第11話
「……お前ら、それはなんのマネだ?」
いぶかしむような表情で苑柳寺がいう。
――対する私と凛子さまは、有事に備えていつでも飛びかかれるように身構えている。
周囲に紅葉会の影はなし。あの苑柳寺が一人でいるなど、珍しいこともあるものだ。
「今日は家臣を連れていないのですか?」
「お前いつまでも人のこと殿様みたいに扱ってんじゃねーぞ……あのなあ、いくらなんでも帰るときまでファン連れて歩くわけねえだろ。そもそもあれはオレがやらせてんじゃねえ。勝手についてきてんだよ」
「なら解散するようにいえばいいのでは?」
「どこの世界に自分のファンクラブ解散させる芸能人がいるんだよ」
呆れたように溜め息をつかれた。
めんどくさい世界である。
人ごみが苦手な私としては、常に大勢を連れて練り歩かねばならない生活など絶対にごめんこうむりたい。ご実家が事務所を営む苑柳寺には難しい話なのかもしれないけれど。
「おい、オレはこれから撮影なんだ。用があるならさっさといえ」
その言葉に本来の用件を思い出す。
なんやかんや相手を待つあたり、ひょっとするとそこまで悪い人間ではないのかもしれない。
「あ、あの、これ……」
おずおずと進み出た芦葉さんが、両手で学生証を差し出す。
ダークブラウンの革ケースを見た苑柳寺は、思い出したようにポケットを叩く。そこに予想していた感触はなかったようだ。
「そこの植え込みに、ひ、引っかかってました」
「ああ、なんだ。拾ってくれたのか。サンキュー」
途端に笑顔を浮かべて学生証を受け取る。
こういうところを見るとなるほど芸能人だなと思う。
なまじ顔がいいものだから笑顔の破壊力がすさまじい。
彼のファンはこういう表情に心を撃ち抜かれたのだろう。
おそろしく中身と外見が釣り合わない男だ。
「……そういやアンタ、前にもなんか届けてくれたよな?」
そうこうしている間に、苑柳寺が余計なことを思い出していた。
こやつ……同じクラスの委員長は顔すら覚えてなかったくせに。
「なんか礼をしねえとな」
「い、いえ! そんな……」
「ああ、そうだ。これやるよ」
そういいながらランドセルから取り出したのは一枚の封筒。
やけに上等な紙質だった。
「オレのバースデーパーティーの招待状だ」
「――え?」
「予定してたヤツが一人来れなくなったんだよ。まあ身内だけの気楽な集まりだからな、他の事務所からも割と色んな業界人がくる。オレのファンじゃなくても好きな俳優くらいいるだろ? サインとか欲しいヤツがいるならいっとけ。頼んどいてやるから」
「え……ええっ!? あ、えっと、その……っ!」
「ちょっと! 急にこんなもの渡されても芦葉さんが困るでしょう! 少しは相手の都合を考えなさいな!」
「はあ? いいじゃねえか、別に。お前らと一緒に来れば」
……お前らと、一緒に?
なんだろう。雲行きがいきなり怪しくなった。
一緒に、とはどういう意味だ。
「なんだその顔……ひょっとしてまだ届いてねえのか?」
「……届く?」
「招待状だよ。九条宮の家にあてて送ったはずだぞ」
そんな話は初耳である。
もし仮に届いていればいまごろ大騒ぎになっているだろう。
主に、旦那さまが。
「な、なぜ、わたくしたちが、苑柳寺さまのバースデーパーティーに……?」
「あー……お前と口論してるところを付き人に見られてたんだ。なにを思ったかあの野郎、それを九条宮と交流があるみたいだっつって社長に報告したらしくてな。えらい乗り気で呼べ呼べうるせーんだよ。まあ、大方これを機に九条宮家と繋がりを持とうって腹なんだろ。ったくメンドくせー」
顔をしかめて吐き捨てておられるが、それはこちらのセリフである。
なんという、余計なことを。
凛子さまもあまりの展開に愕然としておられる。
芦葉さんなどいまにも気絶しかねない勢いだ。
「断ってもかまわねえが、ウチの社長はしつこいからな。どうせ呼ばれるならさっさと済ませた方がお互い面倒なことにならねえと思うぞ?」
しつこいもなにも自分の父親ではないのか。
身内ならそこら辺うまく制御していただきたい。
そう思ってもすでに苑柳寺はさっさと迎えの車に乗り込んでしまった。自分勝手すぎる。
あの男がなにを考えているのか、さっぱり理解できない。
「あ、あの」
ぎぎぎ、と芦葉さんがさながらゼンマイの切れた人形のような動きでこちらを振り返る。
「その……ま、巻き込んじゃって、ご、ごめ…………ごめなざ……っ!」
「ち、違いますわよ! 優月ちゃんのせいじゃありませんわ! だから泣かないで!?」
どう考えても巻き込んだのはこちら側である。
しかし、優しい芦葉さんはご自分の「不幸な拾い物体質」が今回の事態を招いたと思ってしまったようだ。
どうすればいい。
