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線路

作者: 島 流麗

人は感じないのか。ホームから見下ろす線路。怖くないか。恐ろしくないか。思わず飛び込んでしまいそうな衝動が込み上げないか。

いつの頃から……そうだ、もう十五年も前になる。私は常にその誘惑に屈せず耐えてきた。十五年前はここまで激しくなかったが、高等学校に入るや否や、それは電車通学の私を襲った。

電車が参りますというアナウンスに何度耳を塞いだ事だろう。電車が来る。危ないからこんなホームギリギリにいたらいけない。それが分かっていたし、理性で押さえ込むことが出来たから今私はこうしていられる訳だが、何度も何度も、線路を見下ろした。

電車に飛び込んで自殺をするというのは、単に一瞬で死ぬことができるからという考えたなのかもしれないが、私が飛び込みをするとするならば、一瞬で全てを吹き飛ばせるからではない。私から見る線路というのは 開けたくて開けたくて仕方のないのに、開けたら死んでしまう箱を目の前にしているのと似ている。

勿論、こんな妄想と吐き散らかせる訳がない。自殺願望者だと思われるかもしれないし、変だと思われるだろう。何よりも私が母以外とその話をした事がないのは、分かってもらえる筈がないと思った事が大きい。どこの世界に線路の魅力について熱弁をふるう者がいるだろうか。線路に引き込まれそうだ、と。どうせ死ぬのならあの死刑台の上で死にたい、と。

数々の死刑方法がありながら、何故ひき殺すという死刑方法は盛んでないのだろう。大罪を犯した罪びとを殺すなら一瞬の方がずっと良いと私は思う。苦しみを味あわせたところで、なんだか、そういう人達にはあまり効果がないような気がするのだ。人間がどれほど弱いか、極地に立たされて耐えられるかは分からないが、問答無用で殺してしまうのが死刑の本当のところだと思う。そもそも相手は大罪人。となれば、生き地獄か、何を後悔する間もなく殺してしまうのが一番残酷ではないだろうか。懺悔、反省をした後、人は許しを請う。許される筈がないというのに、罪に対する罰を受けて許されたような気になってしまうだろう。ならば、やはり、私が薦めたいのはひき殺してしまう事だ。一瞬で。

 そんな凄い力を秘めているものが私の中では電車であり線路だった。


唯一、母とその話をしたのはもう少し前だ。ある年の夏。実家に帰った私は母と他愛のない話を延々としていた。煎餅を片手にお茶を飲み、日ごろの忙しさから逃げ帰った私を母は快く迎え入れてくれた。

「吸い込まれそうになるわぁ」

「じっとは見ない方がいいよ、母さん。本当に飛び込んじまうから」

そんな会話があった。私と母は感性的に似ているところがあって、それが唯一の私の場所だった。三十路歳を過ぎると、適当に東大学に通っている友人とも会話のレベルがあわず、少し風変わりな趣味をもったり、芸術肌の友人Mと盛んに会うようになった。Mもまたそのまれな芸術感性というか、恐ろしい魅力に弱い部分を持ち合わせていて友達はいても話せる相手は少なかった。

「お前は、踏み切りをどう思うか」

Mはそう切り出した。

「怖い」

私は一言で返せる。それ以外の言葉がうまくでてこなかったのだ。怖いという一言にMはうんうんとうなずく。

「電車が来るからな」

「そうだ」

その時、Mは気づかなかったが、Mがおいたグラスと中に入っている氷とがぶつかった音は、踏み切りの「カンカン」という音と同じ音程だった。Mには音感というものがまるでなかったので、感じられなかったのだろうが、私は反応してしまった。プレッシャーが襲った。

「でも、立ち止まりたい」

Mは続けた。

「立ち止まれないけれど、立ち止まりたい。後悔はしない」

同感だった。けれどこの世に未練のある私には言い切れない。あの甘すぎる誘惑に従って死ぬのは快楽死だ。しかし、その後を考えればそれに及ぶには早すぎた。妻に、子供が2人。文を書いているだけの職業でも、家族を養っている身。対するMは独身だ。

「いやいや、早まるな。家族は大切だろう?」

私らしくない言葉だった。Mは独身なので、母親や父親という意味で言ったが、私らしくなさすぎる言葉にMも首をかしげた。

「俺は独身だ。人生は俺が決めるものじゃないのか」

「…うん、そうだ。だが、それは難しい」

電車を止める事になれば、借金は家族が背負うと聞いたことがある。Mひとりが快楽死しても、家族は苦痛に呻き、もがきながら死ぬ。だめだ。それはだめだ。けれど止められる訳がない。私もそのひとりだ。線路に立ち尽くし、電車にこの身を蹴散らされて死んでみたい。Mになくて私にあるものそれは家族を背負った上での理性だけだ。もし私が今の妻と大学で会わず、夜這いをかけなければ恐らくMと同じ事を考えられた。余裕があった。また、家族を恨んだのはここまできて初めてだ。Mはその後、運よく居酒屋であった知り合いの女とともにホテルへ泊まる様子だった。私はひとりで家路をたどる。愛するはずの家族がいる家へ。家へ。家へ。


