一年生(13)
後期の授業が始まった。
魔術の授業とかは大変だけど夏季休暇の事件が衝撃過ぎて、その時に聞いた十一年前の事件が衝撃過ぎて、平穏な学院生活で私はすっかり呆けていた。
呆けていたが何も事件は起こらず学院は平和だった。
もちろんジモーネ様たちは相変わらず意地悪だったけど。夏季休暇前の一件以来表立って突っかかってくることは無かった。
ある日の放課後、私は噴水広場でアンゲリカ様を見かけた。お父様が私のお父様と従兄弟で昔アウフミュラー侯爵家を出禁になった令嬢だ。確かジモーネ様のお姉さまのグループだったと思う。
アンゲリカ様は隣の女の子に夏季休暇で素敵な男性と出会ったと自慢していた。
「うふふ。彼は顔もスタイルも抜群なうえに物凄いお金持ちなの。うちの借金もポンと返してくれたのよ。あらやだ、うちの借金は私たちのせいじゃないのよ。ここだけの話なんだけどアウフミュラー侯爵家に意地悪されていたの。ほら一年に庶子がいるじゃない。彼女が裏で手をまわしたのよ。まあそんなことはどうでもいいわ。彼ったら夏中私をデートに誘ってくれて贈り物もね……」
アンゲリカ様たちの後ろの木立を歩きながら、私はアウフミュラー侯爵家に意地悪されたというくだりでイラっとした。聞くつもりが無くてもアンゲリカ様が自慢する声は大きくて嫌でも耳に入ってくる。でも、いかにも彼女が言いそうなことだ。私と関係のないところで幸せになってくれたらそれでいい。学年も二つ違うので滅多に会わないだろう。そう思いながら前を向いてズンズン歩いてアンゲリカ様たちから離れていく。
あんまりに早足でズンズン歩いていたせいか、私は校舎の影から飛び出してきた人にぶつかってしまった。ぶつかったはずみでその人は持っていた木箱の中身をぶちまける。
「きゃっ!」
「うわあ! すみません!!」
ぶつかったのは私と同じくらいの歳の男の子。でも服装からして学院生ではないと思う。彼がぶちまけたのは沢山の羽ペンやらインクビンやらノートやら......
「あ、あああ......すみません、すみません」
青くなって割れたインクビンや曲がった羽ペンを眺めながら彼は私の前で膝をついて頭を下げた。
「私こそごめんなさい、怪我は無い?」
「はい。……けれど......」
彼は最近西エリアの商店街に店を出した雑貨屋の見習い従業員らしい。文房具一式を学院に届けに来たところ、迷ってしまったのだと半泣きで話した。
「とりあえず落ちたものを拾いましょうか」
私が拾い始めると彼は泡を食ったように立ち上がって私を押しとどめた。
「僕が! 僕が拾います! それよりお嬢様のスカートにインクが......」
「あら」
スカートを見下ろすと撥ねたインクがほんのちょっぴり付いていた。
「このくらい大丈夫よ。さあ、早く拾ってしまいましょう」
彼の名前はディオ。歳は私と同じでまだ見習いとして働き始めたばかりだという。
私は半泣きの彼を宥めながらぶちまけてしまった物を集めると彼と一緒に彼が働いている雑貨屋に向かった。
だって彼は私とぶつかって商品を台無しにしてしまったのだし、首になったら可哀そうだ。
え? ぶつかったのは私の所為じゃないわ。早足で歩いてはいたけど彼は斜め後方からぶつかってきたし。うん、いくら私がよくコケたりぶつかったりする粗忽者だとしても今回は私の前方不注意じゃない。
それでも彼が首になったりしたら可哀そうだから私は彼とお店まで行って店主のおじさんに一緒に謝った。
「あの、少しでも弁償をさせてください」
ディオの勤めているお店は西エリアの商店街の中ほどにある新しい雑貨屋で、文房具が主流だけど、可愛いレターセットやブックマーカー、クリップなどのほかにお洒落なリボンやちょっとした小物も取り揃えていた。
私の申し出におじさんは凄い勢いでぶんぶんと首を横に振った。
「いえ、とんでもない事でございます。それよりお怪我はございませんか? お召し物を汚したりいたしませんでしたか?」
