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第2話


「……わたくし、悪役令嬢の才能がないのかしら」

「その可能性は残念ながらいなめませんね」


 三限目の休み時間。次の神楽崎さまがいる教室を目指しながら、凛子さまは少しヘコたれておられた。

 それは仕方のないことだ。凛子さまが悪役を演じるには、心の根っこが真っ直ぐすぎる。もちろん私はお嬢さまのそういうところに惹かれてお慕いしているのだけれども、やはり悪役令嬢となられるには不利な材料だ。

 チャンスは残りわずか。さっきの騒動のことが広まれば、凛子さまを恐れる者がさらに増えてしまう。さっきから廊下ですれ違う人々にもサッと目を逸らされてしまっているし。


「凛子さま、次は少し上から目線でいってみましょう」

「上から」

「はい。『このわたくしに話しかけられたこと、光栄に思いなさい!』……といった感じで」

「いまの、わたくしの声マネ?」

「数ある凛子さまのモノマネレパートリーのひとつ、『上からお嬢さまリミテッドエディション』です。使用人の皆さまにも大ウケですよ」

「……ねぇ、わたくしの知らないところでなにをしているのかしら?」


 いろいろである。いまのところ、凛子さまを敬愛し、日々の動作をつぶさに観察したからこそ繰り出せるモノマネを、私以上に使いこなせる者はいない。シェフの黒部さんあたりはいつも痙攣するほど笑ってくださるので、こちらも腕の磨きがいがあるというものだ。

 といったやりとりを交わしている内に、目的の教室へと辿りついた。

 神楽崎さまの姿はすぐに見つけることができた。

 なにしろ周囲に人がまったくいない。親衛隊に囲まれていた苑柳寺とは対照的に、一人でなにやら難しそうな本を読んでおられる。

 人間嫌いなのだろうか? よっちゃんさんの情報だと、仲の良い幼なじみが一人いらっしゃるそうだけど。


「小さいときにパーティーで見かけたけど、相変わらずの威圧感ね……」

「お会いになったことがあるのですか?」

「お父様に連れられて、挨拶だけしたわ」

「では」

「……そのときは、『ああ、この子と友達になりたくないな』って思ったわね。なんか怖いし」


 ――なぜ、こんなにも難易度はあがり続けるのか。

 どこかにリセットボタンがあるなら迷わず押しているところだ。


「とりあえず声をかけてみましょう。凛子さま、打ち合わせ通りにお願いいたします」

「うぅ……嫌だなぁ……」


 渋々といった様子で凛子さまが神楽崎のご子息に近づいていく。

 たったそれだけで、平和だった教室の空気はピンと張りつめた。

 きっと西部劇の決闘がはじまる前はこんな雰囲気になるのだろう。


「オーッホッホッぶっ! ……ごふ、ごふっ……!?」


 ――マズい。一発目の高笑いでむせられた。

 ほんとうに世の悪役令嬢の皆さまはあれをマスターしているのだろうか? とても人間業とは思えない難易度だ。

 しかし、神楽崎さまの意識を引くことはできたようで、わずらわしそうな視線が凛子さまに向けられた。


「……なんの用だ、九条宮」

「ごふっ、ごふっ」


 ちょっと待っていただきたい。凛子さまはいま、入ってはいけない器官に空気が入ってしまわれたから。

 私に背中をさすられつつ、なんとか呼吸を整えた凛子さまは、当初の予定どおり威厳たっぷりに胸を張った。


「こ、光栄に思いなさい! このわたくしが、わざわざこんな辺境まで足を運んでさしあげましたわよ!」


 うん、いかにも悪役令嬢らしいセリフだ。まぁ辺境といっても階の端というだけで、中身は私たちのクラスとなんら変わりはないのだけど。あと、つきまとう予定の男子をこのように扱うのは正解なのだろうか。ちょっと自信がなくなってきた。

 ……あ、神楽崎さまが視線を本に戻された。端整なその横顔には「うんざり」という表情が浮かんでいる。

 そして凛子さまは涙目でこちらを振り返られた。無視されて悲しかったんですね? わかりました。ここはこの私にお任せください。

 ということで、戦意喪失された凛子さまの前に出て、すっかりこちらに興味をなくした様子の神楽崎さまと向かいあう。


「――凛子さまをシカトするとはいい度胸ですね。この私の拳のサビにして……」

「ちとせやめなさい! 待て! ステイ! 暴力はダメ!」


 振りかぶった腕は、凛子さまに抱きつかれて止められた。

 だってこの人、凛子さまを無視したんですよ? いっておくけれど、私は凛子さまや九条宮家の方々を侮辱する者は誰であろうと許すつもりはない。

 ……あと、さっき凛子さまから犬扱いされた気がするんだけど、聞き間違いだろうか?


