゃくっていた。
「おい、何やってるんだ。ブサイク。」
突然の暴言に、顔をあげると、すごく顔の綺麗な男の子が立っていた。着ているものも、すごく立派である。
泣いてるのを見られたのが恥ずかしくて、精一杯睨んで答える。
「貴方こそ、何なんですか。人のことブサイクなんて、礼儀をしりませんの?しかも、まるで、平民のような汚い言葉使い。」
「泣きまくって、顔腫らしてるヤツはブサイクで充分。言葉使いは、平民に混じって遊んでたら移ったんだよ。」
「…なんで、そんなことしているの?」
「…周りのヤツらが勉強なんてしなくていいとか言って、全然させてくれないから俺なりに学ぼうと思ったんだ。兄上には程遠いけど。とゆーか、お前誰?」
「…ロイズ家の次女、ジュリアーヌです。」
「え、お前が!? とゆーか、尚更、なんでこんなところで泣いてんの?」
その言葉に再び涙がこぼれ落ちる。
「お姉様が、私のせいで、ずっと悲しそうなの。なんで? 私、王太子の婚約者なんていらないよ。なんで、お姉様がルーカス殿下といっしょになれないの? なんで、お姉様は全部知ってるのに優しいの? 本当は私のこと、嫌いなの?」
怖くて、辛くて、悲しくて、どうしたらいいのかわからない。
「…泣くな!」
突然、怒鳴りつけられて、ギョッとする。
「泣いてるだけじゃ、何も変わらないから。自分で動かなきゃどうにもならねーぞ。」
「…どうしたらいいのかも、わからないの。」
「じゃあ、教えてやるから。契約しよーぜ。」
「契約?」
ポカンとして、見上げると、ニッと笑って手を差し出された。
「俺は、フリード。この国の第二王子で、最近、王太子になったお前の婚約者な。俺も、こんなのいらない。兄上に王様になってほしい。だから、契約しよう。婚約破棄する為に、大事な人の為に動こう。そしたら、最高のハッピーエンド見せてやる。」
差し出された手をおずおずと取る。
その手は暖かった。
そんな風に交わした契約は、人前では不仲を装う、情報収集を手伝う、などなどな婚約者としての甘さなんて零なものだった。
しかも、私の魔法の才能は便利だったらしく、公爵令嬢、いや、普通の女の子だったら一生経験しないようなこともやらされた。
本当に鬼畜である。
そして、今日でこの契約はおしまいだ。
「…ねえ、本当に良かったの? 殿下、泣いてらしたわよ。」
主役の二人が少しだけ席を外した理由なんて彼の人柄を知っていればわかるのだ。
「…兄上、優しいからなぁ。初めから悲しませんの知ってたよ。だけど、俺が王太子でいたら、国が荒れるし、兄上に必要以上の苦労を強いる。だったら、不出来で馬鹿な王子になる。それが、俺を支えようとしてくれた兄上に出来る唯一のことだから。」
コイツは自分がどういう顔して笑ってるのかわかってないんだろう。ああ、本当に優秀で不器用な馬鹿である。
「…で、この後どうすんの?」
「ん? ああ、事情知ってるヤツに協力してもらって死んだことにしてから、冒険者でもやろうかな、と。」
「…意外。」
コイツはその手の職業に憧れるような性格では無い。
「南の方がな、きな臭いらしいんだ。冒険者なら、行くのは不自然じゃ無いだろ。じっとしてんの性に合わないから、探ってくるわ。」
「前言撤回、あんたらしい。」
本当に呆れるほどにお国大事な愛国者である。
「…でさ、呼び出した理由なんだけどさ。」
「お酒届けろってことじゃ無いの?」
「…んなことだけで、お前にこんな危ないことやらせる訳ねーだろ。」
実に不本意そうな顔で睨まれる。
今まで、やらされたことを忘れたのだろうか。こんな法律違反一度や二度じゃないぞ。
