第6話
「さあ! 今日こそ悪役令嬢目指してがんばりますわよ!」
朝から気合い充分の凛子さまが拳をギュッと握りしめる。
白いセーラー襟の制服にチョコレートブラウンのローファー、学校指定のつばの広い夏帽をしっかりかぶられた良家の子女然とした装いは、気品あふれる凛子さまにとてもよく似合っている。いや実際に良家のお嬢さまでいらっしゃるのだが。
……これで誰がどの立ち位置で聞いても不穏に感じられるだろう宣言さえなければ、と落涙を禁じえない。
通りすぎる同学の方々がビクッと肩を震わせ、そそくさと校舎へと足をはやめる。
ああ、ほんとうに目指すべき結末が遠ざかっていく……。
しかし、九条宮という家格の重圧には誰よりも凛子さまが苦しんでおられるのだ。
仮初めとはいえ悪を名乗らなければ普通にお友達を作ることすら難しい。そんな現実に凛子さまはどれほどお心をいためておられることか。
――側近としてしっかりお支えしなければ。
ままならなさすぎる現状にブン投げかけた兜をかぶり直し、颯爽と歩きだしたお嬢さまの背中を追いかけた。
☆彡
側近の仕事とはなにも主君の補佐だけではない。
主の望みをいち早く察知して先に動いたり、ときには迫りくる危険から身を呈してお守りすることだってある。
「ち、ちとせ……? 絶対、そこにいてね?」
「かしこまりました。たとえ命尽きようともこの場を離れません」
「覚悟が重い! そ、そうじゃなくて。わたくしが中で襲われたりしたら、助けにきてね」
「もちろんです。何人たりとも凛子さまには触れさせません」
「ゆ――幽霊でも、絶対よ?」
「……お昼休みでも出るでしょうか?」
幽霊だってさすがに夏の昼間はお休みしたいんじゃないかと思うのだがいかがだろう。
戸惑いつつもたしかに救助をお約束すると、凛子さまはようやく少しだけ安心してくださった。
そう、側近はこうして主君を外敵からお守りすることもお仕事のうちなのだ。
――たとえそれが実体のない相手だったとしても。
「うぅ……怖いお話の特集なんて見るんじゃなかった」
「前から気になっていたのですが、なぜ凛子さまは苦手な心霊関係の番組を自らごらんになるのです?」
「し、しょうがないじゃない。怖いけど気になるんですもの」
好奇心は猫をもころす、と。つまりはそういうことだろうか。
……違うか。
なんだかよくわからなくなったけれど、幽霊だろうと宇宙人だろうと凛子さまに仇なす者を許すつもりはない。
たとえ実体がなくとも、この旦那さまからお正月にいただいた『無病息災』のお守りとかを、こう、色々となんとかしてやっつけるつもりだ。
凛子さまは何度も後ろを振り返りつつお手洗いへと入っていかれた。
いかに側近とはいえこの歳で中まで一緒というのは世間体が悪い。
私は扉の脇にて番犬よろしく待機である。
いまの学院はお昼休み。
仁王立ちで微動だにしない私を大勢の人がチラチラ眺めていくけれど、主君をお守りするためならこの程度の羞恥には耐え忍んでみせよう。
そうして待つことしばし。階下からなにやら見覚えのある男子が四人、こちらに向かって歩いてくる。
彼らは私やお嬢さまと同じクラスの生徒である。たしか全員バスケをしているのだったか。
家柄や容姿もよく、賑やかな人たちなので教室でも割と目立っている。
その内の一人、桃嶋和良さまが、なぜかこちらをじっと見据えながら階段をのぼってこられる。
肩まで伸びた長い髪がちょっと浮ついた印象を与える男子だ。走るときに邪魔にならないのかとは思うが、そこは個人の趣味である。そういう垢ぬけた雰囲気を好む女子も多いのだと学内の恋愛情報に詳しい人がいっていたので、完全に部外者の私が口を挟むのはお門違いというものだろう。
しかし、彼らはなにをしにきたのか。
ここには女子用のお手洗いしかないのだけれど。
「……ようやく一人になってくれたな、九条宮さん」
その呼び方に軽く違和感を覚える。
学校で多くの人が九条宮の名を呼ぶとき、それは往々にして凛子さまを差すものだ。
私はいつも「妹さん」とか下の名前に敬称づけで呼ばれている。
けれど彼はとくに意識するでもなく、なぜか少し強張った表情で話を続けようとしている。
……いったいどうしたというのだろう?
