1st album: And you / Believe it
「知らない」
彼の返事はそっけない。いつものことだけど。
「Moonだよ⁉︎ 今をときめくアイドルグループ!」
「いや、本当に知らない」
彼はようやく、私に目線を向けた。会話が始まって10秒はデスクを向いたままだった。
確かに、本当は今をときめいてなんかない、無名同然のアイドルグループだけど。
私は新田 葵。埼玉文化放送っていうテレビ局のディレクター。よくツリ目って言われる。
で、テレビ局員らしからぬ無表情、無関心な態度の彼も、私と同じ埼玉文化放送ディレクターの佐藤 雅二。
「ムーンってのが最近の流行りなのか?」
「呆れた。流行ってのは私たちが引っ張っていくもんでしょ?」
「俺はそんなの興味ない」
彼はまたデスクを向いた。
ポケットからスマートフォンを取り出し、イヤホンを挿す。流れているのはMoonのデビュー曲『And you』。ネットではエンヂューと呼ばれてる。メンバーの5人と、残り1人の友情が歌われている。途中で一瞬だけ無音になるところを私は気に入ってる。
「で、そのMoonがなにか?」
彼は今更この話に興味を持ったようだ。
「今度さいたまでライブやるんだって。でも色々大変らしくて、私たちに助けを求めてきたの」
「どうして俺たちなんだ?」
彼は顔は綺麗なんだから、もう少し表情豊かになれば良いのに。
「メンバーの中に私の知り合いがいるから」
「へえ。誰?」
「根本 葉月」
昨夜の電話から始まった。
「はい、新田です」
「新田 葵さんですか? 高校のクラスメイトだった根本です」
その声は私の5年前の記憶を呼び戻すのに充分だった。女の子にしてはやや低い声。
「葉月、久しぶり」
「うん、久しぶり」
その後の近況などは省略させてもらう。特筆すべきは、私がテレビ局のディレクターと名乗った程度だ。
親友はこう切り出した。
「ねえ葵、私がいま何してるか知ってる?」
「いいや。知らないよ」
やっぱりか、と葉月は電話の向こうで言った。
「アイドルやってんだ、実は」
一瞬何を意味する言葉か理解できなかった。
「ええ⁉︎ 葉月アイドルやってんの?」
「そう! びっくりしたでしょ」
一斉に大声を上げた。仕事が仕事だから、本物のアイドルには何度も会っている。しかし、友人がアイドルをやってたとは驚いた。
「でね、グループの名前はMoonっていうの!」
正直、聞いたことなかった。
彼女たちは東京から埼玉に拠点を移し、当分の活動をすると決めたらしい。しかし、その拠点がないので元クラスメイトの私を頼ったそうだ。
「で、何はともあれまず会おうってことになったの」
「ふうん……」
「明日ここに来るよ」
「なぬ?」
私はそのことを今まであえて言わなかった。机が散らかりまくってる彼は案の定驚いた表情を見せる。
翌日。彼は机を整理するために残業してたっぽい。おかげで見違えるようにきれいになった。
ドアがノックされた。
「どうぞ」
私が応える。すると5人の美少女が現れた。残念ながら元クラスメイトの葉月以外の人は見覚えがない。
最初に入ってきたのは唐魏野 海さん。彼女がリーダーだと電話で聞いた。
続いて眼鏡をかけてる志村 鏡子さんと、最年少で20歳の本馬 基奈さん。志村さんが一番背が高い。
4番目に葉月がいて、最後が一番背が低い辻 燈梨さん。
リーダーの唐魏野さんが話を始めた。
「葉月から電話があったと思いますが、アイドルグループのMoonです。私がリーダーの唐魏野 海です。今日は埼玉での活動に協力して頂きたくて相談に伺いました」
す、すごい。私よりよっぽど礼儀正しい。
とにかく、結論から言えば彼女たちのアイドル活動は埼玉文化放送(Saitama Culture Broadcast で略してSCB)が全面的に協力することになった。埼玉県での活動が局長に認められたからだ。
「寒いね」
「11月の終わりだからね」
「とにかく活動決まっておめでとう、がんばってね」
仕事が終わり、私は葉月と共に大宮駅に向かって歩いている。局長に頼んで彼女たちのサポートを私が行えるようにしてもらった。1人では大変なので仕事仲間の彼も引っ張りこんだ。
「ありがとう。そうだ、良かったらこれどうぞ」
葉月は私にCDを手渡した。
「なにこれ?」
「新曲。しかも私のソロの。練習で録音したやつだけど」
CDには『Believe it』とマジックで書かれてた。
「ありがとう。家で聞くね」
葉月は東京行きの列車に乗ってった。拠点は埼玉でも、東京から通勤するメンバーと引っ越すメンバーがいるらしい。
行くよ いざ新天地へ
勇者は信じる あの太陽を
もう戻れない 進むしかない
信じて進め あの新天地へ
『Believe it』はスペインを思わせる情熱的な歌だった。力を込めて歌う葉月の決意が感じられた。
私もがんばらないと。