「…お前、好きなヤツいるって言ってたじゃん。」
「…いるわね。この上なく、望み薄な感じだけど。」
「優秀なんだけど、仕事馬鹿で、腹黒で、性格が良いとは言えない馬鹿だっけ? なんか、ろくでもなさそうな感じだよな。」
「…よく覚えてるわね~。」
絶対、聞いてすら無いと思ってたわ。
「ま、お前、俺との婚約破棄したし望み薄じゃ無くなったろ。お前くらいの令嬢だったら、どこの家も大歓迎だろうし。…ただ、結婚した後、もしお前が幸せにならなかったら。」
真剣な目が私を射抜く。
「何があろうと攫いに行く。」
息を詰める私に、へらりと表情を崩して笑いかける。
「…なんて。驚いた?」
その笑顔を見た瞬間、思いっきりフリードの頬に拳を振り抜いていた。
「っっっ~~~。お前、いくら嫌でも、これはないだろ。」
そう言ったフリードは、顔を上げて私を見た瞬間、息を詰まらせた。
「…お前、なんで泣いてんだよ。」
「なんではこっちのセリフよ!」
更にフリードの胸に拳を叩きつけながら、叫ぶ。
「なんで今更、そんなこと言うのよ。婚約破棄も終わって、契約も終了するの。あんたとの関係は、今日で終わっちゃうのよ。なんで、そんな私が好きみたいなこと言うのよ。」
知っている。
コイツがいつも頑張ってたことを。
知っている。
本当は嘘とかつくの大嫌いなのを。
知っている。
コイツが描くハッピーエンドにコイツ自身がいないことを。
なのに、他人のことにばかり一生懸命で、大変なの自分なのに私のことばかり心配する貴方が。
私に道を示してくれた貴方が。
「ずっと、ずっと大好きだったのに、 なんで今更そんなこと言うのよ!」
契約内容は、全部クリアで私達をつなぐものはもう一つも無い。
婚約破棄前提の婚約で、彼を心から、愛した私はきっと馬鹿だ。
だけど、彼が望む協力者でいたかったから、ずっと隠してきて、告げるつもりも無い気持ちだったのに。
涙がボロボロとこぼれ落ちる。
最悪だ。あの日から、ずっと泣かないようにしてきたのに。
「お前が泣いてるの見るのあの日以来だな。」
「…誰の、せいよ。」
「…俺だな。」
彼の顔を見たくなくて、必死で俯く。
「…俺は、もう何も持っていない。公爵令嬢であるお前に相応しいものなんて、一個も無い。俺以外のヤツ選んだ方が幸せになれる。」
その冷静な言葉に唇を噛む。
当たり前だ。彼は、いつだって一番理性的な判断をする。
「…だけど、本当はそんなこと想像だってしたくない。お前が他の男の隣で笑ってる姿なんて見たくないんだ。」
え?
思わず、顔を上げると彼は困ったように笑う。
「俺は、お前が思ってるほど賢くない。呼び出したのだって、お前に少しでも覚えてて欲しかっただけで、遠くに行くのもお前が好きな男とウマくやるのを見たくないだけだ。本当にカッコ悪い。
だけど、それでもいいって言うなら。」
フリードがそっと跪き、私の指先に口付ける。
「金も無い。苦労させる。なるべく優しくしたいけど、怒らせるかもしれない。だけど、俺はお前が欲しい。王太子も、公爵令嬢もいらない。だけど、意地っ張りで、愛情深くて、ひたむきなお前がずっとずっと欲しかった。」
嬉しくて、涙が出る。
やっぱり、泣き止まない私を彼が不安げに見つめる。
その胸元に飛び込んだ。
ああ、なんておかしい。
婚約破棄前提の婚約をして、婚約破棄して、その後、ようやく愛を伝えあう。
だけど、ひねくれた私達にはぴったりかもしれない。
「あげる。私のあげれるもの全部あげるから、ずっと貴方といっしょにいたい。」
彼が、私の顔を見て笑う。
嬉しそうに、本当に嬉しそうに。
ああ、婚約破棄のその後で、私はようやく幸せを掴んだ。