「なにかご用でしょうか?」
「ちょっと、渡したいものがあってさ」
そういいながら、桃嶋さまは制服のズボンのポケットから紙を取り出した。
よく見るとそれは小さな封筒だった。いかにも女の子が喜びそうな、可愛らしいプリントの。
……なるほど。
私は頬を赤らめる桃嶋さまの思惑を一瞬で看破した。
つまるところ、あれは「ラブレター」という代物なのだろう。ネット全盛の現代においてなかなか珍しい少年である。軽そうな見た目なのに思いのほか奥ゆかしい。
その想いを告げる相手は誰か。それはこの状況がなによりも雄弁に物語っている。
彼はつまり、凛子さまに告白しようというのだ。
手紙を使って。
――よりによってこのタイミングで。
「その、これ」
「桃嶋さま。先に申しあげたいことがございます。よろしいでしょうか」
「あ、名前覚えてくれてるんだ。……えっと、いいたいことってなに?」
彼はどこか嬉しそうに尋ね返してきた。
しかし、非常に申し訳ないけれど、私はこれから彼に残酷な現実を突きつけなければならない。
胸が痛むがこれも側近としてのつとめ。主君の手をわずらわせるわけにはいかない。
「おそれながら、私は側近として、お友達を連れねば手紙も渡せない殿方に凛子さまをお任せするわけには参りません。まずはお一人で声をかけられるよう精進していただきたく存じます」
「ぐ、はっ……!?」
「桃嶋ぁぁああああ――っ!?」
「おい、あの和良が瞬殺されたぞ! どうなってんだあの女!?」
「――絶妙に勘違いしてるのに、モモが一番いわれたくないヘタレた部分は的確にひと突き……九条宮の妹についた『アイスピック』の二つ名はだてじゃない……」
大袈裟に胸をおさえて倒れられた桃嶋さまに、これまた大仰なことをいいながら仲間の方々が駆け寄っている。
このチームワーク抜群のリアクション、バスケットを通じて鍛えあげられたものか。
……しかし、どちらかといえばそれはスポーツ選手というより芸人さん向きの技術であるような気もするのだけど、いかがなものだろう。
ちなみに以前からちらほら耳にするこの『アイスピック』という呼称、どうやら私のあだ名らしい。
いまいち由来がわからないのだけれど、私にはなにか氷を砕きそうな要素でもあるのだろうか?
中には『女王陛下のアイスピック』などと呼ぶ人もいるようで、アイスピックが私なら「女王陛下」は必然的に凛子さまを差すのだろう。
十一歳にして統率者の資質を周囲に認めさせるその才覚、さすがは凛子さま。単なる調理器具の私とはわけが違う。
ただ、ニックネームをつけるならまずは話しかけていただけないだろうか。
凛子さまも私も、フレンドリーな方をいつでもお待ちしておりますよ?
「ちとせ、なにかあったの? ずいぶん騒がしかったみたいだけど……」
「いえ、とくに問題はありませんでした」
「……ほんとに?」
「はい。少しだけ男子生徒が騒いでおりましたが、すぐに教室へ帰りましたので」
不安そうな凛子さまに安心していただくべく、目をあわせてしっかり頷く。ひょっとしたら怪奇現象を疑っていらっしゃるのかもしれないのでその説明もおこたらない。
結局、桃嶋さまは想い人と顔をあわせることもなく放心状態のまま他の皆さんに運ばれていった。一人で両足を担当していた子はすごく大変そうだった。
嘘をつくのは心苦しいけれど、まだ報告をあげる段階ではない。
桃嶋さまとて日本に生まれた男子。たとえ精神が脆弱だろうと好意を寄せた女子にふがいない姿を知られるのは本意ではないはず。いずれ千尋の谷より這いあがった折には是非とも再チャレンジしていただきたい。
次は『凛子さまのためなら素手でクマと一戦まじえることも辞さない』と。
それくらいの心意気でもって挑んでほしいものだ。
「ちとせは……その、ニブいというか、天然なところがあるから……ちょっと心配なのよ」
「――あの、言葉を濁される意味はありましたか?」
別にポルターガイストなんて心配されていなかった。なぜか私が疑われていた。
『鈍い』も『天然』もなかなか直球ド真ん中ないわれようである。せっかく選んでいただいた敬遠ぎみのお言葉はきれいにストライクゾーンへと吸いこまれた。
いったい私のどこが鈍くて天然だというのか。
これでも凛子さまにすり寄ろうとする不埒な男子の情報は誰よりも俊敏に収集しているつもりなのだけれど。
「でも、そういう天然なところも可愛いし……うん、そうね。ここはわたくしが誰からも愛される悪役令嬢になって、みんなにちとせの魅力を認めてもらうしかないわ」
……それはどうだろう?
