第13話
さすがは苑柳寺家というべきか、広いパーティー会場には大物っぽい人も含めて大勢の芸能人が集まっていた。
あまりテレビを観ない私でも顔のわかる有名人があちこちにいる。
これのどこが「軽い集まり」なのか。
芦葉さんなんてそわそわと辺りを見回してはビクビク震えて常に緊張状態である。あとで念のために持ってきた胃薬をあげなくては。
一応、食事はビュッフェ形式だけれども、それでもシェフがその場で調理した高級料理を提供するというお金持ち仕様。
私の常識の中で、軽いと形容される集まりに、黒毛和牛のロティだのジビエのパイ包み焼きだのフォワグラポワレだのといった料理は登場しない。
なんとなく九条宮に引き取っていただいてすぐの頃を思い出してしまった。
「チッ、どこ行ったんだオヤジのヤツ……おい、ちょっとここで待っててくれ。何か飲み物を持って来させる。他に食いたいモンがあったら手配するぞ」
忙しない申し出を丁寧に辞退すると、苑柳寺はそのままどこかへと歩き去ってしまった。
……主役がそんなに動き回っていいのだろうか?
なんとも気の短い人だ。
それでも、あいさつされる度にキチンと立ち止まって対応するあたり、上流階級のマナーみたいなものはちゃんと重視しているのだろう。普段からは想像もつかない私たちへの気づかいもその一端だと思える。
「……ねえ、ちとせ?」
「――なりません。あちらのクレームブリュレはお食事のあとにいたしましょう」
「な、ななななんでわかりましたの!?」
なんでもなにも、さっきから凛子さまの視線はデザートのブースに釘づけだった。
クレームブリュレはプリンの親戚みたいなお菓子である。ここにある中では最も好みに近しいデザートを前に食欲がおさえきれなくなったご様子。
しかし、まずはちゃんとしたお食事が先だ。
主君の健康管理も側近のだいじな仕事である。
「凛子さ……ちゃん、って、あんまりお嬢様っぽくないね」
そういって、芦葉さんがクスクスと笑う。
ついに凛子さまを「ちゃん」づけで呼んでくださる方が現れたかと思うと、なんだか胸が熱くなる。呼ばれた凛子さまもうっすらと頬を染めてふにゃと下がりそうになる目尻をなんとかキープしておいでだ。
なんにしても芦葉さんの緊張が解けたようでよかった。
「おお、君達が九条宮のお嬢さんか!」
ウェイターさんが持ってきてくれたジュースを手に三人でお話ししていると、なにやら賑やかな声が聞こえてきた。
その方角からやってきたのは、スラリとした四十代頃の男性である。
上等そうなスーツは元より、カフスや小物の類にこだわったファッションがなんともおしゃれっぽい。
髪を後ろに梳きつけたこの方は、ひょっとしなくても苑柳寺のお父さまなのだろう。二人とも目つきがそっくりだ。
「はじめまして。本日はお招きいただきありがとうございます」
「やあ、流石は九条宮家といったところかな? しっかりしたお嬢さんだ。学校でいつもアキが世話になっているそうだね」
お世話などしたこともされたことも記憶にないが、謙遜や社交辞令は円滑な人間関係の構築に欠かせないものである。
雅なお言葉で適当にはぐらかすお嬢さまの手腕に感嘆しつつ、隙を見て私と芦葉さんも挨拶しておいた。
そうこうしている間に、なんだかイラついた様子の苑柳寺が戻ってきた。
「オヤジ! 先に行くなっつってんだろ!」
「なんだアキ、遅かったじゃないか」
置いてこられたのか苑柳寺。なんと憐れな。
彼のマイペースな性格は間違いなくお父上からの遺伝なのだろう。
……それにしても。
なぜだろうか、苑柳寺家のご当主の眼差しがやけに気にかかる。
まるでこちらを見定めるというか、量ろうとしているかのような、そういう類の視線だ。
「しかし、三人とも綺麗なお嬢さんだね。それぞれ違ったオーラがある」
「……はい?」
「どうだい。良ければみんなうちの事務所に……」
「おい! スカウトはしねえ約束だろ!」
「何をいってるんだアキ。目の前に原石が三つも転がっていて無視する業界人などいるわけないだろう? 今夜のゲストには他の事務所の関係者もいるんだ。こういうのは早い者勝ちなんだよ」
「こいつらも客なんだよ! 失礼なことするんじゃねえ! せめて日を改めろ!」
オールバックの紳士はご子息に叱られても平然としている。
このマイウェイすぎる感じ。なるほどお二人は親子だ。
あの苑柳寺から「失礼」なんて言葉を引き出すあたり、お父上の方が何枚か上手ではあるようだけれども。
なんというか濃ゆい家族である。
それにしても、今日は苑柳寺の意外な一面ばかり目にしている気がする。
……誕生日を迎えてヤツも大人になったということだろうか。