「……うるさい。用事がないならさっさと消えろ、アホ姉妹」


 しっしっ、と手だけで追い払われた。私に対するそれだけなら、まだいい。寛大な心で許してさしあげよう。

 だがこの男、いうにことかいて、アホ姉妹!? 凛子さまを! アホと……!!


「し、失礼しました〜」


 ずるずると凛子さまに引きずられながら、私は怒りに燃える眼で仇敵認定した男をにらみ続けた。


 ――許すまじ、神楽崎透!



     ☆彡



 高いフェンスに囲まれた放課後の屋上で、凛子さまと私は見事なまでに打ちひしがれていた。

 本来は立ち入り禁止で施錠された場所なのだけど、つい先日、扉の鍵が壊れているのをたまたま私が発見した。

 たそがれるなら屋上だろうということで、お嬢さまと私はこっそり秘密の扉をくぐったのだ。


「……ダメでしたわね」

「……はい」


 空を焼く六月の夕陽が目にしみる。手の中のヤケ酒ならぬヨーグルト味のヤケピクニックは、もうすっかりぬるくなっていた。

 あの後、さまざまな悪役令嬢計画を二人で実行したものの、結果はすべて空振り。得体の知れない行動に出た九条宮の令嬢を恐れ、周囲からはますます人が遠ざかった。


「申し訳ありません。私が、もう少し神楽崎に対して怒りをこらえていれば……」

「いいえ、ちとせはよくやってくれたわ。……どちらかというと、わたくしの方がもっとしっかりしていれば」


 はぁ、と二人で溜め息をつく。

 これで一からやり直し……いや、現状を考えるとマイナスからのスタートか。

 友達って、どうやって作るのだろう? みんな当たり前にしていることが、私たちにはこんなにも難しい。


「帰りましょうか……」

「はい……」


 頷いて、のろのろと足元においたランドセルを背負う。

 こんなときでも凛子さまは決してご自分の荷物を私に持たせようとしない。今日くらいは、側近として仕事をさせてほしいのに。


「……あら? 踊り場に誰かいるみたい……」


 扉を開けた凛子さまがぽつりと呟いた。

 たしかに誰かの声がする。薄暗いこの場所に生徒はあまり近づかないのだけど、ひょっとして先生だろうか? だとすると、屋上に出ていたことがバレるとまずい。

 二人で顔を見合せて、息を殺してひっそりと階段を覗きこむ。


「――アンタ、紅葉会をさしおいて苑柳寺様に声をかけるなんて、ずいぶんナメたことしてくれるじゃない」

「そ、そんな……わ、わたしは、ただ落とし物を届けただけで……」

「はっ、どうだか。どうせ、ちょっとでもお目にかかろうとか卑しいこと考えてたんでしょ?」

「お、思ってません! そんなこと……」

「あのね、苑柳寺様にあなたみたいな庶民が声をかけるには、紅葉会の許可が必要なの。そんなの常識でしょ?」


 ――なんと紅葉会による制裁現場だった。

 メンバーらしき女子は全部で五人。やたらと高圧的なところを見ると、親衛隊でもそれなりの地位にいるのだろうか。

 一方、囲まれた女子生徒はいかにもおとなしそうな子で、いまにも泣きだしそうにうつむいてしまっている。

 ……というか、苑柳寺に話しかけるのに許可が必要だったのか。常識らしいけど、私はたったいま知った。そんなめんどくさい手続きを踏んでアレと会話したい子がいるのが不思議で仕方ない。