「いえ、私は大丈夫です。それよりディオは首になったりしませんか?」
お店に向かう道すがら、なんとなく私はディオに親しみやすさを感じていた。同い年だけど弟みたいに世話を焼きたくなるというか。
店主は私の言葉に笑って否定した。店主のおじさんは厳つい大男で一見怖そうなのにディオを見つめる目は暖かかった。
「ありがとうございます、お嬢様はお優しいですね。ディオ、今度からはちゃんと気を付けて商品を運ぶんだぞ」
「はい、ヴィヴィ様、申し訳ございませんでした。そしてありがとうございます」
店主のおじさんはディオと一緒に頭を下げ、「これからお嬢様がお買い物をする際はご友人も含めてすべて半値にさせていただきます」という言葉を貰って私はお店を後にした。
ディオが心配でお店までついて来たけれど、逆に気を使わせてしまった......おじさん改めウーゴさんの話ではお貴族様とぶつかって服を汚したりしたらお店自体が立ち行かなくなる場合もあるそうなので、半値サービスで済ませていただければありがたいと言っていたけれど……。
うん、今後は出来るだけあのお店で買い物をしよう。もちろん正規の代金で。ディオと関わって私はアンゲリカ様の不愉快な発言などきれいさっぱり忘れた。
後期の授業が始まってひと月、今日から三日間は後期最大のイベントと言ってもいい。
といっても私たちが何かをするわけではない。最上級生の五年生が今日から竜の森に入るのだ。
成竜になる前の竜はこの時期に繭を作る。繭がどんなものかはわからない。五年生になった時に見ることができるだろう。森に入った五年生は自分の唯一の竜を見つける。竜の森は物凄く広大でその中から繭を見つけるのは大変らしい。繭を見つけたら契約を交わす。そのやり方も五年生になって初めて教えられる。
契約を交わしたら自分の竜に乗って大抵はまず親元に挨拶に行く。その後学院に戻ってくる。
五年生は卒業まで最後の三か月は竜と共に過ごし隊列を組んでの飛行訓練や竜に乗りながらウォンドを使う訓練などを行う。
みんなこれからの三日間、一番最初に戻ってくるのは誰だろう? 誰が何色の竜に乗っているだろう? と興味深々なのだ。特に上の学年に兄妹がいる者は空ばかり見上げている。
この時期授業に身が入らないのは毎年の事なので先生も苦笑しながら見逃してくれる。
竜が飛んで来たら学院の南東にある竜場——竜の厩舎や餌場、訓練場がある広大な広場——まで見に行くことも許されている。柵の外からではあるが。
三日後、全ての生徒が竜に乗って帰ってきたらしい。三日間分のキャンプの装備や訓練をして竜の森に入ってはいるが先生たちもホッと胸をなでおろしていた。
私たちはこの三日間、空に竜が見えると竜場に向かって駆け出していた。
今年は赤竜が二頭、青竜が七頭、緑竜が二十二頭、黄竜が二十頭だった。
二日目の夕刻、竜場に帰ってきた青竜にはリーゼロッテさんが乗っていた。私たちは一生懸命手を振った。リーゼロッテさんも気が付いて振り返してくれた。
三日目、青竜に乗って帰ってきたゲルトルート様を見てジモーネ様が叫んだ。
「ウソ!! お姉さまが赤竜じゃないなんて! 何かの間違いだわ!!」
赤竜に乗っていたのはどちらも伯爵家の令息だ。ジモーネ様は我慢が出来なかったのだろう。ゲルトルート様は真っ赤な顔をして二人の伯爵家令息を睨んでいた。
「別に何色だっていいのにね」
アリーが言った。私もそう思う。竜騎士になりたい人は気にするかもしれないけどそうじゃなければ実生活には関係ない。
なにしろ自分だけの竜だ。夏季休暇で出会った矢で傷ついた竜も子竜のルーナも愛おしかった。
自分だけの特別な竜ってどんな存在なんだろう。
早く私だけの相棒に出会いたかった。
ディオにはあの後何度か会った。
学院によく届け物に来るし、アリーやカール、トーマス達とお店に買い物にも行った。店主のウーゴさんは見た目は怖いけど優しい人で、私たちが定価で品物を買うとしきりに恐縮して値引きの代わりに毎回ちょっとしたおまけをつけてくれる。可愛いリボンだったり、小さなサシェだったり。
