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魔性の女

掲載日:2026/05/03

 慎二は、こよなく観葉植物を愛する男であった。いつの頃からは覚えていない。いつの間にか、慎二の隣には、植木鉢の植物がいたのである。彼はまだ若者であった。独身で、都内の某マンションに一人暮らしをする毎日である。きちんと会社勤めをして、給金を頂戴し、身の丈に合った生活で彼自身大いに満足していたのである。そして、暇さえあれば観葉植物に水をあげて窓ぎわの日差しのよい場所に置いてやり、時間の経つのも忘れてボンヤリと観察し、肥料の様子は良いかとか、葉脈や茎の様子を見て、植物の健康状態に気をかけているのであった。

 そんな単調な日々ではあったが、慎二は何の問題もなく、彼らポトスとパキラの世話を焼きながら、飽きることもなく、多くの時間を窓辺に腰かけて過ごすのであった。

 そんな慎二に、ある日突然、変化が訪れた。それは、彼の勤める貿易会社の同僚の亜希子の存在であった。彼自身、異性に特段関心があったわけでもなかったが、亜希子は猛烈といっていいくらいに慎二にアタックしてきた。

 彼は、会社の庶務課に勤務していたが、亜希子もまた同じ課に属していた。最初は、慎二にお茶を汲んでくれるくらいの間柄であったが、ある時、お茶を入れてくれた御愛想のつもりで、

「君の髪型、可愛いね。とってもよく似合ってるよ」

と、ひと言言った所、翌日から彼のお茶にだけ、クッキーがついてきた。慎二は、正直、亜希子の好意が嬉しかったが、さほど気にも止めず、

「君って、尽くすタイプなんだ?いい奥さんになれるかもしれないね?」

と、またひと声かけたら、今度はコンサートチケットを2枚取り出して、

「良かったら、このクラシックコンサート、御一緒しませんか。女のあたしひとりじゃ心細くて」

と、誘ってきた。

 慎二もクラシック音楽は嫌いではなかった。日頃から、マンションの自宅の寝室で大型のステレオコンポを置いて、よくバッハやモーツアルトの曲を聴いて時間を過ごしていることもあったのだ。

 それで、快く承諾すると、亜希子はツンとお尻を上げるようにして喜んで、

「じゃあ、今度の休みに楽しみにしてるわね?メイクもばっちり決めていくわよ」

 

 デートの当日は、軽くふたりでファミレスの昼食を済ませてから、会場に赴いた。演目は、ドボルザークの「新世界より」とホルストの「惑星」らであった。

 慎二は、久しぶりに聴く生の演奏に心酔し、しばし時を忘れた。

 それから、ふたりでジャズ喫茶に行って、コンサートの感慨を熱烈に語り合い、愉快な時を過ごすのであった。

 日が暮れ出すと、街に闇が訪れだした。夕食は、和風レストランで、仲良くふぐ鍋と刺身の盛り合わせをつついて、日本酒を酌み交わした。店を出ると、もうすっかり街角は闇の中である。時間が遅すぎると言って、亜希子が慎二の太ももをいじらしくつねってきた。


「今日はとっても楽しかったわ、あなたは?」

 亜希子は、ベッドの中で、大胆に慎二のペニスを握りしめて言った。慎二は笑って、

「僕もさ。君はベッドでも最高の女性なんだね?嬉しいよ」

「今度さ、あなたの家、お邪魔してもいい?あたしがお掃除してあげるわ、どうせ、汚れてるんでしょ?」

「はははっ、どうもありがとう。また頼むよ、そうだ、その時は、君に僕の手料理を食べてもらおうかな?上手いんだぜ、これでも」

「ご馳走さま。ぜひ頂くわね。楽しみね、それは」

 それは、案外と早くやって来た。それから、数日後の夕刻である。会社から帰宅しようとする慎二に、亜希子がついて一緒に帰るというのだ。彼の方にも特段に断る理由もなかったので、そのまま同行して帰宅した。

「あら、案外と片づいているじゃない?綺麗なお部屋ね?」

と、亜希子が彼のマンションの居間を見て言った。

 そして、自然と彼女の視線は、窓辺の観葉植物の鉢に向いた。

「まあ、ポトスね?こんなの趣味なの?意外だわ」

「こいつが僕の生き甲斐なんだ。一日中見てても飽きないくらいさ、観葉オタクだよね?」

「ふーん、あらそうなの?」

 亜希子は、ジッとポトスを見つめていた。その眼差しは尋常ではなかった。そこに何やら不穏な雰囲気を感じた慎二であったが、彼は機転を利かせて、

「さっそく料理を作るよ、食卓でワインでも飲んでいてくれるかい?」

と、椅子を引いて誘った。


 夕食は、鮭のムニエルとカレイの地中海風スープと梅ジュレサラダと白ワインであった。広く開け放った窓から覗く絶景の夜景を眺めながら、頬杖を突いた亜希子はどこか上の空の様子で、

「あたしね、子供の時から皆に「変な子供」って云われてたのよ、あなたに云ってもしょうがないけどね」

「って言うと?」

「ジプシーみたいな子だってね。知ってる?ヒトに予言したことが的中するのよ、不思議なくらいに」

「ふーん、何だか恐いな。例えばどんなことだい?」

「中学生の頃に、同級生の女の子に「近いうちに交通事故に遭うぞ」って脅したの。そしたら、その子、1か月後に本当に事故に遭って、入院しちゃった。幸い、命は取り留めたけどね。でも、あたしは脅しのつもりだったのよ、その時は恐かったわ、自分が」