「――凛子さま、ごらんください。あれが本物の悪役令嬢ですよ」

「そうね。とてもじゃないけど、わたくしにはあんな真似――――じゃない。助けないと」


 そういって、凛子さまは階段を下りだした。

 もうそういうところが悪役令嬢になれない最大の要因だと思うのだけれど……私も、その意見にはおおむね賛成だ。

 慌てて凛子さまの後を追いかける。


「貴女たち、もうそれくらいにしておいたらいかが?」

「はぁ? 誰――くっ、九条宮様!?」

「な、なぜここに!?」

「ちょっと用事がございまして……それより、誇り高き獅王院の生徒がいじめなんて、恥ずかしいと思いませんの?」

「い、いじめなど……ただ、わたしたちは分別のない庶民に、獅王院でのルールを教えていただけで……」

「たった一人を大勢で囲んで? そういうのを世間ではいじめと呼ぶらしいですわよ。だいたい、そのルールすら貴女たちが勝手に決めたことでしょう? 関係のない一般生徒に押しつけてはなりません。苑柳寺様を慕っているというのなら、彼の顔に泥を塗るような行動は避けるべきではなくて?」


 さすがは凛子さま。たったお一人でも堂々と紅葉会のメンバーたちをやりこめている。

 その風格は、まさに次代の九条宮家当主にふさわしい。

 ――けれど、


「……ち、調子に乗るんじゃないわよ! 九条宮の娘だからって!」

「きゃっ!?」


 追いつめられて逆上したメンバーの一人が凛子さまの肩を突いた。

 突然の衝撃に、ぐらっと細身の身体が揺らぐ。

 下りの階段を背にして立っていた凛子さまは、そのまま――


「凛子さま!!」


 弾かれるように一歩を踏む。宙に浮いた凛子さまの身体を小柄な私が引っ張りあげるのは不可能だ。掴んだ腕ごと一緒に落ちてしまう。

 ――――ならば。


「くっ……!」


 一段下まで跳んで、背中のランドセルに手をあてる。そのまま、振り向きながら階段を踏みこむと同時に、全力で踊り場へと押し戻した。


 ぐん、と身体が後ろに引っ張られる。

 踏ん張ろうにも、足元にはもう地面がなくて。

 景色が、まるでコマ送りのようにゆっくりと流れていく。


 急速に傾いた視界は……しかし、床に倒れこむ凛子さまの身体を、きちんと捉えた。


 ――良かった。凛子さまは、ご無事だ。


「――ちとせっ!?」


 悲鳴がどこか遠くで聞こえる。

 まるで空を飛んでいるかのような、圧倒的な浮遊感。「ああ、落ちるんだな」と、やけに冷静に考える自分がいる。

 きっと痛いんだろうな。痛いのは、やだな。

 覚悟を決めて、ギュッと目を閉じた。

 やがて、鈍い衝撃とともに、強烈な痛みが――――――痛みが、ない?

 肩がどこかにぶつかった感覚はある。でも、痛くない。

 なにか、布のようなものが頬っぺたに当っている。

 あれ? 私、どうなったの?


「……何をしている」


 聴こえたのは、地を這うような少年の声。

 おそるおそる目を開けると――そこには、あの神楽崎透の冷たい眼差しがあった。

 敵を見るような漆黒の瞳は、しかし、私ではなくどこか遠くへと向けられている。


「あ……か、神楽崎、さま……っ?!」

「苑柳寺のところの連中か。……お前たち、自分がなにをしたか分かってるのか?」


 神楽崎の声は少年らしくまだ高いものの、聴く者の背筋を凍らせるような迫力があった。

 思わず、私まで身震いしてしまう。


「あ、ち、ちが……わ、わたしは関係ありませんっ!?」

「あ!? ちょっ、ず、ずるい! わたしも知らない!」


 やがて、視線に耐えきれなくなったのか、紅葉会のメンバーたちが次々と駆け出していく。

 ただ、いまさら逃げたところで、私はもう全員の顔を憶えているのだけれども。凛子さまを危険な目にあわせた者はなにがあろうと許さない。絶対に痛い目をみせてやる。

 ……それより、冷静になってみるとこの体勢だ。私がすっぽりとおさまっているのは神楽崎の腕の中。ギュッと胸元に抱きしめられて……いや、受け止めてくれたんだということは、わかっているのだけれども……その、距離がですね……ち、近……。