ディオは人懐っこくて可愛いし、カールなんて私よりお兄さん風を吹かせていた。
竜と契約のこの時期は学院に沢山の竜が飛んでくる。
私たちも初めての光景だけど、ディオは目を丸くして私たち生徒のずっと後ろからその光景を眺めていた。
冬期休暇、一年生の終わりを半月後に控えたある日、唐突にカールが宣言した。
クラスで受ける座学の始まる前だった。
「もうすぐ俺たちは一年生を終える。でも俺はクラスのみんなと仲良くなっていない。クラスの親睦会を開かないか?」
クラスの人数はたった十人。でも仲良くなったのは三人だけ。
私は一年の最初の自己紹介を思い出した。
「はい! 私は賛成です! 皆さんと仲良くなりたいわ」
私の次に声を上げたのは驚いたことにヘンデルス様だった。
「僕も賛成だ。二年生ではクラス対抗戦もある。クラスが団結する必要があるだろう」
他の人達も頷いている。
「じゃあ、来週の——」
カールが言いかけたときにグレーテ様が立ち上がった。
「私は遠慮させていただきます」
それだけ言って彼女は着席した。
「え!? 待ってくれよ! みんなが参加しないと——」
カールが言い募るともう一人男子が立ち上がった。
「僕も遠慮する」
彼はアウレール・パシュケ。眼鏡をかけた小柄な男子だ。私は彼が誰かと話しているところをほとんど見たことがない。いつも一人で本を読んでいた。
十人の内二人も脱落者が出てしまった。
みんなどうする? と顔を見合わせているうちに先生が入ってきて授業が始まってしまった。
授業後、残った八人で集まった。
「どうします?」
アリーの言葉にカールが答えた。
「俺はやりたい」
「そうだな。まずはこの八人で仲良くなってその後あの二人に声をかけよう」
ヘンデルス様が賛成した。みんなも頷いたので一週間後、サロンで親睦会を開くことにした。
「そこでみんなに提案なんだけど」
カールが「コホン」と咳払いをして続ける。
「もちろんみんなで集まってお茶を飲みながら話をするのも楽しいんだけど」
「私、美味しいケーキを取り寄せるわ」
私の言葉に女性陣とトーマスが喜んだ。
「ヴィヴィ、ありがとう。それはそれとして、二人一組で芸を披露するっていうのはどうかな?」
「「「芸!?」」」
「私、芸なんて何にも持ってないわ」
アリーが言うとパウリーネ様も同意した。
「私もですわ。人様の前で披露できる芸なんて……」
カールは慌てて言った。
「そんな大層なものでなくていいんだよ。歌でもダンスでも」
女性陣が腰が引けているのに対し男性陣はノリノリだった。賛成多数で芸を披露することが決まりくじ引きでペアを決めることになった。
そうして決まったペアはカールと子爵令息のヨアヒム様、トーマスとヘンデルス様、アリーと男爵令息のエーリク様、そして私とパウリーネ様だった。
お昼休み———
私はいつもはカール達と食事をとっているが今日はパウリーネ様と二人で食堂にいる。みんなの前で披露する芸の相談をするためだ。
「ヴィヴィアーネ様と一緒に食事をすることができて嬉しいですわ」
パウリーネ様の言葉に入学した初日パウリーネ様に食事に誘われたことを思い出した。
「私もパウリーネ様とご一緒出来て嬉しいです。今度アリーも交えて女子会しませんか?」
と言ってみると
「まあ、是非!」と返事が返ってきた。
およ? パウリーネ様は爵位持ちと爵位無しの区別をつけているような人だったけど?
私の訝し気な視線を受けてパウリーネ様はばつが悪そうな顔をした。
「以前は申し訳ありませんでしたわ。私変なプライドを持っていたと反省しておりますの」
「パウリーネ様!!」
私はテーブルに乗り出してパウリーネ様の手をぎゅっと握ってしまった。私こそごめんなさい。パウリーネ様のことを色眼鏡で見ていたのは私も同じでした。パウリーネ様はちゃんと反省も成長もできる人だった。いつまでも前のことを根に持っていたのは私の方だった!
