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第7話


 紗倉恋星さくらこほしさまは同学年でもかなりの有名人である。

 まず獅王院付属小学校内の有力派閥『紅葉会』の会長であること。

 加えて苑柳寺さまのご実家が営む芸能事務所に所属するアイドルであることも、黙認ではあるが校内に知れ渡っている。

 ちなみに芸名は『桜れんか』というのだそうだ。彼女の熱烈なファンらしい同じクラスの男子がよく騒いでいるので覚えた。

 なんでも『愛して…………愛、する……?

 ――愛ナントカいう曲が、売り上げでどこかのランキングの何週間か連続一位になったとかなってないとか。

 それだけでも充分すごい業績だが、彼女が注目される一番の理由はやはりその容姿だろう。

 つやつやの黒髪に、日本人ばなれした白い肌と大きな瞳。ファンから「天使のほほえみ」と称される笑顔は見る者を一瞬でとりこにする。

 私は日頃から凛子さまの美しいお顔を見慣れているのでなんとも思わないけれど、これが異性に免疫のない男子ならイチコロだろう。

 それほど紗倉恋星という少女は他者から愛される雰囲気を醸しているのだ。


 いったいどんな生活を送ればそんなオーラが身につくのか。

 そのコツさえわかれば、取り巻きを手に入れるくらいきっと簡単にできるはず。


 ――ということで、凛子さまと私は紗倉嬢の日常生活を観察することにした。


「うーん、ここからじゃ少し見えにくいわね……」

「さすがにあのお二人が出席していると観衆の厚みが違いますね」


 目の前には男女混成となった人の壁。

 教室からはみださんばかりのそれは、もはやただの通行人をも巻きこんで混沌とした空間を生みだしている。

 小学生にして芸能人である二人が同じ日に出席すると見られる光景だ。

 人だかりの中心部はくだんの紅葉会。そのさらに真ん中には、同じ事務所の人気チャイルドタレント同士が前後の椅子に腰かけている。

 お二人はずっと会話しているというわけではないが、たまに紗倉さまが声をかけて苑柳寺が頷くという仲の良さそうな姿を見せていた。

 ちなみに苑柳寺は話しかけられるまでずっとスマホでゲームをしている。

 あれだけの美少女をそばに侍らせてその態度。正直いつ刺されてもおかしくない。

 そんな二人を眺める観衆から、ゲームに失敗したらしい苑柳寺が「くそっ」と悪態をつくたびにとろけきったような溜め息がもれる。

 ――なんたるカオス。

 用事さえなければできるだけ速やかに退却したい。


「……あの二人すごく仲良さそうだけど、ファンの人たちは気にならないのかしら?」

「難しいところですね。私はそういった方々の心理がわかりませんので……詳しい人に聞いてみましょうか?」

「詳しい人?」

「はい。そういった情報の収集を趣味としておられるエリリンさんやよっちゃんさんならなにかご存じかと」


 そう告げると、凛子さまが大きく目を見開かれた。


「ちとせ……お友達、いるの……?」

「いいえ。彼女たちとはそのような関係ではありません。あくまで凛子さまに近づく不埒な男子を調査するための情報屋として接触しております」

「そ、そう…………あの、別にいいのよ? いつもわたくしと一緒にいなくても、お、お友達がいるなら、そちらの方々と、あそんだって……」

「えっ――ち、違います!? 本当に彼女たちは友達ではないのです! 私が大切なのは凛子さまのみ! し、信じてください凛子さま!?」


 あああ……ど、どうしよう。本当にお友達じゃないのに。エリリンさんたちから情報をいただくときにはちゃんと代価を払って……ど、どどどうすれば凛子さまは信じてくださるのだろう!?

 なんだか浮気がバレた往生際の悪い男みたいないいわけを口にしながら必死に考えた。

 ……そ、そうだ。ご本人たちから説明してもらえばいい。

 あのお二人ならこういった集まりを嬉々として遠くから観察しているはず。

 なにしろ『他人の色恋ざたがチョコレートパフェより好き』と公言してはばからない人たちだ。いる。絶対にいる。

 慌てて周囲に視線を巡らせる。

 …………いた。

 いや、エリリンさんたちじゃない。

 この状況でもっとも会いたくないヤツがいた。


「……お前はこんな所でなにをしてるんだ?」

「かぐら、ざき……っ」


 よりによってお前がなぜここに!