いくら探しても最良の解決策は見つかりそうにない。
己の無力さを突きつけられた私は、もはやなにもいえずその場で立ち尽くすのであった。
☆彡
「……うん、届いてるよ」
お仕事から帰られた旦那さまに招待状のことを尋ねると、あっさり受け取っていたことを白状なさった。
「ど、どうしていってくださらなかったの?」
「だって……だって、蘭香さんが……」
言葉をさえぎるように旦那さまの私室に電子音が鳴り響く。
なにごとかと驚いていると、ノックとともに渋い声が部屋の外からかけられた。
「お取り込み中、失礼致します。ご当主様よりお電話です」
子機に飛びつく旦那さまの素早さ。もはや残像でも見えかねない勢いだった。
私も見えるわけでもないのに姿勢を正しながら、緊張しつつ蘭香さまのお言葉を待つ。
『凛子、千歳、元気だったかい?』
「はい、お母様」
「おかげさまでなにごともなく過ごさせていただいております」
『相変わらず千歳はカタイね。まあ二人とも元気そうでなによりだよ』
スピーカーの向こうでクスクスと笑う声。
もうそんな思わずといった声ですら凛々しく感じられる。
『孝利から話は聞いたよ。苑柳寺の息子のパーティーに呼ばれてるんだって?』
「そ、そのことなんだけど蘭香さん。やっぱり子供達だけで参加させるのは……」
『いや、これも社交の場に出るいい機会だ。凛子達だけで行っておいで』
告げられたそのお言葉に、少なからず衝撃を受けた。
凛子さまと、二人で……?
「ちょ、ちょっと蘭香さん! いくら誕生日会とはいえ、男の家だよ!? いくらなんでも娘達をそんな」
『孝利、静かに』
「は、はい」
ああ……旦那さまの勢いが一瞬で刈りとられてしまった。
「お、お母様? ほんとうに、わたくしたちだけで行くんですの?」
『いずれは個人的にパーティーに呼ばれる機会も増えるだろうからね。予行練習には丁度いいさ。もちろん笠井は会場までついて行かせるから安心しなさい』
それは、少し心強いかもしれない。
車で私たちを送り迎えしてくださる笠井さんは「ほっ、ほっ」と笑う白髪のおじいさんなのだけれど、なんとなくそばにいると落ち着くのだ。
常に崩れない紳士的な態度がそうさせるのかもしれない。
『ああ、そうだ。苑柳寺の当主に礼状を書いておかないとね。……少し昔のことを思い出させてあげよう』
……あ、あれ?
なんだろう。急に寒気が……。
「ら、蘭香さん? あの、あんまり無茶なことは……」
『無茶なんてしないさ。物覚えの悪い狸に懐かしい思い出話をしてあげるだけだよ』
「ちょ、後で対応するの僕なんだよ!? ちゃんと分かって……蘭香さん? 蘭香さん!?」
そのあと、相変わらず旦那さまを華麗にスルーされる蘭香さまとしばらくお話させていただいて、部屋へと戻った。
……昔なにがあったのか、すごく気になる。
☆彡
「困りましたわね……」
パジャマ姿でベッドに腰かけた凛子さまがぽつりと呟かれる。
ちなみにここは私の部屋であり、さっきまで宿題と明日の予習を二人でしていた。
……もうこれ別々の部屋を持つ意味はあるのだろうか?
いや、凛子さまが訪ねてきてくださるのは嬉しいから別にいいのだけど。
「ですが、悪いことばかりでもありません」
「そうね。夏休みも芦葉さんと会えますものね」
ケガの功名とでもいうべきか、これはなかなか嬉しい誤算だった。
聞いた話によると、芦葉さんのご実家は輸入家具の小さな会社を営んでおられるらしい。一般的に見れば裕福だが、獅王院の中だとそれほどでもないのだとか。
芦葉さんは「娘の才能を伸ばしてあげたい」というご両親の思いから、獅王院の入学試験を受けることになったそうだ。
なので、こういう大きな社交の場に出席した経験がない。
戸惑っておられる芦葉さんには申し訳ないけれど……これはチャンスである。
九条宮のご令嬢である凛子さまは、幼少の頃から多種多様なパーティーに出席しておられる。その美しい所作や振る舞いは大人すら舌を巻くほどだ。
ここは不慣れな芦葉さんを優しくフォローすることで距離が近づく機会とみた。
準備のため夏休みに入ってすぐに会う約束もしている。
自分勝手な招待ではあったが、そこはほんとうにちょびっとだけでも感謝するべきだろう。
「休日にお友達と会うなんて……はじめてですわ」
「私も経験はありませんが、きっと楽しいですよ」
「ええ」
「芦葉さんも喜んでくれているといいですね」
「そうね」
二人で顔を見合せて「ふふっ」と笑う。
自然と嬉しい気持ちがあふれてくる。
芦葉さんも、せめて、凛子さまや私と会うことだけでも喜んでくれているなら、嬉しい。
その日は、いつもよりちょっとだけ夜更かしをして、夏休みの予定をあれこれと話し合った。