嬉しくなって「うふふ」と笑うとパウリーネ様もはにかんだように笑った。
「パウリーネ様、可愛い!!」
「いやですわヴィヴィアーネ様」
ますます照れるパウリーネ様。
「ああもう、ヴィヴィって呼んでくださる?」
「よろしいのですか?」
「もちろんよ!」
「では私のこともリーネと」
「よろしくね、リーネ」
「よろしくですわ、ヴィヴィ」
と、二人目の女友達をゲットしたことは嬉しいんだけどどんな芸をするのかは何にも決まっていない。
放課後改めて相談することにした。
放課後、寮の私の部屋で相談しようと、パウリーネ様じゃなくてリーネと寮に向かって歩く。
「あれ? ヴィヴィ様?」
「ディオじゃない。届け物?」
嬉しそうに駆け寄ってきたディオは私の横のリーネに気がつくとちょっと硬い表情でぺこりと頭を下げた。
「ディオ、私のクラスメイトのパウリーネ様よ」
ディオに親睦会の出し物をリーネと考えていることを話すとディオが何か思いついたような顔をした。
「何かいいアイデアあるの?」
「えっと、ヴィヴィ様、ちょっと店に来てもらっていいですか?」
リーネに了解を取って私たちはディオのお店まで足を運んだ。
「ヴィヴィはびっくり箱ですわね」
店に向かって歩きながらリーネが私に囁いた。
私は意味がわからなくて首をかしげる。
「彼は平民でしょう、それも小さな商店の店員。それなのにとっても親しそうなんですもの」
もちろん平民の中にも学者であったり大商会の経営者だったりという名士もいるし、私たちの担任のエルトマン先生だって平民だ。そのような家名を持つことを許された平民はともかく、そうじゃない一般の平民、それも家の使用人でもない平民と仲がいい貴族令嬢は稀らしい。
「あ、別に否定しているわけではないんですのよ」
リーネは少し焦った様子で言葉を重ねた。
「誰とでも、どんな身分の方たちとも親しくなれるヴィヴィが少し羨ましく感じたのかもしれませんわ」
うん、私は身分より自分と合うか合わないかで付き合いを決めているのかもしれない。合わないと思った人を排除するつもりは無いけれど、そういう人は私から遠ざかっていく。
それって貴族令嬢としてどうなの? と思わなくも無いが、改める気持ちはあまり無い。貴族令嬢としての品位は必要な時に発揮できればいいし、下々の者とは話もしませんわ~なんて考えは貴族としてのプライドとは違うと思う。威厳は足りないかもしれないけどね。
そんなことを話しているうちに雑貨屋に着いた。
ディオが提案してくれたのはグラスハープというものだ。水を入れたワイングラスの縁をディオが撫でると神秘的な音が響いた。
「え? 凄いわディオ。どうやったの?」
「水を入れる量を調節すると様々な音色が鳴るんですよ」
ちょっと得意げなディオは沢山のグラスを用意して短い曲を披露してくれた。
「素敵だわ! とても幻想的ね!」
「ええ! 私たちにもできるかしら」
リーネも乗り気だ。
私たちはグラスを購入して親睦会までお店に通ってディオ師匠から簡単な曲を演奏できるまで指導してもらうことを即座に決めた。
「若様、当分ここに腰を据えるおつもりですか?」
「うーん、国の様子も気になるけど、まだ何にも有益な情報を掴んでないでしょ。上手く学院に潜り込めたんだし、もう少し探ってみてもいいんじゃないかなあ?」
「若様がそう仰るのなら。……それに最近の若様は楽しそうで何よりです」
「楽しそう? 違うよ。僕は常に考えているんだ。あのクソ兄たちをうまく転がす方法は何か、僕たちが生き抜くにはどうしたらいいかってね。楽しそうに見えたんならあの女の子が利用価値があるってことなんだよ」
「若様........もういっそ国を離れてずっとここで暮らしませんか?」
「僕はヤダよ。ここで平民として暮らして何になるの? 僕はもっと大きくなるんだ、クソ兄たちを利用してね。ウーゴにも贅沢をさせてあげるからね。その為にはこの国の情報をもっと知る必用がある。彼女はきっと利用価値がある、僕はそんな気がするんだよ。ああそうだ、この学院が冬期休暇に入ったら一度国に帰ろうか。クソ兄たちを唆してそろそろこの国にちょっかいを出させなきゃね」
「承知しました。手筈は整えておきます」
「頼んだよウーゴ」




