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第8話



 おさげの髪にレンズの厚いやや古めかしいデザインの黒ぶち眼鏡。背丈は凛子さまより少し低いくらい。

 おそらく誰もがおとなしいと判断するだろう彼女は、おどおどと怯えた様子で私たちを見ては目を逸らし、再び視線を戻したかと思えばビクッと身体を硬直させて……と、非常に申し訳ないけれど、夜道で見かけたら即通報するレベルの変質的な挙動を繰り返していた。

 そんなちょっと不審者な女生徒さん。

 しかし、私は彼女に見覚えがあった。

 あれは一ヶ月前のこと。悪役令嬢計画が始動した日の放課後、紅葉会の手先からいわれのない制裁を受けそうになっていた彼女を、凛子さまが華麗にお助けしたのだ。

 あのときはアドレスを増やすことに必死になりすぎて、ケータイを持っていないという彼女に名前を教えてもらうのをすっかり忘れていた。

 「友達になってください」とお願いするタイミングを完全に逃したあの日から一ヶ月。

 こんな状況で声をかけるということは……間違いない、きっとあのときのお礼を再びいいにきてくださったのだ。

 これはまさに千載一遇のチャンス。

 さっき凛子さまがおっしゃっていた『困っているところを助けて信頼を勝ち取る』という図式の王道パターン。

 今度こそ逃してはなりません、と凛子さまを見る。

 少し緊張されたご様子で頷いた凛子さまは、それでもキュッと唇を引き結び、ゆっくりとおさげの女生徒さんに近づいた。


「――あ、あら、このわたくしになにかご用かしら?」

「ひっ!?」

「凛子さま落ち着いて! その方は敵ではありません!」


 マズい。凛子さまが緊張のあまり『上からお嬢さまリミテッドエディション』を発動しておられる。いかにも人見知りな女生徒さんはドン引きだ。

 学校における日常の対話経験が少なすぎた。……それってどうすれば練習できるのだろう?

 とにかく、どうにかしてこの相手を威圧しまくるオーラだけでもお鎮めせねば。


「さ、まずは深呼吸いたしましょう。まだ大丈夫です。まだ慌てるような失敗はおかしておりません。はい、吸ってー吐いてー」

「ひっ、ひっ、ふー……ひっ、ひっ、ふー……」


 凛子さまがなにかを産みだしてしまわれないだろうか。

 そんな不安を抱きながらも小刻みに震える背中をお撫でする。この際、緊張がとけるなら手段などなんでもいい。

 ……よし、少し落ち着いてこられた。


「あ、あの!」

「ひゃい!?」


 二度めの呼びかけ。完全なる不意打ち。

 おさげの女生徒さんの狙いはまさか凛子さまのお命か。


「え、えっと……こっ、この間は! 助けていただいて、ありがとうございました! あの、こ、これ、すごくつまらないものですけど、おっ、お礼が、したくて……」


 そういって、女生徒さんは可愛らしいリボンのついた巾着を差しだした。

 驚くべきことにプレゼントまで。

 なんというお心づかい。これは間違いなく凛子さまも嬉しいはず。

 ……このビッグチャンスを逃してなるものか。

 すっかり固まってしまわれた主君に代わり、僭越ながら私が受け取らせていただく。


「わざわざご丁寧にありがとうございます。現在わかりにくい状態になっていますが、凛子さまもきっとお喜びだと……」

「い、いえ! ほんとうに、救いようもないくらい、つまらないものでっ! ごめんなさい! く、九条宮さまに、ふさわしい贈りものを買えるような、おこづかいが、なっ、なく、て……ごめんなさ……ひっ……ごっ、ごめんなざいぃぃぃいいいいい!」

「ぅ、えっ!?」


 な、泣きだしてしまわれた!? なんで!?


 背後には硬直された凛子さま。目の前には泣きじゃくる同級生。そしてなにごとかとチラチラ様子を窺う中庭の生徒さんたち。

 どうすれば正解かなんてまったく見当もつかない。

 どんな顔で立っていればいいのかすらわからない。

 ひたすらオロオロとうろたえ続けながら、私は思う。


 ――泣きたいのは、こちらもそうですよ、と。



     ☆彡



 なんとか落ち着いてもらった女生徒さんを連れて、私たちは広い中庭の片隅にある四阿あずまやを訪れていた。

 さすがは獅王院と驚かざるをえない見事なロココ調の装飾。春や秋には女子が集まる人気のおしゃべりスポットであるこの場所も、七月半ばとなると空いている。それもまた良家の子息子女が多く在籍する学校なればこそだろう。皆さま極端な気温には弱いようだ。


「で、では、さっそく、中を見てもよろしいかしら?」

「は、はい! ……でも、あの、ほんとに大したことなくて……」

芦葉あしばさま、プレゼントの価値を決めるのは値段ではありません。そこにこめられたお気持ちがなによりも嬉しいのです」

「は、ひゃい……っ!」


 さっきからガチガチに緊張している女生徒さんの心臓が止まってしまわないか心配になる。

 ちなみに、彼女のお名前は芦葉優月あしばゆづきというらしい。ここに向かう途中でさりげなく聞きだした。凛子さまからは「ぐっじょぶ」とのお言葉をいただいた。むふん。

 クラスはあの苑柳寺と同じだそうで……なんというか、それだけでいっきに憐む気持ちが湧いてきた。

 できるならあの面倒くさい男と同じ教室は避けたいところだ。あと暴力ネクラ男も。


「こ、これ……」


 巾着のリボンをほどいた凛子さまはなにやら驚いたように中身を取りだされた。

 その手の中には丁寧にラッピングされた十数枚のクッキー。

 形は少しだけ歪んでいるけれど、それでも一生懸命に作られたことがわかる。


 ブラウンと白の生地にわかれたそれは、愛らしいクマの形をしていた。


「これ、ひょっとして……手作り?」

「ご、ごめんなさい! あの、なにをお返しすればいいか、一ヶ月考えても全然わからなくて、そ、それで、せめてお菓子をって……き、気持ち悪いですよね。あの、やっぱり……」