 反射的に睨みつけて威嚇しながら、それでも私の意識は後ろの凛子さまに向けられていた。


「……神楽崎、今日はあなたの相手をしている暇などありません。用がないならさっさとこの場を立ち去りなさい」

「はあ?」

「私はすぐに凛子さまの疑いをとかねばならないのです。さあ早く……」


 しっ、しっ、と手を払うも、立ち止まった神楽崎はまるでいうことを聞こうとしない。背後の凛子さまに目を向け、再び私に視線を戻し――心底呆れきったような溜め息をついた。

 ……おのれこやつどれだけ人を小馬鹿にするつもりなのか。

 鉄拳制裁は禁じられている。しかし、一矢報いてやらねば気が済まない。

 せめて文句だけでもつけてやろうと口を開きかけた私の額に…………なぜか、神楽崎は『グー』の形にした手を押しつけた。


「おい、九条宮」


 呼びかける神楽崎は私の背後を見ていた。

 いったいなにごとか。この手はどういう……。


 ……考えられたのは、そこまで。

 それはまるで予想もしなかった暴挙。

 私に身構える隙も与えず、ヤツは、


 ――力いっぱい、指をはじいた。


「いっ、だぁ!?」


 バチィィッとすごい音がして、額に焼けるような衝撃がはしった。目の奥でいくつも火花が散る。

 あまりの激痛になすすべもなく蹲ってしまう。

 い、いたい。これはちょっと強がれない。ただのデコピンがどうしてこんなに痛いのか……というかもう完全に堪忍袋の緒がブチ切れた神楽崎許さん絶対泣かす……!

 必死に額の痛みに耐えながら憎悪をたぎらせていた私は、すぐそばにやたらと重々しい足音を聴く。


「――いま、ちとせになにをしましたの?」


 ゾッ、とするほどの冷たい声。

 思わず痛みも忘れてその場ですくみあがる。

 気がつけば周囲の喧噪もピタッと止んでいた。


 ……凛子さまが、怒っていらっしゃる。


 決して声を荒げたわけではない。

 なのに、これだけの迫力と重圧。

 こんなに怒った凛子さまは一度も見たことがない。

 なんとかお止めせねばと焦る私の耳に、「フン」とつまらなさそうな声が届く。

 それは、正面から冷たい怒気を浴びているはずの神楽崎から発せられたものだった。


「随分な態度ですわね。女子に暴力をふるって謝りもしないのが神楽崎の教育方針ですか?」

「……そんなに怒るのならちゃんと手綱を握っていろ。どうせしょうもない理由だろうが、そこの子ねずみが半泣きで狼狽えてたぞ」


 その言葉に振り向かれた凛子さまと目が合う。

 麗しいお顔に浮かぶ驚いたような表情は、すぐに申し訳なさそうなものへと変わった。

 ……これはいけない。


「て、適当なことをいわないでください。誰がこんなことで泣くものですか」

「お前は本当に面倒くさいヤツだな……」


 うんざりしたような表情で吐き捨てられる。

 おのれなぜそんなデキの悪い子供を見るような視線を向けられねばならないのか。

 苛立ちに任せて力いっぱい握った拳を、白魚のような指先がそっと包んだ。

 驚いて隣を見ると、そこにあったのは凛子さまの悲しそうなお顔。


「ごめんなさい、ちとせ。困らせるつもりはなかったのよ。ただ、せっかくお友達ができたのならそちらも大切にして欲しかったの……なのに、わたくしったらちとせが離れていってしまうんじゃないかって、なんだか寂しくて……」

