第10話
昼間の中庭。その片隅にある四阿。
アーチを描く屋根の下、照りつける陽射しを避けた私たちは、真剣な面持ちで向かいあっていた。
「それでは参ります」
「は、はい!」
「い、いつでも、大丈夫ですわ」
お二人の返事を聞いて、私は手元のメモ帳に目を落とした。
えっと、一つめは……。
「ご趣味はなんでしょう?」
「えっと……ど、読書、です」
「そ、そうなんですの」
「は、はい」
「……」
「……」
――いけない。会話がさっそく途切れた。
「ちなみに、どのようなご本を?」
「あ、ふぁ、ファンタジー、とか……絵本とかも、好きです……」
「なるほど。読書はいいものですね……では続きまして凛子さまのご趣味を」
「えーっと、わたくしは、プリ……じゃなくて、バイオリン、かしら?」
「ば、バイオリン。すごいですね」
「全然! たいしたことありませんわ。小さい頃から続けてるだけで」
「そ、そうなんですか……」
「……」
「……」
二度めの沈黙。
これ以上この話題をふくらませるのは無理か。
そう判断して二つめの質問に移ろうとした私は……ふと、気がついた。
これ、あれだ。
――完全にお見合いだ。
☆彡
いつまでも私が司会進行していてはお二人の距離が縮まらない。
ということで、しばらく二人でお話ししてもらうことにした。
どちらも私が間に立てばかろうじて会話が成立するのだけど、直接のやりとりはだいたい二ターン以内に終了する。
そして口をつぐんだお二人は私の方を見る。
――次はなにを話せばいいの? と。
私は生まれたときから他人ばかりの環境で育ったせいか、初対面の人と話すのにそこまで緊張しない。
だからといって私ばかり話していてもだめだろう。
せめて、六回。
会話のラリーを。
サービスエースはなしの方向で。
お二人のすがるような視線に胸をしめつけられたが、これも敬愛する主君とはじめてのお友達の明るい未来のため。
より仲良くなっていただくにはまず慣れてもらうしかないのである。
四阿のベンチを退席した私は人気の少ない植物園を訪れていた。どうも暑くなると校舎から遠い場所には人が集まらなくなるようだ。むせ返るほどの緑が溢れる庭は、ひっそりとした空気がゆるやかに流れている。
しばらくしたらお二人の元へ戻ろう。
そう決めて、ぶらぶらと熱帯植物など眺めてみる。
うん、どれも同じに見える。
「あれー? 君、ひょっとして九条宮さんの妹ちゃん?」
そうして背の高い芭蕉の花をぼんやり見上げていると、なにやら気の抜けるような声が道の向こうから聞こえてきた。
なんだろう、覚えのない声だ。
振り向いて確認する。
生い茂る木々の隙間に小柄な男の子の姿が見えた。
ふわふわしたクセのある髪となんだか眠そうにトロンとたれた目尻。ともすれば女の子に見えかねない柔らかな顔立ちの彼は、その右腕を白い三角巾で吊っていた。
たしか、同学年だ。何度か姿を目にした記憶がある。けど、最近は姿を見かけていないような……。
「そうですが、あなたは?」
「やっぱりそうか。透から聞いた通りだ。ぼくは古町宗一郎だよ、はじめましてー」
自己紹介されたので、こちらも一応名乗っておく。
それにしても随分とのんびりした人だ。睡眠時間は足りているのか、とても気になる。
……あと、なんだか不穏な名前を聞いた気がする。
「あの透が珍しく女の子の話なんてするから、どんな子なんだろうって気になってたんだよね。そっかーなるほどー君かー」
「あの、『とおる』というのは、まさか……」
「神楽崎家の透くんだよ? いやーあいつと仲良くなるなんて、千歳ちゃん変わってるよねー」
あははーと古町さまが笑う。
反対に私の気持ちメーターはみるみる降下していく。
「そうですか、神楽崎…………さま、の」
「あはは。無理に敬おうとしなくていいよー。あいつ根性ねじ曲がってるから。相手するの大変でしょ?」
――見ための割にけっこう辛口だなこの人。
しかし、私としてはその意見に反論などない。
遠慮しつつ控えめに答える。
「はい! とても!」
「わー、いい返事。これはちょっと難しそうだー」
よくわからないことをいった古町さまが天をあおぐ。
難しいとはなんのことだろうか。
「……まあ口悪いけど、根はそこまで悪いやつじゃないんだよ? だからよければ仲良く……あー、うん。そんな顔するのはわかってたけどね? それでも千歳ちゃんの気が向いたらまた相手してやってよ。あいつ寂しいやつだからさ。ね?」
一方的に捲し立てた彼は、ふと、腕時計に目を落とす。
「それよりさ、もうすぐお昼休み終わるけど……お姉ちゃんを迎えにいかなくてもいいの?」
「……古町さま、お話の途中ですがこれで失礼します」
「うん。あ、ぼくのことは宗一郎でいいよー」
そのお返事は保留させてもらう。
ひょっとしなくても彼が噂の神楽崎と仲がいいという幼なじみなのだろう。
あの腕を見る限りケガでお休みしていたのか。
いずれにせよ、あまり深く関わるのはよろしくない。
「またねー、千歳ちゃん」
そんな間のびした声に軽く返事をしつつ、私は凛子さまと芦葉さんの元へと急いだ。
はたしてお二人は仲良くなれただろうか?