「おいチビ! その慈しむような顔やめろ!」
「ではチビとかいうのやめてください。それセクハラですよ」
「それで、どうだい? 特にそこの……優月ちゃん、だったかな?」
「ひ、ひゃい!?」
「君は磨けば大きく化けそうな気がする」
「ひぇ!? い、いえ! わたしは……」
「安心しなさい。こう見えて私の眼は確かだよ。九条宮のお嬢さん達もなかなか面白い。もしうちに来るなら、この私が直々に……」
「申し訳ありません苑柳寺様。先にこちらをお渡ししてもよろしいでしょうか?」
もはやパーティー会場の一角がカオスであった。
その隙を縫ってぐいぐい押し込んでくるお父上に、凛子さまがすかさず一通の手紙を差し出された。
「うん? なんだい、これは」
「お礼状です。是非とも苑柳寺家のご当主様に渡してほしいと、母から預かってまいりました」
「……ほう」
なんだろう。一瞬、お父上の眉がピクッと動いた。若干ながら血行も優れないように見える。
心なしか強張った気がする指で手紙を取り出すと、内容に目を通しはじめた。
――その顔が、みるみる真っ赤になっていく。
「な、なっ!? あんの女狐っ! このことは口外しないと……っ」
そこまで口走ったオールバック紳士が、ハッと顔をあげる。
なんだか私たちがいることを急に思い出したみたいな表情だ。
「あー……き、君達は、これを読んだのかな?」
「い、いいえ。メール便で届いたものをそのまま持ってきましたので……」
「そうか。ならいいんだ……ああ、そういえば用事を思い出したので、そろそろ失礼するよ。アキ、くれぐれも失礼のないようにおもてなしするんだぞ」
「はあ? 急にどうし……あ、おい」
呼び止める息子を置いて、お父上は足早に会場の外へと歩き去ってしまわれた。
その手に、蘭香さまからの手紙を握りしめたまま。
「……おい。何が書いてあったんだよ、アレ」
「し、知りませんわ。本当になにも教えてもらってませんもの」
それは事実である。
私たちは手紙の内容を知らされていない。
蘭香さまからは「苑柳寺の当主がうるさい時はその手紙を渡しなさい」と、そう電話で教えてもらっただけ。
あのとき、すでにこうなることを予見しておられたのか。さすがは蘭香さまだ。
父親を見送った苑柳寺は、いぶかしみながらもどこかホッとしているようにも見えるので、たぶんそこまで大きな問題はないはず。たぶん。
……でも、ほんとうになにが書いてあったんだろう?
☆彡
日本には『二度あることは三度ある』という言葉がある。
私は今日、その奇跡的なリーチがかかる瞬間に出くわした。
それは他の招待客の元へあいさつ回りに出かけた苑柳寺と別れ、食事の前にお化粧直しをしようと三人でホールを出たときのこと。
うかつにもポーチをテーブルに忘れてしまった私が会場へ戻ると、いきなり知らない人に話しかけられた。
見た目は二十代後半くらい。明るく染めた茶髪と着崩したスーツがやたらとチャラい印象を与える男の人である。
「ねえ、さっきの子ってキミのお友達? よかったら僕にも紹介してくれない? あ、これ僕の名刺ね」
――本日、二度目のスカウト。
名刺に書いてある会社名はたぶんどこかの芸能事務所のものだと思う。肩書きが「代表取締役」ということはこの人が社長なのか。まだ若そうなのに大したものだ。……ただ、お名前が『TAKAHITO』とアルファベットのみ表記されているのだけど、一応、日本人という認識で大丈夫だろうか? あと苗字はなにかの罰で取りあげられたのか。
なんにせよ、このチャラい取締役さんは、凛子さまか芦葉さんを誘いたいらしい。
お二人が認められるのは私としてもたいへん誇らしいことだ。むしろ当然だとすら思う。
……が、この人はダメだ。
私は側近として、初対面であいさつもキチンとできないような人間を大切な人たちに近づけるわけにはいかない。それが立派な大人だというなら尚のこと。
ここが他家のパーティー会場であり、凛子さまと芦葉さんがその招待客であることも考慮すると、ちょっとマナーがなさすぎる。
「申し訳ありません。本日は苑柳寺さまのお祝いに参りましたので、そのような依頼はお受けできません。名刺もご遠慮させていただきます」
「は? なにそれ? キミ、すげーオモシロいね」
なにが面白いものか。
こっちはいたって真面目である。笑われる意味がわからない。
「あ、ひょっとしてヤキモチ? お友達だけ誘われて嫉妬しちゃった? いいよいいよ。キミもわりとカワイイし、オーディションぐらい受けさせてあげるよ?」
……どうしよう。会話がまるで成立しない。
この人は女なら誰でも芸能界に憧れるとでも思っているのだろうか?
