ジャマイカへ
バブルで賑わう渋谷の夜、22歳の青年、 黒川晃は、
ひと月前に入店したバイト先のカフェバー「HK」でウエイターとして働いていた。
道玄坂の途中にあるビルの地下一階、スナックの居ぬきで始めた店内は薄暗く
スナックで使われていた趣味の悪いソファーのテーブル席が四つ、カウンターが八席
天井にはミラーボールが回っていて、洒落たBGMなどはかけず
いつもマスターの好きな矢沢永吉のコンサートのレーザーディスクがエンドレスで流れていた。
サミー・デイビスJrそっくりのマスターと短大生の植竹ふみえ
簿記の専門学校に通う副島佳樹、大学を中退しても田舎に戻らずに東京にしがみついて
何かのチャンスを待っているような晃。この四人がこの店のスタッフだ。
マスターは経験者だと聞いているが定番のカクテル以外のオーダーが入るたびにアンチョコを見ている。
それでも軽食なども手際よく作るし味も悪くない。
しゃべりも上手いのでカウンターはいつも常連で埋まった。
しかしその日は店を開けて早々に見たことのない男女がカウンターに腰かけた。
ホストが着るようなブルーのスーツに黒のシャツに黄色のネクタイの男はまだ二十代に見える。
とさかを立てた長い髪にボディコンの女が男のタバコに火を点けた。
「ご注文は?」晃が尋ねると男は
「もうマスターが作りはじめてるよ」と切り返した。
カウンターの中でシェイカーを振り終えたマスターがショートカクテルを二人に差し出した。
「オーナーは初めてでしたっけ?こいつヒカルって言います。まだひと月くらいなんで、
なにもできないんですが、、おいヒカル、挨拶しなさい。」
え?マスターって雇われマスターだったのか・・。
「はじめまして、黒川晃です。よろしくお願いします。」
「俺はたまにしか顔出さないけど覚えといてくれよ。オーナーの片岡だ。現役大学生だけどな。ま、頑張って働いてくれ。」
大学生で社長かよ、、大したもんだねえ。
「はい、頑張ります。」
「マスター、雰囲気台無しだから永ちゃんはよしなって言ってるだろ。。」
「ああ、すいません、好きなもんでつい。。常連も永ちゃんファンが多くて。。」
「やめてよ、うちの店で族の集会やんの。あ、そうだ、今ね、この店の新しい展開考えてんだ。」
「そうなんですか?どんな感じに・・。」
「昨夜さ映画観たんだよ、トム・クルーズのカクテルってやつ」
「ああ、私も観ました、派手なボトルパフォーマンスでカッコいいですよね。」
「だろ?うちでもあれやろうと思ってさ、そうすりゃ若い女の子たくさん来るぞ。」
「え?でも私はあんな曲芸みたいな真似できませんよ。。」
「マスターじゃダメだよ。若くてカッコいい男の子がやらないと。」
「と、言うと?」
「おい、ヒカルくん、君さカクテル作れるの?」
「いえ、オーナー、僕はまだ三種類くらいしか・・。」
「そうか、ヒカルくんは学生?」
「いえ、今はここのバイトだけなんです。」
「じゃあさ、修行に行ってきなよ、一か月くらい修行すりゃなんとかなんだろ。その間に店も改装しとくからさ。」
「え?修行ってどこにですか?」
「映画の舞台ってどこだっけ?なんか南のほうの島じゃなかった?」
「まさか海外に行くんですか?」
「あれ?なんか問題ある?彼女とか淋しがるなら連れてっちゃいなよ。金は全部出すからさ。」
「い、いや、彼女とかいないんで・・。」
「お、じゃあ決まりじゃん!明後日出発でいいか、場所は明日までに決めとくわ。」
思いもよらぬ急展開に口を開きっぱなしのマスターが尋ねる。
「あのお、改装って?営業はどうするんですか?」
「来週あたりから改装やっちゃうか、あ、マスターはさ来月新宿にクラブをオープンさせるからそっちの店に行って、あ、ふみえちゃんも新宿に回ってね。副島くんはヒカルくんが戻ったら引き続きここで働いて。
じゃあ明日また来るからさ。」
立ち尽くすだけのスタッフを残し片岡と女はドアを開け出て行ってしまった。
照りつける灼熱の太陽、賑わうビーチ、晃は南米、ジャマイカの地を踏んでいた。
バイト先の大学生オーナー、片岡の思い付きで急に海外修行に送り出された晃。
一週間前にジャマイカに降り立つとその日の夜から片岡が話をつけた現地のBARで働き始めた。
キングストンの高級ホテルを借り、日本語のできる日系人のタナカを現地での世話役につけてもらい、
キングストンでも有名な派手なパフォーマンスをするモーガンというバーテンを紹介してもらった。
夜はBARでカクテルの配合を覚え、昼はビーチでボトルを使ったパフォーマンスの特訓。
元来に器用な晃は一週間もするとビーチの海水浴客から拍手をもらうほどに上達した。