電話がなった。快感か苦痛か。ベルもまた踏み切りと同じ音だ。予想はあたった。Mの死を告げる電話だ。Mの母が小さく告げた。当然Mは自殺。変わり者ではあったが、いじめられたり、仕事がうまくいっていないということはない。私も事情聴取を受けたが、昨夜二人で話しただけで変わったことはなかったと告げた。嘘をついた。当然だ。あんなことが言えるはずがない。家族はやはり借金を背負ったようだった。

しかし、そこまで貧乏だったという訳でもない、いたって普通の家庭だったM家は、十年ほどの年月をかけてその額を払うことになったらしい。あぁ、M。そこで何が見えた。何を感じた。命と引き換えで満足できたか。お前が生きていたらと、本当に願う。生きていれば、また話ができるのに。お前が消えたことで私はもう孤独だ。


Mの母から聞いた話では、踏切ではなくホームから降り、ゆっくりと構えていたという。ホームから下へ降りたときに見えたものは何よりも新鮮だっただろう。自分よりも高い位置に、自分の頭の位置に乗客が立ち。響く急停止音がブレーキと重なりながら、レールが纏う魔力に勝てなかったのだ。一瞬にしてMは消えたのだろう。怖い。怖いと思うのに、あのレールの魔力は衰えない。明日も明後日も電車を使う私に、それは襲い掛かる。いつ飛び込んでしまうかわからないのだ。それこそ、必死に己を保ち、電車が入ってくるまでは決してその場から離れず、ホームの中央で待ち続けなくては。

人間はこうやって壊れていくのかもしれない。私やMのように、こうして、ゆっくり自我を失いながら、他人には感じられない何かを感じてしまった事で、その先の何かを失うのか。けれど私は死ねない。命が2つあったなら、そんな取り止めのない事を考えるのはまだ余裕がある証拠か。ただ一度、あそこへ降りてみたい。弱い弱い人間として、立ちたい。Mが手にいれた最高の快感を感じたい。後悔が残るだろうか。嬉しくて、嬉々として全てを手放せるか。いけない。だめだ。うちはM家とは違い貧乏なのだ。

私はそうして、麻薬常習犯が薬を求めるような顔を作り上げていってしまったに違いない。私のことが信じられないかもしれない。けれどこれは異常なことではないのだ。異常なのはあの線路。日本中に張られたレールが、あのレールが、ひたすらに私を呼ぶ。それをわからず、当たり前のように使い続けるこの社会。その社会が異常なのだ。わからないか。何かに魔力を感じ、それが自分を呼んでいると確信したことはないか。この世は寂れているようで、実はとても深い。線路という、レールという、あの鉄という鉄に出会わなければ、私は普通の人間として生きられたのに。君から変人扱いもされず、精神異常者だと思われることもなかったのに。

永遠に愛しい人。私に残された手段はひとつかふたつ。

家族を皆殺して私も死ぬか。少なくとも父、母、妻が死ぬまで待ち、そうして死ぬか。家族を殺すことは出来ない。この手でそれは出来ない。愛する子供たちと愛する妻だ。子供たちには未来がある。私とは違う先を見ている。

レールはものすごい魔力で引き寄せるのに、それを焦らす。返ってくる代償は優しいものでないから、私はためらっているのだ。死に方を選べない。もっとも満たされる方法が手に入らない。


M、私は今ようやくお前に追いつこうとしている。美しい空が見え、なんとも広大な砂漠にただひとり立ち尽くしている心持ちさえ感じる。乗客の足元に私の頭があるのだ。足元のレールは思ったとおりに美しく、私の足を掴んではなさない。後悔してももう遅いのだろう。この、コレは。決して獲物を逃がさないのだろう。あぁ、M。私は罪のひとつも背負わずにここに立てた。強盗が家に入ってきたのだ。私も居合わせた。しかし、私だけがここにいる。妻も両親も、子供も皆殺された。もう四十年は過ぎた。親戚にも私の顔を知るものはほとんどいない。皆死んだ。

私は罪を背負わずここにいる。体がなくとも、レールの魔力は私をここにひきつけて放さなかった。あぁ、M。なぜお前がそこにいる。お前は引かれて死んだ筈だ。


最後までお付き合い下さいまして有難うございました。もし、評価を行ってくださる場合には、是非とも辛口でお願い致します。

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― 新着の感想 ―
[一言] 読後の印象としてはよく分からなかった、というのが本音。 オチがないというより、結末が投げ出されたような感じだ。 Mという名前。 アルファベットに略すな、という感想があるが、私は真逆な印象…
[一言] 登場人物をアルファベットで略すのはやめましょう。読者が違和感を感じて物語にのめり込めません。名字はいらないので名前だけでも書いたほうがいいです。 あと、物語の最後は若干急ぎすぎた感じがありま…
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