「あ、あやまらないでください! 凛子さまはなにも悪くありません! 元はといえば私が……」

「おい、どうでもいいが謝罪合戦なら自分の教室に帰ってからにしろ。そんなに衆目を集めたいのか」


 どうでもいいならなぜお前は水を差すのか。

 そう思いながらも周囲を見渡すと、そこにはこちらの様子を窺うようなたくさんの視線。


「ここに集まった野次馬の目的をその空っぽの頭で思い出してみろ。そこに混ざって騒ぐ九条宮の娘にどんな噂が立つかも含めてな」

「……あ」


 混乱していた頭がいっきに冷めた。

 ここにいる女の子たちは、ほぼ全員が苑柳寺のファンだ。

 それはつまり……。


「そんなんだからお前はテストでもケアレスミスをやらかすんだよ。いい加減その動物みたいに直感だけで動くクセをなんとかしろ、子ねずみ」

「ぐっ……」


 皮肉たっぷりの言葉にもなにひとつ反論を返せない。

 悔しいけれど、神楽崎のいったことは正論だ。お守りするなどといっておきながら、凛子さまの風評に対して考えが及んでいなかった。

 ついにネズミの子供扱いか。いい返したくてもこの状況では難しい。どれだけ小さく見えているんだ、私は。

 押し黙って立ち尽くす私に再び鼻を鳴らした神楽崎は、もうなにもいわずその場をあとにする。

 ――凛子さまに恥をかかせてしまった。

 その事実がずしりと肩にのしかかる。


「あの人、なんだかいつになく不機嫌でしたわね……」


 そんな凛子さまのつぶやきにお返事もできないまま、無情にも休み時間の終了を告げるチャイムが廊下に鳴り響いた。



     ☆彡



「ちとせ、そんなに落ちこまないで? 今回の失敗は別にあなたのせいじゃないんだから」


 一時間経っても自己嫌悪から抜け出せなかった私を、凛子さまが優しく励ましてくださる。

 でも、甘えたらだめだ。

 紗倉さまを観察しようといいだしたのは私。

 その責任はすべて私にある。


「いいえ、主君に恥をかかせるなど側付にあるまじき失態……時代が時代なら、切腹ものです」

「……ねえ、どうしてちとせはそんなに発想が武士なの? お魚が好きだから?」


 不思議そうに尋ねられても、どうお答えしていいかわからない。とくに武士的な発想をしているつもりもなかった。

 施設でよく読んでいた成りあがり時代小説の影響だろうか。勉強をしているとき以外は職員さんのお手伝いや読書で時間をつぶしていたから。

 ふと、書道の「将来の夢」という課題で『立身出世』と書いたときの園長先生の戸惑った顔を思い出す。

 なので、たぶん、お魚は関係ない。


「……ちとせ、よく聞きなさい。たとえこれがあなたの失敗だったとしても責任を感じる必要はないの。悪役令嬢を目指すといったのはこのわたくしよ。ちとせはそれに付き合って一生懸命がんばってくれているでしょう?」

「凛子さま……」

「そもそもわたくしは口さがない噂なんて気にしませんわ。いいたい者にはいわせておけばいいのです。……ちとせはちょっと九条宮の女を見くびりすぎているんじゃなくて?」

「そっ、そんなことはありませんっ」


 慌てて立ちあがると、凛子さまはふわりと微笑んで、


「だったら、このことで反省するのはもうおしまい。ね?」


 そういって、赤くなったままの私の額をそっと撫でてくださった。

 そのてのひらはまるでガラス細工を扱うように優しい。


「……ありがとう……ございます」


 声は情けなく震えていた。

 ……もっと。もっと私は強くならなければ。

 そんな風に強張らせた心を見透かすように。


 凛子さまは、うつむく私をぎゅっと抱きしめてくれた。





 主君の多大なお心づかいによって気合いも充分に復活したお昼休み。

 凛子さまと私は、たくさんの生徒が行き交う中庭を訪れていた。


「初心に戻りましょう」

「初心、ですか?」

「ええ。わたくしたちはお友達が欲しくて悪役令嬢を目指していたはず。なら、ギャップや取り巻きを優先して狙うのは遠回りにもほどがありますわ」


 私はそのお言葉に衝撃を受けた。

 ――悪役令嬢計画が、まともな方向に進みだそうとしている。

 これは計画開始からはじめての事態ではなかろうか。

 どうしよう。心なしか胸がドキドキしてきた。

 私はちょっぴり姿勢を正して凛子さまのお言葉を待つ。


「困っている人を探しましょう」

「……え?」

「お話の中の悪役令嬢たちは困っている人の悩みをさりげなく解決してその信頼を勝ち取っていましたわ。たとえば正妃の座を狙う候補者たちにいじめられていたりだとか、望まぬ婚約を強いられていたりだとか……つまり、そういう人たちを探して悪役令嬢らしく解決すれば、あっという間にお友達が増えるというわけよ」


 どや、といわんばかりの凛子さま。

 そしておそらくまた別ルートで遠回りをはじめたっぽい悪役計画。

 人々に王妃の座を奪いあわせるには、たぶんこの国を根本的に変えなければならない。ちょっと壮大すぎである。どうがんばってもすぐにはムリだ。

 可能性でいえば政略結婚の方が有りえるだろうか。

 世間一般に上流階級とされる界隈はいまだに血統を重んじる家も多い。家同士の繋がりを作るため、幼い頃から婚約者が決まっているということも実際にあるようだ。

 しかし、


「そこまで重大な悩みを抱えた人がすぐに見つかるでしょうか……?」

「うーん、とりあえず片っ端から探して回るしかないわね。……こう、いかにも『困ってる』という感じでマユ毛が八の字の人とか」


 いいながら、凛子さまはご自身の眉を両手の人差し指でへにょっとさげてみせた。

 なるほどそれはわかりやすい。眉がその状態なら悩みがあることはもう確定だろう。たとえ変なお顔をされようと損なわれない凛子さまの美しさも含めて感嘆しつつ、一応、納得する。

 ただ、そんな極端に困っている人が実際にいるかどうか……。

 せめて家のカギを失くしたとか、そういうレベルの悩みからはじめた方がよいのではないかと思うのだけど。


「あ……あのっ!」


 戸惑いながらも賑やかな中庭に足を踏み入れようとしていたとき、その声は聴こえた。

 私たちのすぐうしろで響いた声。

 凛子さまと顔を見合せて、二人いっしょに振り返る。


 そこには、いまにも泣きだしそうに眉尻をさげた、眼鏡の女生徒さんが立っていた。



 ――眉が八の字の人、いた。







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