その日、昼の練習が終わるとモーガンがタナカに耳打ちをしている。
「どうしたの?タナカ」
「モーガンが君と僕を彼のラボへ連れて行きたいと言ってるんだ。今夜は店の定休日だから一緒に行ってみるかい?」
「ラボ?」
「研究室ってとこかな、彼は自分でカクテルの研究をしてるんだ。主にドライベルモットの試作なんだけどね。」
「ドライベルモットってチンザノとかの?」
「そうさ、行ってみる?」
「へえ、おもしろそうだね。ぜひ。」
見晴らしのいい高台に建つ真っ白でラグジュアリーなモーガンの家に招待された。
こんな家を持てるなんてバーテンでも有名になれば高額のギャランティがもらえるのかと夢を見る。
いくつもある部屋の一番奥の右の部屋、ここがモーガンのラボだ。部屋にはカウンターがしつらえてあるのかと想像していたが、中はいろんな種類のリカーといろんな種類の植物が育てられていた。
「なるほど、これは確かに研究室だ。なぜこんなに植物があるの?」
モーガンがひとしきり話すとタナカが説明してくれた。
「ドライベルモットはもともとは白ワインなんだ。そこにヨモギやハーブとかスパイスを配合して作るのさ。モーガンはいろんな草やスパイスを試しながらオリジナルのドライベルモットを作ってるんだ。」
「へえ、すごいね。なにか飲んでみたいな(笑)」
「Ok,all right!」
モーガンはなにやら英語の筆記体の走り書きのメモが貼ってあるボトル手に取った。
ボトルの中には草が何種類か入っているようだ。
それをグラスに注いで怪しげに笑うと晃に手渡した。
晃はまずは匂いを嗅いだ。
「うん、いい香りだね、ハーブのような少しスパイシーな香り。。いただきます。」
一口飲むとなんだか気分が高揚するのが分かった。脳からなにか分泌されてる。ハイになってる。
「これは?」
ボトルのメモを読んだタナカが呆れた顔で笑った。
「ヒカル、これは君の国で作ったら警察に捕まるよ。ドラッグに使える草がいろいろ入ってる(笑)」
「ちょっと~、変なもの飲ませないでよ~ なんか楽しい気持ちになったけど、グルグル回ってきた。」
「Next」
今度は別のボトルから一杯グラスに注ぎ晃に手渡した。
「今度はなあに(笑)」
一口飲んだ晃の目から突然涙があふれ出た。
「うう。。日本に帰りたい。。うう。。」
モーガンは得意顔でタナカに説明している。
「Next..」
次のグラスを受け取ると晃は号泣しながら一気に飲みほした。
うつろな目でタナカを見つめると晃はタナカに飛びつき床に押し倒した。
「タナカ!好きだ!大好きだ!」
そう言うとタナカの唇に舌をねじ込んだ。
「Oh!no!no!ヒカル!やめろ!助けて!」
モーガンは大笑いしながらヒカルを押さえつけ次のドライベルモットを無理やり飲ませた。
タナカはゼエゼエと息をきらし
「ヒカル、正気に戻してもらえたようだね(笑)」
「いったいどうなってるの?これ」
「モーガンが言うには、二杯目に飲んだやつは悲しみや淋しさの感情を刺激するものらしい、三杯目のやつは目の前の者を猛烈に愛してしまうドライベルモットらしいな(笑)最後のは中和するためのやつだろう。」
「ほんとかよ、すごいよモーガン!人の感情を操れるお酒なんて。」
モーガンは嬉しそうに今、新たに研究しているドライベルモットの説明をした。
「人の記憶を消すだって? まさか本当にそんなことができるのか?」
「今、七割がた出来てるそうだ。完成の為にもう一つ新種のハーブを作りたいそうだ。」
「モーガン、その手伝いを僕にさせてくれないか。頼むよ!」
「OK!yoroshikuonegaishimasu(笑)」
ひと月で帰国のはずだったカクテル修行は一年のカクテル研究へと変わっていた。
その間に日本ではバブルがはじけ、オーナー片岡はただの大学生になり、持っていた店舗をすべて手放した。
ジャマイカに来て一年、たくましく日焼けした晃はノーマン・マンレー空港まで見送りに来たタナカとモーガンに握手をした。
「素晴らしい体験をさせてもらって感謝しているよ。ありがとう。」
「日本に戻ってもガンバレよ。それと、アレは悪用しないようにな(笑)」
「もちろんさ、使い方を間違えたらとんでもないことになる。アレは封印するよ。じゃあな、二人ともいつか日本にきてくれよ。」
「ああ、必ず行くとも、ただし、もうディープキスは勘弁してくれ(笑)」
飛行機の窓から遠ざかる島を見つめ晃はジャマイカを飛び立った。
そしてサマージャケットのポケットからメモノートを取り出しページをめくった。
「すごいもん作っちまったな。このレシピは誰にも教えちゃいけない。絶対に。。」
完