 うつむく芦葉さまの言葉を遮るように、凛子さまは包装を開ける。

 その中から一枚を取り出して、ためらうことなく口に運ばれた。


「……おいしい、ですわ」

「え――えっ!? あ、あの、ごめんなさい! な、泣くほどマズイとは思わなくて……」

「いいえ……とっても、おいしい…………ありがとう」


 反対にお礼をいわれて、芦葉さまはますます混乱されてしまったようだ。両の手があちこち忙しなく飛び回っている。

 ……きっと、想像もできないだろう。

 いま、凛子さまがどれほど喜んでいるか。

 どれほどこんな時間を待ち望んでおられたか。

 ――普通のやりとりでよかった。

 お友達と普通におしゃべりをして、なにかしてもらったらお礼をいう。

 特別な日にはプレゼントを贈りあって、お休みの日には一緒におでかけしたりして。

 豪華じゃなくてかまわない。お金なんて使わなくていい。

 凛子さまがずっと夢見ておられたのは――そんな風にお友達と過ごす、普通の日々だったから。


「よかったですね、凛子さま」

「……うん」


 凛子さまはひとつ頷いて、私にもクッキーをわけてくださった。

 恐縮しつつも一枚いただく。

 噛みしめればサクッと生地が砕ける。ココアとバターの香りが口いっぱいに広がった。甘さも控えめで、食べだしたら止まらなくなりそう。

 うん、とても美味しい。


 そんな私たちのやりとりを、芦葉さまが驚いたように見つめていた。


「びっくりしましたか?」

「は、はい……まさか、九条宮さまがわたしなんかの手作りで、こんなに喜んでくれるとは思ってなくて……」


 それはそうだろう。

 私だって、おそばにいなければお金持ちの令嬢は高級品しか口にしないと思っていたはずだ。

 こういってはなんだが、凛子さまはあまり好き嫌いがない。しいてあげるなら苦いものがお嫌いかといったところ。

 こと大好物に関しては「プリンに貴賎なし」と公言しておられるので、それこそ高級店のものからコンビニのプッチンタイプまでなんでもお召しあがりになる。

 手作りだからイヤだなどとはまず思われまい。


「私も美味しいと思いました。芦葉さまは料理がお上手なんですね」

「そ、そんな! いつもお母さんのお手伝いをしてるくらいで、上手だなんてことは……あ、あと、わたしなんかに『さま』づけはやめてください……九条宮さまたちにそう呼ばれると、なんだか気後れしちゃいます……」


 おずおずと芦葉さまはそうおっしゃった。

 ……ここがターニングポイントではなかろうか。

 普通ならこういうときはどうやって申しこむのだろう。

 あいにくと、私もお友達などというものは施設にいたころを含めて作れた記憶がない。

 凛子さまもさっきからチラチラと様子を窺っておられる。しかし、なかなか勇気がでないようだ。


 はじめてのお友達になってくれそうな人。


 だからこそ、失敗が怖い。

 もし拒絶されたらと思うと足が震える。

 そのお気持ちは私にもよくわかる。

 ――ならば、この場で先陣を切れずになにが側近か。

 凛子さまの楯となり、剣となるのが私の役目。

 幸い拒まれることには慣れている。そんな痛みは施設で孤立したときに飽きるほど経験した。

 ……痛くない。怖くない。

 私はお腹にぐっと力をこめて、大きく息を吸いこんだ。


「芦葉、さん」

「は、はい?」

「――私たちと、お友達になってもらえませんか?」


 ひゅっ、と息をのむ音が聴こえた。

 頭をさげた私には、それが誰のものかわからなかったけれど。


「あ、あの! 頭をあげてください! わ、わたしなんかに、そんな……!」

「いいえ。あなたがいいのです。……このクッキーは、とても丁寧に下ごしらえされていました。私も何度か作ったことがあるのでわかります。きっと、一生懸命に作ってくださったのでしょう。お礼にそこまで想いをこめてくださる芦葉さんだからこそ、凛子さまと、私とも、お友達になってほしいと思いました……だから、どうか」

「わ、わたくしからもお願いします!」


 凛子さまが頭をさげる気配がした。

 ……勇気を、出されたのだ。

 報われてほしい。

 凛子さまはたくさんがんばった。近くにいたからわかる。

 どれほど寂しかったか。

 どれほどつらかったか。

 学校で独りぼっちになるいたたまれなさ、寂しさは、私だってそれなりに知っている。

 そんな時間を、ずっと耐えてこられたのだ。

 ーーだから、どうか。


 祈るように、私はギュッと強く目を閉じた。


「あの、えっと…………わ、わたしなんかで、いいんですか……? こ、こんな、自分の意見もはっきりいえないような、弱虫で」

「そんな風にいわないで。わたくしは、芦葉さんのくれたこのクッキーが、とっても嬉しかったんですのよ?」


 少しためらうような雰囲気。

 まるで永遠にも感じられる空白の時間のあと。

 彼女は、


「あの、わ、わたしで、よければ……その…………あ、ありがとう、ございます……」


 震える声でそういって――差しだした私たちの手に、そっと触れてくれた。






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