第9話
「お友達って、どんな風に接すればいいのかしら……?」
下校途中の車内に困惑の滲むつぶやきがぽつりと響く。
それに対する答えを、私は持ちあわせていない。運転中の笠井さんも。……いや、笠井さんは「ホッホッ」となんだか朗らかに笑っていたけれど。
ひとつの目標をクリアした凛子さまは、また新たな難題に直面しておられた。
☆彡
凛子さまに念願のお友達ができた。
その吉報は九条宮の広いお屋敷を駆け巡り、帰宅した凛子さまはお祝いの言葉と共に迎えられた。
「ただい……」
「凛子様、おめでとうございます!」
「ついにお友達ができたんですね!」
「え、ええ? なんで知って……」
「黒部さんから聞きましたよ。『今日はめでたい日だー!』って騒いでましたから、たぶんお屋敷の使用人はみんな知ってると思います」
「うえっ!?」
凛子さまの頬がボンッと真っ赤になる。かわいい。
ちなみに、黒部さんに連絡を入れたのは校門前で待機していた笠井さんだ。芦葉さんと別れの挨拶を交わすお嬢さまを見て素早くメールを送っていた。
お止めするべきかとも思ったが、お屋敷での凛子さまの愛され様を思い出してあきらめた。
どうせ態度の違いですぐにバレる。
使用人のお姉さん方の察知能力はあなどれない。私もいつかその高みに辿りつきたいものだ。
……しかし、お嬢さまをチヤホヤする使用人の皆さんを見ていると、将来的に侍女という道も有りだなと思えてくる。
採用条件に一流の専門技術と優れた人格を求められるが、給金や保障はそこらの企業などとは比べようもない。産休や育児休暇も完備しているので求人倍率はいつも百倍以上の人気だと聞く。なによりいつかは凛子さまのお子の教育係となれる可能性もあるのが素晴らしい。
秘書と侍女。
どちらを選ぶか悩ましいところである。
「千歳お嬢様」
究極の二択に頭を悩ませていると、ふいに頭上から名前を呼ばれた。
視線を向ければ、そこには凛子さまを讃える集団から離れた数名のお姉さんが立っていた。
「はい。なんでしょう?」
「千歳お嬢様も頑張られたそうですね。おめでとうございます」
そんな言葉と共に頭をさげられる。
え……ああ、そうか。私のことも笠井さんが伝えたのか。
改めて祝われるとなんだかくすぐったい。
「ありがとうございます。ですが、今回のことはすべて凛子さまの努力のおかげ。私はなにも……」
「――はい、もう我慢できません。失礼します」
「え?」と尋ね返すよりはやく。
――頭を鷲掴みにされた。
「あ、れ……ちょっと」
「あああああ! 小っちゃいのに強がる千歳お嬢様、かわいい! かわいい!」
「こら! 独り占めはズルいわよ! 私にも撫でさせて!」
「チトセさま、いい子いい子」
なんだろう、この気持ち。
いや、使用人の皆さんは充分に大人。彼女たちから見れば私は子供だ。うん、だから仕方ない。子供扱いされるのは仕方――。
……で、でも、頬っぺたをぷにぷにするのはなにか違うと思うのです。
ちょ、もうはなして! はなしてください!?