「偶然の一致ってこともあるさ、でも、予言するたびに当たったのかい?」

「そう、火事とか地震までね。信じられないでしょ、あたしって魔性の女かしら?どう思う?」

「にわかには信じられないな、偶然さ、偶然」

 壁に掛けた鳩時計を見て、慎二が、

「もう10時か。どうする?」

「やだ、女のあたしに言わせる気?先にシャワー浴びるわね?」


 それから数日して、また亜希子がやって来た。その時は、たまたま慎二が昼食の支度で近くのスーパーまで外出したのだが、帰宅すると、もう彼女の姿はなく、お土産のショートケーキだけが残されていた。彼は不審に思ったが、どうすることも出来ず、その日は外出することもなく、ただ安穏に自宅で趣味の観葉植物と会話して暮らした。

 翌日の朝になって、慎二はやはり気になって、亜希子に電話をしてみることにした。

「ああ、亜希子さん、俺だけど、昨日はどうしたんだい?急に姿を消したから気になってさ?」

「ごめんなさいね。急に友達に会う約束を思い出したものだから出たのよ。それより、アボガドのケーキはどうだった?おいしかったでしょ?あの店、地元じゃ手作りで有名な店なのよ」

 その時である。何気なく、慎二は窓辺のポトスに視線が向いた。おや?何だか変だな?

 それで、電話も上の空で、彼は早々に通話を打ち切ると、観葉植物に駆け寄った。おかしい。どうもポトスに元気がないのである。何と言えばいいか、全体的に活気がない。どこか葉がしおれかけているような気もする。

 こんなことは、彼が観葉植物を栽培し始めて、初めてのことである。それからも、幾度となく亜希子が訪れては、それに連れてポトスとパキラは、枯れていくように衰弱していった。

 ショックであった。何よりも彼らを生き甲斐にしてきた慎二にとって、未曾有の惨事である。

 そして彼の疑いの眼は、亜希子へと向けられていた。

 魔性の女。本当のことかもしれない。彼女の見えない影響で、植物がみるみると弱ったのかもしれないのだ。彼は露骨に亜希子を憎みだした。彼の愛するポトスとパキラを枯らせた張本人なのだ。彼女の悪意としか思えないのである。

 そして、そんな矢先に、慎二の勤める会社で、そんな彼の疑いを決定づける出来事があった。

 それは、初夏のうららかな、誰しもが微睡むような昼下がりのことであった。

 会社は、ちょうどお昼の休憩時間である。その時に、彼の同僚の生島純子という女性が、社窓から墜落して、一命は取り留めたものの、重症で病院に搬送されるという事件が起こったのだ。

 ちょうどその時に、慎二は、3階の廊下を社用で歩いている所であった。そして、目撃したのである。3階の会議室の扉。その戸口に、謎めいた微笑みを浮かべた亜希子が立っていた。そして、彼女は、慎二を認めると、何も言わずにさっさと廊下を小走りに去っていった。思わず、彼は、会議室を覗き込んだ。そこには誰もいなかった。ただ窓がひとつ大きく開け放たれて、風でレースのカーテンが揺れていた。

 あとから事件のことを知り、彼は思わず身震いした。そして彼の疑念はますます深まる一方であった。亜希子は、魔の力で彼の植物を枯らせ、同僚を窓から落とした。そう考えざるをえないのである。もう慎二は限界の心境であった。

 別れよう。彼女と別れよう。

 彼の決心は固かった。それから数日後のある日に、慎二は亜希子を呼びつけて街の喫茶店で話を切り出した。

「急で悪いとは思うんだが、ある事情が出来たんだ。はっきりと言う。僕と別れて欲しい」

 と、慎二は、ソーサーにコーヒーカップを置きながら告げた。別に顔色を変えたわけでもなかったが、亜希子は急に声を落として、

「.................、あたしに、何かがあったのね?そうなのね?」

「君に罪があるとは言えないかもしれないが、僕には困ったことになってね、この際、けりをつけようと思って。君には、本当に悪いがね?」

 しばらく考えていたようだが、ようやく顔を上げて亜希子が、

「分かったわ。あの植物でしょ?謝るわ。あたしが悪かった。あたしが栄養剤を与え過ぎたせいで................」

「栄養剤?!」

「ええ、少しでも役に立てばと思って、植物が元気になるかなと考えて、ホームセンターで植物栄養活性剤を購入してあのポトスに与えたの。でも、勝手に与えすぎたのね、ポトスさん駄目になっちゃったみたいね、本当にごめんなさい」

「そうだったのか、君に悪気はなかったんだな、それで枯れちゃったのか、仕方ないな。でも彼女の一件はどうなんだろう?」

「彼女って?」

「いいや、何でもない。よく分かったよ、君の気持ちは」

 それで、ふたりは別れて去った。翌日になって、同僚の生島純子が意識を回復したという知らせを知った。彼女の証言によれば、誤って2階の背の低い窓から、足を滑らせて落ちたものらしい。その時に、亜希子と慎二がいたのは2階ではなく、3階であった。すべては、慎二の単なる思い過ごしにすぎなかったのだ。それだけである。

 慎二は思った。もしかすると、亜希子は人一倍、霊感の強い女性かもしれない。それで、予知能力に長けて、未来に起こる出来事を予知できるのかもしれない。それを脅しに使ったり、予言と称していたに過ぎないのかもしれないと。

 そこまで慎二が考えていると、突如、玄関のドアが開いて、鉢植えを2鉢、袋に持った亜希子が現れた。息を切らしている。

「急にどうしたんだい?」

「このポトスとパキラ、この前のお詫びにと思って。気に入るかしら?」

「わざわざ、ありがとう。嬉しいよ。さっそく飾るか?」

 可愛いポトスにパキラの鉢植えを窓辺に置く。何だか華やいだ気分だ。もしかしたら、寄り添うふたりの心にも、小さな華が咲いているのかもしれない...................。

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