正直ほかにもっといいやり方があるように思えてならない。
というより私はフォローが必要なレベルの天然なのか。そして現時点で誰からも魅力を感じられていないのか。
いや、いいけど。別に魅力的だなんて思ってもらわなくてもいいけれど。お仕えする九条宮の方々から認めていただければ、ほかの人なんて……。
――私はなにか凛子さまに嫌われるようなことをしただろうか……?
遠い目になりながら眺めた踊り場の窓。
七月のまばゆい陽射しがやけに眼にしみた。
☆彡
本日最終の休み時間。次の授業が終われば学校は終わり。
今日もやっぱりこれっぽっちも成果をあげられなかった私とお嬢さまは、顔をつきあわせて作戦会議の真っ最中だった。
お昼休みのダメージはとりあえず頭の片隅に追いやった。帰ったら日頃の行いを振り返って一人で反省会しよう。
さて、気を取り直して作戦会議である。
二人でお話ししているうち、私の中で新たな発見があった。
凛子さまがおっしゃる愛され系悪役令嬢を目指すにあたり、足りていないものがあるのだ。
財力、カリスマ性、優れた容姿とスペック、チャーミングに感じられる多少の欠点と、凛子さまはそれらすべてを兼ね備えておられる。まさにパーフェクト令嬢。
では、なにが足りないのかといえば、
「早急に『取り巻き』が必要です。凛子さま」
「……ねえ、ちとせはその言葉の矛盾に気づいていて?」
フッ、と凛子さまの瞳から光が失われる。
……しまった。よくわからない地雷原に勢いよく踏みこんでしまった。
たしかにこの計画はお友達をつくるために発せられたものだ。取り巻きとはいえそんなにすぐ人が集まるならここまで苦労などしていない。
しかし、この提言にはちゃんとした理由があるのだ。
主君に意識を取り戻していただくため、私はつい先ほど学院の共有スペースの自販機で見つけた新商品『プリン・オーレ』をそっと差し出した。……気がつけば手の中から消えていた。
どうやらもう正気に戻られたようだ。
さすがは凛子さま、精神の回復力とて常人の比ではない。
「ぐすっ……それで、どうして取り巻きが必要なの?」
「凛子さまからオススメしていただいた作品をいくつか読んだのですが、悪役令嬢の方々の周りにはたいていその地位や権力に従う人々がいました」
「そうね、元はそういう人たちを使ってヒロインの子をいじめる設定なのよね」
「はい。……ですが、生まれ変わった令嬢はそれをよしとしません。中には積極的に関わりを断とうとする人もいましたが、おおむねその善意と優しさあふれる行動に周囲がほだされ、最終的には元恋敵であるはずのヒロインさえ味方につけます。これこそまさにギャップ効果。その第一段階として必要なのが」
「……わたくしを利用しようとする取り巻き、ということね」
すべて理解された凛子さまのつぶやきに、コクンと頷いて応える。
人格が入れかわったことによるギャップを示すには元の性格を知る者が必要だ。さらに優しさをアピールするなら、できるだけ近くにいてもらわなければならない。
その点において『取り巻き』という存在はとても重要なのだ。
他にも「攻略対象」なるやたらと女性からモテる殿方が必要なようではあるが、苑柳寺や神楽崎を見る限りこの学校にはロクなのがいない。なぜアレがモテるのかも理解できない。
そもそも凛子さまは男子よりプリンに夢中である。
恋愛要素を絡めるのは実質上ほぼ不可能と考えたほうがいい。
「でも、どうやって取り巻きの人たちを集めればいいのかしら……」
「実際に取り巻きのいる人をお手本にしてはいかがでしょう」
「お手本?」
凛子さまが首をこてんと傾けられる。可愛い。
さっきから廊下がなにやら騒がしかったのだが、ちょうどいいタイミングだ。
私は教室の外を通りすぎようとする大名行列みたいな集団を指さした。
そちらを向いた凛子さまがあからさまに顔をしかめる。
「まさか……え、苑柳寺、さまを?」
「いいえ。取り巻きの件で注目すべきは彼のファンクラブ……」
指先をやたらと目立つ金髪の少年から少しだけズラす。
そこには髪をツインテールと呼ばれる形にした女の子の姿が見えた。
彼女もまた苑柳寺とは違う種類の視線を一身に集めている。
「――『紅葉会』会長。紗倉恋星さま、です」
廊下をぞろぞろと歩く集団の先頭。
そこには、苑柳寺アキさまのすぐ後ろでキラキラと笑う――天使のような美少女の姿があった。