 ちょっと軽く手で押してみる。お礼をいおうにも、この体勢はさすがにいろいろ恥ずかしくて口を開けない。

 ささやかな「離してください」のサインを出し続けていると、令嬢たちの走り去った方向をにらんでいた神楽崎が、ようやくこちらを向いた。

 その眼が――わずかに見開かれた。


「……お前、そんな顔もするのか」


 ぽつり、とそんなことを呟く。

 そんな顔、とはどんな顔だろう? あいにくと鏡が近くにないので確認できない。

 不思議に思って顔を触っていると、後ろから勢いよく抱きつかれた。


「ちとせっ、よかった…………っ!」


 涙に濡れた声。振り向かなくたって、それが誰のものかすぐにわかる。

 ……主人をこんなに泣かせて、私はほんとうにどうしようもない側近だ。


「ご心配をおかけして申し訳ありません。凛子さま」

「バカッ……ばか…………っ……あり、がと……っ」


 お優しい凛子さま。ほんとうに、あなたがご無事でよかった。


 回された腕にそっと触れて、その感覚をたしかめる。ああ助かったんだ、といまさらになって実感がわいてきた。

 ……と。そこで、私は自分に向けられている視線に気づいた。

 神楽崎だ。あの無表情な坊ちゃんが、なんと口元をわずかに吊りあげて、なぜか私を見ている。


「なんです……?」

「顔、さっきから真っ赤だぞ」


 顔が……さっきから、真っ赤……?


 ――――ってそれ、抱きしめられてたときのことか! そんな顔って、これのこと?! ちょ……は、恥ずかしすぎる……っ!


「あまり無茶するなよ。アホ姉妹」

「な……なっ!?」


 とり乱した私の頭をぽんぽんと叩いて、神楽崎は階段を下りはじめた。

 その手のひらの感触に、またしてもさっきの状況を思い出してよけいに顔が熱くなる。

 ――しかし、ヤツは触れてはならないものに触れた。

 私にはどうしても許せないことが二つある。

 一つは、凛子さまや九条宮の方々を侮辱されること。

 もう一つは――年の近い者に子供扱いされること、だ。


「おのれ、神楽崎……っ!」


 ギリギリと歯をくいしばる。

 アホ呼ばわりしたあげく、頭を叩いて子供扱いのダブルパンチ!

 あの小馬鹿にしたようなニヤヤニヤ笑いも気にくわない!

 顔が熱いのも、心臓がうるさいのも、ぜんぶぜんぶヤツへの怒りのせいだ!

 あの嫌味な男が消えた階下に向けて、私は握りしめた拳を突きだした。


「覚えていろ! 神楽崎ぃぃぃいいいいっ!」


 ――いつか絶対に泣かす……!



     ☆彡



「あ、あのっ……」


 凛子さまが泣き止んで、私の動揺も落ち着いてきた頃、後ろから震えた声が聴こえた。

 振り向くと、そこには、さっきまで紅葉会メンバーに囲まれていた女子生徒の姿があった。


「その……あ、ありがとうございました! 助けていただいて、九条宮さまを危ない目にもあわせてしまって……わ、わたし、なんとお礼をいっていいか……!」


 泣きだしそうに肩を揺らした彼女は、これ以上ないほど深々と頭をさげた。

 その姿に私と凛子さまは顔を見合わせる。

 互いの意思を視線だけで確認して、コクっと頷いた。


「あの」


 声をかけると、おさげの女子生徒さんの身体がビクッと震える。

 やがて、おそるおそるといった様子で顔をあげた彼女に向けて、私たち二人は揃って頭を下げながら両手を差し出した。


「「アドレス交換、おねがいします」」



     ☆彡



「…………まさかケータイを持ってないとは思いませんでしたわね」

「まぁ小学生なので、普通といえば普通なんですけどね……」


 二人でうなだれて歩く夕暮れの道。後ろにのびた影ぼうしは、もう随分と背が高くなっていた。

 一応、お迎えの笠井さんには連絡をいれたのだけれど、あまり遅いと心配されてしまうだろう。

 学校指定のローファーにはき替えて、私たちはトボトボと正門を目指していた。

 結局、本日のアドレス獲得件数はゼロのままだった。ショックのあまり女子生徒さんの名前も聞き忘れたし、あれだけ怯えていると「ぜひお友達に!」とはいい出しにくい。なんだか強請っているみたいだ。