それより、早く凛子さまの元へ戻らなくては。
もし私を探しにこられたらこの男と鉢合わせしてしまう。
「もうよろしいでしょうか? 他に用がないのでしたらこれで失礼します」
「はあ? ……おい、ちょっと待てよ」
「っ! いた……」
さっさと立ち去ろうとしたらいきなり腕を掴まれた。
な、なんだこの人……。なれなれしいとかそんなレベルじゃない。子供とはいえ初対面の人間に気安く触るとか正気を疑う。ほんとうに苑柳寺家の招待客なのか。
……掴まれた腕が気持ち悪い。
振り払おうと身をよじったそのとき――チャラ男の身体が、大きく傾いだ。
「うわっ!? つ、冷たっ!?」
「――ああ、失礼。躓いてしまいました」
なんだか覚えのある声が聴こえた気がする。
……が、それよりも私の視線は目の前の惨状に釘づけになっていた。
衝撃に飛びあがったチャラ男のズボンから、ボタボタと水がしたたっている。あれは……ジュース、だろうか?
足元には氷もゴロンと転がっている。
じわじわ広がっていくシミを見る限り、ひっかかったなんてものじゃなく盛大にブチまけられたという感じだ。
「お、おい! なにしてくれてんだ!」
激昂したチャラ男が顔を真っ赤にして振り返る。
そのとき見えた人の姿に、私は絶句した。
空っぽのグラスを手に持ったまま、堂々と相手を見返す人物。
――凍てつくような微笑を浮かべた神楽崎が、そこに立っていた。
「まさかこのような場で子供を捕まえて騒ぐ人間がいると思わなかったので……驚いてぶつかってしまいました」
「はあっ!? なんだそれ! バカにしてんのか!」
「いちいち確かめなくては理解できませんか?」
怒り狂った大人を相手に神楽崎はまるで怯む様子もない。それどころか嘲るように皮肉を返している。
な、なんだろう。いつもより丁寧な口調なのに、いまの神楽崎は思わず固まってしまうほど怖い。理由はわからないけど、すさまじく怒っているようだ。
……というより、なぜ神楽崎がここにいるのか。
混乱しっぱなしの私は完全に思考停止したまま、その場に立ち尽くすことしかできなかった。
「こ、の……おいクソガキ、こんなことしてタダで済むと思ってんのか! お前の家なんて僕にかかれば簡単に……」
「ああ、先に賠償の話をしておきましょうか。……クリーニングでも新たに仕立て直すでも、発生した代金はこちらに請求書を送ってください。俺から取り次いでおきます」
そういって、神楽崎は片手で小さな紙を差し出した。
名刺だ。あいつ子供なのに名刺なんて持たせてもらってるのか。……ちょっとうらやましい。
イライラした様子で紙面を覗きこんだチャラ男の顔が――瞬く間に、サァッと青ざめた。
「ぁ……か、神楽、崎……!?」
「――どうした。早く受け取れ」
冷え切った声に、チャラ男の肩がビクッと跳ねる。
その顔にさっきまでの浮ついた雰囲気は微塵も見受けられない。
「ウチを簡単にどうにかしてくれるんだろう?」
「あ、ぃ、いや……あれ、は、言葉のあやといいますか……」
「ついでに教えといてやるが、さっきお前が捕まえていたそこの女は九条宮の娘だぞ?」
「いっ!?」
……ああ、その反応には覚えがある。
私が引き取っていただいて間もない頃は、同じように外部の人間からよく驚かれていた。
「お前、見ない顔だがこういうパーティーに参加するのは初めてだろう。……そもそも忘れてないか。この集まりが、苑柳寺の主催だということを」
その言葉がまるで呼び水になったかのように。
「――おい、なんか揉めてんのか?」
にわかに集まりはじめた人垣をかきわけて、ホールの中央から付き人らしき男性を連れた苑柳寺が。
「ちょっと、ちとせ!? なにかあったの!?」
扉の方から、慌てたご様子の凛子さまと芦葉さんが姿を現した。
「凛子さま……」
「大丈夫? なかなか戻ってこないから心配して――」
ピタッと気遣うような声が止む。
凛子さまの視線は、さっき掴まれた私の腕に向けられていた。
自分でも見下ろしてみると、そこには真っ赤な指のあとがくっきりと残っていた。
どうやらずいぶん強く握られたらしい。
「……これ、誰にやられましたの?」
「ひ、ひどい……」
「おい、なんだコレ。どういうことだ、神楽崎?」
「そこの男から無理に掴まれてたんだ。直前にオーディションがどうのとか聞こえたな」
神楽崎の説明を聞いた全員の視線がチャラ男へと集中する。
ようやく現状がのみ込めたのか、彼の顔は色を失くして真っ白になっていた。
なにしろ、ここにおられるのは三大財閥の子息子女である。
同じ状況におかれたら私だって正気を保てる自信がない。
そんな重苦しい沈黙のあと、
「……説明、してくれるんだよなァ?」
「……どのような事情があろうと許しませんわ。覚悟なさいませ」
壮絶な笑みを浮かべたお二人の言葉に……どこかの芸能事務所の代表さんは、いっそ可哀そうなほど膝を震わせはじめていた。