第11話「一億円の備品費と、ミスリル製のモップ」
◆ ギルド本部 視点 ◆
ドアが、勢いよく開いた。
「神代!」
ダンジョン管理協会の幹部、黒崎が血相を変えて飛び込んできた。
後ろに三人、同じような顔をした幹部が続く。
「落ち着け、黒崎」
神代は書類から目を上げた。
「落ち着いていられるか!」
黒崎が机に両手をついた。
「死霊の廃都だ! 昨日の夕方から、魔力反応が完全に消滅している! Sランク厄災指定の呪詛フィールドも、エルダーリッチの気配も、アンデッドの生体反応も、全部だ!」
「知っている」
「知っているだと!?」
「だから言っただろう。対処した、と」
黒崎の目が、限界まで見開かれた。
「対処って……神代、お前一体どの部隊を、何人犠牲にして討伐したんだ! あの廃都は国軍が三回挑んで全滅した場所だぞ! 戦力の報告を上げろ! 慰霊祭の手配を——」
「犠牲はいない」
神代が立ち上がった。
応接棚の方へ歩いていく。
そこには昨日から、重厚な額縁に入れて飾られているものがあった。
A4の紙一枚。
丁寧な字で書かれた、清掃日報。
作業内容の欄には、『全域除菌・アンデッド残滓処理・黒カビ(呪詛魔法陣)除去・床面モップがけ』と書いてある。
使用消耗品の欄には、『スプレーボトル(水)一本、雑巾一枚』とある。
次回清掃推奨時期の欄には、『三ヶ月後に瘴気の再発がないか確認推奨』とある。
神代はそれを静かに指さした。
「彼が」
一拍おいた。
「マイペットで、除菌しただけだ」
黒崎が、固まった。
後ろの三人も、固まった。
「……なん」
「だと」
誰かが掠れた声で言った。
神代は額縁の前に戻って、静かに腕を組んだ。
「信じられないのはわかる。俺も最初はそうだった」
黒崎が、ゆっくりと日報を見た。
見た。
もう一度、見た。
「……この日報を、協会で保管させてもらえないか」
「断る。うちの聖遺物だ」
◆ 影山湊 視点 ◆
コンビニの隣にあるATMの前で、俺はフリーズしていた。
昨日、神代さんから「清掃道具の購入費を前払いで振り込んでおいた」というメッセージが来ていた。
残高を確認しようと思って、カードを入れた。
画面に数字が表示された。
「…………」
目を細めて、もう一度見た。
『残高:100,058,432円』
「……えっ」
声が出た。
「えっ、えっ、えっ」
三回言った。
一億円。
一億円が、俺の口座に入っている。
「……うちの会社、備品代の予算どうなってんの」
俺はATMの前でしゃがみ込んだ。
通行人が数人、怪訝な顔でこちらを見て通り過ぎた。
深呼吸した。
考えた。
(まあ……大手の清掃会社は、業務用の消耗品を大量に買うから、それなりに予算が必要なのか)
(業務用モップ一本でも良いやつは数万するし、工業用の洗剤とかも高いし)
(一億あったら……超高級モップが買い放題じゃないか)
俺は立ち上がった。
「経費だから、ちゃんと使わないと」
職人としての責任感が、じわじわと湧いてきた。
いい道具は、いい仕事につながる。
前の会社では「消耗品は最安値のやつだけ買え」と言われていたが、今の会社は違う。
「よし、ちゃんとしたやつ揃えよう」
俺は地図アプリを開いて、一番近い探索者向けの大型店舗を検索した。
店に入った瞬間、天井まで届く棚に並んだ商品が目に飛び込んできた。
(でかいホームセンターだな)
俺はそう思いながら、清掃用品のコーナーを探して歩き出した。
「おい、若いの」
低い声が飛んできた。
カウンターの奥に、でかい男が立っていた。
五十代くらいか。傷だらけの腕。眼光が鋭い。元探索者特有の、危険な空気を纏っている。
「ここは遊び場じゃねえぞ。用がなければ出ていきな」
俺は首をかしげた。
「あります、用。あの、質問いいですか」
「……なんだ」
「一番水はけのいいスポンジって、どこのメーカーですか」
男の眉が、かすかに動いた。
「それと、柄が折れないモップを探してるんですけど、チタン製のやつってここにありますか。あと、石畳の目地の汚れに強い洗剤と、魔力で強化された雑巾があれば教えてほしいんですが」
俺は続けた。
「前の職場で安物使ってたら、ボスの現場で柄が三本折れて、そこからずっとマイペット一本でやりくりしてたんですよ。さすがに道具は良いもの揃えたくて」
男が、黙っていた。
ただ俺を見ていた。
(なんか聞き方が悪かったか)
俺が首をかしげていると、男の額に、じわりと汗が滲んだ。
「……お前」
掠れた声だった。
「ボスの現場、って」
「はい。まあ、ゴミが多い現場のことをそう呼んでて」
「……安物のモップで、やりくりしてた」
「ええ、なんか気づいたら折れてるんですよ。Sランクの現場だと特に」
男の顔から、血の気が引いた。
「こいつ……ただ者じゃねえ……!」
「え?」
「待ってろ」
男が奥の倉庫へ消えた。
しばらくして、両手で何かを持って戻ってきた。
モップだった。
柄が、鈍い銀色に輝いている。
「ミスリル合金製だ。Sランクモンスターの爪でも折れねえ。一本三百万する」
「おっ」
俺は受け取って、しなりを確かめた。
軽い。バランスがいい。柄のしなりが均一で、拭き掃除のときに手首への負担が少なそうだ。
「これ、いいですね」
「……わかるのか」
「拭き心地が全然違いますよ、これ。十本ください」
男が固まった。
「三千万だぞ」
「経費で落とします」
俺は笑顔でカードを差し出した。
男の手が、微かに震えていた。
「……Sランクの清掃員ってのは」
「いえ、普通のFランクですよ」
「Fランクが……ミスリルのモップを……三千万を……経費で……」
男は壊れたように繰り返した。
俺はレジで会計を済ませて、ミスリル製モップを十本担いだ。
ずっしりと重い。でも悪くない重さだ。
「ありがとうございました。また来ます」
店を出ると、秋の空が広がっていた。
「いい買い物した」
俺はウキウキしながら、ギルド本部への帰り道を歩いた。
次の現場が、楽しみだった。