「……えらい目にあいました」
「た、大変だったわね」
げっそりした私を凛子さまはそういって労ってくださる。
この扱いの差はなんだろう。
やはり私が養子だからか。凛子さまはあまり撫で回されたりしないのに。
扱いが違うのは別にいいのだけど、揉みくちゃにするのはやめて欲しい。
雇用条件の優れた人格とはなんだったのか。
「ずるいわ……あの人たちだけ……」
「はい?」
「なんでもありませんわよ? さ、早く食堂に向かいましょう」
……いま、一瞬で表情が変わったような気がする。
爪を噛みながらなにをおっしゃられたのか。
気になるけど凛子さまはもう先に歩きだしてしまわれた。
とりあえず、爪は噛まないようにあとで進言せねば。凛子さまの美しい指先に傷でもついたら大変だ。
「お、やっときたか。遅いぞ、お嬢!」
ようやく辿り着いた食堂の前には、やけにフランクな男の人が立っていた。
目を見て話すにはほぼ真上を向かなければならない長身にアロハシャツが似合いそうな浅黒い肌。ウェーブがかった髪と、それがあまりにも不釣り合いに感じられる白のコックコート。
ひらひら手を振って私たちを出迎えた彼こそ、九条宮家のキッチンを取り仕切るシェフの黒部さんである。
まだ二十九歳という若さでありながら料理の腕前は超がつくほどの一級品。
噂では有名なホテルで料理長を務めた経験もあるのだとか。
とはいってもご本人が過去の話をしないので、あまり詳しくは知らないのだけれども。
そんなすごい経歴を持っているらしい彼は、
「ちょっと! よくもわたくしのプライベートな情報をいいふらしてくれましたわね!」
「あっはっは! わりーわりー! あんまり嬉しかったモンでなあ!」
「それで謝ってるつもりですの!?」
「ちゃんと反省してるぞ? あっはっは!」
……その、なんというか、すごく軽い。
桃嶋さまは見た目だけだったようだが、黒部さんはほんとうに軽い。ふわっふわしている。
別に女たらしというわけではないけれど、それにしたってこのソフトな感じ。お湯で戻したお麩だってもうちょっとしっかりしているだろう。
「おじさんとしてはなー、嬉しいわけよ。ようやくお嬢たちの魅力に気付くヤツが出てきたかってな。ダチってのは一生モンの大事な宝だぜ? そりゃあ屋敷あげて祝わにゃいかんだろ」
「ぐ……」
そういって陽気に笑うあたり、本人に悪気はまるでないようだ。
凛子さまも反論しづらいのか口をつぐんでいらっしゃる。
たしかに黒部さんは悪い人ではない。親戚でもない子供に友達ができたからといって、ここまで純粋に喜んでくれる大人はそういないだろう。
……ただ、このノリの軽さが災いして、よく他人を全力で振り回すのだけれども。
「さあ、ディナーにしよう! 今夜のメニューは俺の自信作だ。もちろんデザートにお嬢たちの好きなプリンと蓬餅も準備してあるぜ」
「プリン!」
たったその一言で凛子さまの表情がパァッと輝く。
いつかプリンをダシに誘拐されてしまわないかと少しだけ不安になった。
普段から気をつけておかねば。
まあ私もよもぎ餅は好きなので嬉しいけれど。
黒部さんにエスコートされて食堂の扉をくぐる。
お屋敷では住み込みの使用人さんも九条宮のご家族と一緒にごはんを食べる。
テーブルは別だが、それでもよく読んでいた時代小説ならありえない光景だ。
聞くと、蘭香さまが「この方が時間を無駄にしない」とおっしゃられたのだとか。
私はそのおかげで気がねなくお食事できるのですごく助かっている。働いている方々でもそういう人は多いのではないだろうか。
いつも皆さんあれこれ準備しながら賑やかに私たちを待っていてくださる。
……が、今日はなんだか様子がおかしい。
妙に重苦しい空気が流れている。
席に着く人も給仕の支度をしている人も、誰もが困惑したような表情を浮かべていた。
なにごとかと視線を巡らせれば、すぐにその不穏な空気の発生元が見つかった。
――旦那さまだ。
奥のテーブルの上座に腰かけた孝利さまが、なにやら肘を立てて組んだ手に額をくっつけて、やけに重々しい空気を醸しだしていらっしゃる。
どうしたのだろう? さっきまでお祭りみたいな雰囲気だったというのに。
「あの、お父様? どうなさったの?」
おそるおそる近づいた凛子さまが尋ねると、うつむいておられた旦那さまはわずかに肩を揺らして、ゆっくりした動きで顔をあげた。
「……凛ちゃん、ちーちゃん」
呼びかける声すらやたらと暗い。
いったいなにが旦那さまをこんな状態に追いやったのか。
……はっ。まさか、甘いものが食べれなくなるというあの成人病を発症されたのでは?
