第12話
ついにやってきた苑柳寺のバースデーパーティー当日。
会場が国内最高級のホテルをワンフロア貸切りというあたり、やつが大財閥の御曹司であることを実感させられる。
元がド庶民の私としては、こういう所に来るとやっぱり委縮してしまう。九条宮のお屋敷や獅王院にもようやく慣れてきたくらいなのだ。いくらちゃんとしたドレスを着ていても紳士淑女な方々が行き交うロビーに立つと場違いに感じる。
そもそも私の衣装に着られている感がすごい。心臓がさっきからやたらと元気だ。
「安心なさい。とても可愛いわよ、ちとせ」
私の緊張を察知したのか、振り返った凛子さまがそう励ましてくださる。
さすが凛子さまはこういう場に慣れていらっしゃるのでまったく緊張していない。
腰にコサージュのついたミントグリーンのドレスがサイドアップにした飴色の髪によく映えている。こういった色は日本人にあまり合わないイメージなのだけど、華やかな美貌を持つ凛子さまにはよく似合う。なんというか、爽やかですごくカッコイイ。
対して私は紺色のおとなしいドレスである。レースなんかも控えめ。
着付けてくださった侍女のお姉さんはピンク系のリボンやフリルがついた衣装をゴリゴリ推してくださったのだけど、全力でご遠慮させていただいた。
たぶん私にああいう可愛らしいのは似合わないと思う。
ならばせめてと髪を編み込まれ、凛子さまと色違いのコサージュをつけたこの状態。凛子さまを信用しないわけではないけれど、やっぱり落ち着かない。無理してるとか思われないだろうか?
「ちとせちゃん、かわいい、よ?」
おずおずとそういってくれたのは芦葉さんである。
夏休みに入ってすぐお出かけしたとき「できれば自然に接してほしい」とお願いしたのを守ってくれているらしい。まだぎこちないけれど、普通の口調で話しかけられるとなんだか仲良くなれたようで嬉しい。
例の拾い物事件以来、お互いに少し距離が近づいたように感じる。
お悩み相談作戦は多少なりとも功を奏したようだ。
……まあ、あれだ。周りにすごく気をつかわせてしまっているので、どうにもならないことを心配するのはやめよう。
お礼をいいつつ胸を張ってしゃんとする。
側近たる者、常に姿勢は正しておかなければ。
「それにしても……」
「ええ……まるで別人のようです」
二人分の視線を受けた芦葉さんが頬を染めて恥ずかしそうに身をよじる。
白を基調としたシフォンドレス。飾りの類は控えめだけれど、それが芦葉さんの清楚な雰囲気をより引き立てる。
なにより、今日はいつもの厚いメガネをかけていない。
ほぼ素顔の彼女が芦葉さんだと気づける人は学校にいるだろうか。
うっすらお化粧をしたその顔を見ると、頭の中にある単語が浮かぶ。
「ちとせ……まさか、優月ちゃんって」
ぽつりと呟いた凛子さまと視線が合う。
ひょっとしたら同じことを考えているのかもしれない。
なにしろ、あの手の作品はすべて凛子さまにオススメされたものだから。
「「――無自覚ヒロイン」」
「や、やめてください!?」
主従で完全に考えがシンクロするという奇跡を起こしていると、真っ赤になった芦葉さんが飛んできた。
でもこれは間違いない。
凛子さまが多大な影響を受けたオトゲーなるものを題材とした物語。
その中に登場していたのが、なんらかの理由で自分の容姿に自信がない『無自覚ヒロイン』という存在である。
彼女たちは自信がなく平穏を愛するがゆえに煌びやかな人種との接触を避ける。
しかし、それが逆にイケメン達の興味をひいて追いまわされるという不遇な運命を背負っていた。
そういうヒロインたちは往々にして実は美人なのだ。
眼鏡を外した芦葉さんの儚げな容姿。そして真面目な性格と相手を慮る優しさ。
間違いない。
――彼女こそ魔性の無自覚ヒロインだ。
「ねえ、ちとせ」
「はい」
「……わたくし、やっぱり優月ちゃんをいじめないといけないの?」
「……すみません。なにがやっぱりなのかさっぱり理解できませんでした」
ちょっとお考えが崇高すぎて意図を把握しきれない。
芦葉さんも唐突すぎる暴言が聞こえたのかビクッと震えていらっしゃる。
「だって、わたくし悪役令嬢だから……」
「あ、あくやく?」
「芦葉さん、気にしてはいけません。凛子さまは昨日見た夢の話をしているのです。よほど刺激が強かったのかいまだ混乱が続いているようで……」
「そ、そう、なの?」
いったい凛子さまの身になにが。
無自覚ヒロインの存在が封印されたはずの悪役令嬢を目覚めさせてしまったのか。
もうその計画は達成したはずです。どうかお鎮まりください凛子さま。
そして芦葉さんはこのような奇抜な言動にめげず、どうか末永く仲良くしていただきたい。
たぶんこれからもちょくちょくあると思うので。
「……おい、なかなか来ねえと思ったらこんなトコでなにしてんだお前ら」
私が必死にお二人の仲をとりなしていると、背後から呆れたような声が聞こえた。
振り向くとそこには苑柳寺。
パーティーの主役らしく大人びたダークグレーのスーツ姿である。やはり慣れているのか、そういった子供向きとはいえない服装でも自然と着こなしている。
尚、なにをしているのかという質問に関しては、私にも上手く説明できる自信がないので黙秘させていただく。
そうこうしている間にも、凛子さまは一瞬で表情を他所行きに変えて、完璧な淑女の礼をとっておられた。
いけない。慌てて私もあとに続く。
「本日はお招きいただきありがとうございます、苑柳寺様」
「切り替え早ぇな。お前のツラの皮どうなってんだよ……誰だ? そいつ」
視線を向けられた芦葉さんが再び怯えたように身をよじる。
……まあ、それはそうなるだろう。
「え、えっと、芦葉です……同じ、クラスの……」
「は? ああ、あの眼鏡の……ふーん、変わるもんだな」
「あの、き、今日は、お誕生日おめでとうございます!」
やや混乱ぎみの芦葉さんは、もはやなにも聞こえていないらしく、とりあえず深々とおじぎしていた。
プレゼントは係の人に渡してしまったので挨拶だけだ。
しかし、苑柳寺の顔にはいかにも子供らしいあどけない笑みが浮かぶ。
「おう、サンキュー」
……意外だ。
まさかあの苑柳寺が誕生日を祝われてこうも素直に喜ぶとは。
もっと全面的にすれたお子さんなのかと思っていた。
「ま、挨拶はこんぐらいにして、とりあえず会場入れよ。早く紹介しろってうちのオヤジがうるせーんだ」
そういって、苑柳寺はすたすたと歩きはじめる。
まあたしかにいつまでも廊下にいたって仕方ない。
三人で顔を見合せつつ、その後に続く。
――ふいに、視線を感じた。
思わず振り返って確認する。
しかし、そこに私の見知った顔はなかった。
「ちとせ、どうしたの?」
「あ、いえ……いま、誰かに見られていたような」
「え!? ……ま、ままま、まさか……ゆ、幽霊?」
「ひっ!?」
「……お二人とも落ち着いてください。一流ホテルに出る幽霊はたぶん紳士か淑女なので悪さなどしません」
怯える凛子さまと芦葉さんをなんとかなだめつつ、苑柳寺に「おーい、早くしろ」と急かされながら、私は華やかな人々が行き交う廊下をずんずん進んだ。
なぜだろう。
その間も、さっきの奇妙な感覚が消えることはなかった。