 ままならない現実を嘆きながら、私はふと気になったことをたずねた。


「凛子さまは、お友達ができたらなにをしたいとお考えなのですか?」

「お友達と? うーん。そうねぇ……休み時間におしゃべりしたりとか、帰りに寄り道したりとか、休日に出かけたり……とかかしら?」


 指折りあげられたお友達との交遊計画を聞いて、私の中に、あるどうしようもない考えが浮かぶ。

 魔が差したとしか思えない。けれど、気がつけば、私はその言葉を口にしていた。


「あの……それは、私ではいけませんか?」


 高慢な考えであることはわかっている。それでも、同じようなことを私はお嬢さまとしてきた。休み時間はずっと一緒にいるし、寄り道も、休日にお出かけもした。

 もし、凛子さまが寂しいというのであれば、私が、もっとがんばってその穴をお埋めすることはできないかと思った。

 ……思ったのだけれど。


「ちとせ? ちとせではダメよ」


 ――ずき、と。

 困ったようなその声に、胸が、痛んだ。

 いや……まぁ、うん。わかっていた。

 私は、九条宮に引き取っていただいた養子にすぎない。

 施設にいたころ、この性格と物言いのおかげで孤立していた私を、優しい凛子さまはワガママという形にして救いあげてくださった。

 九条宮家の方々も、身よりのない私なんかを身内として扱ってくれる。

 それだけで充分だ。もう、それだけで、私は一生分の幸せをもらったというのに……。


「だって、ちとせはわたくしの家族じゃない」

「…………え?」


 なんでもないように放り投げられた言葉に、思わず顔をあげる。


「……ちとせは、わたくしの可愛い『妹』よ。お友達なんかよりもずっと大事だわ。――他人とではできないたくさんのことを、わたくしはちとせと一緒にしたいもの」


 ――ああ、それは。


 お嬢さま。それは、なりません……。


 そんなに優しいお顔で。

 そんなに綺麗な笑顔で。

 そんなことをいわれたら、私は――。


「えっ、ど、どうしたの? ……ちとせ?」


 無礼と知りながらも、腕にすがりついてしまった。

 お願いします。どうか、いまの私を見ないでほしい。きっと情けなくて、みっともなくて、とても凛子さまのおそばにいられないような、恥ずかしい顔をしているから。

 必死になって顔を隠していると、凛子さまがクスッと笑い声をこぼした。


「あらあら、今日のちとせは甘えん坊さんねぇ」

「……こ、子供扱い、しないでください」

「ふふ。この流れでちょっと『お姉ちゃん』って呼んでみなさいな。いつまでたっても凛子さま凛子さまって、わたくし、これでも寂しかったんですのよ?」

「あ……と…………おっ、おね……おねえ、ざ……」

「あー……焦らなくてもいいから。まずはお顔を拭きましょう? このままだと、制服がえらいことになってしまいますわ……」


 そういって、苦笑しながらハンカチで顔をぬぐってくれる凛子さまの……お姉さまの手は、とても優しくて、温かかった。



 私の名前は、二年前に「九条宮千歳」になった。

 はじめは夢を叶えるためのチャンスだと思っていた。

 けれど、いまは九条宮家の方々を心からお慕いしている。


 いつか、臆病な私もちゃんと「家族」になれるように。与えてもらった優しさに、きちんと応えられるように。――しっかり前を向いて歩こうと、そう、心から思った。









「今日はたくさん動いたからお腹がすきましたわね、ちとせ?」

「はい……ぺこぺこ、です」

「夕飯のメニューはなにかしら。プリンだったらいいですわね〜」

「いえ、さすがにそれがメインなのはちょっと……」


 二人で手を繋いで歩く六月の帰り道。

 いつもと変わらないはずの茜色が、ふんわりと優しくにじんで見えた。

























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