「な、なんですの? ……まさか、糖」
「お嬢さま、おやめください。その一撃は致命傷になりかねません」
もはや以心伝心レベルで同じことを考えていた。
けれど、それはマズイ。殿方は想像よりはるかに繊細だと聞いている。
ここは旦那さまがご自分の口から告白されるのを待つべきだろう。
「……二人が、その…………気に入った、男というのは、どこの誰なんだい?」
「「は?」」
「け…………結婚したい、人が、できたんだろう……?」
凛子さまと私は、ほぼ同時に振り向いていた。
なぜか。問いただすためである。
おそらくすべての元凶なのであろう、九条宮家の陽気なシェフに。
「待て待て、俺は悪くない。俺はただ『お嬢たちに一生モンの大事な人が現れた』ってお伝えしただけだぞ?」
「旦那さま、誤解です。黒部さんのいったことをそのまま受け入れてはなりませんといつもあれほど――」
そのあと、旦那さまに立ち直っていただくまでご説明するのが、こういってはあれだが非常にめんどくさかった。
☆彡
まるで誕生日かクリスマスか。そんな賑やかな夕飯が終わり、凛子さまと一緒に自室に戻っている最中のことだった。
黒部さんの料理はどれも美味しくて、特にスモークサーモンのマリネを食べすぎてしまった。少しお腹が苦しい。
凛子さまも満足されたらしくご機嫌な様子だったのだけれど、ふいに、なにかを思い出したように立ち止まられた。
「……お友達との接し方を相談するの、忘れてましたわ」
呆然とした表情でつぶやかれる。
……そういえばそうだった。
旦那さまの思い込みを訂正するのが忙しくてすっかり忘れていた。
「ですが、あの場でご相談するとなると旦那さまが……」
「ええ……間違いなく屋敷に呼ぼうとするわね。下手すると正式な招待状を送りかねない」
完全にアウトである。
なにしろ彼女はおとなしい性格だ。クッキーを持ってきてくださったときの様子を考えると、いきなり九条宮のお屋敷に呼んだりすればきっと気をつかわせてしまう。
私が芦葉さんの立場ならやんわりお断りするかもしれない。九条宮の封蝋・箔押しの招待状など届こうものならなにごとかと思う。そして引く。ドン引きだ。
――お友達を家に招待するという特殊ミッションは、もう少し仲良くなってからの方がいいだろう。
「やはり、なにか喜んでもらえることをした方がいいのではないしょうか?」
「そうね。でも、それにはまず芦葉さんの好みを知らないと……」
なにしろお友達になってまだ一日。
芦葉さんについて知らないことが多すぎる。
けれど、
「ふふっ……なんだか楽しいわね。一緒にいないときも、お友達のことを考えるのって」
そういって、凛子さまが嬉しそうな顔をする。
それはきっと私も同じだった。
――みんな、はじめてお友達ができたらこんな感じなのだろうか?
明日はなにを話そう。
好きな食べ物はなんだろう。
嬉しいとき、芦葉さんはどんな風に笑うのだろう。
そんなことを考えて、思わず楽しい気持ちになる。
「ちとせ」
「どうされました?」
「……ありがとう」
唐突なお言葉にぽかんとしてしまう。
あれ……な、なんだろう? 私はなにかしただろうか?
「えっ、と……」
「芦葉さんとお友達になれたのは、ちとせが先にがんばってくれたおかげでしょう? ……だから、ありがとう」
凛子さまがふわりと優しく笑う。
ああ、気づかれていたのか。
あのとき、私が緊張していたことに。
拒絶されることには慣れているつもりだった。
もう痛みなんて感じないと思っていた。
それがただの思いこみだったと、言葉を口にする瞬間に気づいた。
認めたくはないけれど、私は自分で思っているより子供らしい。
芦葉さんが触れてくれたとき、この手は情けなく震えていた。
――でも、これで充分だ。
きっと世界中のどこを探したって私より幸せな従者はいない。
この笑顔をお守りするためなら私はいくらでもがんばれる。
「……もったいないお言葉です、凛子さま」
きっといまの顔は見れたものではないだろうから。
ただそれだけのお返事で、私は深くおじぎをした。