☆彡
――だめだった。
「うう……会話が続かない」
「こればかりは慣れるしかありません。ファイトです、凛子さま」
むん、と拳を握ってみせたものの、「がんばる……」と力のない声が返ってきた。
むぅ……どうすれば凛子さまに元気を出していただけるのか。
――あ。
「なにか困っていることはないか訊いてみるのはいかがでしょう?」
「困っていること?」
「はい。悩みごとを訊いて、相談しているうちに仲良くなれるのではないかと思ったのですが……」
これは悪役令嬢計画で凛子さまが発案された作戦の応用である。
お友達といえば、他人にいえない悩みを打ち明けあったりする存在ではなかろうか。
ちょっと順番が逆のような気もするが、できれば早めに距離を縮めておきたい。
なにしろもうすぐ夏休み。長期のお休みに入ると、顔を合わせる機会がなくなってしまう。
そうなるとこの相談作戦は有効なように思える。
ちなみに、私の悩みは使用人の皆さまや旦那さまからやたらと頭を撫でまわされることである。仲良くなった折には芦葉さんにぜひとも相談にのっていただきたい。凛子さまには「あきらめなさい」とさながら仏像のような表情でいわれてしまったのだ。
そんな私の提案が終わると、凛子さまのお顔がパアッと輝いた。
「それだわ!」
「ありがとうございます。それでは、さっそく放課後に実行いたしましょう」
こうして『悪役令嬢計画・お友達ができた編』が実行に移されることとなった。
「な、悩みごと、ですか……?」
「はい。なにかありませんか?」
歩きながら私が答えると、凛子さまもコクコク頷かれる。
……これ、私が質問したら意味ないのでは?
そんな疑問が浮かんだけれど、すでに作戦は始まってしまった。
お迎えの車までの帰り道。限られた時間を無駄にはできない。
いささか急すぎる無茶な質問にうんうんうなっていらした芦葉さんは、しかし、なにかを思いついたようにお顔をあげた。
「あの……でも、相談してなんとかなるようなことじゃ……」
「そ、それは話してみなければわかりませんわ!」
その意気です凛子さま。
「わ、笑わないでくださいね?」
「お友達の悩みを笑うような無粋な真似は絶対にいたしません」
しっかり頷きながらも、すごくその悩みの内容が気になってきた。
笑ってしまうような悩みごとってなんだろう?
思わず凛子さまと二人で耳を寄せて聞き入ってしまう。
「えっと、その……わたし、昔から、扱いに困る物をよく拾っちゃうんです」
「……扱いに困る物?」
「はい。こんなの拾ってどうすればいいんだろうって、困ちゃうような……」
説明していた芦葉さんの視線が、ふいに石畳の脇の植え込みへと向けられる。
どうしたのかと覗いてみれば、なにかケースらしきものが引っかかっていた。……よく気づいたものだ。彼女の眼鏡は敵を油断させるための罠か。
芦葉さんが拾いあげたそれは誰かの学生証だった。
そそっかしい生徒である。これがなくては校門を通るときにいちいち名前を書かなければいけないというのに。
三人でその落とし主を確認する。
『五年B組 苑柳寺アキ』
「…………ね?」
――ゆっくり顔をあげた芦葉さんの声は、わずかに震えていた。
どうお返事すればいい。私にはその答えがわからない。
たしか、彼女は一ヶ月前に苑柳寺の落とし物を届けたことで紅葉会に囲まれていたのではなかったか。
「……不幸としかいいようがありませんわね」
さすがの凛子さまもお顔が引きつっていらっしゃる。
まさかの二度目。
正直な気持ちをお話しさせてもらえるなら、ちょっと笑えない。
……しかし、お友達のピンチに黙ったままでは女がすたる。
私はすぐ解決策を打ち出すことにした。
「職員室に届けましょう」
「もう、七回くらい、苑柳寺さまの落とし物を届けてるんです……」
「そんなに拾っていらっしゃるの!?」
「そろそろなにか疑われるんじゃないかって、わたし、怖くて」
それもそうだろう。さすがに同一人物の所持品ばかり届けていては不安にもなる。
というか苑柳寺は物を落としすぎである。
もうすべてのポケットにジッパーを取りつけた方がいい。
その中身が、二度とこぼれ落ちることのないように。
「机の上に黙って置いておけばよろしいんじゃなくて?」
「現状それが一番安全でしょうね」
「そ、そうですよね。じゃあ、ちょっと教室に…………あ」
呆然とした声とともに芦葉さんの目が見開かれる。
なにごとかと振り返ってみると――なるほど、これは驚きたくもなる。
隣の凛子さまも短く息をのんでおられた。
まだ明るい日差しに照らされた石畳。
その広い道を、ヤツが。
苑柳寺アキが歩いてくる。
「芦葉さん」
「は、はい」
「……ここ最近で神棚などを破壊したような記憶は?」
「な、ないですぅぅ〜……っ!?」
――もはや祟りのごとき不幸が、すぐそこまで近づいていた。