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妖幻抄  作者: 宗像竜子
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水面の現

 わたしは、いつか水へと還る──。


+ + +


 ふと気付くといつの間にそこにいたのか、水鱗族の少女が横に立ち、一緒に広がる湖面を見ていた。

 水鱗族── すなわち、一般的な言葉で示せば『人魚』たる彼女。

 白い肌と、波の色を想わせる青味がかった銀の髪、そして生き物の棲めない湖の色の瞳を持つその姿は、水辺にあって余計にこの世ならざるものに見えた。

「…わたしは」

 彼女が静かに口を開く。

 身体の線を隠さない、白いワンピースが湖を渡る風に煽られてふわりと揺れた。

「わたしはいつか、あそこへ還るの」

 淡々と紡がれる言葉。それは決意というよりも、願望の響きを有していた。

 ── そう、彼女は知っている。

 もはや、彼女が故郷へ戻る日は永遠に来ない事を。

「いつか、必ず…還る」

 真蒼な瞳が、彼を映す。

 その瞳は語る。それでも今は、自分はここにあるのだと。

「…行きましょう?」

 白い手が持ち上がり、差し伸べられる。

 彼はその手を取り、ただ頷く。彼女が望むままに。


 …ぱしゃん。


 湖に背を向けて歩き始める。そんな彼等の背後で小さく水音が立った。

 けれど彼等は振り向かなかった。彼も彼女も、黙ったまま歩く。

 そうする事が、別離の証。

 彼女のこの国において奇異な色彩の組み合わせは、湖から遠ざかるにつれ、色を失い暗く染まる。まるで生まれ変わるように。

 そう── 最後の『人魚姫』は人になったのだから。


+ + +


 彼に手を引かれながら、彼女は背後で鳴った水音に想いを馳せる。

(── さよなら、『わたし』)

 心の中で別離を告げる。

 あれはきっと、もう一人の自分が立てた音。ここへと置いていく、水鱗族としての自分が立てた音。

 これから自分は水のない世界に生きる。

 たとえここに戻ってきたとしても、もう二度とあの水の世界には入れない。

 …けれど、きっと。

(…わたしは、いつか還るわ)

 死んで、魂だけの存在になって。

 愛する人を失えば、自分は人として存在できない。それが掟だから。

 ── だから……。

 自分の手を握る、最愛の人の手を握り返す。自分が決めた、運命の手を。

 この手が失われる時が、自分の命の終わり。

「…さよなら」

 誰にも聞こえない程の声で呟く。

 それが聞こえたわけではないだろうけれど、彼がふと彼女に目を向けた。その瞳に不安そうな色を見つけて、彼女は微笑んだ。

 不安など感じる必要はないのだと、目で訴えて。 

 半身とも言えるこの場を離れ、人として生きてゆく事を決めた。彼だけが彼女を、孤独から救ってくれた。初めて誰かを好きになり、その事が幸せだと思えた。

 この手のぬくもりがある場所が、これから自分の生きる場所。そこは長く独りで生きてきたこの水辺ほど優しくはないだろう。

 でも── 喜びも悲しみも、二人で分かち合える。

 それはありふれて、平凡な……けれど誰もが求め続ける夢。


 そして、彼女は『人』になる。

 ── それは誰も知る事のない、幸せを見つけた『人魚姫』の物語……。

これも古くて、友人のHPのお祝いに描いたイラストに添えて書いた作品です。

先にイラストありきなので必要最小限でとても短いのですが、日本を舞台にした人魚姫・ハッピーエンドver.的な作品です。

タイトルは「みなものうつつ」と読みます。

これは基本的にタイトルとかネーミングに悩むわたしにしては珍しく、さくっと決まったタイトルです。

このタイトルは「水面に映ったもののように、まるでそこにあるようなのに実際には手で触れると消えてしまうような儚いもの」というイメージでつけました。

いつもこれくらいすんなり決まればいいのに…といつも思います……。

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